第11話 やっぱり弟は可愛いなって話
翌日から、領へ向かう日までは穏やかなもんだった。
聖人として活動した内容を報告書にまとめて、神殿に提出したり。家を空けていた間にたまりまくった書類をさばいたり。ハイネ男爵と進められなかった話を進めたり。ギルに構ったり。レナとお互いの領政について意見を言い合ったり。ルルにその日の学院での様子を聞いたりカールに確認したり。屋敷の一角にある部屋に保管していた大量の肖像画を見返したり。
あと、ゲームの資料も見返した。
登場人物のページにある人物のプロフィールを見て「ああやっぱり」と実感する。
アーサー・プレヴェド第三王子にそばかすは存在しない。
髪と目の色はそのままだが、パッチリとしてつり上がった目を持った青少年だと書かれている。だが、俺が実際に会ったアーサー殿下はタレ目の青少年だった。…会ってるうちにメモしてたからたぶんそう。
そして、彼に双子の姉姫がいたとは書いていない。話を聞く限り設定資料集に載っていたら「へぇ」って思うぐらいには濃い姉姫だから、忘れたわけじゃないだろう。
彼は俺が知っているアーサー・プレヴェドじゃない。ゲームの登場人物と同じ名前を持った別人だ。ワンコ系王子かどうかも怪しいな。
…俺の関与できない部分で、原作とは違うことが起きている。
ペベルが「あんまり、シナリオに考えを縛られない方がいい」と言っていたのがなんとなく理解できた。
今までのゲームの登場人物は、俺とルルを除いてほぼ同じだった。
ルルは伯爵令嬢のまま、エマ嬢は俺がいたおかげで怪我を負わずにいられたし、カールも暗殺ギルドに身を置くことはなくなった。俺が関与したその3点を除けば、概ねゲーム通りの展開になっていると思う。
だが、アーサー殿下は別だ。俺は生まれてこのかた国を出たことがないし家族親戚でプレヴェド王国の知り合い等いない。
そもそも、そもそもだ。
前作にあたる「紅乙女の
そして前作ヒロインが王太子ルート、すなわち先々代の国王を選ばなかった場合、当時の婚約者だった令嬢が王妃となる。髪色とかまでは覚えていないが、その婚約者はたしか普通の侯爵令嬢だったはずだ。
なんで、先々代の王妃が戦妃って呼ばれてるんだ?
そう思って、今回の使節団出迎えのために取り寄せていたプレヴェド王国の歴史書を開いて分かった。
先々代国王レオナルドとその王妃イェーレ。
……イェーレって、あれじゃん。隠し攻略対象者のヴェラリオン第一皇子の従姉妹で彼のルートのサポキャラ。え、なんでこの子が?とゲームを知る身としては混乱する事態だった。
まあ、だから少し飲み込めたわけだ。
シナリオと同じようなことは起こる。起こるけど、それは参考程度の情報に留めておいた方が良いと。過信せず、現実を見据えながら進んでいくしかないと。
…それが、どこまでできるかは分からんけどな。
諸々一旦落ち着いて、あと数日で出発する日だった。
庭の片隅にひっそりと建てたアトリエとして使っている離れで、久々に絵をのんびりと描いているときだった。
「兄上!!」
「うぉっ!?」
離れが基本ドア開けっ放しだから駆け足の音で誰か来たなーとは思ったが、マルクスの声にビビった。
良かった、キャンバスに筆乗せる直前で。乗せてたらたぶん修正しなきゃいけなかった。
キャンバスに向けていた筆先を下ろせば、以前肖像画で見た青年が ―― マルクスが俺を見てくしゃりと顔を歪める。
「どうした、マルクス」
「…ど、うしたも、こうしたもないです!怪我を、されたと…!すぐに駆けつけたかったのにすみません」
「いやまあお前忙しいだろうし…あと、問題ないって連絡は出してただろ?」
「それでも直接、この目で確かめたかったんです」
筆とパレットを近くの作業台の上に置き、そこら辺にあった椅子を引っ張り出す。
それに座るように促せば、マルクスは大人しく部屋に入ってその椅子に座った。あんまり質の良い椅子じゃないからか、ぎしりと音が出た。
俺も座っていたキャンバス前の丸椅子に座り直し、行儀悪く足を組んで、その膝に肘を置いた。姿勢が悪いのは分かってる。
「この通りもうピンピンしてるよ」
「…この前の会合でベルント卿も唸ってましたよ。『なんでこんなときに限って忙しいんだろうね!』って珍しく目をカッ開いてました」
「え、なにそれ見たかった…まああいつの領地、今収穫期だから忙しいだろうな」
「会いに行ってあげてください。寂しがってますよベルント卿」
確かに戻ってきてから会ってないが、
もう10年近く前になるか。
あのとき、問題になった親機と子機がある通信魔道具なんだが、10年近い年月を経て格段に機能が向上した。
さすがに王都と辺境を繋ぐことはできないが、その中間地点ぐらいまでは繋ぐことができるようになったんだ。通信内容が国に残る緊急通信用の魔道具とは違い、テレフォーンは記録が残らない。ただし、傍受される可能性はある。通信内容の暗号化だなんだってのは現時点の技術力では不可能なようだが、馬車移動で5日程度の距離であれば問題なく通信できるようになったのだ。
これは魔導列車の線路開発と、中継基地が開発されたことが影響している。
まだ中継基地同士を繋ぐことが出来ないため、同じ中継基地内にいることが前提。まあいつか誰かが開発するんだろうな、と思ってる。
実際、緊急通信用の魔道具は、持ってさえすれば王都と辺境でも会話できるし。技術はあるんだろう。
フィッシャー本邸とペベルがいるベルント公爵本邸は幸いにも同じ中継基地の範囲内だった。
たまに雑音が入るが、まあそんなものだろうと使っている。さすがに込み入った話はしない。雑談程度だ。主にグレタ夫人への惚気。
女性不信だったペベルだったが、今はグレタ夫人のことは信頼しているらしく触れ合うのに緊張しない関係になっていた。実は子どもも生まれている。ギルより1つ上の男の子だ。
グレタ夫人は本当、気長に待ってくれたよな…これ短気な人だったらペベルの女性不信悪化してただろうし。少しずつ、少しずつペベルががんじがらめに固めていた紐を解いていってくれたような感じだ。
今では、俺にグレタ夫人の愛らしさを語るほど大丈夫になったらしい。
ただ他の女性はまだ強張るらしく、ダンスもグレタ夫人としか踊らない徹底ぶりだ。
ふ、と。マルクスの目元に隈があるのを見つけた。
腰を上げて、マルクスの目元に触れる。「兄上?」と見上げてくるマルクスはよくよく見れば顔色が悪い。
「お前なぁ。いや俺も人のこと言えねぇけど、少しは休め」
「…兄上には言われたくなかった」
「だろうな。時間は?」
「午後は休みをもぎ取ってきました」
「大丈夫なのかそれ…とりあえず、そこのソファで寝とけ。2時間位経ったら起こすから。んで飯でも食ってけ」
「…いいんですか?邪魔になりませんか?」
答えの代わりにポンポンと頭を撫でる。
俺が絵を描いてる途中だから気にしたんだろう。別に、集中してる間は見られても気にならないからいたいだけいればいい。
意図を汲んだのか、ぱ、とマルクスの表情が明るくなった。
この部屋に唯一置いてある4人がけのソファは、時々アトリエに来るルルたちのために用意していたものだからそこら辺に置いてあるソファよりは綺麗だ。長身のマルクスだと足が出るようだが、まあ仕方ない。横になったマルクスに枕代わりのクッションを渡し、そこら辺にあった薄い毛布を腹にかけてやった。
「……兄様」
「うん?」
「僕…僕、ほんとうに心配したんです」
「…うん」
疲れからかすぐにとろとろと微睡んできたマルクスの頭を撫でる。
「…いなくならないでください」
「…ああ。いなくならないよ」
そう答えれば、マルクスはふにゃりと笑ってすぐに瞼を閉じた。
やがて規則正しい寝息が聞こえてくる。頭からそっと手を離せば、マルクスの前髪がさらりと瞼にかかった。
……か……っわいくないか俺の弟。
かわいい。いやマルクスももう26歳だけど。かわいい。こいつ普段俺のこと「兄上」って呼ぶくせして時々昔の呼び方の「兄様」っていうんだよかわいい。
いやガタイの良いイケメンの26歳の男つかまえてかわいいっていうのも変かもしれないが。いいじゃん俺の弟なんだし。いくつになっても俺の弟は目に入れても痛くない。
そうだ。マルクスの絵を描こう。
寝ている今の光景を残したいというのもあるが、結婚して住む場所が離れたから描く機会がなかった。
今はちょうど顔を覚え直してる最中だし、描くことで覚えるのが早くなるからちょうど良い。
でもがっつり描いたら恥ずかしがるか。スケッチだけにしよう。
戸棚からスケッチブックを取り出す。
マルクスの全身が見えるような位置に椅子を持ってきて、スケッチブックを開いた。パラパラとめくって、白紙のページで止める。
近くにあった机上のペン立てからあらかじめ削ってある鉛筆を取り出し、椅子に座ってマルクスを眺めながら手を動かし始めた。
―― マルクスの寝息と、穏やかな風が木々や草花を揺らす音、俺の鉛筆を走らせる音だけが響いていた中、サクサクとこちらに向かって歩いてくる音に気づいて手を止める。
時計へと視線を巡らせれば、もう2時間経っていた。早いな。
「お父様、ルイーゼです」
「入っていいよ」
そういやもう帰ってくる時間か。
うーんと伸びをしていると、そっとルルが部屋に入ってきた。ソファにマルクスが寝ているのに気づいて目を丸くする。
「叔父様、こちらにいらっしゃったんですね」
「疲れてたようだったから少し寝かせてた。そろそろ起こさないとな」
よっこらせ、と立ち上がってマルクスの傍に歩み寄る。
ソファの横でしゃがんでポンポンとマルクスの腹のあたりを叩いた。
「おーいマルクス。そろそろ起きろ」
「…んぅ…?」
「ルルに見られてるぞ」
ガバッと勢いよくマルクスの上半身が飛び起きた。
ボサボサとした頭で周囲を見渡し、ルルが穏やかな笑みを浮かべてひらひらと手を振っていることに気づいて段々と頬が赤くなっていく。
そりゃ、格好いい叔父として接してたもんな。恥ずかしくもなるか。
「兄上ェ…!」
「ははは。そこに鏡あるから身だしなみ整えてこい」
「ふふふ。前にみんなで行ったピクニックのときみたい」
ずいぶんと懐かしい話だ。
ルルが8歳の頃か。ここにいる3人でピクニックやったなぁ。そのときは俺が寝てしまって、ルルが俺の髪に色々と花を差してて起きたらボトボト花が落ちてきてびっくりしたんだっけ。
そういえばギルが生まれてからはまだやってないな。ピクニック。
「領に行ったらみんなでやるか、ピクニック」
「本当?うれしい!」
「えぇ!僕も参加したいです」
「さすがにゾンター領には来れないだろ、お前」
「いや、往復2週間強…うちの傘下のゾンター領の視察と言えば行ける…」
ぶつぶつと考え込み始めたマルクスに、思わずルルと顔を見合わせて笑った。
ちなみに、スケッチの件はマルクスに怒られた。
取り上げられそうだったが、絵を見たルルからは「お父様が叔父様のことを大事にしてるって分かりますね」と言われて取り上げようにも取り上げられなくなったらしい。ぐぬぬって顔してる。
まあ、真実だからなぁ。俺がお前を大事にしてるのは。
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