第19話 神々との接触なんて一生に一度もないはずなんだが


「……は?」


 周囲から音が消えた。

 いや、元々この部屋は静かだった。けれど今はどくどくと自分の心音がやけに大きく響いて聞こえる。


 カティの魂が行方不明?そんな馬鹿な。


「はっ、はは、ご冗談を。私の前妻が亡くなったのは11年前ですよ?」

「エレヴェド様の御下に集まる魂は、皆未練がないわけではありません。故にまっすぐエレヴェド様の御下に向かわずに迷うことがあります。そのため、エレヴェド様は数年様子見をされていました。しかし ―― カサンドラ様の魂は、来なかった。いや、見つからなかった」


 ゆっくりと閉じられていた祭司長様の瞳が開く。

 朝焼けのような、ピンク色や青色が入り混じった不思議な輝きと色合いを見せるその瞳が、ひたりと俺を見据えた。あれ、この人の目、こんな色だったっけ。そう思った瞬間、ぞくりと背筋が震える。

 抜け落ちた表情のまま、祭司長様の手がゆっくりと上がり俺をひたりと指さした。


「『お前の国で、何者かがいくつかの魂を囚えている。精霊でも見つからん。我らでも見つけられん。魂は消えてはおらん。だが、このままいけばいずれは輪廻にすらのれずに消失するだろう』」


 誰だ。誰だ、目の前のこのは。

 声が出そうになるが本能的に声を出してはいけないと理解した。

 隣に座っていたルルが俺の腕を掴んだのを感じて、目の前のから目を離さないようにしたままルルを抱きしめる。


「『その眼を用いて探せ。その眼を用いて囚われた魂を解放しろ。そのすべは、フォティアルドが知っている』」


 フォティアルド。フォティアルドって、火の神か。

 ダメだ、情報の整理ができねェ。なんで俺の魔眼のことでフォティアルドに聞かなきゃいけないんだ。なんで俺の魔眼で探せるんだ、解放できるんだ。


 そのの視線と指先がルルに向けられる。腕の中のルルがビクリと震えた。


「『俺は人の世には基本、干渉しない。だが、此度の事態は看過できない。俺は魂が持つ記憶を読むのを唯一の楽しみにしているんだ。事態の収拾のため、加護を与えよう。ヴォルフガングマレウスはすでにフォティアルドの加護があるから、ルイーゼクラリス、お前に』」


 ―― え、俺には既に加護がある?

 そう思った瞬間、ルルの右手の甲が眩く光った。きゃ、というルルの悲鳴と共に俺もその眩さに思わず目を瞑る。光ったのは一瞬だったようで、落ち着いた頃に目を開けば、ルルの手の甲に紋章のような痣が浮かび上がっていた。


「『お前にとってのエンディングを迎えられるまでの間のみ、特別に俺の加護を与えよう。これでお前は精神に干渉する魔法から身を守ることができる。そしてお前との絆が強い者も守ってやれるだろう』」


 ギョッとした。え、つまり魅了から身を守る効果がある加護を与えたってことか?

 祭司長の瞼がトロリと下がっていく。もしかしてそろそろ目の前のはいなくなるのだろうか。というか今、エンディングって言ったか?つまりこのは原作ゲームについて知っているのか?

 聞きたいことがたくさんある。けれど質問は許されないと頭のどこかで警鐘が鳴っている。


「『お前たちが俺の下に来たときに、どんな物語を記すのか。楽しみに待っている』」


 完全に祭司長様の瞼が下りた。

 その瞬間、部屋全体を包んでいた緊張感が霧散。どくどくとうるさかった自分の心音が落ち着いていくのが分かった。

 ルルも感じ取れたのだろう。ふぅ、と小さく息を吐いた。


 祭司長様の瞼が上がる。その瞳の色は蜂蜜色だった。


「―― ああ、大丈夫でしたかおふたりとも」


 慌てたように立ち上がり、俺とルルの傍までやってきた祭司長様はその場で膝を折った。

 祭司長様のような方を跪かせるなんて、とは頭では理解できているものの、酷い疲労感に苛まれて何も言えない。あと、与えられた情報で頭が混乱してる。


「エレヴェド様もなんと強引な。事前に相談をとあれほどお伝えしておいたというのに」

「……やはり、先ほどまでのあなたは」

「はい。エレヴェド様が私の体を通じて神託を告げたようです。いつもであれば、私が口頭でお伝えするだけなのですが。ルイーゼ様、お手に痛みはございませんか」

「は、はい。大丈夫です」

「ああ、良かった。しかし、神からの加護は時にはデメリットが生じますから、もし何かありましたら私めまでご連絡を。当面の間は、こちらの聖女・聖人方が在籍される小神殿に滞在しておりますゆえ」


 痣は普段は消えますよ、という祭司長様の言葉にルルはほっと安堵の息を吐いた。

 まあ結構目立つもんな、その痣。普段から手袋をするようにするとなると、それ相応の理由が必要になるから、普段は消えてくれるなら有り難い。

 少し落ち着いたのか、ルルが体勢を整えて俺から離れた。


「あの、いくつか質問をしても」

「はい。私で答えられるものでしたら」


 まだ頭は混乱してる、というか事実を受け入れられないというか。

 それでも確認はしなければならない。祭司長様との面会時間は限られている。席に戻るよう促せば、祭司長様は立ち上がって元いたソファに腰掛けた。


「カティが、カサンドラの魂が囚われているということは事実なのですか」

「状況を総合的に鑑みると事実と相違ないだろう、というのがエレヴェド様のご意見です。この世界に生きる者たちの魂はすべて、どのような未練が残っていようがエレヴェド様の御下に戻るようになっていますので。数年の迷いは折り込み済みとはいえ、10年も戻らないのは今まで事例がなく、何者かに囚われている可能性が高いとのことです」

「―― その魂が、生きている人間の誰かに成り代わるということは、ありえますか」


 俺の質問に、祭司長様は顎に手を添えしばし黙り込む。

 とん、とん、と一定のリズムで顎を指で軽く叩き、やがてそれを止めると顔を顰めた。


「前例はありません。ですが、可能性はあるでしょう。そもそも、魂は肉体という檻を利用することで活性化している状態です。ただ、もしそのような事態が発生したというのであれば、元の体の持ち主である魂は追い出されるか、何らかの力を持って奥深く閉じ込められるかのいずれかかと思われます」

「その、成り代わられた可能性がある人間がひとりいます。聖女モニカ・ベッカー。ルイーゼとは以前交流があったのですが、そのときと明らに性格がガラリと変わったそうで…ルル」

「はい。以前はモニカ様はもう少し快活な方で、太陽のように笑う方でした。でも今は淑女、というよりも社交界を練り歩く大輪の華のような艶やかさを持ち、男性にしなだれかかるような方になっております」

「それを聞いた我が家の執事が、フィゲニア公国にいた悪女とモニカが憑依しているのではないかと疑っている状況です」

「なるほど ―― 少々、お待ちを」


 祭司長様が手をかざす。と同時に、光が現れ、ポンと分厚い手帳のようなものが出現した。

 それを手に取った祭司長様はパラパラとページをめくっていく。やがてその手が止まり、手帳を少し読むと軽く頷いた。

 俺たちと祭司長様の間にはテーブルがある。そこに祭司長様は手を伸ばし、コツコツと人差し指でテーブルを叩くと同時に魔法陣が展開されたのを見て息を呑む。

 ―― 無詠唱で、魔法を実行した。無詠唱での魔法の発動は、高位レベルの魔術師しか行えない。神をその身に降ろし、神託を行えるぐらいの御人だ。やはり何もかもスペックは異なるのだろう。


 その魔法陣から、小さいがれっきとして女性の姿が浮かび上がる。

 豊満な胸、くびれた腰つきにスラリとした長い脚。その体に沿ったマーメイドラインのドレスは彼女のスタイルの良さを際立たせ、かつ妖艶さを醸し出している。そのかんばせはレナとは系統が違うが美しいと言えるだろう。

 その小さな姿の上に、見たことがない文字が大量に浮かび上がっている。古代文字だろうか。

 それらを読んでいた祭司長様は、ひとつ頷いた後その魔法陣をパッと消した。


「彼女は10年ほど前に亡くなっていますが、カサンドラ様同様に行方不明ですね。可能性はあるでしょう」

「憑依しているか確かめられる方法などはありますでしょうか」

「……前例がないため何とも言えません。私の方でも、神々にお伺いし方法がないか調査してみましょう」

「ありがとうございます。あと、その、加護についてなのですが」

「はい」

「私はフォティアルド様から加護をいただいているのでしょうか」


 創世神エレヴェドから告げられた内容はいずれも信じがたい内容ではあったが、まずその点が気になった。

 だって俺は神々に直接会ったことはない。この国にある神殿の祭神はいずれも創世神エレヴェドか、山の神ヴノールドだ。火の神フォティアルドとの関わりはない。

 俺の質問に祭司長様は目を瞬かせる。


「エレヴェド様が仰るのであればそうなのでしょう。フォティアルド様とお会いしたことがないのですか?」

「記憶がある限りでは、拝謁した覚えがありません」

「となると、あなたが赤子の頃に加護を授けられたのかもしれません。フォティアルド様に確認する必要はありますが。一度、お会いした方がよろしいでしょう」


 会うってどうやって会うんだ。

 この国の主祭神である山の神ヴノールドでさえ俺会ったことないぞ。

 その疑問が顔に出ていたのか、祭司長様はくすりと笑った。


「どこの神殿でも構いません。ヴノールド様に、フォティアルド様にお会いしたいと祈りを捧げればお聞き入れいただけるでしょう。本来であればフォティアルド様付きの祭司官経由で約束を取り付けるのですが、加護を与えられているあなたなら別です。どの神であれ加護を与えた子の願いはできるだけ叶えるようにしますから」

「分かりました。近日中に祈りを捧げてみます」

「それから、加護の件は基本的には真名同様の扱いをした方がよろしいでしょう。過去にも神々が加護を授けた子らがいましたが、中には政治利用のため心身が削れる環境に置かれ、加護を与えた神が天罰を下しいくつか国が滅んでいますから」


 おおっと。だいぶ過激……いやちょっと待てよ、もしかして歴史上で突然滅んだとされるあの国とかあの国とかもしかいて、と思い当たる事例を思い出して背筋が凍った。

 真名同様、となると家族だけだな。マルクス、レナ辺りは俺とルルの分は話しても問題ないだろう。ペベルは俺の分だけ話せばいいな。

 しかし、加護、加護なぁ。原作ゲームにはなかった力だ。どちらかというと、そういったのは前作ヒロインのあの力だと思う。


「まるで、《精霊の愛し子》のようですね」

「おや、ご存知でしたか。中々稀有な存在かと思いますが」

「あ〜、いや、今いらしてるプレヴェド王国の第三王子殿下の件で向こうの歴史を調べてるときに、少し」

「魅了魔道具を精霊が改造したあの件ですね。エレヴェド様のご厚意でイェーレ様の物語を拝見させていただきましたが、中々に面白かったですよ。この世界の人間はやはり、キャラクターではありませんね。まあ、彼女もあなたと同じように前世の記憶を持つ子ではありましたが」


 ん?拝見した?キャラクター?前世を持っていた?

 目を瞬かせた俺に、祭司長様はにこりと微笑む。


「ゲームとは異なり、プレヴェド第三王子殿下も精霊族の血を引いております。彼にも協力を願うと良いでしょう。精霊族の気質が濃く出た者は、愛し子以外であれば魅了への耐性が強い。すでに、この王宮内での状況には辟易とされていらっしゃるようですから、近々神殿の方に避難されるそうです。そこでお会いできると思いますよ」

「だ、い三王子殿下には、すでに協力をご快諾いただいております。しかし、そう、ですか……ええと」

「お父様、大丈夫ですか?」

「……うん。ごめんルル。正直混乱してる」


 思わず両手で顔を覆った。頭の処理が追いつかない。ぐるぐると頭の中で情報が回る。

 祭司長様はゲームを知っている。アーサー殿下が、ゲーム上では精霊族の血等引いていないことも。それにさっき「彼女もあなたと同じように」と言っていた。彼女、とは先々代のプレヴェド王妃であるイェーレのことだろう。前作ゲームで、特定ルートのみヒロインのサポートキャラになる精霊族の血を引く少女のことだ。つまり、彼女も前世を持っていたと?だから変わった?


 ルルは心配そうに俺を見上げたあと、きゅっと顔を引き締めて祭司長様に向き直った。


「先ほど、祭司長様はキャラクターと仰りましたが……この世界の元となる何かがあったのでしょうか。例えば、父がゾンター伯爵ではなく、レーマン公爵として存在し、私が公爵令嬢として存在しているなど」

「はい。ございます。エレヴェド様がこの世界をお創りになられる際に、ただの人であったときに生きておられた世界で人気のあったシリーズの世界観を拝借したものだとお聞きしております。最も、拝借したのは世界観のみで、人物は一切関わっていないそうですが」

「では、私が真名をいただいた日に見た、あの夢はやはり」

「内容も伺っております。シリーズのひとつである《蒼乙女の幻想曲ファンタジア》というゲームに登場する悪役令嬢ルイーゼ・レーマンの末路ですね。10歳のお嬢さんにそのまま送り込むものではありません。私の口から、いくらか表現を和らげて申し上げるべきでしたのに…その点については、エレヴェド様にも苦情を申し上げておきました。申し訳ありません」

「い、いえ。最初はショックを受けましたが、父が傍にいてくれたので」

「それは良かった。ああ、ヴォルフガング様」

「はい」

「たしかに我々が生きるこの世界は、ゲームのシナリオに沿って進む傾向があります。これはエレヴェド様も想定していないことでした。また、エレヴェド様の故郷である日本から時折、ゲームや小説等のシリーズに関する記憶を持つ者の魂がこの世界に現れることも」


 ―― それは、つまり。創世神エレヴェドは、日本人だということか。

 なんか聞いちゃいけないことを聞いた気がする。話していい内容なのか、これ。そういえば、ルルにつけられた王家の影もいるんじゃないか。祭司長様が入室した際に、遮音結界の魔法をかけていない気がする。そいつらに聞かれていい内容なのか。

 ぐるぐると回る思考の中、はっきりと、きっぱりと、祭司長様は告げた。


「ゲームは既に破綻しています。ですが、影響はあります。貴方がたは自身に降りかかる災いから身を守るため、その知識を利用して乗り切ってください」

「……はい。承知しました」

「私の方でも、こちらの国での巡業がてらカサンドラ様を含めた行方不明の魂がどこに囚われているのか調査いたします。判明次第、情報を共有いたしましょう」

「ありがとうございます。あの、この話の内容は」

「大丈夫です。私が入った時点で、結界を貼りましたので。天井裏や壁の外にいる者たちには見えませんし、聞こえませんよ。たとえこの国に仕える者たちとは言え、私や神々の話を聞かせられないでしょう?」


 にこりと微笑んだ祭司長様に口元が引きつった。いつの間に。いや、だがこの方は創世神と唯一直接やり取りできる存在。

 創世神からそのような力を与えられていても、違和感はないか。


 とりあえず、俺たちが今後やるべきことが増えたのは分かった。

 色々情報が与えられて混乱しているがまあ、帰ったらレナやマルクスを交えて整理しよう。たぶん俺だけだと上手くいかない。

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