第2話 モニカ嬢との対談(前編)


 共に来たハンスは後ろに控え、俺とモニカ嬢はテーブルを挟んで対面に座る。

 背筋をしゃんと伸ばし、綺麗に腰掛けるその姿は凛とした印象を受ける。浮かべる表情は貴族の子女がよく浮かべる対外的な微笑みで、事前情報がなければ「ベッカー家で真面目に教育を受けたんだな」と思えるものだった。化粧も年相応の清楚な感じで行われている。

 来客対応のためか若い、女性の見習い神官が緊張した面持ちでトレイの上に置いたお茶の準備を進める。

 見習い神官ともなれば聖女・聖人と関わりを持つことはそうそうない。だからか、ティーポットを持つ手がカタカタと震えているのが見て取れた。緊張をほぐさせようと言葉をかけようとしたが、先に動いたのはモニカ嬢だった。


「まあ、そんなに緊張なさらないで」

「っ、は、はい」

「大丈夫ですよ。いつも通りに、練習したとおりに。わたくしもヴォルフガング様も、例えあなたがここで失敗したとしても怒ることはありえませんから」


 そうですよね?と話をふられたので、俺も微笑んだまま頷く。彼女が見習い神官に伝えた内容は当然のことだ。


「神官業とは全く関係ない業務だ。慣れないのも当然だしな。なんならうちの執事と一緒にやるか?本職とやってみる機会なんてそうそうないだろう」

「えっ、あ、あの……よ、よろしい、ですか?」


 ハンスに目配せをすれば、スッとハンスは見習い神官の傍に近づくと「お借りしても?」と声をかけた。頷く彼女からティーポットを受け取って、彼女にわかりやすいように説明しながら、ゆっくりとした手つきでお茶の準備を進める。見習い神官は真剣にその様子を見ており、いつの間にか手元にはペンとメモが用意されていてそれに熱心に書き込んでいた。


「うちの執事が淹れたお茶でも大丈夫か?」

「ええ、もちろん」

「ハンス」

「真名に誓って、私は貴方がたを害するものをこの紅茶に含めることはいたしません」


 淡々と真名宣言をしたハンスに驚いた様子を見せた見習い神官とは違い、モニカ嬢は驚いた様子もない。こういう場での従僕の宣言自体が当然だ、とでも言わんばかりの様子は貴族階級の教育を受けているな、という印象を強くさせた。


 紅茶の準備が整い、俺とモニカ嬢の前にことりと置かれる。

 ハンスは手早く片付け、見習い神官に一式が乗ったトレイを渡した。受け取った見習い神官はハンスに礼を述べ、次に「失礼いたしました」と軽く一礼して、退室していく。それを見送ったハンスは先程同様、俺の後ろに静かに立った。


 モニカ嬢がソーサーに手を伸ばし、手にとってカップを持ち上げる。ふぅ、と軽く息を吹きかけて紅茶を一口飲むと、ほうと息を吐いた。


「美味しい」


 その言葉にハンスは軽く頭を下げる。俺も同じように、紅茶に口をつけた。うん。美味い。


「以前からわたくしとお話をとお聞きしておりました。お待たせして申し訳ありません」

「グリッツェ大森林で素材集めをされていたそうだな。何か作りたいものでも?」

「ええ。今後もダンジョン攻略を進めたいので、回復薬のストックを作ろうかと思いまして」

「攻略を?」


 聖女・聖人ともなればダンジョン攻略よりも結界石の維持に重きを置かれる。結界石のへの魔力補充は一般貴族でも出来るが、長期間の維持させることは難しい。それこそ、魔力保有量が低いと週に2~3回とかいう早いペースで補充していかなければならないからだ。そういう家門がいる領地に限ってダンジョンを保有していたり、隣領地にモンスターの生息地があったりするので結界石の維持が難しくなる。

 なので、ダンジョン攻略を進めるという彼女に首を傾げるのは何もおかしくはない。

 案の定、モニカ嬢はにこりと微笑んで答えてくれた。


魔物暴走現象アウトオブコントロールを未然に防げればと思いまして」

「……これから向かう予定のダンジョンに兆候でも?」

「いいえ。けれど、間引きを行うことで発生が著しく下がるとは学びました。ですので、聖女として国を、民を守るため、ダンジョンを攻略しつつその芽をできる限り潰していこうと思っているのです」


 それは確かにそう。だがわざわざ聖女・聖人が自ら出る必要はない、というか自発的には避けるべきである。特に現役は。


 本来、モンスターの様子や間引きは経済の循環も兼ねて冒険者ギルドに依頼して見てもらっている。訓練も兼ねて領主が抱える騎士団・魔術師団が向かうことも多い。

 ダンジョンが発見された領地は必ず騎士団・魔術師団を抱える義務がある。経済が困窮していて抱える余裕がない場合は、国からサポートを受けつつ経済を立て直す努力をする。そうしないと今後もダンジョンを抱えて管理していく力が培われないからだ。

 あと、単純に経済の循環。冒険者は欲しい素材を探して金が手に入る。その金を使って近場の街や村の宿泊施設に止まったり、市場で買い物をしたりする。鍛冶屋で武具を購入、修理したり、ダンジョン攻略に必要な魔法薬を購入する。その鍛冶屋や魔法薬士は、冒険者に依頼して素材を取ってきてもらう。冒険者が集まり、ダンジョン攻略に活気が出れば自然と人が集まって経済も良くなる。


 そして、根本的な問題として聖女・聖人は絶対数が少ない。いざというとき、結界石の魔力供給を一気に行える聖女・聖人が不足するのは国家の危機にも等しい。

 他国から現役と同じぐらいに魔力保有量が多い人物を招聘して試したことがあったが、結界石へ十分な魔力の補充ができなかった。どのような仕組みかは分からないが、結界石は設置した国の土地に生まれた者しかできないらしい。謎過ぎる。

 ゲームではシナリオを進めるごとに魔物暴走現象アウトオブコントロールの兆候が出たダンジョンがひとつずつ出てくるから、それを攻略して兆候を潰す内容になっている。兆候が出たダンジョンに聖女・聖人を派遣すること自体はおかしくはないけどな。後方支援で戦闘に必要な結界石に魔力供給したり、後方から援護射撃したりするから。

 第一、冒険者たちや騎士団・魔術師団がダンジョンに潜る過程でモンスターたちはある程度間引きされる。人の出入りがない未発見ダンジョンならともかく、人の出入りが多い攻略済み、あるいは攻略中のダンジョンは魔物暴走現象アウトオブコントロールは発生しにくいことが分かっている。

 よくよく考えれば、ゲームで魔物暴走現象アウトオブコントロールの兆候が出たダンジョンは人の出入りが少ないダンジョンか、未発見のダンジョンだったな。


 指摘すべきか、否か。

 いや、恐らくここの神官長が既に苦言を伝えているだろう。さっき会ったとき、少し疲れた表情を浮かべていたから。


「止めはしない。が、非効率であるとは言っておこう」

「はい。すべて承知の上でございます」

「そうか」

「……あの、ひとつよろしいでしょうか?」

「うん?」


 ちら、とモニカ嬢の視線がハンスに向けられた。


「ヴォルフガング様のお付きの方は、獣人の方なのですね。ああ、いえ。単純に珍しいなと思いまして」

「そうだろうか?私の身の回りにはそれなりにいるから、あまり気にしたことがなかったんだが」

「いえ、その。正確には執事の方のその、イントネーションが」


 ―― 食い付いた。ハンスに最初からフィゲニア公国出身のイントネーションでやり取りさせたのはわざとだ。

 テーブルをひとつ指で軽く叩く真似をした。これは事前打ち合わせで魔法を発動させることをハンスに知らせるものだ。問題なければ、ハンスがモニカ嬢を会話でひきつけてくれるはず。


「ハンスから答えても?」

「ええ、もちろん。ハンス様と仰るのですね」


 モニカ嬢の視線がハンスに移る。

 魔力を目に集中させ、魂見こんけんの魔法を発動させた。


「ヴォルフガング様専属執事、ハンス・イルディーヴォと申します。フィゲニア公国出身のため、お聞き苦しかったでしょうか、申し訳ありません」

「……まあ。あのフィゲニアの」


 僅かにモニカ嬢の瞳が揺らいだ。

 と同時に、俺の視界に淡く光る魂がモニカ嬢の体の中心に現れる。それは頑強な檻に囲まれた魂であった。檻は揺らがない。やはりこの程度では大きく動揺させることはできないか。

 中心にいる魂の真名情報を覚えて、紅茶を飲みながら視線を僅かに動かす。


 どこだ。どこに本物のモニカ嬢の魂がある。


 ふと、彼女の右手首につけられたブレスレットが目に入った。と、同時に、視えた弱々しい光。

 右手首にあるのはゲームにあったアイテム「百合リリーエのブレスレット」。そしてそのブレスレット付近から離れられないのか、手首付近を揺らめく、小さな、小さな、消えてしまいそうな灯火。

 その灯火から見えた真名は、蒼ファンの主人公「モニカ・ラメール・ベッカー」と全く同じ「ラメール」だった。


 ―― 大丈夫なのか、あれ。レナとペベル、それから悪女モニカの魂はあんなに煌々と燃えている様を見せているのに。


「まぁ、では故国を逐われたところにヴォルフガング様に助けていただいたのですね」

「正確にはお嬢様ですね。お嬢様が見つけてくださらなければ、旦那様が私を引き取ってくださらなければ、私は今ここにいません。私の、家族は……イルディーヴォ家自体が、もうありませんので」


 憂うようにそっと瞳を伏せるハンスは、同時に耳もぺしゃりと倒れた。

 獣人族の耳や尻尾は、感情が現れやすい。特訓しないと、表情や態度は取り澄ましてるのにピコピコと耳が動いたり尻尾が揺らめいたりする。ハンスは特訓の末、身内以外がいる場では自身の感情とは裏腹の動きを見せることができるようになっている。

 まあ、一家離散で両親も既に亡くなっているから話している内容は嘘ではない。


「イルディーヴォ……フィゲニア公国の、番人」

「よくご存知ですね。もうすでに家がなくなって10年以上に経つのですが」

「ええ、フィゲニア公国の内乱については、ベッカー家で教育を受けていたときに習いましたの」


 ゆらり、と檻が一瞬揺れた。しかしすぐに頑強なものに戻る。

 モニカ嬢の表情は悲しそうではあるが、口元が僅かに引きつっているのが見える。手元がほんの少し何かを探すかのように動いた。恐らく扇子を探そうとしたのだろう。

 だが、それを止めるように俺は「優秀な執事なんだ、彼」とにっこり微笑んだ。ぽ、とモニカ嬢の頬が僅かに赤く染まる。


『グレタから聞いた話だけど、彼女面食いらしいから。ヴォルターが本気で微笑めば多分一発でコロッといくと思うよ』

『ベルント様。わたくしの夫に不貞を勧めてらっしゃるの?』

『やだなぁ、フィッシャー殿。例え僕が不貞を勧めても、ヴォルターは君を裏切らないよ。絶対に』


 ……うっわ。勧められたからってやるんじゃなかった。

 まあ、すぐにその想いは消えると思うけどな。

 

「ところで、私が君との面会を希望していた理由なんだが」


 ソファの背もたれによりかかり、足を組んで膝の上で両手を組む。

 それでも口元に笑みは絶やさない。


「うちのルイーゼが、世話になったようで」


 モニカ嬢の目が大きく見開かれた。魂の檻が僅かに揺れる。


「―― ゾンター、伯爵」

「はは、なんだ。知らなかったのか?そうとは言わせないぞ。私は聖人ヴォルフガング・ゾンターとして、まあ呼ばれたら活動している身だからな。私が4年前に君になんと言ったか、覚えているか?」



「『私にも君と同い年の娘がいてね。もし、学院で顔を合わせた際にはよろしく頼むよ』と、私は伝えたはずだが。これが君なりの、という意志か?」

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