第三章

第1話 月日が経って



「やーーーー!!」



 エントランスホールから響き渡る声が聞こえてきて、思わず笑う。

 隣を歩くオットーは「可愛らしいですねぇ」なんてもう近所のお兄さんばりの感想だ。


 騒がしいエントランスホールにひょいを顔を出せば、ルルが困ったような表情で幼子を抱っこしていた。

 それでも、嬉しさもあるのだろう。口元が緩んでる。


「ね、ねっ、ねぇね!や!!」

「ギル、お姉様はこれからお勉強しに行かなければいけないの。大丈夫よ、今日はお昼頃には戻って来るから」

「や、や〜〜…っ」


 いやいやと首を横に振ってぎゅむぎゅむとルルの首に抱きついている。

 ここからは見えないが、顔はもうぐしゃぐしゃだろう。ルルの制服が汚れないようにドロテーアがササッと顔を拭ってやってる。


 あ、とルルが近づく俺に気づいて、眉尻を下げた。


「お父様、ギルが…」

「ギル、ギルベルト。こっちにおいで」

「ぱぱ、や!!」

「んっふ」

「こら笑うなオットー」



 ギルベルト・Z・フィッシャー。

 俺とレナの息子で、先日2歳になった。髪は俺に似て黒く、瞳はレナの色を引き継いだ。


 幸運にも俺とレナの間に早めにギルベルトが来てくれたおかげで、後継者ガーとか騒ぐ奴らは一旦落ち着いた。ゾンター家の方はまだ残ってるけど。


 魔の2歳児、というだけあってギルベルト ―― ギルは、とにかくなんでもイヤイヤしている。

 そんな中、比較的言うことを聞くのがルルだ。ルルが諭すとブスッとするものの、一旦は落ち着いてくれる。

 だが今日からはそうもいかない。

 今日から、ルルは学院に通うことになるのだから。



 ルルも15歳になり、俺もアラフォー。

 ルルは少女から女性へと成長していく過渡期に入り始めており、王子妃教育のおかげもあって所作は高位貴族と同レベルだ。それでも、その立ち振舞からカティの面影が見えて思わず目が細くなるときがある。

 レナは侯爵位を継いで現在フィッシャー女侯爵として色々と忙しなく動いているし、ルルは相変わらずハインリヒ第一王子の婚約者。

 なので、まあ、自然と中位貴族では耳にしない検討段階の話まで耳に入るんだよなぁ。


 ―― ハインリヒ第一王子が今夏、立太子を予定している。


 ハインリヒ第一王子は、表面を取り繕っているものの相変わらずルルとふたりきり(従者付き)の前では傲慢さを隠さない。

 そこら辺は陛下も手を尽くしているようだが、暖簾に腕押し、糠に釘、だ。

 そして最悪なことに、徐々に王妃陛下がまた魅了状態になり始めてるらしい。

 だが、宰相殿たちの目がある中でどうしてそのようなことが出来たのかは、謎。宰相殿たちの中で内通者がいるのでは…という疑心暗鬼に陥ってる状況とか。この前、ルルの教育方針を王太子妃教育へ変更する件の打ち合わせで会った宰相殿が頭を抱えてた。

 解消するには王妃陛下を王都から長期間離れてもらうのが一番なんだが、大義名分が必要だよな…。王都から辺境までいけばさすがに往復と滞在で1ヶ月以上かかるけど、じゃあなんのために辺境まで?ってなるわけで。それに辺境はダンジョンが多いので、モンスターもわきやすい。王妃陛下を危険に晒す気か!と批判出そう。


 幸いにも、ルルは傍に精霊を従えたカールが付き添っているためか魅了関連はかけられていない。

 カールの精霊も王宮で何か嫌な感じはするものの、よく分からないらしい。

 そこはまあ、引き続き警戒してもらうしかない。



 さて。

 さすがに2歳児をくっつけて学院に行くのは無理だ。

 時間も迫ってきてるし、俺は仕方ないと内心ため息を吐いた。…この方法、レナに怒られるんだよなぁ。


「ギル。お姉様にちゃんといってらっしゃいができたら、お前の好きなパッチンをやろう」

「…ぱっちん!」


 ぱ、とギルが顔を上げて、俺を見た。満面の笑み。

 手を伸ばせば、ルルから離れて大人しく俺に抱っこされる。片手で抱っこしながら、ルルと一緒に玄関を出て馬車へと向かった。


 ふと、ルルを見ると若干口が尖っている。


「ギルばっかり、ずるい。私も見たいのに」

「昔から好きだな、ルルは」

「だってお父様、格好いいんだもの」


 うふふ、と笑うルルに照れくさくなって頬をかく。

 御者の手を借りて馬車に乗り込んだルルに、ギルと一緒に手を振った。


「いってらっしゃい」

「らったーい!」

「いってまいります」


 ガラガラと馬車が走り去り、見えなくなるまで見送るとギルを抱え直した。

 子どものまっすぐな目がキラキラと輝いている。はは、期待は裏切れんなぁ。

 そう思いながら「ぱっちん!」と催促するギルに「はいはい」と答えながら、鍛錬場へと向かった。


 今、俺たちはフィッシャー侯爵邸に居を移している。

 マルクスが婚約者を迎えたこともあるし、レナの家族になったわけだからな。フィッシャー邸で過ごすのが筋だろう、ということで、レナとの結婚を機に引っ越した。…マルクスからはだいぶ渋られたけどな。



 結婚式?やったよ。

 ちゃんと招待客呼んで、豪勢に。ルルがブライズメイドをやってくれたのも良かった。

 レナは綺麗だった。いや俺、カティのときもそれしか出てこなかったけど。それ以外の賛辞の言葉が見つからなくて語彙力!!ってなるけど。でもそれ以外に言葉がなかったのもある。…カティと比べるつもりはないし、比べてもいない。

 レナはレナの、カティはカティの美しさがある。それだけだ。


 初夜は……うん、可愛かった。それだけで勘弁してくれ。

 いや誰に向けて言ってんだって話だけど。



 鍛錬場に到着。

 仕事始めの時間にはまだ少し時間があるからか、オットーもついてきていた。

 先に鍛錬を開始していたフィッシャー騎士団の団員たちや魔術師たちが、俺たちの姿を見てビシッと敬礼をする。ギルも真似をしてぴしっとするもんだから、一気に空気が和やかになった。

 壮年の騎士のひとりが、からりと笑う。


「ヴォルフガング様、当主様に怒られますぞ」

「仕方ない、そうでもしないとギルがルルの傍を離れようとしなかったんだ」

「ああ、今日から学院でしたか。じゃあ仕方ないですな」


 …トレーニング用だからか、階級章をつけてないんで誰だかわからないが。

 たぶん、団長かな?うん。


「ヴォルフガング様、本日はどうされますか?」

「ん〜、ギルに見せるだけだからなぁ…そこまで本格的なものじゃなくていい」

「ではいくつか、空中に的を放りますか」

「そうだな、3つぐらいで」


 的を放る、とは言うものの。

 実はこれ、魔法を使ってビュンビュン飛び回るタイプだ。

 モンスターはじっと待ってちゃくれないので、まあ動く何かが欲しい。と公爵代理時代に作らせた仕組みだったんだが、意外とウケが良くてフィッシャー侯爵の騎士団にも取り入れられた。

 弓矢とか、動いてるのに当てるのって難しいもんな。魔法も然り。


 …なんだが。俺の特性上、百発百中になるのでホント、ギルを喜ばせるための道具状態。


 魔術師が的を3つほど浮き上がらせ、空中に飛ばす。

 飛び回る的を目で追いかけながら指を弾いていけばあら不思議。弾いた次の瞬間に視界から外れても燃える。

 3つ目もパチンと弾いて無事燃え上がれば、腕の中にいるギルはキャッキャと両手を叩いて喜んでいた。


「…相変わらずえげつないですね、旦那様の魔法」

「それなんかハンスにも言われたなぁ。ま、暗い場所では無能なんだけどな」


 某大佐は雨の日が無能だったけど、俺は東ティレルの洞窟のような暗闇じゃ無能なんだよ。

 あと、夜な。現代日本と異なり、光源があちこちにたくさんあるわけじゃないから夜は本当に暗い。まあ、目が慣れれば多少は見えるけども。


「ヴォルフェール様、ギル」

「まま!」


 声に従って振り返れば、レナがいた。

 昨日から王宮で重要な会議が続いていて戻ってこれなかったんだが、帰ってきたのか。

 ばたつくギルを下ろすと、ギルはとてとてと幼児らしい走り方でレナの方に向かう。レナはしゃがみ、両手を広げてギルを迎えて抱っこした。


「おかえり、レナ」

「おかーり」

「はい、ただいま戻りました。…ヴォルフェール様、またやったんですか?」

「ルルを放さなかったからな〜、仕方なく」

「もう…ヴォルフェール様がやると訓練道具の無駄になるんですから」

「分かってる。だから3つだけにしたんだ」


 さすがに理由を知って、怒らないでいてくれた。

 前はギルに強請られるままに結構な枚数燃やしたら怒られたからな。ちょっと怖かった。

 きれいな人が怒っても怖いな、あれ。


「ヴォルフェール様、お仕事前に少しお時間いただけますか?」

「うん?いいよ」

「では早速参りましょうか」

「ギルベルト様、ちょいと俺と遊びましょう」

「にょっとあそぶ!」


 ぶ、と吹き出しかけてオットーからムスッとされた。ちなみに「にょっと」はオットーのことだ。何回聞いても笑う。

 ギルはまだはっきり発音できないからなぁ。ペベルなんて「ぺんぺん」だぞ「ぺんぺん」。ペベル揃って爆笑したわ。呼びかけた本人はきょとんとしてたけど。


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