第15話 「悪女」というよりは「傾国」
突っ走る傾向があるので原則報告するように、と口酸っぱく言われていたのでその日の夜にレナとマルクスにフンケル卿との内容を伝えたところ、ふたりともしばらく考え込んでいた。
レナやマルクスが昼間同席できなかったのは、侯爵・公爵として外せない仕事が少しあったためである。
やがてマルクスが顔を上げると、首を傾げた。
「ハンスの言う通りでは?体は同じで、中身が異なるという意味で」
「うーん、俺はそう思えないんだよなぁ」
「なぜですか?兄上が良い例ではないですか」
え、とマルクスを見る。
マルクスは至極真面目な表情で腕を組んでおり、口元に手を添えて半ば考えながら疑問を口にしていく。
「僕は生まれていなかったので分かりませんが、クリストフから真名授与の儀を境に兄上は人が変わったようだったと聞いています。それは僕やハンスが聖女モニカに抱いた感想のように『別人になった』と受け取られてもおかしくはありません」
「それはまあ、そうだけど」
「兄上は真名授与の儀のタイミングで思い出しましたが、聖女モニカは別のタイミングで前世を思い出した可能性もあります。結界石への魔力補充は、いくら魔力保有量が豊富でも負荷がかかるでしょうからその影響で、という可能性も捨てきれません」
―― モニカ嬢が俺と同じように前世の記憶を思い出した転生者なんじゃないか、とは一度考えたことはある。
だがあまりにもルルから聞いたモニカ嬢の言動と原作ゲームでのモニカの言動がかけ離れている。だから違うだろう、と除外したんだが、俺と同じように前世の感覚や価値観で動いている場合、そもそも原作ゲームを知らない者が転生してきた場合、モニカと同じように動けるだろうか。
答えは否だ。
ふと、黙っていたレナが口を開く。
「これも可能性のひとつですが、聖女モニカの中に別な魂が入り込み、その入り込んだ魂が彼女を乗っ取ったということもあり得るかもしれません」
「魂が?」
「これは五大公侯と王家にのみ伝えられた内容ですが、この度来訪中の祭司長様の本来の目的は『エレヴェド様の下に還ってこない魂が最後に痕跡を残していたこの国にあったため、探しに来た』とのことなのです」
「レナ殿、それは機密事項だろう。兄上といえど軽々に話して良い内容じゃない」
「事が事ですわ。聖女モニカが別人のようになった、ということは、マルクス様が仰ったヴォルフェール様のように前世を思い出されたか、わたくしがお伝えした別の魂に体を乗っ取られた、というケースが考えられます。いずれにせよ、ルル様の心を乱すような行動を取るようになった聖女モニカの言動は看過いたしかねますし、対策をとるにしてもヴォルフェール様抜きで行えません」
唐突に祭司長がこの国に訪問したのってそういった理由があったのか。
確かにそれは大々的に公表できる目的じゃないな。
死した人の魂はすべて、創世神エレヴェドの下に還ると信じられている。
それが還ることすらできず彷徨っていることがある、なんて知られたら自分もたどり着けないことがあるのかと不安にかられるだろう。
だが、と思う。
「……前世を思い出して別人のように、ってのは、正直考えにくい」
「兄上?」
「クリストフに詳細を聞けば分かるだろうが、前世を思い出しても俺は俺だった。前世で大人として過ごした期間が長かったから両親からの扱いや現状に折り合いをつけやすくなっただけだ。だから10歳の子どもにしちゃ、粛々と現実を受け入れてたように見えてただけだと思う」
思い出した瞬間にストンと理解した。ああ、そういうことかって。まるで新しい知識を学んで、今まで理解できなかったものが理解できたときのように。他の転生者を知らないから、自分の例でしか言えないけど。
無論、俺とは違って以前の人格が上書きされることもあるかもしれないが、とにかく、俺のときは思い出した瞬間でも俺は俺だったんだ。10歳より前の記憶もきちんとあって、物心ついた頃から俺は絵が好きだった。たぶん、それは思い出していない頃から前世に引きずられていたんだと思う。
そう、そうか。魂。その考えがあったか。
転生パターンも頭に残しておくべきだが、それより可能性が高そうなのは魂の方だ。
「可能性があるとすればレナが言う『別の魂に乗っ取られた』の方が高そうだ。闇の精霊が言っていた『少女の慟哭』は、押し込められた本来のモニカ嬢の魂と言われれば納得できる」
そして『聖女とやらが気持ち悪い』という感想も、ひとつの体にふたつの魂があって、本来の形ではないからこそ嫌悪感を感じているのかもしれない。
―― そういえば、とフンケル卿との会話の様子を思い返していてふと思う。ハンスの様子がいつもと違った。
もしかしてハンスは、何か掴んでいたのか?しかしそれを話さないということは何か事情があるのか。それとも、不確定要素だからこそ言えなかったのか。いやそれならなぜ口を出した。
フンケル卿に「あり得ない」と言い切られてしまったから口を噤んだ様子だったが、もしかしたら今なら話してくれるかもしれない。
「ハンスを呼んでいいか」
「構いませんが、なぜハンスを?」
「言い出したのはハンスだ。だが、あのハンスが不確定要素を、客人の前で口にするのはおかしい」
「わたくしは問題ありませんわ」
「そういうことなら、僕も問題ありません」
部屋に用意していた呼び鈴を鳴らす。
ドアをノックして、要件伺いに顔を出した使用人に「ハンスを呼んできてくれ」と頼んだ。
しばらくしてやってきたハンスを無理やり空いているソファに座らせる。短くとも長くとも、ハンス本人の話であって執事長への話じゃないからな。
単刀直入に、と俺が感じたハンスの違和感について伝えれば、ハンスは珍しく動揺を見せた。
それからしばらく何度か口を開いて、閉じて、を繰り返し。最終的にはひとつのため息を吐いた。
「……お見苦しいところをお見せしました」
「話せるか?」
「はい。あの、この件はあくまで推測です。それと、先に旦那様に謝罪させてください。申し訳ありません」
「うん?おう」
「重ねて申し上げますが、あくまで推測です。聖女モニカ様の言動を他人から見聞きしている限り、母国にいた『悪女モニカ』と全く同じに思えます」
母国。悪女モニカ。
新しい言葉に黙り込んでハンスに続きを促した。
ハンスはここ、ベルナールト王国出身じゃない。それは分かっていたことだが、本人いわくベルナールト王国から東に1つ、国を跨いだ先にあるフィゲニア公国出身で、しかもそこの高位貴族のような立場の家出身だった。それなら拾った当初から所作も良かったし頭の回転の良さも納得だわ。
フィゲニア公国は今もある国だ。だが、確か15年近く前に国が荒れたという噂を耳にしたことがある。
ハンスはその、荒れた時期に両親から「逃げて」と逃された少年だった。
ある程度金も持たされたが、貴族のお坊ちゃんらしく金の使い方もよく分からず、ぶんどられたりしたがなんとか数年かけて我が国まで逃げ延びた。だがもうこれ以上は無理だと力尽きて倒れ込み、そこを見つけたのがルルだった。
俺らに身の事情を話せなかったのは、国がまだ荒れていると思ったから。
やがてフィゲニア公国が平穏を取り戻したと知って調べたところ、自身の両親はすでに死んでしまったことが分かったという。
そこからズルズルと、俺らに話すきっかけを失って今まで黙っていた、ということが話の冒頭での謝罪か。
「その母国の荒れた原因が『悪女モニカ』です。逃げた当時、私は13歳でしたがそのぐらいの年の子どもにも噂が届くほど悪女と評された女性でした」
モニカには美貌があった。そしてどこで覚えたのか、男を誑し込む手管があった。彼女がどこから現れたのかは子どもだったハンスは知らないという。
だが、いつの間にかするりと社交界に入り込んでいて、数多の高位貴族の男を魅了した。既婚未婚、関係なく。女たちの陰湿な嫌がらせには鮮やかな手腕で意趣返しし、逆に陥れた。
そしてその手腕に惚れ込んだ女もいて、彼女の勢力は徐々に増していった。
「一度だけ、私は彼女を見かけたことがあります。どうしても家族総出で参加する必要がある、公主主催の昼食会でした。そこにいた彼女は、子どもであった私から見ても恐ろしく艶やかな女性でした。数多の人を侍らせ、上げ膳据え膳させ、彼女の視線や一言ひとつで多くの人々が動く。その様に私は恐怖を抱きましたが、そうでない者もそれなりにいました。―― そうして、勢力を作り上げていった彼女はとうとう公主にもその手を伸ばしたのです」
それは魅了魔道具を使っているのではないかと思うほどの手腕であったという。
魅了魔道具が使われたとなれば一大事。事件が発生すれば魔塔から世界に向けて公表される。
だが俺はそれを一度も見聞きしていない。恐らく、マルクスとレナもそうだろう。険しい表情をしていたから、ハンスが語る「モニカ」という女は魅了魔道具を使わずにそこまで上り詰めたということになる。
「公主が彼女に溺れ、国が荒れました。私の両親を筆頭に公主を正気に戻そうとしましたが、叶わず…結局、命の危険を感じた私を含めた複数の貴族の子らが、国外に逃されたのです」
下準備もなしに逃がした代償はデカかっただろう。
金の使い方も分からない貴族の子どもが無事に逃げ切れる可能性は低いし、むしろ死ぬ確率が高かった。それでも、国内にいるよりは国外の方が生存率が高いだろうと踏んでのことか。
……ハンス以外に出された子どもたちの行方は、調べた方がいいだろうか。いや、ハンスが望んだときにしよう。
「フィゲニア公国は今どうなってるんだったか」
「詳細は王都に戻ってからでないと分かりませんが、公主交代してから10年が経過して特に目立ったことは。恐らく、当時の公主が引きずり降ろされたのでしょうね。ただ、ハンスが言うモニカという女性の名は耳にしたことがありません」
「国の恥、として隠していることも考えられますわ。国を傾けさせられたのですもの。もしかしたら、隣国のチェンドル王国には少し話が来ているかもしれませんが」
「帰ったら調べさせよう。で、ハンスは聖女モニカの言動からして、その悪女モニカに乗っ取られていると思ったんだな?」
「……はい」
「実際に彼女に会ったらその情報の信用度は上がるか」
ハンスの目が大きく見開かれた。
聖女モニカへの接点は、ルルもあるが俺にもある。ルル経由で接触を図るのはルルの身に何か起きる可能性があるから除外だ。となると、俺が一番楽に接触できるわけだ。
聖人ヴォルフガング・ゾンターが、聖女モニカ・ベッカーと話がしたいといえば、すぐにセッティング可能だろう。
「わ、かりません。幼い頃に一度だけ、しかも遠目でしか見ていませんから」
「お前がフィゲニア出身であることを情報として出すのは問題ないか?」
「それは、はい。あの、旦那様何を」
「聖女モニカの中に悪女モニカの魂が入ってるかどうか、の情報を少しでも拾うために会う。あと現状、どんな女になっているかの確認だな」
彼女とはたった一度だけしか会ったことがない。
だが、もしそれが本当なら、そのとき聖女として奮闘しようと意気込んでいた彼女を救えるかもしれない。ルルと会話した、引き取ってくれた家族に恥じない立派な淑女になろうと努力していた彼女を救えるかもしれない。
俺自身が信じたいだけだと思う。でも、目を輝かせて明るく挨拶を返してくれたあの子を助けたい。
悪女モニカとして、聖女モニカに転生しているかもしれないがその場合だと時期の計算が合わない。聖女モニカが生まれた15年前当時で悪女モニカはまだ生きているはずだ。公主交代が起こったのは10年前だから。
やはり魂が彼女の体を乗っ取っている形が濃厚だな。闇の精霊を帯同させれば何か分かるはずだ。
可能性はひとつでも潰したい。
「兄上、危険では?」
「虎穴に入らずんば虎子を得ずってな。それに、ルルの父親として牽制もしておきたいんだ」
「その、こけつに?というのは前世でのことわざか何かでしょうか。意味としては『危険を冒さなければ、成功は得られない』というようなことで合ってます?」
「あー、ごめん。そう。大体合ってる」
「あまり両手を挙げて賛成がでませんが…このままでは後手に回る可能性もありますね。念の為、聖女モニカと接触したら兄上を当面隔離してもらって良いですか、レナ侯爵」
「そうですね。念の為」
「ふは、俺監禁されちゃうの。だったら離れにしといてくれ。絵描いてる」
「仕事もしてくださいね」
そんなやり取りをしている間、考え込んでいたハンスは「分かりました」と了承の言葉を口にした。
「来週、戻られる際に私も同行します。実際に出身者である私がいた方が何かしら変化があるかもしれませんから」
「ありがとう」
「では、明日わたくしの方からフンケル卿に闇の精霊と契約されている精霊士を派遣いただけないか確認してみます。問題なければそのまま契約いたしますね」
「ああ、頼んだ」
「僕は様子を動画で記録できる魔道具を取り急ぎ入手しますね。空のやつはもう手元にないので。あ、カールに小さくしてもらえば聖女モニカにもバレないでしょうか」
「それもそうだな。カールに話を通しておこう」
精霊の伝言も考えたが、あれは長距離になるとフラフラ寄り道したりするので速達代わりにはならない。
早馬を出して、神殿経由で連絡とってもらうことにするか。モニカ嬢が、俺の申し出を受けてくれればいいが。
翌朝。
東ティレルの洞窟に出発したレナ、ルル、フンケル卿、カロリーナ嬢、クリスティーナ嬢と護衛数名を見送り、身内だけになった空間で伸びをした。くあ、と大きなあくびがでる。
色々考えなきゃいけないことが増えたのと、部屋に戻ってからレナとも詳細を詰めたからあまり眠れていないな。それはレナの方も同じだが、それを感じさせないんだからさすが侯爵家当主と思う。
さて、手紙を出すかと踵を返そうとしたときだった。
「旦那様!」
「ん?」
「緊急の通信連絡が入っています。お相手はベルント公爵様です」
「ペベルが?」
あいつが緊急用の通信魔道具使うなんて相当だな。
早足で執務室に向かい、光っているそれをひょいと覗き込む。あ、と久々に見たペベルが声を上げた。
『やあやあヴォルター。こうやって顔を合わすのは3ヶ月、いや4ヶ月ぶりかな?できれば直接会いたいね!』
「まあそんなもんだな。で、どうしたよ」
『色々と話したいことはたくさんあるんだけれども、今回はベルントとして連絡してるんだ。フィッシャー侯爵とレーマン公爵もいるかい?』
「侯爵当主はフンケル卿とルルたちと一緒に今日は東ティレルに向かったから戻って来るのは3日後だ。レーマン公爵はいる」
部屋の隅に控えていたハンスにマルクスを呼ぶように伝えれば、すぐにハンスは動いた。数分も経たないうちにマルクスもやってきて、ペベルに顔を見せる。
「僕をお呼びと聞きましたが」
『フィッシャー侯爵もいてくれたほうが有り難かったけど、まあ、仕方ないね』
はあ、とペベルはわざとらしくため息をつくと、スッと表情を変えた。
俺にいつも見せるへらへらとした表情じゃない。これはベルント公爵としての表情だ。
『現在、我が国に来訪されている中央神殿所属、祭司長様からヴォルフガング・ゾンター・フィッシャー及びルイーゼ・ゾンター・フィッシャーご令嬢へ面会依頼が来た。領地から戻り次第、至急王宮へ登城せよとの国王陛下からの命令が下された。正式な書状はすでにフィッシャー邸に届けられているが、遠地ということもありペーター・ベルントが代わりに当魔道具を使用して口頭にて命令を通達する』
―― 色々、言いたいことはあるが。
ペベルが公爵として発した内容だ。俺も伯爵として、形式的に返す必要がある。
「ヴォルフガング・ゾンター・フィッシャー、陛下のご命令についてしかと承りました。至急、領地から戻った方がよろしいでしょうか」
『それは不要とのことだ。貴公が家族を連れて領地に戻られていることは祭司長様も把握されており、祭司長様より領地から戻る日程は予定通りで問題ないと仰られている』
「承知いたしました。では、予定通り領地から戻り次第、娘と共に登城いたします」
「―― 立会人として、マルクス・レーマンが当やり取りを確認いたしました」
『よろしい。―― あ〜〜〜、もう堅苦しいったらありゃしない!でももうそろそろ切らないといけないね。まだまだ喋り足りないんだけど!ねえヴォルター!君、その王城での用事が終わったらルイーゼ嬢と一緒に僕の城内の執務室に来て!お茶しよ!』
「はいはい。分かったよ」
『絶対だからね!じゃ、マルクス殿、ヴォルターまた会おう!』
魔道具の反応が消え、ペベルの顔が見えなくなる。
しばし沈黙していた俺とマルクスだったが、同じタイミングで顔を見合わせた。
「兄上、祭司長様と接点ありました?」
「あるわけねぇだろ」
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