幕間

兄様の話(マルクス視点)


 五大公侯は、王家の権力監視機関である。

 そのため権力におもねることを良しとせず、婚姻関係を結んだとしても公平であることを求められる。


 とはいっても、この制度が出来上がったのは僕の2代前ということもあって歴史は浅い。

 他国の制度を真似たこの制度が完全に機能しているかと言えばそうではないのは明らかだろう。



 3年前。

 僕の兄であるヴォルフガング・ゾンターとレナ・フィッシャー嬢の婚約パーティーの最中、ハインリヒ第一王子が事前の許可なく僕の姪であるルイーゼ・ゾンターを「婚約者とする」と大勢の目がある場で宣言してしまうという大騒動が起こった。


 兄様はルイーゼ ―― ルルを溺愛している。

 ルルは前妻であるカサンドラ義姉様と兄様の間に生まれた子どもだ。義姉様が病気でお亡くなりになってから兄様はしばらく独り身だったものの、この国は貴族の独身は死別であってもある一定の年齢までは許可されていない。

 悩みに悩んで政略もあった上でレナ嬢と婚約を結びはしたが、レナ嬢とルルとの関係性も良い(まあ実際に懐いていたようだし)と周囲に認識させる場でもあったパーティー。


 そこで、あのクソガキはやらかした。

 かわいそうだったなぁ、陛下。顔色、青を通り越して白だったよ。

 そのあと兄様ができる限り準備して即日王宮に乗り込んだんだから、兄様の怒りは想像できる。まあ僕も怒ってはいたけど。


「旦那様。ベルント公爵閣下がおいでになられました」

「ありがとう。応接室に通しておいてくれ」



 ペーター・ベルント公爵は、僕と同じ五大公侯のうちの一角を担う方だ。

 兄様と同い年で、まあ、第一印象は賑やか。そして兄様を慕ってる人。兄様は鬱陶しがってたけど、邪険にはしていなかった。数年前から仲良くなり始めて、今では「ペベル」「ヴォルター」とお互い愛称のようなものを呼び合う仲。


 普段は兄様に会いに来ているのだが、今日は僕に用事があるらしく僕に先触れが来た。

 まあたぶんあの件だろうな、とは思う。


 机の上をさっと片付けて、側近のトムに後を頼んで応接室に向かう。

 たしか今日は、来週に迫った結婚式の打ち合わせで兄様はフィッシャー邸に、王子妃教育のためルルはカールを護衛にして登城していたな。

 ドアをノックし、中の応答を聞いてからドアを開ける。

 僕の姿を見て、ベルント卿はゆっくりと立ち上がって笑みを浮かべた。


「やあやあレーマン卿。お邪魔しているよ」

「ようこそおいでくださいましたベルント卿」


 握手を交わし形式的な挨拶をして、互いにソファに腰掛ける。

 僕の前に準備された紅茶を見届けると、ベルント卿が部屋の隅に控える給仕たちに目線を向けた。なるほど。あまり他人の耳目に入れさせたくない話題か。

 給仕たちに部屋を出るように促し、彼らが全員出ていったのを見送ってから部屋に遮音魔法をかけた。

 その流れに満足そうに微笑んだベルント卿は、背もたれに体を預け、足を組む。


「悪いね。どこから漏れるか分かったもんじゃないから」

「いいえ。当然のことでしょう……例の聖女ですか」

「ご明察。…彼女の引取先は知ってるかい?」

「いえ。立候補者が多く、まだ公式には決まっていないとまでしか…候補先はだいぶ絞り込まれているようではありますが」


 昨年、モニカという少女が真名授与の儀のタイミングで行われる魔力量測定で史上最大量の計測値を出した。その後、いくつかの検査を重ね、その値が本物であるとわかると国は沸き立った。

 陛下はすぐに神殿に彼女の保護を依頼し、彼女に聖女として各地にある結界石への魔力補充や魔物暴走現象アウトオブコントロールを未然に防ぐためのパトロールを依頼した。

 現状の聖女・聖人の現役人数は5人だが、今回モニカ嬢が追加されたことで彼らの負担もだいぶ軽減されるだろう。この国はダンジョン数が他国より圧倒的に多いため、その分結界石の数も多く補給カ所も多い。もちろん、結界石の補充は領主家門の義務だ。それでも間に合わないことは多い。

 我がレーマン公爵領や、その傘下であるゾンター、バルベ、アイグラー等は幸運にも兄様が予備役の聖人のため、未だ他の聖女・聖人の手を借りたことはない。


「候補者に、ベッカー伯爵が残ってるのは知ってるかい」

「…ええ」

「…これは、確定ではない。偽情報を掴まされているかもしれない。だがあえて伝えよう。聖女の引取先がそのベッカー伯爵家に本決まりしそうだ。……ヴォルターの言っていた通りにね」

「……僕のところも同じ情報を掴んでいますので、本決まりでしょうね」



 ―― 昨年、ルルがエレヴェド様から天啓を受けた。


 そこから芋づる式で判明したのは、兄様が前世持ちだということ。

 ルルが夢で見た光景が兄様が前世で遊んでいた”おとめげぇむ”というものとほぼ同じだったららしい。


 正直、聞いたときは混乱した。

 シナリオとか、この世界がげぇむの…物語の世界だとか。冗談だとしか思えなかった。

 実際、兄様が10歳頃に書き記したという大量の資料を見ても信じられなかった。未踏破のダンジョンのマップやドロップ品一覧等が記された資料を見ても、半信半疑だった。

 …今でも、兄様のたちの悪い冗談なんかじゃないと頭の片隅で思っている。でも、兄様がそんなことを言うはずがないことも、僕は知っている。



 僕の12歳年上の兄様は、男の僕から見ても綺麗で、頭が良い人だ。

 もともと両親の顔つきも美しい部類だったそうだけど、輪をかけて兄様は美しい。女性だったら傾国の美女となり得たんじゃないかと身内贔屓でそう思う。


 そんな兄様は、幼かった僕から見ても両親からはそっけなくされていた。なにをするにも僕が優先。兄様はいつも後回し。けれど兄様は、いつも「俺はいいんだよ」と困ったように微笑むだけだった。

 僕が困ったときは率先して助けてくれた。両親が死んだときだってそうだ。


 両親が事故死してすぐ兄様は特例事項で僕の後見人となり、弱冠18歳にしてレーマン公爵家代理当主として社交界に放り込まれた。

 そう。文字通り、放り込まれたんだ。これからゾンター伯爵として、父であるレーマン公爵の補佐をしながら社会に出て行くはずだったのに。

 伯爵家と五大公侯の公爵家では領民の規模も、やることも違う。

 僕はこれから公爵家当主としての教育を本格化する段階だったけれど、それでも大変そうだと子どもながら思っていたから、公爵家の当主教育を受けていない兄様は実際血反吐を吐くほどに大変だったと思う。


 そんな兄様が、場にそぐわない冗談を言うはずがない。けど。


「……ベルント卿は、兄の話についてどう思われているんですか?」

「うん?」

「正直、信じきれていないんです。信じたいけど、信じられないというか…」


 あれから、ルルが夢の内容を書き記したノートを僕も見た。

 断片的な内容ではあったが、整理すると兄様の資料とほぼ一致する。となると、やはりルルは兄様が言っていた”おとめげぇむ”の内容を天啓で知らされたということになる。

 でも、と思うことが、とても良くない気がして胸が苦しい。

 ベルント卿も、あの後個別に兄様から話をしたらしく、こうやって情報交換してくれるけどどうしてベルント卿は信じているんだろうと疑問が消えない。


 俯く僕に、ベルント卿はしばし口を閉ざしていたがやがて「そうだねぇ」と呟いた。


「僕も信じてないよ。僕も彼の資料を見せてもらったけど史実と一致する場所は多かったし、ヴォルターだからこそヴォルターの話をだけなんだよねぇ。でもそれでいいと思うよ」


 ベルント卿の言葉に思わず顔を上げる。

 彼は穏やかな笑みを浮かべていた。彼はよく裏があるような笑みを浮かべていることが多いが、彼の眼差しはまるで兄様のような慈しみを持っている。


「無条件で信じてあげる必要はないよ。ヴォルターもそれを望んでいない」

「…どうして?」

「少し距離を置いて見てやる必要があるのさ。ヴォルターも言っていたけど、シナリオ通りに事が運ぶとは限らない。カールのようにヴォルター自身が動いて壊れてしまった部分もあれば、はるか昔の出来事のように僕らとは全く関わりのないところで壊れているところがある。シナリオを過信しない存在が必要だってことだよ」

「でも、僕は兄様の家族で、」

「家族だからこそだ」


 低い声に思わずびくりと体が震える。

 ベルント卿の眼差しも表情も先程とは変わらない。だからこそ、先程よりも低い声に思わず背筋が伸びた。


「家族だからこそ無条件で信じるというのも良いが、家族だからこそ一歩引いてヴォルターの手綱を引かなければいけない。今はヴォルター自身も疑っている部分もあるから問題ないだろうけど、聖女モニカが現れたことによって彼は『この世界はシナリオに近い世界だ』と認識する傾向が強くなる可能性がある。僕もフィッシャー嬢も一歩引いて見ているつもりではあるが、僕らでは言葉が届かないときがあるだろう。そんなとき、家族である君が最後の砦になるんだよ」


 僕が、最後の砦。

 そんな存在に僕はなれているのだろうか。


 兄様はいつも、先を行く。

 僕は置いていかれるばかりで、公爵位を引き継いですらまだまだ兄様に追いつけそうにはないのに。

 兄様が当主代理時代にこなした仕事の内容を見れば見るほど、そう思わざるを得ない。


 ふふ、とベルント卿が笑った。

 なんだと彼を見れば、ソファの背もたれ部分に腕を乗せて、顎をその手に乗せ首を傾げて笑っていた。


「君らは兄弟だねぇ、やっぱり」

「…え、なんですか急に」

「自分はそんな存在たり得ないと思っている辺りさ。君は、君が思っている以上にヴォルターへ影響を与える存在なんだよ。じゃなきゃ、今頃生きていないだろう?あいつは」

「……え?」

「ルイーゼ嬢は幼かったから仕方ないとして。周囲から忠告を受けても彼、認識を改めなかっただろう。君のたった一言で、彼は認識を改めて今があるじゃないか。まあ、まだ暴走しがちな部分はあるけどね」


 兄様が死にかけたのは今のところ一度きりしかない。

 そして、僕の一言で認識を改めたという件もあの一件しかない。


「…ベルント卿はよく兄上のことを見ていますね。僕、あんまり兄上のこと知らないんだって思い知らされました」

「家族だからって何でも知ってるわけじゃないさ。僕はあくまでヴォルターの一面しか知らない。君もそうだろう?家族には家族にしか見せない顔だってあるだろうし、家族だからこそ見せたくない顔もあるだろうさ」

「…まあ、それは理解できますけど」


 兄様の知らない一面を、他の人から教えられるのはなんだか悔しい。

 表情には出していないつもりだったが、察せられたのだろう。ベルント卿はケラケラと笑った。


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