第10話 俺がいなかった間の学院では


 そこからどうこうあったかと言えばそうでもなく。

 小休止、という名の通りアーサー殿下らは颯爽と我が家を後にした。

 帰り際、ルルとレナの手の甲に額を当てて挨拶していたから、まあこの国のマナーは学んでいるんだなとは思った。


 正直、自分で話を持ちかけたとはいえちょっと信じがたい展開に俺の脳みそがまだ追いついてない。

 なんだったんだあの変わり様は。レイゼン殿も狼狽えるぐらいだったぞ。



 彼らが出発し、サンルームに皆移動する。

 ソファに深く座り込んで一息つけば、とたとたと軽い足音が近づいてきた。それと同時に「坊ちゃま!」という声が聞こえてきたので、恐らくこの足音はギルだろう。


「ぱぱ!」


 ぼすっと俺の膝に飛び込んできた小さい子ども。

 くふくふと笑う頬に手を伸ばして触れてみる。ふにふにの柔らかい、子ども特有の触り心地に思わず笑みがこぼれた。


「こら、ギル。ちゃんとご挨拶しないと」


 ルルにそう言われ、ぱっと俺の膝から離れる。

 それからぴしっと子どもなりに気をつけをして、大きな声で俺に告げた。


「おかーりなさい、ぱぱ!」

「……ああ。ただいま」


 抱っこして、その顔をよく見る。髪の色こそ俺のものを引き継いだが、顔つきはレナに似ているような気がする。

 膝の上に座らせながら、その柔らかい髪を撫でた。ギル。この顔の子どもは、ギル。繰り返し、繰り返し頭にもう一度刷り込んでいく。


「お父様、お怪我をしたと…」

「ああ。もう大丈夫だよ」

「良かった」


 ほ、と安堵の息を吐くルルの様子に、あの死ぬと思った瞬間、若干生き延びるということに対して諦めが入った感情が混じってしまったことに反省する。

 そうだ。俺は、俺の目的はルルの幸せだ。自意識過剰かもしれんが、俺がいなけりゃルルは幸せにはなれないんだから。俺はなにが何でも、それこそ地獄に堕ちても這い上がる気力でなければ。


「ルルの方はどうだ?学院生活で何か変わったことはあったか?」


 ―― ルルの表情が一瞬、強張った。

 すぐにそれは微笑みに隠されたが、ああ、これは何かあったなとすぐに分かるものだ。


 レナが「お姉様とお父様、お話があるみたい。その間、お母様のお手伝いをしてくれる?」とギルを引き取ってくれた。幸いにもギルはぐずることなく、レナのお手伝いとやらのやる気満々だった。

 退出したふたりを視線で追っていれば、侍従たちがさっとお茶を用意して退出していく。王家の影と隠密隊の誰かはいるだろうが、まあ、聞かれても困るものではないはずだ。


 表面上、俺とルルしかいないサンルーム。

 穏やかな日差しが降り注ぐ部屋の中、ルルは一口紅茶を飲んだ。


「…変わったことが、ありました」

「うん」

「ローラ様と…交流、できなくなったのです」


 ポツポツとルルが語りだした内容を要約すると。

 学院入学前にはエマ嬢と一緒に頻繁に交流していたベッカー伯爵家のローラ嬢が、入学式の日には素っ気なくなったそうだ。

 いつも通りに挨拶をして「これからもよろしくね」と手を差し出したルルに、ローラ嬢はにこりと微笑んで「はい」とだけ答えて去っていったと。


 クラスも同じだったため、ルルから何かと話しかけていたりしていたがのらりくらりとかわされ、終いには「同じ伯爵家同士、ということで仲良くさせていただいていましたが、よくよく考えればルイーゼ様は第一王子殿下のご婚約者。馴れ馴れしくはできません」と、暗に「今後二度と気軽に話しかけないでくれ」とルルに告げたのだという。


 …マジか。

 入学前、頻繁にルルとローラ嬢が交流していたのは俺も知っている。何なら、うちに来たときに少し話したりもした。話した限りでは、今後もルルと仲良くしたいと言っていたし、その言葉に偽りはなさそうだったのを覚えてる。

 ルルがハインリヒクソガキの婚約者になってしまったとき、真っ先に味方になると宣言してくれた子だ。その後もルルを『第一王子の婚約者』として接している様子はなかったのに。


「…たしか、妹としてモニカ嬢がいたな。モニカ嬢とは接触したのか?」

「…はい。あの、入学式の件を覚えていらっしゃいますか?」

「もちろん」

「さすがに看過できず、殿下とモニカ様に注意したのです。モニカ様が大聖女となる素質を持っているようだということは理解できるけれど、婚約者がいる身でモニカ様の腰を抱き寄せることは許されざることだと。モニカ様も、婚約者がいる殿方にしなだれかかるのはよろしくないと」


 うん。真っ当だな。

 だがルルの表情は暗い。ぎゅ、とドレスのスカート部分を握りしめた。


「殿下からは『嫉妬なぞみっともない。お前は正妃となるのだからそのぐらい許容しろ。それでは俺が第二妃を娶った際に困るぞ』と。いや嫉妬なんてしてませんけど」

「…」

「モニカ様は『抱き寄せられた際に少しよろけてしまったの。他意はないのです』と。自ら身を寄せていたように見えましたけど」


 思わず片手で顔を覆った。頭が痛い。


 いや、確かにあいつは夏に立太子を予定してるよ。でもまだ正式発表されてないんだから正妃云々はねぇわ。あと第二妃を持てるのはどうにも子どもが出来なかったとき。話が早すぎる。

 後なんで嫉妬だって決めつけんだアホか。どう考えてもルルに好かれる要素はないだろ。

 今までの態度を振り返ってみろ。変な物言いでルルを振り回す上、ルルの趣味じゃないものをプレゼントとして贈りつけてくる。毎回ルルが「これは趣味じゃない」ってやんわり言ってるにも関わらずだ。それでルルに好かれてると思ってるとかアホか。いやクソだったなあいつ。


 …しかし、モニカ嬢はなんか変だな。

 数年前に会ったときはそんな発言するような子には見えなかったんだが。

 それはルルも思っていたようで、眉根を下げて頬に手を当て、首を傾げている。


「それにモニカ様の雰囲気が、ガラリと変わっていました。ローラ様とお茶会をした際に度々お会いしたときは、ローラ様や私を手本として淑女になろうと努めていた、拙いながらも可愛らしい方でしたのに…それに、話し方もなんか違う気がして」

「話し方?」

「その、なんていうんでしょうか。柔らかいような、こう、耳に残るような声色を使うようになっていまして…」

「…媚を売っているような?」

「…そう、ですね。表現としてはそれに近いと思います」


 顔から手を離し、顎に手を添えて考える。


 まだあの資料を見ていないから確実なことは言えないが、ヒロインであるモニカはな一面があるものの、人にしなだれかかるような女性ではなかったはずだ。

 あくまで、攻略対象者たちは接しているうちにその性格に惹かれて…っていう王道の展開だったはず。そもそも、プロローグの入学式のときに「聖女」として紹介される場面はあれど、抱き寄せられたりはしなかったような…。


「…他には何かあったか?」

「……モニカ様と不仲であると、噂が。不仲と言われるほどの交流はしていないのですが、なぜか私がモニカ様に対してキツく当たっていると」

「―― カール」


 スッと、カールが音もなく部屋に現れた。

 それに驚くことはない。もともと、ルルの隠密隊は部屋等の女性としてのプライバシーが必要な部分以外はカールが担当だから彼がいるのは当然のことだ。

 そしてそれは学院内でも適用される。学院内では申請すれば従者を連れていけるから、その制度を利用させてもらった。

 まあ、それでカールとモニカが接触する機会を与えてしまった可能性はあるが、背に腹は変えられない。カールはルルを魅了魔道具から守る重要な存在だ。


「モニカ・ベッカー伯爵ご令嬢との接触はほぼ最低限です。お嬢様から彼女へ伝える内容も話し方も、ごく一般的なものでした」

「じゃあなんだ。ルルとモニカ嬢が普通に話していただけでそんな噂が?」

「お嬢様は、問題ありませんでした。問題があるのは件のご令嬢の方です」


 カールからの報告によれば、人目がないところではルルの忠告を鼻で笑い「あら。婚約者様は嫉妬深いのね。それなら殿下に仰ってくださる?たかが伯爵令嬢が、殿下のお誘いを蹴るわけにもいかないでしょう?」と嘲笑ったそうだ。だがその時点ですでにルルはハインリヒに忠告し、一蹴されている。

 モニカ嬢の言うことも一理ある。王族の好意を蔑ろにすればどうなるか。侯爵、公爵位ならまだしも伯爵位等の中位以下の貴族は王族の言葉に逆らいづらいのは確かだ。

 …俺がだいぶ前に陞爵しょうしゃくを断ったのは、当時俺がまだレーマン公爵代理だったから出来た芸当だ。今出されたら断れるかは微妙なところである。


 ハインリヒの方はすでにモニカ嬢に傾倒しており、ルルの忠告も聞かない。一応、陛下にも報告したそうで陛下側から「こちらでも注意しよう」とは言われたが、実践されたかどうかは不明とのことだ。

 それに女性側がいかに断りづらいとはいえ、逃げるといった手段を取れば良い。だがモニカ嬢は現状を享受しているようで、ハインリヒの傍から離れない。

 それでも、と辛抱強くハインリヒとモニカ嬢それぞれ、個別にルルが適切な男女の距離について説いていた折に突然、モニカ嬢が泣き出したのだという。

 驚いたルルに対し「私だって努力しているのです、でもどうにもならないじゃないですか!私だって、私だって…!」と泣き叫んだのだそうだ。


 そう。叫んだ。人目がある場所で。

 人目がある場所であれば突飛な行動は取れないだろうとルルは思ってその場所にしていたが、モニカ嬢はそれを利用したのだ。


 その翌日からだという。

 ルルが、モニカ嬢に対してキツい物言いをしていると噂が出回り始めたのは。


「巧妙なところですが、件のご令嬢はお嬢様が目にしていない場所、かつ誰かしらの目があるときは第一王子の誘いを一旦は断るなどしていたそうです」

「…あー。なるほど?周囲には『第一王子の好意に困っています』アピールしといて、ルルの前ではそんな様子を見せなかった、と。ルルの前ではべったりしているがその態度も一旦断った後仕方なく、と周囲に思われたか」

「……申し訳ありません、お父様。私がもう少し周囲を見ていれば」

「ルルのせいじゃないだろ、どう考えても」


 そもそも原因はハインリヒだ。あいつがちゃんと適切な距離感を保てば良いものの、モニカ嬢にひっつくから。いやなんでひっついてんだよ本当に。

 俯くルルに「おいで」と声をかけ、俺の隣を軽く叩く。ルルはゆっくりと立ち上がると、俺の隣に迷いなく腰を下ろした。彼女の頭に手を伸ばし、その柔らかなマロンブラウンの髪を撫でる。


「レナには相談してるか?」

「はい。今のところ私に非はないので、毅然としているようにと」

「ん、そうだな。ここで下手に狼狽えたり、感情的に反論するのはよろしくない。ムカつくだろうがそれを胸の内に秘め、堂々としていなさい」


 社交も含めた、人間関係を構築するのはレナの方がずっと上手だ。

 だから俺のアドバイスなんかはもうレナから聞いてるものだろうが、ルルは真剣な表情で頷いてくれた。

 大丈夫だよ、ルル。俺もレナも、ギルだってここにいるカールだってお前の味方だ。…あと、アーサー殿下もだけど。


「あの、お父様。今度学院がお休みに入ったら、皆でゾンター領に向かうんですよね?」

「ん?そうだな」

「ゾンター領に、カロリーナ様とクリスティーナ様をご招待しても良いでしょうか?長期休みですので、一緒にお勉強やお出かけとかしてみたくて…」


 フンケル嬢とヴィンタース嬢か。

 まだそのふたりはローラ嬢のようにルルから離れていないということか。それは良かった、と内心安堵の息を零す。


 学院は社交界の練習場といっても過言じゃない。

 あの場で孤立するのは、今後の社交界でも孤立しやすい。よっぽど上の世代の方々から可愛がられていなければ。

 俺は聖人ということもあり遠巻きにされてたからなんとなく分かる。でもそのときはカティがいてくれたから特に問題なかった。今思えばペベルも絡んできてたから、あいつも一緒にいてくれたとカウントしても良さそうだ。


「フンケル辺境伯とヴィンタース子爵が許せば良いよ。ただ、魔導列車経由でも移動に1週間以上はかかるぞ?観光地らしい観光地もないし、ご令嬢方にはしんどいと思うが…」

「ふふ、おふたりとも実は東ティレルの洞窟に興味があるそうなんです」

「マジかー。ルルも行きたい?」

「はい。最も最近踏破されたダンジョンですから」


 そう。東ティレルの洞窟は完全に踏破された。

 やはり常時暗闇のデバフがかかっている上、ワープゾーンがある洞窟のマッピングは特に最下層が困難だったらしく、攻略までにだいぶ時間がかかったが、昨年に踏破されている。

 …その踏破に役立ったのが、俺がまとめた資料だった。ペベルの助言通り「噂に聞いた程度だが」と攻略に必要そうな情報を冒険者ギルドに伝えたのだ。そうしたらモンスターからの被害が減って、着実に前に進めるようになったのだという。


 最下層の宝箱にあったもののひとつは、今ゾンター本邸の宝物庫に保管されている。

 本当なら見つけた冒険者のものになるんだが、探索する冒険者にそれだけはゾンター家が引き取りたいと願って譲ってもらったものだった。報酬を渡そうとしたが、冒険者は「そのぐらいなら」と笑って無償で譲ってくれたものだ。

 冒険者に価値はない。価値があるのは、ゲームを知っている俺だけ。


「東ティレルのダンジョンに行くなんて知ったら、フンケル辺境伯にどやされそうだな」

「むしろついてこられるのでは?」

「まさか」


 はは、と笑った。その翌日。





「旦那様、フンケル辺境伯から旦那様宛に手紙が来たんですが…」

「マジかよ」


 オットーから渡された手紙には、俺らの旅程に合わせてゾンター領に娘とその友人と一緒に行くからよろしくな的な内容が書かれていた。



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