第24話 存在しない犬耳と尻尾が見えた気がした
小神殿にアポをとった際に、アーサー殿下との面会も申請していた。アーサー殿下から俺の家に来るのは理由がないし、俺もアーサー殿下に堂々と会いに行く理由がない。
なので、小神殿に来たついでに少し話を、という
そう。つむじ。アーサー殿下は両肘をテーブルにつけ、両手で顔を覆って項垂れているので頭のてっぺんが見えているのである。そして俺はテーブルを挟んで向かいから手を伸ばして思わずその頭を撫でた。
王族としての体裁を崩していなかったアーサー殿下がなんでこうなったのかというと、時間は少し前に遡る。
「ようこそ…と言ってもこちらも間借りしている身なのですが」
「いえ、お時間をとっていただきありがとうございます」
神々の逢瀬が思った以上に長引いたので少々神官から心配されたものの、アーサー殿下がちょうど良い時間に神殿に戻られたと聞いたのでそのまま会うことになった。
小神殿は応接室や会議室のようなものはない。だから自然と会合場所はアーサー殿下に与えられた個室になった。踏み入れた部屋は至ってシンプルなもので、家具等の備え付けも必要最低限なもの。王侯貴族からすれば「こんなもので過ごせと?」と言われてもおかしくはない程度だ。それが許されてるのはひとえにここが曲がりなりにも神殿だからに過ぎない。
まあ、俺からすれば使えりゃ十分だろ、と思うので特に気にならないけど。離れにあるやつだってどうせ画材で汚すから、と中古品だし。
応接スペースがあるわけでもなし、ということで備え付けの椅子に腰掛けた。アーサー殿下も同様に、テーブルを挟んで椅子に腰を下ろす。
……アーサー殿下だよな、目の前にいるの。たぶん。まだ覚えきれてないから不安なんだが。
「学院でルイーゼ嬢と自然と接触することができました。ハインリヒ殿が聖女モニカにくっついてるおかげで、私の学院での応対をルイーゼ嬢が任されたようです。僥倖でした」
普通、他国の王族が留学してきた場合、何か困ったことがないか気を配る役割として王族が割り当てられる。王族が学院内に在籍していない場合は、公爵位、あるいは侯爵位のご子息。
現時点では学院に在籍しているのがハインリヒしかおらず、しかもそのハインリヒが聖女モニカにつきっきり状態のため、婚約者であるルルが充てがわれたのだろう。
「学院での様子はどうですか?」
「雰囲気は良いとは言えませんね。フンケル嬢やヴィンタース嬢がいるお陰で多少は緩和されてますが、周囲からは疑いの目を向けられています。聖女モニカについては、」
言葉を区切り、何か探しているように視線を彷徨わせる。
よほど言いにくいことがあったのかと待っていれば視線を逸らしたまま呟くように続けた。
「本当に、聖女なのか、と」
「……理由は?」
「端的に言えば接触が多いです。見目の良い男子生徒にしなだれかかり、腕を抱き込み、耳元で囁く。ハインリヒ殿との接触が最も目に余ります」
明言は避けているが、なんかあったな。後でカールにも確認しよう。
「ご存知かもしれませんが、我が国での聖女・聖人はあくまで魔力保有量で決まります。性格は重視されないんです」
「たしか、平民から貴族に上がった女性でしたね」
「ええ。10歳の真名授与の儀から、手続きを経てベッカー伯爵家の養女に。そこで最低4年間は教育を施されたはずですが」
「……それは」
4年教育してあれか、とアーサー殿下が言外に告げている。分かる。分かるけど、別人だとも言えない。
実際に
こほん、と咳払いをしたアーサー殿下は「もうひとつ気になることが」と話を続ける。話の内容はなんとなく察せられる。
ひたりと見据えられた眼差し、雰囲気、表情はまさに王族と言えるものだ。
「私が滞在先である王宮を出た件ですが。ハインリヒ殿が魅了魔道具を使用している可能性が高い。うちの使節団のメンバーが何名か、取り込まれそうになりました。……ご忠告感謝いたします」
実は、フンケル卿からハインリヒが魅了魔道具か何かしらを使用している可能性が高いと話があった日のうちに、緊急通信の魔道具を使用してマルクスに伝えてあった。通信記録は国に出さなきゃいけないが、その中で光で伝えられる暗号 ―― 前世のモールス信号を参考に作った ―― で、話している内容は全く関係のない(かつ緊急性がそこそこある)話をしながらそれとなく伝えたのだ。誰かが俺たちの会話を覗き見ていても、俺が手元でダンジョンで使うような小さな明かりの魔道具の動作点検してるようにしか思えないだろう。
マルクスなら王宮に上がるタイミングがあったから、アーサー殿下にも会えるタイミングがあるだろうと思っての賭け。なんなら五大公侯と閣下にも伝わっている。だからルルの加護を聞かされたときに「貴公らは何に巻き込まれているのだ」と呆れられたのだ。
マルクスを危険に晒す行為だったが、他国の要人を魅了することと比べることを考えるとどうしても頼らざるを得なかった。
「間に合ったようで何より」
「本国にも報告しました。恐らく本国経由で魔塔に通報、その後彼らが調査のため来ることになるでしょう」
「お手数をおかけいたします」
頭を下げる。いやもうこれは頭を下げる他ない。
この国では通報の手段はもはや奪われたに等しい。他国の介入はよほどのことがないとできない、が、幸か不幸かプレヴェド王国の第三王子が率いる使節団に魅了をかけた疑いが出た。それだけで、他国が動く理由になる。
ただ、惜しむらくはプレヴェド王国が我が国からは遠方であること。通報までに時間がかかることだろう。他国間の通信手段は、最大でも近隣国。それよりも遠くなると物理的に手紙を送るぐらいしか手段がない。
近隣国に通報を求めるのも手だが、我が国は全土がほぼ山岳地帯のようなものだから農耕がし辛い。そのためダンジョンから排出されるアイテムやその加工品を輸出し、食料関係は7割ほど輸入している状況だ。うん、つまり食料自給率が悪い。ここで国の恥をさらして、生命線でもある食料輸入の関税などでこちらが不利になったら…と二の足を踏むのが想像できる。特に外交関係の面々は反発するだろう。いや国の危機だっつーの。二の足踏むの分かるけど。
それすらダメならばこういうときに神頼み。だが、神々は普通そこまで手をかけることはない。恐らく加護を与えられた俺からの頼みですら、首を横に振られるのが目に見えている。
神は人に干渉するが、人が神に干渉することは滅多に許されない。理不尽だと思う部分もあるが、当然だと思う部分もある。だってひとりひとりの願いを叶えることは物理的にも理論的にも不可能だから。だから人は、自分で願いを叶えようと努力する。神々への祈りは、あくまで「気が乗ったらバフをください」という程度でしかない。
だからまあ、今回アーサー殿下の方から通報してくれたのは助かったのだ。
通報できるのは各国の王またはそれに相当する地位を持つ者、なのでアーサー殿下が直接魔塔に連絡できるわけじゃないんだけど。
「殿下は、魅了をかけられたと分かったのでしょうか?」
「ああ…さすがに私に直接はかけてこなかったようです。が、レイゼンの言動があからさまにおかしくなりまして。どこかレイゼンらを隔離できないかと探していたところ、貴国のブラウン侯爵殿よりこちらの小神殿をご紹介いただきました」
現在、使節団長のレイゼン殿は王宮から離れたおかげか、思考が正常に戻り始めているらしい。なぜあんな言動をしたのか、と混乱しているようなので、まだ貿易協定の策定などは進んでいない状況だそうだが。
挙動不審になった他数名も順調に回復していってるらしい。良かった良かった。
「心配なのはルイーゼ嬢です。彼女は王太子妃教育のために王宮に通うとお伺いしています。ハインリヒ殿が、常日頃から王宮を留守にしてくれていれば良いのですが……」
「ああ、それなら聖女モニカがグリッツェ大森林ダンジョンの攻略を開始したとのことなので、出会う頻度は少ないはずです。週に1度の婚約者としての逢瀬もすっぽかされてるようなので」
学院に入学してからは「学院で会ってるからいいだろ」とルルは定期交流会をすっぽかされてる。事前に連絡がある分には良い。だが、当日会うと連絡がありながら「やっぱり止めた」はふざけてんのかって話だ。燃やすぞお前の全身の毛を。
ルルは一応、ハインリヒとは違って「ちゃんと婚約者たろうとしている」と堂々と王宮に通っている。客観的事実は大事だ。ここでハインリヒに言われたから「はいそうですか」と婚約者としての役割を放棄したら、それはそれで痛くもない腹を突かれることになる。
現在王宮内はルルの敵が増えつつあるが、まだ敵になっていない者は大勢いる。そういう者たちに向けてのアピールはしておいてこしたことはない、という方針でレナと決めてルルにやってもらっているわけだ。
まあ、加護を授けられたからとりあえず魅了をかけられる心配がなくなったのでなんとか送り出せる、という状況でしかないのだが。何か変化があったらすぐ邸でやれるように準備だけはしておこう。
加護の件は伏せ、ため息を吐きながら答えたハインリヒの近況にガタン、とアーサー殿下が立ち上がった。なんだ、と見上げればキラキラとした瞳で、頬を紅潮させてテーブルに手をついてぐいと俺の方に顔を寄せた。
近い近い近い。
「ならば、私がルイーゼ嬢と交流をしてもよろしいでしょうか!?」
「え?」
「そのハインリヒ殿と会えないと分かったときだけで構いません。その時間に、文化交流という名目でルイーゼ嬢と交流会がしたいのです。もちろん、ふたりきりではなくご友人のフンケル嬢やヴィンタース嬢もご一緒に」
「あ、まあ。親としてはそれぐらいならば問題ありません。もちろん、前提として娘や友人らの意思次第ではありますが」
「もちろんです!ああ、何を手土産に持っていこう。花、花はいいだろうか。いやでも何か手元に残して……いや婚約者がいる相手ではだめだな。菓子、うぅんこの国の菓子はもう食べているだろうし」
俺から了承のようなものを得たアーサー殿下は、すとんと元の椅子に腰掛けるとぶつぶつと俺がいる目の前でルルに会ったときに何を渡すのか候補をつらつらと挙げている。それは俺に向かって言っているのではなく、どちらかというと思考を整理しようとして声に出しているようだった。
―― あれ。もしかして、アーサー殿下、俺と似たようなタイプ?
「殿下」
「うん。やっぱり花にしよう。ああ取り寄せるなら王都の花屋について聞けばよかった。神官殿はご存知だろうか」
「殿下。花を贈るなら、ルルは華やかな花より可愛らしい花が好みです。あと神殿近くにある花屋の場所は良ければこの後、私がご案内しますが」
「なにっ、そうなのか!じゃあ案内をたの……あ」
ぱっと俺に向いて、何を口走っていたのか悟ったらしい。
ぴたりと動きを止め、それからじわじわと頬、どころか首筋まで赤く染まっていく。
「……お聞きに」
「はい」
「あああああ」
殿下が両手で顔を覆い、テーブルに肘をついて俯いた。ぷしゅう、と湯気が出るかと思うぐらいに真っ赤だ。いやまあ、贈る相手の父親の前でお茶会にウキウキして何を贈るか相談めいたものしてるもんな。こっ恥ずかしくもなるか。
はは、しかし、こう見るとやはり王族とはいえ年相応だな。思わず口元が緩む。
「……お恥ずかしいところを」
そんな彼の様子に思わず手を伸ばし、その頭を撫でる。その手は振り払われることはなく、気づけばわしゃわしゃと撫でていた。王族の髪だからつるさやな感じかと思ったが、意外とふわふわとしてる。
びくりとアーサー殿下の体が少し揺れたが、特に言及もなくされるがまま。つむじが見えてる。
それで、殿下との冒頭に戻るわけで。
あ、思わず撫でちゃったけどよろしくなかったかもしれん。と撫でる手を引っ込めた。やがて撫で回されることがないとわかったのか、ゆっくりとアーサー殿下の顔が上がった。ちょっとまだ顔が赤い。
若いなぁ。
その後、ちゃんと約束通り神殿近くにかまえている花屋に案内した。
こじんまりとしたこの花屋は、店が小さいにも関わらず品揃えも良いと評判で。ルルに贈る花を見繕うアーサー殿下の表情は真剣そのものだった。俺のアドバイス通り、可愛らしい花をメインに花束を作る予定らしい。
そんな彼の様子は、微笑ましく思う。
ちゃんと手順を踏んでルルの傍に行こうとする点は評価できる。ああ、これでルルがハインリヒと婚約していなかったら少しは前向きに考えられたのに。
そういやうちの宰相殿、ルルに良い縁を繋ぐって真名宣誓してもらってたな。何もかも解決して、まだアーサー殿下がルルを想ってくれるなら。そのときは宰相殿に縁を繋いでもらうか、という考えを頭の片隅においておくことにした。
―― あれ。なんか俺、絆されてる?
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