第8話 分からないことが恐ろしい


 ポーションのおかげで回復は早く、3日ほどで完治した。ただまあ、傷跡は残ったな。ぐるぐると肩を回しても痛みはない。よし。

 メガネも無事回収してもらったから、今は手元にある。視力矯正のためにもやっぱりあると便利だ。



 使節団一行は、ワイバーンの休息も兼ねて5日間滞在する予定になっていた。

 その間、有名な地底火山ダンジョンの方も少し潜ったらしい。プレヴェドではこのようなダンジョンはなく、洞窟に潜るタイプのダンジョンしかないとのこと。前作紅ファンでもダンジョンは出てたけど、確かに洞窟タイプしかなかったな。


 …ちなみに、俺を襲ったあの竜騎士は本国に強制送還。本国で処罰を受けることになったそうだ。

 人を襲ったワイバーンについては当面の間、任務に連れ出されることはなく様子見し、問題なければまた別な竜騎士と関係を築き上げることになるらしい。問題が出た場合は…まあ、お察しということで。



 動けるようになったので、砦の結界石にも念の為魔力を補充した。ちゃんとシュルツェン卿らが定期的に補充していたからだろう、さほど込める魔力は多くない。

 作業光景を見ていたアーサー殿下はポカンとしていたが、やがて「すごい」と感嘆の言葉を零した。


「我が国にも結界石はありますが、魔力を補充する際はこのような光景は見たことがありません」

「このような光景が見られるのは、聖女・聖人様方が補充されるときのみです。貴族の方々も補充しますが、その際はこのような光景はなく、ただ薄っすらと『結界が構築された』と理解できる程度ですね」

「聖女・聖人殿は魔力量が多いと仰っていましたね。我々王族も多い方ですが、それよりも多いということでしょうか」

「それは計測してみねば分かりません。計測魔道具は小神殿にもございますので、滞在中、もしお時間があれば足を運んでみてください」


 カミルの解説に頷くアーサー殿下は、やや興奮しているのかほんの少し頬が赤くなっていた。

 年相応な表情にちょっと安心する。我が国の王族であるマリア第一王女殿下もまだ14歳だというのに、大人びていてまさに「王女」という風格を兼ね備え始めているから、王族というのは年相応を求めてはならないのだと思わされる。

 …あのクソガキは相変わらずだけどな。猫かぶりだけ上手くなったというか。


「結界石への魔力補充の見学など、つまらなかったでしょう」

「いいえ!この世のものとも思えぬ光景に圧倒されました。直に拝見できる機会に恵まれて私はとても幸運です。…あの、今見た光景を本国に報告しても問題ありませんか?」

「ええ」


 俺の答えに、ぱ、と明るい表情を浮かべるアーサー殿下。

 なんだろう。この、頭を撫でたくなる衝動。これがワンコ系キャラの魅力か。末恐ろしい。

 撫でたら不敬罪とまではいかないが失礼にあたるだろうから、伸ばしかけた手をグッと握り込んで我慢する。


「王都への出発は明日でしたか。ワイバーンだとどのぐらいで着くものなのですか?」

「はい。十分休息をいただけましたので。そうですね…4日ほどで着くと思います」


 はっや。

 まあ山を迂回しなくていいっていうのもあるだろうしな…飛行予定のルートには飛行型モンスターの巣はないし。この前のあそこの山だけだったんだよな。あそこのルート以外は、他国との関係もあって通れなかったらしい。


 4日かぁ。いいな、こっからだとどう頑張っても1週間以上かかるからな。

 アーサー殿下と他愛もない会話をしながらふとレナたちは元気だろうかと脳裏に思い浮かべて、



 足が止まった。



「…どうされましたか?」

「……あ。いや」

「ヴォルフガング様?顔色が悪いです…まだ体調がよろしくないのでは!?」

「旦那様」

「大丈夫だ」


 深呼吸して落ち着かせる。

 大丈夫。大丈夫。


 たまにあることだ。たまに。

 大丈夫、胸元にあるロケットペンダントを触ろうとして、部屋に置いてきたのを思い出す。ぐしゃりと服だけを握りしめた。だから、早く部屋に戻って、絵を見て、


「―― ヴォルフガング様」


 アーサー殿下の声に、ゆっくりと視線を向ける。


「もしよろしければ、明日一緒に出発しませんか?」

「…え?」

「陸路だと1週間以上かかるとお聞きしております。その…飛行ルートも偶然、フィッシャー本邸近くを通るものですから。護衛団全員をお連れすることは叶いませんが、ヴォルフガング様を含め10名程度であれば同乗が可能です」


 1週間以上かかる行程が4日に短縮されるのはすごく魅力的だ。

 だが、ただでさえ俺のことで負担がかかっているだろうに。乗って良いものか、迷う。

 逡巡する俺にアーサー殿下はふと微笑んだ。


「それに、ルイーゼ様にもお会いしてみたいと考えていますから」

「…契約の件ですね」

「ええ。私が王城に入ってしまえば、ルイーゼ様とお会いする機会が公式の場でしかなくなります。学院内でもあまり近づけないでしょう。それでは判断し辛い」


 たしかに、王城であれ学院であれルルは「王子妃」として見られている。

 ルイーゼという女性を見てもらうためには、まずはフィッシャー本邸に寄る口実があると良いか。

 幸いにも、俺という存在はその口実にうってつけだ。


「…そう、ですね。少し話してみます。ラルス、護衛団の団長を私の部屋に呼んできてくれ」

「承知いたしました」

「私の方でもこれから話を通してきます」

「それでは、ヴォルフガング様は私がお部屋までお送りいたします!」

「ありがとう、カミル」


 その場で解散し、カミルに付き添われてあてがわれた部屋に戻る。

 心配してくれたカミルに「大丈夫だ」と伝え、そっと戻るように促した。ごめん。心配してくれるのは本当に嬉しいんだが、今は気遣える状態じゃないんだ。

 後でちゃんと謝らないと。


 ドアを閉めると同時に、ロケットペンダントを置いたサイドテーブルに駆け寄る。

 震える手でそれを開く。カールの魔法のおかげで実現した、小さな肖像画が2つ。レナが赤ん坊のギルを抱っこしている絵と、もうひとつは最近のルルの絵だ。

 そう。そうだ。みんな、こういう顔だ。でもギルはもう大きくなっているから少し顔が違うかもしれない。どうしよう。大丈夫、会えば分かるはずだ。フィッシャー本邸で小さい子はあの子しかいないから。


 マルクス、ペベル、ハンス、ドロテーア…大丈夫、名前は覚えてる。だからすぐに紐づけられるはずだ。

 帰ったらすぐ、すぐ。部屋にある肖像画を探して、覚え直さないと。



 元から人の顔が分からなかった。

 けれど絵を繰り返し描けばなんとか覚えられた。ならばなぜ、カティの肖像画が部屋から溢れんばかりにあったのか。


 ―― 結界石に魔力供給したり魔眼を酷使すると、忘れるんだ。覚えたはずなのに。


 それに気づいたのは、聖人として活動を始めた年。各地を巡って本邸に戻ったときにクリストフの顔を忘れていたから。出発前までは絵を見なくても分かっていたのに。帰ってきたら、分からなくなった。

 それを何度も、何度も繰り返して。聖人として滅多に活動しなくなる予備役になってからようやく、覚えていられる時間が増えて。


 数年前の東ティレルの洞窟の件でぶっ倒れたときは、ゾンター伯爵邸にあった絵のストックや、戻ったあとすぐに絵を繰り返し見たから覚え直せた。

 でも今は遠征先だから、覚え直すことができない。


 大丈夫。まず、ロケットペンダントがあるからレナの顔は確実に思い出せるはずだ。大丈夫。

 ルルは、前世のゲームで覚えたから大丈夫。ギルの顔が思い出せない。笑っているという記憶はあるのに。分からない。


 深呼吸していると、部屋にノック音が響いた。誰何すれば、ラルスと護衛団の団長が名乗る。ロケットペンダントを握りしめて「入れ」と返事すれば、ドアが開いて鉢巻をした騎士と軽装備の騎士が部屋に入ってきた。


「ヴォルフガング様、団長のアショフです。第三王子殿下の件、ラルスより聞きましたがいかがいたしますか。…私共としてはお受けした方がよろしいかと思われます」

「…そう…だな。できる限り、早く戻りたい。そのため、アーサー第三王子殿下からの申し出を受ける」


 このふたりは俺の問題を知っている。あえて知らせた。こういうことがある可能性があったから。

 俺の言葉に察したのだろう。「すぐに準備いたします」と団長がメンバーの選定のため退出した。

 ラルスから座ることを勧められ、備え付けの椅子に腰を下ろした。

 ロケットペンダントを握りしめたまま、額にそれを当てて深いため息を吐く。


 俺は主要人物しか顔をはっきり覚えていない。サポートキャラがいるということはまだ覚えているが、顔はぼんやりとしてる。だからヒロインのサポキャラのひとりであるエマ嬢も顔は分からなかったんだ。特徴だけ覚えていて、エマ嬢は創作物のお嬢様でよくあるドリルのような髪型をしていたのを覚えている。

 思い出した当初はまだ覚えていたから顔の特徴とかを資料に書き込んでいたはずだ。それを見ればアーサー殿下への違和感の正体は分かるだろう。


「旦那様、お茶をお淹れしますか?」

「…ああ。そうだな。頼む」


 シュルツェン卿と酒を酌み交わす約束をしていたが、ちょっと無理そうだ。断りを入れなければ。



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