酔っ払った君(ペーター視点)


 僕が、レーマン卿の元に話に行く数日前。



「お前、俺が前世持ちだって言ったらどうする?」

「は?」


 思わずそう返した僕は悪くないと思う。

 結婚間近の親友であるヴォルターを我が邸に招待して、酒を飲み交わしていた最中、ふと突然言われたのだから。

 僕のその反応に、ヴォルターは笑って返した。


 …その笑みは冗談じゃないな。

 伊達に10年以上も彼を観察してきたわけじゃない。ストーカーだって?違うよ、人間観察だ。

 公爵位ともなると、人間観察をして相手の裏を読めるようにならないと社交界じゃやっていけない。


「……まあ。驚きはするけど過去に前世持ちの記録はあるから、なくはないという感想になるね」

「じゃあ、この世界が物語だとしたら?」

「…なにを言いたいんだい、君」


 いつものヴォルターらしくない。

 怪訝な表情を浮かべているだろう僕に、ヴォルターはふふ、と悪戯が成功したように笑った。

 ……あ、これ酔っているな。珍しい。


 夜会でも晩餐会でも酒は嗜み程度しか飲まないヴォルターだったから、こんなに酔っ払ってるのは初めて見た。

 顔色が変わらないから、酔っているとは思わなかったな。飲ませたやつそんなに度数高かったっけ。いやこれ結構高いやつだった、ジンっていう他国原産の酒。

 酒が強いと自負してる僕では物足りないぐらいなんだけど、ヴォルターはそんなに強くないのか。


 テーブルに頬杖をつきながら、ヴォルターはくるくるとグラスを回した。

 グラスの中身が揺れて、氷がカラカラと音を立てる。


「俺、前世でいろんなゲームやったんだよ。そのうちのひとつが、この世界にすっげー似てるんだ」


 ポツポツと話し始めたヴォルターを邪魔しないように黙りながら、氷が入ったグラスを傾ける。

 げぇむとかよく分からないけど、よくよく聞いてるとアドベンチャーブックシュピールブッフみたいなんだな。読み進めるスピードにあわせて絵が動いて声が聞こえるって、結構画期的な気もするけど。


 彼が語るには、彼自身が悪役令嬢の父親であるらしい。

 ルイーゼ嬢は物語の中の、いくつか並行して存在する話のうちのいくつかの邪魔者だと。

 ぐだぐだと管を巻いて「ルイーゼはそんなんじゃない、ヒロインがおかしいんだ」と愚痴を言うヴォルターは、グイッとグラスを一気にあけ…あ。


「ヴォルター、そんな飲み方すると一気に酔うよ」

「ッ、あ゛~~~、喉焼ける!!」

「そりゃそうだろう。ほら、水」

「こうでもしねぇとやってらんねぇんだよぉ!」


 あ。完全に酔っ払ってるなこれ。

 控えていた執事にこっそりと指示を出して、レーマン公爵邸に送る馬車を用意させる。

 まだまだ飲み足りないし、話したかったがこうなってしまうときっとまともな会話は望めない。ルイーゼ嬢の元に戻すのが最善だ。


 僕から水が入ったグラスを受け取ると、ガブガブと飲む。

 存外に静かにテーブルにグラスを置いたのを見て、少しは酔いも冷めたかと思ったら違ってギョッとした。

 ハラハラと静かに涙を流してるもんだから。彼の容姿は社交界にいる誰もが口を揃えて「容姿端麗」「眉目秀麗」と言うほどの男だ。

 そんな男が、静かに涙を流す様は一種の絵画のよう。


「お前、ゲームにいなかった」

「…うん」

「スピンオフの小説にもいなかった。お前みたいないいヤツ、絶対いるはずなのに」

「…まあよくわかんないけど、褒め言葉として受け取っておくよ」

「……ペベル」


 両手で顔を覆って、体を少し丸めて嗚咽を零し始めた。


 ―― 情緒が最近開発された魔導列車並じゃないか?すごく速いって噂の。


 ヴォルターは親友ではあるけど、無条件に言われたことを信じるほど僕もバカじゃない。

 前世持ちがいるというのは事例として各国の歴史書に数例、載っている程度はあるから彼が前世持ちであるというのは信じよう。

 けど、この世界が向こうの世界で物語として形作られたものだとは、いかんせん信じがたい。酔っ払いの戯言だと言う方が信じられるよ。


「…君は、僕らを物語の登場人物として見ていたのかい?」

「違う!!」


 ガバっとヴォルターが勢いよく顔を上げた。

 涙でぐしゃぐしゃの顔で、半ば叫ぶように続ける。


「俺は、俺はゲームの中のヴォルフガングじゃないっ、カティは俺が愛した人だ、レナは俺の妻になってくれる人だ、ルルは俺の娘だ!!お前は俺の親友だ!!でも、でも…時々、わからなくなるんだ…ルルが、あのクソガキの婚約者になってしまった、ヒロインは現れた。俺が知っているシナリオ通りに…」


 再び両手で顔を覆ってしまった彼を見て、理解した。



 ヴォルター、君はずっと怯えてたのか。

 10歳の頃から、前世を思い出したときからずっと。



 僕らこの世界で当たり前のように生きてる者たちにとって絵空事だと信じられない内容でしかないけれど、彼にとっては、彼が自分自身の力で育んできた関係者が下手すると諸共いなくなってしまうという話を知っているから。

 そして、話の筋を壊してしまえば今後どうなるか分からないから。

 壊せば安心というわけじゃない。壊したことによる影響はあちこちへと波及する。その影響で更に何が起こるかは未知数だ。話の筋を知っているだけ、その未知数が恐ろしくなっているのだろう。

 特に、カールは自分の意思で変えたから。


 …創世神エレヴェドは、なにを考えているのやら。

 前世云々はともかく、異世界の、しかもこの世界に酷似した物語があるだなんて。

 いや、ヴォルターの魂がこの世界に迷い込んだとかなら、まあ、創世神エレヴェドのせいでもないか。


「…君、このこと誰かに話したのかい?」

「…ルルが、天啓を受けて。それが、ルルが辿る各ルートのことだから、マルクスとレナ、クリストフ、カールに……あと、昔、カティに」

「そうか…」


 執事長であるクリストフと執事見習いのカールについては接点がないから分からないけど。

 恐らくマルクスとフィッシャー嬢は信じていないだろう。信じられない、と言った方が正しいか。


 あのふたりは腐っても五大公侯を担う若手だ。話を解析する能力はヴォルターの比じゃない。最初から、彼らはそのように教育を受けてきているから。

 ただルイーゼ嬢が天啓を受け、その内容がヴォルター自身が抱え込んでいた話と類似性が高いことから、ふたりの混乱を避けるためにあえて話を合わせた可能性もある。

 今は亡きカサンドラ夫人は…あの人は信じたか信じてないかは別として、丸っと肯定しただろうな。


「…君の言っていた資料って、後日見せてもらうことはできるかい?」

「…できる」

「ふふ、そこで『信じてくれるのか』とは聞かないんだね」

「…伊達に30年以上もこの世界で生きてきたわけじゃない。俺が話す内容が荒唐無稽なのも理解してる」


 少し落ち着いたのか、ゆっくりと手を話して顔を上げた。

 やや目元が赤くなってしまってるな。帰りに冷やしタオルでも渡しておいてやろう。


「……お前にも、マルクスたちにも変なことを言ったな」

「僕は気にしてないよ。でも、君の知識の中にダンジョン攻略情報もあるんだろう?彼らに積極的に活用してもらうのも有りだと思うけど」

「それは、冒険者の仕事を奪いかねないんじゃないか?彼ら、マッピングして徐々に攻略していくことが醍醐味だと考えている節もあるだろう」

「ああ、それはあるかもしれないね…まあ、一気に出すんじゃなくて、小出しにするのもいいんじゃないかな。不確かな情報だけど、っていう注釈付きで」


 だいぶ氷が溶けてきて、薄くなった酒を呷る。

 カラン、と音を立てて小さくなった氷がグラスの中で転がった。


「あんまり、シナリオに考えを縛られない方がいい…と言いたいけど、なかなか難しいかな」

「…そうだな。やはり俺は、どうしてもそれ有りきで考えてしまうだろうな」

「じゃあ僕はそのシナリオは否定しておこう。元々僕は関係ないようだしね」


 にこり、と笑ってそう伝えれば、ヴォルターは目を瞬かせ、それから微笑んだ。

 …花が綻んだような微笑みは、本当ルイーゼ嬢に似てるよ。いや、逆か。ルイーゼ嬢がヴォルターに似てるんだ。


「そうしてくれると、助かる」

「まあ参考情報ぐらいにはなるだろうから、有効活用していくのがいいんじゃないかな」


 創世神エレヴェドが彼に前世を思い出させたということは、恐らく何か理由があってのこと。

 それに縛られ過ぎるのも良くないが、全く活用しないというのも良くないだろう。


 まあ、僕は元々そのげぇむとやらの部外者のようだったみたいだし。

 部外者は部外者なりの視点で、彼を助けてみせようか。


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