第13話 念願のピクニック
列車に揺られ、馬車に揺られて1週間と少し。
ギルが長旅でぐずるというトラブルはあったものの、無事到着して穏やかな日々を過ごしている。2、3歳のギルが耐えられたなら昔のルルを連れてこれたかもな。いや1週間ぐらいの旅程だから耐えられたのかもしれない。
なお、ペベルからは着いてすぐ手紙が届いた。端的に言えば「帰って早々領地に行くとは聞いてたけど、行く前に会ってくれたっていいんじゃないかい!?」というどこぞの彼女かよと思う内容ではあったが。
うちの領地からだとさすがに
仕方ない。帰ったら会うか。
滞在期間はルルの長期休みも考え、2週間程だ。領内はさほど広くないし、視察でのんびり巡っても3日ぐらいで終わるだろう。
あと、フンケル卿御一行も来るんだったな。来週前半だからまあまだ大丈夫だろう。うん。
「旦那様。お茶をご用意いたしました」
「ありがとうハンス」
出されたティーカップには、琥珀色の紅茶が揺れていた。
ペンを置いて手を休める。カップの中身を一口、口に含めばホッとひと心地ついた。
「この後はピクニックか。楽しみだなぁ。ハンスも来てくれるんだろう?」
「給仕のお役目をいただいていますからね」
表情は変わらないが尻尾がゆっくり、くねくねと揺れている。ハンス、お前も楽しみにしてるんだな。
思わず口元がニヤけそうになったが、バレるとハンスの機嫌が悪くなってしまうので意識をそらすため、手元の報告書類を眺めた。
「収入も悪くないな。しかし、東ティレル村の方は人口増加がマズイな。居住域が狭い」
「その名の通り村でしたからね。東ティレルの洞窟が攻略されたということもあり、安全にダンジョンに挑戦できるとして人気が出始めています」
「ん~。村周辺の開発を検討しよう。なるべく新しい地域はダンジョンとは反対側に広げる方針で。あと、農地の開墾も必要だな」
「森に囲まれた村ですから拡張には伐採が必要ですね。これから予想される人口増加規模を考えるとそれなりの広さを確保しておいた方が良さそうです。近隣町村、それから王都の斡旋所から木こりと木材加工士、それから土壌調査員の募集をかけましょう。あとは現在の結界石ではカバーできないでしょうから、新たに結界石の購入が必要ですね」
今の財政状況から考えれば結界石購入費用は捻出できそうだな。大きさにもよるが、今よりひとつかふたつ上ぐらいだったら問題ないだろう。
いやー。ハイネ殿と共同で始めた職業斡旋事業、ちょいちょいトラブルはありつつも軌道に乗って助かった。おかげで他地区管理の貴族からも声がけもあって、慎重に事業を拡大している最中だ。あ、ちなみにハイネ殿は昨年、この事業の実績もあって
あとスラムの皆で作った自警団の方な。斡旋事業の方とは別なやつ。だいぶ前にレナやオットーと相談して「自警団を第2騎士団の下請けにしたらいいんじゃないか」みたいな話をしていたのを覚えてるだろうか。
それがなんやかんや色々試行錯誤した結果、「巡回して犯罪抑制するし何か困ったことがあるときに相談できる」という組織になり、気づいたら日本でいうところの交番のような感じになった。ちなみにこれはなんとスラム出身、庶民、貴族関係なく就ける国から正式に許可された史上初の公的職業だ。いや本当にどうしてこうなった。
元々、自警団自体がパトロールがてら困った人たちを手助けするボランティアのようなものだったのが根本にあると思う。俺としては「人に声をかけたりすることで犯罪抑制に繋がるだろうな」と思って組織として本格稼働させるにあたり自警団にも少ないながらも固定給与は支払っていた。危険がないわけじゃないからな。
詳細な経緯は省くが、始めこそハイネ殿の力添えもあったが最終的に自警団自身が第2騎士団と交渉し、彼らの巡回業務の一部を請け負った。そして実績を積み重ねたところ、その実力を認めた第2騎士団が国と交渉し、正式に自警団を下請け団体と国に認めさせたのである。
現在の名義上の自警団のトップはマルクスが引き受けてくれた。最初、国から公的職業化する際にスラム出身を入れることについて保守派層から大反発を受けたが、五大公侯のひとりであるマルクスの手腕で抑え込み、最終的に納得させたのだからやっぱり俺の弟は公爵に相応しい。
なお、俺は自警団事業については立ち上げ人であり出資者のひとりなだけであって、職業斡旋事業ほどは関わっていない。
今、ハイネ地区はスラムではない。生活水準が向上して、元スラム民が住んでいた地区になった。
そのことに、ハイネ殿が子爵位となった際に泣きながら感謝された。先々代からこの地区の担当となり、試行錯誤を繰り返していたものの改善するどころか悪化していったので、あと少しで爵位を返上することになるところだったそうだ。
まあ、でもなんというか…俺があの地区に目をつけたのは、そこの孤児院にカールがいたからであって。あそこにカールがいなければ俺はスラム改革なんて手を出さなかっただろうし、感謝ならカールにしてほしい。とは、言えないけれど内心そう思う。
「大きめの結界石を扱う商会に見積もりを送りたい。調査員の方は早めに手配を頼む」
「承知いたしました」
「エルフェンの街につながる橋の修復状況は?」
「恙無く。予定通り5日後には完了予定です」
「分かった。作業員には無理しないようにだけ」
「現場にお伝えいたします。旦那様からのお言葉と聞けば喜ぶでしょう」
「はは、そうだと嬉しいな」
そんな風に、残っていた書類について確認しながら指示をしていけば時間はあっという間に過ぎていく。
気づけばもう昼頃で、執務室に繋がる応接室からノック音が響いた。
「お父様。ルルです」
「ああ、もう時間か。今いく」
「はい。エントランスでお待ちしていますね」
手早く机の上を片付ける。よし、やり残しはないな。
ハンスもハンスで影のように一緒にいた補佐の執事に指示を出しており、その子も真剣にメモしながら書類を受け取ったりしているから大丈夫だろう。
さほど間をおかず、指示を終えたハンスがドアを開けたのでそのまま俺も執務室から出ていく。応接室から廊下に出て、エントランスホールに向かっているといつの間にか侍女長のコリンヌと付添いの侍女が寄ってきた。
エントランスホールに出れば、準備万端のレナとルル、それからギルがいた。
「あれ、マルクスはどうした?」
「お待たせしました!」
ジャケットを着せられながら聞いた瞬間、バタバタとマルクスがやってきた。
後から慌てて追いかけてきたのはたしかクリストフの後継候補だな。クリストフは「年ですからなぁ」と今回はついてきていない。
「本邸から連絡があったので、その対応をしていました」
「連絡って…通信魔道具使ったやつだろう?大丈夫なのか?」
「ええ。今のところは。詳細は今夜にでも話します」
今のところは、ねぇ。恐らく暗号化した上で隠密隊から何か情報でもきたか。
だがピクニックを中止にするほどではない、というのであれば一旦は置いといても問題ないか。
「ぴうりっく!」
「ピクニック、な。じゃあ行こうか」
ギルを抱き上げればきゃあ、と楽しそうに声を上げたので思わず笑う。
皆で馬車に乗って、領邸の近くにあるひまわり畑へと向かった。
◇◇
キャッキャとギルがひまわり畑手前にある原っぱの上をころころと転がっていく。
それをマルクスとルルが慌てて追いかけ、草だらけになったギルの服を払う。ギルは笑いながらまた走りだそうとすれば、マルクスが「まあてぇ~~!」とわざと大きな声を上げながら、大げさに追いかけようとしたところ、ギルは「ねぇね!」とルルの手を引いて走り出した。ルルは笑いながら、ギルの走るスピードに合わせて一緒に走ってるし、追いかけるマルクスのスピードなんかそれ走ってねぇだろって感じで。
「尊い」
「うふふ」
は~~?なんだこの空間。かわいいしか存在しないぞ。尊い。
それはハンスも同じようで、尻尾がぴんと立ってあの3人の様子をガン見してる。
俺とレナは大きなケヤキの木の下に敷かれたシートの上に座って、のんびりと3人が遊んでいる様子を眺めていた。穏やかな風が、レナの髪を揺らす。
一応、手元にスケッチブックとかの諸々は持ってきたが、この場で描くとレナを放置することになるしなぁ。描き始めると集中してしまうから会話もできなくなるし、それだとレナがつまらんだろうし。ああでも描きたい。
そんな俺の様子に気づいたのか、レナがくすりと笑う。
「ヴォルフェール様、スケッチされる様子を見ていてもよろしいですか?」
「え。それはいいけど…描いてる間は暇になるぞ?」
「よくよく考えたら、わたくしヴォルフェール様が絵を描かれるところを見たことがないのです。ですので、ヴォルフェール様が良ければ傍で見せていただきたくて」
「ああ、いつも描くときは離れだからな。つまらないと思ったら本でもなんでも読んでていいからな」
「はい」
レナからむしろ描いてる様子を見たいと言われたから、まあいいか。
ハンスがサッと一式を用意してくれたので、受け取ってスケッチブックを開く。鉛筆を持って、視線をルルたちに向けると走り回るのは止めて、ひまわり畑を管理してくれている管理人から渡された花束で花冠を作り始めたようだ。
「ハンス」
「はい」
「あれに混ざってこい。当主命令」
「は?いえ、承知しました」
珍しくギョッとしたハンスだったが、命令通り俺から離れルルたちの方に向かう。
声をかけるとマルクスとルルが目を丸くしたが、ギルは嬉しかったようで「はんす!」と抱っこをせがんでいた。ハンスはギルを抱きかかえると、腰を下ろしてギルを胡座をかいた上に乗せる。ハンスの尻尾がゆら、ゆら、とゆっくり揺れていた。
うん。行かせて正解だった。
引き続き、ハンスも加えて皆で花冠を作ることにしたらしい。
その様子を見ながら、紙面に鉛筆を走らせる。最初の方だけレナはどうだろうと気にしていたが、描いているうちにすっかり抜けてスケッチに集中してしまった。
遠くで「できた!」というギルの声にハッと我に返る。手元のスケッチはだいぶ出来ていて、あとは微調整と色鉛筆等で仕上げればそれなりの作品になりそうな段階だった。
「レナ、悪い。つまらなかっただろう」
「いいえ?とてもおもしろかったです。絵というものは、このように生まれてくるのですね。手にとって見てもよろしいですか?」
「あ、ああ。どうぞ」
きょとんとした表情で返されたのに呆気に取られつつ、言われるままにスケッチブックを渡した。
それを眺めるレナを脇目に見つつ、傍に控えていたレナの専属侍女であるエラを見れば「ずっと奥様は旦那様が描かれている様子をご覧になられていましたよ」と返された。マジか。
「ふふ、ルル様もギルも、マルクス様もハンスも表情がいきいきとしていますね」
「そう見えるなら良かったよ」
「ねえ、エラ。ヴォルフェール様が描かれる絵って見ていてとても心穏やかになるのだけれど、あなたはどう思う?」
「え」
「無茶振りするなぁ。エラ、率直な感想でいいよ。素人の絵だし、自分でもそう上手くないって思ってるから」
「と、とんでもございません!美術関連は私も知識がなく素人ですが、なんというか、旦那様が描かれる絵は優しい印象を受けます。こう、なんというか……ああ、とても大事に思っているんだなって、分かるような」
「分かるわ、とても」
……なんか恥ずかしいな。頬が熱を持ったような感じがして、がしがしと頭をかく。
いや、まあ絵については趣味と顔を覚えるっていう実益も兼ねてるからそれなりに描き続けてはいるけれど。ルルやペベルのときもそうだったが、褒められると嬉しい。
ふとレナの視線が俺からそれた。
それにつられて俺もそちらに視線を向ければ、ルルとギルが花冠を持って俺たちに向かってきている。ルルとギルの頭にはすでに花冠があり、出来が良いことから恐らくルルたちの後ろを歩くマルクスとハンスが作っていたものだろう。
俺たちのもとにやってきたルルとギルが、花冠を差し出す。
「ままの!」
「あら。ありがとう」
「はい、お父様」
「ありがとうルル」
ルルとギルからそれぞれ、俺とレナは頭に花冠をのせてもらった。
ギルのはハンスが作っていたものに、多少ギル手伝ったとかだろう。2歳児が飽きずに作るのをお手伝いできたってだけで満点である。
「はんす!」
「はい、若様。というわけでエラさんも、どうぞ」
「え!?」
「若様がお揃いにしたいとおっしゃったので。あまり手の込んだものではありませんが」
「え!?ハンスさんが!?」
「ハンスは本当に手先が器用だよな。僕より早く作っててびっくりしたよ」
オロオロとするエラに、ハンスは問答無用でぽんと花冠をのせた。
顔を赤くしたエラは「ありがとうございます、若様。ハンスさん」と礼を述べ、そっと花冠に触れる。嬉しそうで何よりだが、ハンス、もうちょっと紳士的にのせてやれよ。
「と、いうわけで皆でカメラで撮りましょう」
「待てマルクス。お前まさかカメラ持ってきてたのか」
「当然です!兄上の絵もすばらしいですけど、それだと兄上がいないじゃないですか!」
まあ絵を描いてるのは俺だから、当然その絵に俺はいないわな。
ハンスがさっさと御者を呼びに行き、カメラの操作を教える。一発撮りということもあって御者も緊張気味だ。
シートの上に皆集まって、身を寄せ合って。御者の「撮ります!3,2,1!」という掛け声と共に、パシャリとカメラの撮影音が聞こえた。
後日、フィッシャー邸に戻って現像したところちゃんと綺麗に撮れていた。
マルクスが持っていれば良いのに。お揃いの花冠を被った俺たち家族とマルクス、ハンス、エラの写真は長らくフィッシャー侯爵本邸の談話室に飾られることになる。
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