第2話 行きたくねぇ〜〜


 ギルをオットーに任せ、レナと共に彼女の執務室へと向かう。

 道中、朝の様子を伝えればクスクスと笑ってくれていたが、やや目の下に疲労の色が見える。今ちょうど忙しい時期だもんな。


 執務室に到着し、レナの専属侍女であるエラ(結婚した後に顔覚えられた)がお茶を用意して退出していく。

 レナの側近たちはまだ来ていないようだ。

 ソファに腰掛けたレナの隣にあまり距離をおかずに座れば、おずおずとその頭が俺の肩に乗せられた。腕を回して、ポンポンとその頭を撫でてやる。


 いつだったか、頬を染めて「あの、頭を…撫でていただけないでしょうか」とか細い声で言われたんだ。そのときの俺の心情を5文字以内で答えよ。

 かわいい。かわいい一択だ。

 もちろん優しく撫でた。そのときに恥ずかしそうに微笑んだレナがかわいい。あとで絵に描き起こそうと思って、実際に描き始めて完成間近だったりする。


「おつかれ」

「…疲れました」

「なんだったんだ?会議」


 緊急招集、みたいな感じで慌ただしくでていったからな、昨日。

 そう尋ねてみれば、レナは深いため息を吐いた。


「再来週、プレヴェド王国から使節団と、留学生として第三王子殿下が来られることはご存知ですよね?」

「まあな。プレヴェドの紅茶が好きなお義母上もペベルもテンション上がってたし」

「打診自体はずっと前からあったので準備を進めていたのですが。王弟殿下が先方の移動手段を失念していたと発覚しまして…」

「王弟殿下が?珍しいな…移動手段って?」

「ワイバーンです」


 ……ああ。

 そういえばプレヴェド王国は、竜騎士団を保有してるんだっけ。

 たしか、先々代の王妃が、王妃であるにもかかわらず竜騎士団に所属する女傑だったとか。戴冠式のときに軍服で出席したってのは有名な話だ。

 お飾りの軍団長ではなく、一端の隊長で率先してモンスター退治に出撃していた行動派の王妃。対して王は穏やかに国内外で手腕を振るったらしく、ふたりはまつりの王、戦妃せんひとそれぞれ呼ばれていた。


 移動手段がワイバーンか。

 たぶん移動ルート下の国々には向こうが話を通してるだろうが、我が国にはワイバーンは生息してないから、周知しとかないと大混乱だな。

 っていうか、あの王弟殿下がミスるなんて珍しいな。レナいわく、顔面蒼白で謝ったらしい。


 ちなみに、ゲーム中にもプレヴェド王国の第三王子は出てくる。サブキャラクターとして。

 前作舞台の国出身のキャラクターを出したのは、前作からプレイしているファンへのサービスのひとつだったのだろう。プレイ時にファンからの「どうして攻略できないの!!」という悲鳴がSNS上のあちこちに噴出していた。理由はまあ…今は関係ないので割愛する。


「急ぎ、国内への周知の手はずを進めてますが、もっと厄介なのが」

「厄介?」

「…いえ、厄介と言ってはいけないのですが。中央大神殿から、祭司長様が我が国に視察に来られるのです」

「え」


 祭司長って、あの?と誰もが思うほどには有名な方だ。


 代々、祭司長は20年スパンで交代していた、らしい。

 ところが今代の祭司長になってから「交代した」という話は聞かないのだという。まあでも今代の祭司長が就任したのって300年ぐらい前だから、さすがに内部的には交代してるんだろうな…なんで公表しなくなったのかは分からないが。


「…あー。前回の中央大神殿の巡業からはだいぶ空いてるな?そのせいか?」

「恐らくは。…国としても、最もエレヴェド様に近いお方をなんの準備もなくお迎えするのは良くないと判断して、いまヴノールド大神殿と連携を取り始めたところです」

「忙しいな、それは」

「はい」


 ふぅ、とまたため息を吐いたレナの頭を撫でてやる。

 レナはフィッシャー女侯爵として表に出ているため、俺は基本裏方だ。まあ、相手の顔を覚えられないし行っても足手まといになるだけだろうからな。

 なので、最近の俺の役割はレナの癒やし係。こうしてるだけでだいぶ癒やされるらしい。

 …んだが、なかなかレナの表情が晴れないな。どうしたんだ。


「……それと、まだありまして」

「まだ」

「ヴォルフェール様に、聖人として出動依頼が来ました。場所はシュルツェン辺境領です」

「俺、3日前に領から帰ってきたばっかり…てか俺予備役だぞ?なんで俺に出動依頼が…」

「―― 聖女ビアンカ・ユンガー様、聖人アヒム・キルヒナー様が重傷を負ったためです」


 ぴたり、と撫でる手が止まった。

 ユンガー嬢といえば、ルルの2つ上の聖女だ。彼女もまた俺のときのようにメインは結界石への魔力補給の巡業、時々学院に出るといったスタイルで過ごしていたと思う。キルヒナー小子爵はたしか、俺よりは10歳年下で、結婚間近の聖人。

 というか、現役聖女と聖人揃って重傷って。俺の耳に届いていないぞ。


「……彼らが?」

「はい…昨日、フンケル辺境領にあるトラッド迷宮ダンジョンで魔物暴走現象アウトオブコントロールの前兆が確認されまして。ダンジョン規模が規模ですから、おふたりが後衛として派遣されたそうです。ところが、戦闘中後衛にまでモンスターたちが到達し、その中で怪我を負わされたようです。今朝の会議で緊急連絡がありました」


 幸いにも命に別状はないし魔物暴走現象アウトオブコントロールも抑えられた、とレナから聞いてホッとする。

 ユンガー嬢はルルと年頃が近く、キルヒナー小子爵はマルクスと年頃が近いからなんとなくそれぞれ娘や弟のような感覚で見ていたんだよな。

 …そういえば、ユンガー嬢はモニカ嬢と仲が良かったな。俺が挨拶したときはただの緊張してる娘、という感じだったけど。


 ベッカー伯爵家のローラ嬢とルルが仲良くて、一度ルルとお茶会をしてるときに紹介されたことがあったらしい。最初、ルルも警戒していたようだが、年相応でちゃんと習ったマナーを実践しようとする彼女に若干毒気を抜かれたらしい。

 ルルいわく「夢の中の彼女とは全然違った」ということだったのでとりあえずは様子見している。


「それで、大変心苦しいのですが聖人としてシュルツェン辺境伯とともに使節団の出迎えをしてほしいのです。プレヴェドから来られる方々の中継地点がシュルツェン辺境領となっておりますので…」

「…え。移動時間考えたらもう出発しないとマズくないか」

「…はい」


 シュルツェン辺境領は、通常馬車で2週間かかる。まあ、似たような時間がかかる通りうちの領も辺境寄りなんだよな。方向全然違うけど。

 いや、直線距離だとそう遠くはないんだよ。けどこの国は山の神を信仰してるだけあって、山が多いから山を迂回するのが多くてな…トンネルもいくつかあるにはあるが、長い距離のトンネルはない。あと山間部は大体舗装されていない道路だから道も悪い、ので馬車の進みも悪い。

 数年前に導入された魔導列車も、直線距離なら多少スピードは出るがカーブが多いこの国ではさほど早くない。それでも、馬車よりは圧倒的に早いけれど。

 ええ…乙女ゲームのシナリオが始まったってのに、俺辺境に行くの?マジで?


 …ああ、作中ヴォルフガングが出てこなかったのって、もしかしてそのせいか?


 原作のヴォルフガングは、ルルが最終的に国外追放になったら爵位を返上して物語から退場している。じゃあそれまで何やってたんだって話になるんだ。本編でもヴォルフガングの名はほとんど出てこない。

 設定資料集でもそこまで詳しくは載っていなかったが、俺と同じ予備役聖人だったことは確かだ。

 ゲームでは、ユンガー嬢を含めた他の聖女・聖人の情報は出てきていない。だから推測にしかならないが、実はゲームでも裏では他の聖女・聖人が怪我をしていて動けない上、第三王子の接待も兼ねて王太子の婚約者の父親である予備役のヴォルフガングが呼び出されたのだとしたら?

 だから俺にお鉢が周ってきたってわけか。


 予備役は以前3人いたが、ひとり引退して現在は俺含めてふたりしかいない。予備役のもうひとりはシュルツェン辺境領とは真反対にいるし、怪我をしたふたりとモニカ嬢以外の現役聖女・聖人3名は国内に散ってる。そしてモニカ嬢は未成年だ。未成年の場合、学業が優先されやすい。

 …ユンガー嬢も学院生なんだが、まあ討伐がうまくいけば、さほど遅れずに学院に戻れると踏んでのことだったんだろう。


 さらに言えば、国としては聖女・聖人を国外に出したくないから婚約者がいたとしてもあまり他国の要人に聖女を会わせたくない。

 そして現役聖女・聖人は皆まだ未婚で、成人している者もいるものの爵位を継いでいない。実家の庇護下にある青少年たちだ。結果、ルルの立場も考慮してゾンター伯爵家の俺が一番地位が高い。


 そこまで考えると、ぎゅっと服を引っ張られた気がした。

 意識を戻してレナを見下ろすと、レナの右手が俺の胸元付近の服を握っている。

 俺の目線からだとレナのつむじしか見えない。目を瞬かせていれば、本当に、本当に小さな声でレナは呟いたのが耳に届いた。



「…帰ってきてくださったばかりなのに」



 ……どうしよう。レナが可愛い。本当に。


 ため息を吐くとびくりとレナの肩が震えた。

 体を離そうとするレナの肩を抑え、レナの頭に俺の頬を寄せる。


「俺もヤダ」


 行きたくねぇ〜〜。こんな可愛いレナを置いていくのも、ルルを置いていくのも、ギルを置いていくのも。

 連れてっちゃダメ?ダメか。


「…は〜〜。仕方ないから準備するか。引き継ぎ資料も作らんとな」

「出発はいつにされますか?」

「明日の朝には出ないとまずいな。途中まで魔導列車使うにせよ、行程が1週間以上はかかる。そこからプレヴェドの使節団を迎える準備を…ってなると、ギリギリか」


 ガシガシと頭をかきながら唸る。

 くっそ、今日はルルが学院に入学した記念すべき日だから、お祝いして〜とか色々するつもりだったのに。


「…悪いな、レナ。押し付けるようで」

「ヴォルフェール様は聖人ですもの。仕方ありませんわ」


 肩から手を離せば、レナはすっと姿勢を正した。


 カティも言っていたが、レナは聞き分けが良い。

 もちろん女侯爵として突っぱねるところは突っぱねるし、交渉すべきところは交渉する。

 けどなんか、俺に対してはあまり負担をかけないようにって配慮してるっていうか…だからさっきの発言は本当に珍しい。

 いつか、俺のことで押し潰しちまうんじゃないかって、ちょっと不安だったりする。


 ……うん。


「レナ」

「はい」

「俺が帰ってきたら何してほしいか、考えといてくれ」

「…え?」


 きょとん、と目を瞬かせるレナに、俺は笑った。


「我儘。考えといてくれ。帰ってきたら叶える」

「わがまま…」

「もちろん、ルルやギルにも同じことを聞くぞ。俺が聖人だからこういうときに周囲を振り回してる自覚あるからな。それぐらいやらせてくれ」

「……なんでも、よろしいんですか?」

「俺が叶えられる範囲であれば」


 レナはしばらく俺を見つめたあと、小さく頷いた。

 頬を染めるその様子にふと笑みがこぼれて、彼女の額にキスを落とす。更に真っ赤になったレナを見て思わず声を出して笑えば「もう!」とレナが怒った。

 ふはは、本当可愛い。



 …さて。気が進まないが、準備始めるか。

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