新しい聖女(モニカ視点)


 ママは病気で、ずっと家にこもりきりだった。

 子どもながらにアタシも働いて、少しでもママを助けようとがんばった。ママも、家でできる仕事をしながら細々とふたりで暮らしていた。

 近所のみんなが優しくて、売れ残って捨てるしかない野菜だとか、作りすぎたお惣菜の余りだとか、そういうのをもらったりしながら生活していたの。


 パパは、いない。

 ママが言うには、パパは「遥か遠くに行ってしまった」のだそう。

 それはパパは死んじゃったっていう意味だって気付いたのは、ずいぶん最近だ。


 いっしょーけんめー働いて、お金貯めて、将来はママと一緒にもっといいところに住むんだ。

 最近、スラムだったハイネ地区で働く場所を紹介する仕組みが出来たらしくて、今お試しで動いているらしい。

 アタシが住んでいる地区はまだ申込みができないし、アタシはまだ子どもだけど、きっとできるようになったらもっと良い生活ができるかもしれない。



 そう、思っていた10歳のあの日。

 真名授与の儀が終わって、慣例だという魔力保有量をはかったときだった。


 魔力自体はアタシのような庶民でもあるけれど、魔力の量自体は貴族が多いらしい。庶民は、自分の魔力保有量を知って、使える魔法を知るきっかけでしかなかった。

 アタシもそうだと思って、キラキラした水晶みたいな魔道具に触った瞬間、ビカッと光って、次の瞬間にはバーっとなんか数字が並んでた。

 見たことない数字、と呆気に取られていたら、たちあいにん?だっていう役人さんが大慌てしてた。一緒にいた神官さまもポカンとした表情をしていた。


 後から聞いた話によると、アタシの魔力保有量は今まではかってきた中で、一番多かったんだって。

 この王都を守る結界石はとても大きくて、たくさんの貴族がたーくさん頑張って魔力を注ぐ必要があるんだけど、ひとりで満タンにできるぐらい!


 それからあれよあれよという間に、アタシの生活は一変した。


 まずは神殿に引き取られ、勉強させられた。めんどくさい。

 でも、ママをちゃんとした病院に入院させてもらえた。あとちょっと遅かったら、ママ、死んでたって。

 綺麗な服も着れるようになった。貴族が着るようなドレスじゃないけど、ふわふわ、ひらひらしたワンピース。ゴワゴワした服じゃない。髪だって今まで体を洗うのと同じ石鹸で洗ってたからゴワゴワしてたけど、頭を洗う用の石鹸で洗ったからサラサラになった。


 アタシはこれから勉強して、いっぱんじょーしきを身につけたら、貴族の子どもになるらしい。

 ママは?と聞いたら、ママも一緒にめんどーを見てくれるって。

 だからアタシも勉強をがんばってほしいんだって。


 ママのためならがんばるよ。

 ママ、たくさん苦労したもんね。


 だからアタシはいっぱいがんばった。

 たくさん、頑張った。




 1年ぐらい経った頃には、アタシ ―― 私は、必要最低限の教育が終わった。

 私ももう11歳になって、神官様が協力してくれたおかげで魔力操作もできるようになってきた。


 その頃に一度、国王陛下がわざわざ私のところまで来てくださって、頭を下げられた。

 聖女・聖人になった若者には苦労を強いることになる。だから国のトップである陛下が頭を下げて協力を願うのは当然なんだって。


 今までの聖女・聖人もそうだったらしいけど、今回特に私は魔力保有量が多いから特に陛下は私に便宜を図ってくれるって。

 その代わりと言ってはなんだけど、人々を守るために、国のあちこちにある結界石に魔力を込めてほしいって。結界石については学んだ。あれがないと、モンスターに襲われるって習ったから、たしかに重要だ。

 他の聖女・聖人も各地に散って順繰りに周ってるそうだし、各地の領主一族が私よりも少ない魔力でがんばって結界石に魔力を注いでいる。



 ―― 先日、聖女・聖人一同を集めた日があった。

 私を紹介するための場だ。


 既婚者は予備役となるからいまの現役は私を含めて6人。予備役は3人。

 みんな、私よりも年上で、根っからの貴族だからキラキラしていた。

 私が庶民出身だと知っているはずなのに優しくて、一緒にがんばろうねって歳が一番近いビアンカさまに言ってもらえた。


 そんな聖女・聖人の中でひときわ目立つ人がいた。


 真っ黒な髪だけど、陽の光に当たるとキラキラと輝いて見える。メガネをかけたその人の瞳はまるで夕焼け色のオレンジだ。その瞳の向こうに沈みかけている太陽があるのかと思うほど、綺麗。

 そして顔も整っていて、体もスラッとしていた。絵の中の人が、飛び出てきたみたい。

 自分の周りにいた大人の男とは全然違う。


 ぽけっと私が魅入っていたのに気づいたのか。その人はふと私に気づいて、目があった。

 その瞬間、ブワッと顔が真っ赤になったのが自分でも分かった。なんで、どうして。心臓もドキドキする。

 目をそらしたいのにそらしたくなくて、どうしたらいいのか分からなくて固まっていたら。

 その人はふわりと微笑んでくれたのだ。


「ふふ、きれいな方ですよね」


 隣からビアンカさまに声をかけられて、ようやく視線をその人から外すことができた。

 それからまた、その人を見てみたけど彼は別の人と話していて目が合わない。


「あ、あの、あのひとは…?」

「予備役聖人のヴォルフガング・ゾンター伯爵です。国一番の美しさを持つ男性と言われています」

「予備役…ということは、ご結婚されているんですか?」

「ええ。早くに奥様を亡くされて、今はフィッシャー次期女侯爵とご結婚されていますよ。あなたと同い年の御息女がいらっしゃいます」

「えっ、あのひと、そんなに年上なんですか!?」

「見た目は25歳ぐらいですよねぇ。あれでもあの方、34歳ですよ」


 そんな話をしていると、そのヴォルフガングさまがこっちに向かってきた。

 わ、わ、どうしよう。変な格好じゃないかな。変な髪してないかな。

 わたわたとする私の近くにヴォルフガングさまは立つと、膝をついて私よりも視線を下げてくれた。


「君が、モニカ嬢だね」

「はっ、はい!」

「ヴォルフガング・ゾンターだ。もし困ったことがあったら、護衛の騎士や神官、それに我々に相談を。数少ない仲間だ、共に国を守っていこう」

「…はい」


 声も、声もすごい。

 うっとりするぐらい、優しい低音。いつまでも聞いていたいぐらい。


 ゆっくりと立ち上がる彼を見上げる。

 さらさらと、彼の動きに合わせて黒髪が揺れた。メガネの奥のオレンジ色がほんの少し細くなって、にこりと微笑まれる。


「私にも君と同い年の娘がいてね。もし、学院で顔を合わせた際にはよろしく頼むよ」

「…私も、学院に行くんですか?」

「巡業の合間だけれどね。ここにいる面々は皆学院を卒業しているよ」

「まあ、ゾンター様。わたしもモニカ様同様これからでしてよ!」

「失敬。そうだったな」

「わたし、あなたより2つ年上だから少しだけ共に学院で学べますわね。そのときはよろしくお願いします」

「はい」


 それじゃあ、と去っていくヴォルフガングさまを手を振って見送る。

 忙しいらしく、この会合からもう出て行くらしい。


 ぽーっとその後姿を見送っていると隣のビアンカさまから「やっぱり格好いい…」と同じような感想が聞こえてきたので頷く。


「でもあの方、忙しいからお会いできるのは稀なんですよ。今日の会合に出てきたのも珍しいぐらい」


 今日は幸運でしたね、と笑うビアンカさまにまた私は頷いた。

 ヴォルフガング・ゾンター伯爵。

 私と同い年の娘がいるって言ってたけど、どんな子なんだろう。学院に行ったら、仲良くなれるかな。




 私を引き取ってくれたのは、ベッカー伯爵家だった。

 だから私はこれから、モニカ・ベッカーと名乗ることになる。

 伯爵家の一員としての振る舞いを求められるから、礼儀とマナーは更に勉強は必要だったけど、お義父様もお義母様も、お義姉様も優しかった。


 そう、ヴォルフガング様が言っていた、ヴォルフガング様の娘さんにも会えたの!

 ルイーゼ様。ふわふわのマロンブラウンの髪に、ヴォルフガング様と同じきれいなオレンジ色の瞳。

 お義姉様が私をお茶会に呼んでくださったときに会えたの。


 最初、私に会ったときに驚いたような表情を浮かべてたし、なんなら少しぎこちなそうだったけど、たくさんお話したらその表情も優しいものになってくれた。

 お義姉様もそうだけど、ルイーゼ様もとても素敵。ああ、貴族令嬢になるのってこういうことなんだ、と思ったぐらい。

 そしてルイーゼ様、第一王子様の婚約者なんだって!第一王子様は新聞に載っていた肖像画でしか知らないけど、うーん、ヴォルフガング様の方が格好いいと思う。

 そう、正直に言ったらルイーゼ様はおかしそうに笑ってくれた。「身内びいきになりますけど、私のお父様は国一番、いえ世界一格好いいです」って言ってたから、本当にとても良い人なんだな。



 お母さんにもたまに会いに行くことを許してもらえて、私は伯爵家で礼儀とマナーの勉強をしつつ、国内を巡り始めた。


 魔力が足りなくなって、効力が薄れてきた結界石に魔力を込める。

 あまりにもかんたんに出来るから、本当にこれでいいのかと疑問に思うほどだった。

 魔力保有量が多いから、街や村に設置してあるぐらいの大きさならあっという間に満タンにできる。むしろ、移動時間が長いぐらい。

 他の聖女・聖人はもう少し時間がかかるらしい。


 街や村の人たちからはすごく感謝された。

 聖女様、聖女様って。えへへ。なんだか嬉しい。



 休憩しながら次の予定を護衛騎士のブルーノさんや神官のロータルさんと話していたら、ふわりと精霊が飛んできた。

 姿を現す精霊は伝言を持ってくる精霊らしい。

 可愛らしい精霊から告げられたのは、同じ聖人であるキルヒナーさんが行く予定だった場所に行ってほしい、という連絡だった。

 了承の返事をロータルさんが精霊に持たせ、お駄賃のお菓子を与えている。


「申し訳ありません、モニカ様。巡業する場所が増えました」

「ううん。大丈夫だけど…どうしたの?キルヒナー様、体調でも悪いの?」

「いいえ。魔物暴走現象アウトオブコントロールの前兆があるダンジョンが発見されたため、キルヒナー様はそちらに向かうことになりました」


 聖女・聖人がダンジョンへ?

 目を瞬かせていると、ブルーノさんが補足してくれた。


「聖女・聖人は後方支援がメインです。戦闘時には大量の結界石が必要になり、その魔力補給のために後方待機していただいております。聖女・聖人がダンジョンに入るわけではありません。もちろん、それ相応の戦闘能力をお持ちであれば同行される場合もありますが…」

「え、ダンジョンに入る人いるの?」

「ゾンター伯爵が典型的な例ですね。あの方は前線に立ち、炎の魔法を操ってモンスターを一掃します。もちろん撃ち漏らしもありはしますが、あの方の魔法は圧倒されます」


 え〜〜、あの格好いい人が前線に立つんだ。

 ブルーノさんは以前、護衛騎士見習いのときに一緒に同行したことがあるんだって。

 護衛なんていらないんじゃないかって思うぐらい強いらしくて、上官さんも苦笑いしてたらしい。


「もちろん、あの方のようになってほしいという意味ではありませんよ。モニカ様の適正魔法が攻撃に適しているとは限りませんから」

「はぁい」

「では、参りましょうか」


 ロータルさんに促されて、馬車に乗る。

 そっか。いつか、私もダンジョンに入るのかな。もしかしたら、キルヒナー様みたいに後方支援になるかもしれないけど。


 そのためには、魔法の使い方をちゃんと学ばないといけない。

 もし、攻撃的な魔法だったら他の人を傷つけちゃうから。


 私が頑張れば頑張るほど、お母さんも元気になれるだろうし。

 よーっし、頑張るぞ!





 ―― それから、4年が経って。


 学院の真新しい制服に身を包み、ガタゴトと馬車に揺られていく。

 正面にお義姉様が座っていて「これから楽しみね」と笑われていた。私も「そうですね」と微笑みながら、手首をさする。



 ……ふふ。そう、楽しみよ。とても。


 手首につけた百合リリーエのブレスレットに触れたら、泣き喚いていた声は聞こえなくなった。

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