第4話 シュルツェン辺境領にて


 シュルツェン辺境領は、国としては南部に位置する領である。

 チェンドル王国との国境となる山を保有しており、国内一の大きさを誇るダンジョン、シュルツェン地底火山を含むダンジョンを4つ抱えている地域だ。

 シュルツェン本邸は要塞の中にあり、街もそこに組み込まれている。いざというとき、街一丸となって立てこもって魔物暴走現象アウトオブコントロールに対応するためだ。過去の歴史でも何度かこの砦で耐え抜いたと記録されている。


 ―― そして領主たるシュルツェン辺境伯は今、エントランスホールで出迎えてくれた、俺の目の前で壁のようにそびえ立つ筋骨隆々な髭親父さんだと思う。たぶん。前に会ったときもそんな感じだった気がする。

 俺も結構身長は高い方なんだけどな。頭ひとつ分違うわ。


「遠路遥々ようこそおいでくださった、聖人ヴォルフガング殿。それがしが当地を治めるパトリック・シュルツェンだ」


 合ってた!良かった!と内心喜びながら、俺も軽く頭を下げる。


「要請に応じ参上いたしました。予備役聖人ヴォルフガング・ゾンターです」

「聖女ビアンカ殿と聖人キルヒナー殿の件は耳にしている。お主も大変だな」

「領地から戻って3日で出立しましたね」


 はは、と笑みを浮かべれば、シュルツェン辺境伯も苦笑いを浮かべた。


「フィッシャー卿は息災か」

「ええ。精力的に働いていらっしゃいます。ああ、それからフィッシャー卿経由で王家からこちらを預かってまいりました」


 連れてきた使者がスッと差し出した書簡を俺が取り、シュルツェン卿に差し出す。

 シュルツェン卿はそれを受け取ると、結んでいた紐をはらりと解いて用紙を広げた。

 書面の文字を目で追っているうちに段々と眉間にシワが寄っていく。


「……まあ昨日のうちに緊急用の通信魔道具で命令は受けていたが…はぁ。使者殿。書状はたしかにシュルツェン辺境伯が受け取った。恙無く使節団を迎え入れよう」


 ひくり、と使者の顔が引きつった。

 たしか王弟殿下の側近だもんな、君。主人の尻拭いも大変だろうが、まあ頑張れ。


 使者が頭を下げてそのままシュルツェン邸から辞したのを見送ると、シュルツェン卿が「こっちだ」と歩き出したので後に続く。

 実は、シュルツェン邸には聖人として何度か来ている。聖女・聖人をもてなすのは領主の役目だから、当面はここを拠点として結界石の魔力補充に勤しむことになるだろう。

 あと、使節団の受け入れもここだろうな。


 通されたのは応接室だった。

 使者をここに入れずエントランスホールで応対したのは、王弟殿下への意趣返しだろう。シュルツェン卿とて、事前に色々準備していただろうに、そこにワイバーンが加わるとなるとだいぶ計画が狂うことになるだろうから。

 ワイバーンが来ることで、山岳付近にたむろっている飛行型モンスターたちがどう動くか分からないだろうしな。


 促されるまま、応接室のソファに腰を下ろす。

 老齢の執事が手早く茶器を準備し、俺の前に温かい紅茶が差し出された。俺の真向かいにシュルツェン卿がどかりと座る。


「使節団との面通しについてだが、彼らの疲労具合によって到着当日とするか、翌日とするか検討したい。そのため到着日とその翌日については、我が邸内に滞在していてほしい」

「承知しました。結界石の状況はいかがですか?」

「砦の麓は今のところ問題ない。が、地底火山ダンジョン付近にある街の結界石の魔力消費が激しいため、到着して早々申し訳ないのだが、一度満タンにしておいてもらいたいのだが可能だろうか」

「問題ありません。街の皆様の安全が第一ですから」

「ありがたい。…ひととおり補充が完了し、無事使節団を王都に送り出せたら酒でも飲み交わそう。良い酒が手に入っている」

「それは楽しみですね」


 さくさくと会話は進み、諸々の段取りを決めていく。


 聖女・聖人として動く際は、護衛騎士と神官を伴って動くことが推奨されている。基本、3人で1セットだ。そこに護衛団がついて回ることになっている。

 神官は魔法の盾、護衛騎士は武の剣。結界石への魔力補充中は無防備になるため、彼らが守ってくれるのだ。エレヴェド様やヴノールド様ら神々を信仰する神官たちは魔法を用いて攻撃を防ぐ手段に長けていることが多い。民を守る結界石を維持していくため協力してくれている。

 神官はこのシュルツェン辺境領にある小神殿から派遣されてくる若い神官で、今回初めて聖人を守る役割を任されたらしい。シュルツェン卿が先日会ったらしいが「ガチガチに緊張していたぞ」とからりと笑った。


 紅茶1杯分の休憩と打ち合わせを経て、早速地底火山ダンジョンの近くにある街へと向かう準備を始める。

 普通なら馬車での移動になるんだが、移動時間や村以外の結界石への補充作業も考えると馬での移動が都合が良かった。

 というわけで、久々の乗馬での移動である。


 厩舎きゅうしゃに赴き、貸してくれる馬を連れて少し砦に隣接している放牧エリアで駆けてみる。訓練されている馬のようで、多少モンスターが襲ってきても怯まない性格だそうだ。

 手綱を握ってパカラパカラと駆けてみたが、相性も問題なさそうだ。相性が悪いと言うこと聞いてくれないからなぁ。


 借りる馬を決め、邸内に戻り乗馬に適した動きやすい軍服に着替える。

 紺色をベースとしており、徽章も聖人を表す百合リリーエのみ。胸元付近でマントを留めるチェーンブローチにはゾンター伯爵家の家紋。白マントの裾には百合の刺繍が施されている。

 …白マントって汚れるんだよな。傍から見るとカッコいいんだけど。なので、街や村を出入りする、魔力補充作業をしているとき以外はマントをつけることはない。


「旦那様、神官様が到着されました」

「分かった」


 パチン、とマントをブローチで留め、エントランスホールに向かう。

 護衛騎士はフィッシャー騎士団でも有数の腕前を持つラルス。俺がハイネ地区のあのスラムから引き抜いた人材だ。


 ゾンター家の騎士を連れて見せたときに「剣筋が良いですね」と言われたうちのひとり。今まで力仕事ばかりやっていたラルスは、その言葉に剣に興味を抱いて鍛錬を重ね、俺に「下っ端でもいい、旦那様の騎士団に入れてください」と頭を下げて直談判してきた。

 まあ、ゾンターに連れ帰るにも時間がかかるからとフィッシャー騎士団の試験をやったら団長から「うちに欲しい」と言われるぐらいの人材だったらしい。

 貴族の次男、三男坊が多い騎士団の中、ただひとりの庶民としてラルスはフィッシャー騎士団に見習いとして入団したのが3年前。…3年で、俺の護衛騎士になれるまでになったんだから、いやホント原石だったんだなぁと思う。

 魔力保有量は庶民の平均的な量で、攻撃魔法なんかは使えない。なので純粋に腕前で駆け上がってきた傑物。


 寡黙だが、顔が覚えられない俺に考慮してか、常に額に鉢巻のようなものを巻いてる男である。おかげですぐラルスだって分かるから助かる。


 エントランスホールには、神官風の衣服を着た若い男が立っていた。頭に生えているのは鹿の角か、あれ。獣人のようだな。

 神官風、と言ったのは、彼も馬に騎乗するからだろう。普段の神官とは異なり、動きやすそうな服装だったからだ。

 現れた俺を見てギョッとして、それから段々と顔が赤くなって…ん?赤い?


「…大丈夫か?」

「はひっ!だ、だいじょぶです!!お、お初にお目にかかります!この度、同行させていただきます中級神官、カミルと申しましゅッ…!」


 あ、噛んだ。

 かああっと一気に顔が真っ赤になって、か細い声で「もうしわけありません…」と両手で顔を覆ってしまった。

 うん。口上で噛むと恥ずかしいよな。分かる。若いだけあって微笑ましいなぁ。成人したばかりぐらいか?


「予備役のヴォルフガング・ゾンターだ。こっちは護衛騎士のラルス。シュルツェン辺境領での滞在中、よろしく頼む」


 神官風の鹿の獣人はカミル、と。

 脳内に情報を刻みながらそう言えば、カミルは顔を赤らめたまま「よろしくお願いします」と跪礼した。

 あんまりこうかしこまったのは好きじゃないんだが、ここでは聖人の地位は神官より上だからな。仕方ないか。


「早速だが、現場に向かおう。カミルはどのぐらい乗馬を?」

「小神殿からの移動はすべて馬で行っておりましたので、駆けることも問題ありません」


 へぇ。珍しいな。

 大体神官は馬車移動なんだが。


「それは心強い。では行こうか」


 にこりと微笑めば、カミルの落ち着いてきた顔色がまた真っ赤になって小さく「はわわうつくしい」と変な声を上げた。…大丈夫かこの神官。ちょっと心配になってきたんだが。



 ◇◇



 馬で約2時間駆けると、目的地である街モルックに辿り着いた。

 地底火山ダンジョンが近くにあるせいか、街に近づくにつれ熱気が出ている。あちこちから硫黄の臭いが立ち込めて、湯気が出ているところもあった。


 まあ、つまりはここは温泉街なんだよな。有名な観光地のひとつ。


 カミルが馬からひらりと飛び降り、門番のもとに歩み寄る。

 カミルに気づいた門番が、自然と俺に気づいて背筋をピンと伸ばした。


「聖人ヴォルフガング・ゾンター様がお勤めに参りました。どうぞ、首長にお目通りを」

「承知いたしました!急ぎ連絡いたします。ようこそ、聖人ヴォルフガング様。モルックはあなた様を歓迎いたします」


 敬礼する門番たち。彼らの後ろで慌てて若手の兵士が駆けていく。

 そして門番の声が聞こえたのか、門を超えた先の道路にいた人々がざわめいてこちらを見てきた。

 人の話というのは伝播するのが早い。門を通り、ゆっくりと馬を歩かせているとあちこちから「聖人様!」「ヴォルフガング様だ!」と次々と声が沸き起こり、人々が集まってくる。

 ラルスとカミルが先導するためか、人々は沿道に避けてわあと歓声を上げてくれた。


 目的地は首長の館であるが、向こうから慌てた様子でやってきた。

 それを見て、俺も馬上からひらりと地面に降りた。この街の兵士が馬を預かってくれるというので、好意に甘えて馬たちを任せることに。

 この街の首長とその部下たちが俺たちのもとに来ると、自然と膝をついて頭をたれる。


「ようこそおいでくださいました、聖人ヴォルフガング様。結界石をどうぞよろしくお願いいたします」

「魔力量はどのような感じだろうか」

「はい。あと1週間もすれば危険域だったかと思われます」

「そうか。ありがとう。では早速案内してくれるだろうか」

「承知いたしました」


 首長を先導に、俺の両脇をカミルとラルスが歩く。


 この街の結界石は街中央に配置され、中央を表すモニュメントの中に組み込まれていた。

 首長が手早く施錠魔道具エリアロックを外し、結界石に触れられるようになる。


 街中央のためか、周囲の視線が凄い。首長がエリアロックを外している間にぐるりと周囲を見渡せば人垣が出来ており、建物の上階から見ている者たちや、建物や大きな木箱の上に登ったりして一目見ようとしている。

 …いや、本当、見ててもつまんないと思うんだけどな。


「旦那様」

「ああ」


 ラルスに声をかけられたので、視線を周囲から結界石へ。

 モニュメントに歩み寄り、結界石へと両手を伸ばす。


 街を守る結界石は、クリスタルの形をしている。

 日本の超有名な某ゲームに出てくるクリスタルのイメージで問題ない。キラキラと輝くそれは、そこそこ身長がある俺よりも大きい。邸宅を守る結界石は本当に「石」って感じなんだが。不思議だな。


 両手で結界石に触れる。

 目を閉じ、こつんと額を結界石へと触れた。



どうかこの地を守り給え。Bitte schützen Sie dieses Region.どうか人々を守り給えBitte schützen Sie die Menschen.



 瞼の向こうで結界石が光り始める。


 俺は他の聖女・聖人たちや貴族たちと異なり、目以外から魔力を出すことが出来ない。

 だから俺はこうやって極力結界石に目を近づけて、魔力を注ぐ。



来る脅威のため、Für die kommende Bedrohung,その花を開いて守り給えöffnen Sie diese Blume und schützen Sie sie.



 俺自身がやっている光景は、目を閉じているから分からないんだが。

 他の聖女・聖人や貴族が魔力を注いでいる光景を見る限り、村や街等の大きい規模を守る結界石は魔力が注がれると古代文字が結界石を囲むようにくるくると展開されて、結界石が守れる範囲まで広がっていく。そうして、結界の構築が完了したタイミングで空に大きな百合の花が見えるのだ。その百合の花も、結界が完成した後は薄れて消えていくけれど。


 聖女・聖人の象徴が百合なのは、このときに見える百合の花が由来している。なお、聖女・聖人ほどの魔力が一気に注がれることで古代文字や花が見えるため、一般的な貴族が補給しても見ることはできない。見えても、うっすらと見えるだけらしくはっきりと見えるのは聖女・聖人のときだけだ。

 …他国でも同様に結界石はあるはずだが、向こうでも百合の花なのかは不明だ。


 後ろの方でわあ!と群衆の歓声が響くと同時に、結界石の輝きが収まった。

 ゆっくりと結界石から離れ、静かに息を吐く。…まあ、こんなものか。


「補充が完了しました。これで当面は脅威から逃れることができるでしょう」

「ああ、ありがとうございます!」

「聖人様!ありがとうございます!」

「ヴォルフガング様!」


 あちこちから感謝の言葉が飛び交う。

 …まあ、聖人なんてあちこち行かなきゃいけなくて移動も面倒だが、こうやって感謝されるのは嬉しい。

 自然と表情が綻んで手を振り返せば一瞬、静まり返った後に歓声がより大きくなった。今の一瞬の間はなんだ…?


 おい、ラルス。お前なんで天を仰いでるんだ。もう花は見えなくなってるぞ。

 あとカミル。お前は立て。両手で顔を覆ってしゃがみ込むんじゃない。神官の威厳がなくなってるぞ。

 首長、なんで泣いてるんだ。「間近で見られようとは…!」って花は今までの他の聖女たちの補充で見てきただろう?


 わけわからん。

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