第24話 満を持しての登場


「ルルが、エレヴェド様から天啓を受けた」

「えっ」


 今、俺の寝室にマルクスとレナ、それからクリストフとカールがいる。

 話が長くなるからとクリストフとカールも椅子を持ってこさせて座らせたからか、結構狭い。まあ普通にこんな人数を部屋に入れないからな。

 俺の向かいにマルクスが座り、ふたりがけのソファに俺とレナが座っている状態だ。


 この部屋にはレナが遮音魔法をかけたし、影たちの任務はルルの護衛と監視だけ。

 こちらまで来ることはないとは思うが、念の為。


 クリストフとカールが用意してくれたハーブティーを口にしながらそう言えば、マルクスが声を漏らした。

 レナとクリストフは僅かに目を細め、カールは目を瞬かせている。


「…あの、不勉強で申し訳ありませんが、天啓とは…」

「…稀に、唐突にこの世界の常識とは異なる、見知らぬ記憶を持つことがある。それを我々は天啓と呼んでいるのだ。坊ちゃま、天啓の内容は」

「乙女ゲームのシナリオ」

「おとめげぇむ?とは、なんですか?」

「絵が動き、登場人物にあわせて声が聞こえ、恋愛を疑似体験できるようなものだ。読者の手によってある程度選択肢が委ねられる……ああ、アドベンチャーブックシュピールブッフと言えば分かるか?あんな感じだ」


 ああ、あれ。とマルクスが頷いた。

 本の中にたくさんの話があるものの、普通にページをめくっていくだけじゃ話が繋がらない。

 ページ中にある選択肢に書かれているページへ飛べば、自分が選択した結果の物語の続きが読めるという代物だ。前世にもあったな。


「ヴォルフェール様は、その乙女ゲームとやらをご存知である、と」


 レナの発言に一斉に俺に視線が集まる。

 ただクリストフだけは「やっぱり」というような納得した表情を浮かべていて、気づかれてたんだなぁと思わず苦笑いした。


「ここは俺が遊んでいた乙女ゲームの世界に良く似た世界だってのは、真名をいただいたその日の夜に思い出した」

「……あの日から坊ちゃまは急激に大人びたように見えましたが、やはり坊ちゃまも天啓を受けられていたのですね」

「天啓っていうよりは、前世を思い出したと言った方が正しい。前世で自分自身が何者だったかも覚えてるよ…向こうの世界の家族の顔は、もう思い出せないけれど」


 でも前世を思い出せていなければ、俺はマルクスに優しくできなかったと思う。



 物心ついた頃には、俺は幼いながらも自分が普通じゃないことに気づいていた。

 みんなどうして人の名前を覚えられるのか、どうしてその人がその名前だとわかるのか、俺には分からなかったから。


 いつも傍にいる乳母も、血の繋がった両親ですらも俺は何度も間違えた。

 毎日顔を合わせる使用人も、毎日のように初対面のような振る舞いを見せる俺に対して気味悪く思うのは自然だろう。

 乳母ですら必要最低限の接触しかしない状況で、唯一接する態度を変えなかったのはクリストフだけだった。クリストフは単純に、仕える主人の息子に対して真摯に接していただけだと思う。


 顔はわからない。

 けれど、白髪が混じった落ち着いた声色の人で、ぴっちり執事服を着こなしている人というのだけは、覚えることができた。


 だから幼い俺は、クリストフに対して何かあげたくて、渡されていた画用紙とクレヨンでクリストフを描いたんだ。

 今思い返しても、顔らしいものがない、執事服を着たのっぺりとした人型のナニカの絵だったと思う。

 それを差し出されたクリストフは内心困っただろうが、少なくとも俺に対してはその片鱗を見せることなく「私を描いてくださったのですね。ありがとうございます」と嬉しそうに言ってくれたのを覚えている。そう言ってくれたときの彼の表情が「笑っている」と理解できたのは、ずいぶん後のことだ。



 それでも人との接点が極端に薄いこの世界の中で、勉強と絵だけが楽しい世界で、半ば心が折れていたときに受けた真名授与の儀。

 あれよあれよという間に聖人に仕立て上げられたその日の夜、俺はストンと前世を思い出した。

 数十年分の、ひとりの男の一生涯の記憶を思い出して、俺はひとり納得したのだ。



 俺があの悪役令嬢の父親なら、俺自身、ろくな人間じゃないと。



 …まあ、そこからは諦めだよな。

 俺が後継者としては不適格だから、子どもマルクスを頑張って生んだ両親はすごいなと思う。生もうと思っても生めるもんじゃないから。

 聖人として認定された10歳からすぐに各地にあちこちの結界石の魔力補充に引っ張り回され、人の多い場所に連れて行かれ。俺を引率していた神官や護衛する騎士ですら一旦離れてしまうと分からず、ずいぶんと苦い顔をされたと思う。


「ちなみに、カールもそのゲームの主要人物だぞ」

「えっ、ぼ、私ですか?」

「乙女ゲームっていうのは、女性主人公を操作して課題をクリアし、攻略対象キャラクターと交流を深めていくものなんだ。バッドエンドもあるが、大体ゴールは結婚とか、末永く幸せに暮らしましたっていうのが多い。んで、それが攻略対象分の数だけある。ちなみにカールは暗殺ギルドのひとりだった」


 は、となにかに気づいた表情のカール。

 エリアロックに盗聴器しかけるためにカールを利用していた…あーもう名前覚えてねぇわ、あの男、色々カールに話したんだろう。世間話として裏社会のことも。

 もしかしたら、カールが暗殺ギルドなんて突飛なところに入ったきっかけはあの男だったのかもしれないな。


「坊ちゃまが女性主人公を操作され、男性陣と疑似恋愛をしていた…という認識でよろしいでしょうか?」

「おい待てその物言いは誤解を生む!そもそも俺はこのシリーズのダンジョン攻略が楽しくて恋愛関連は隠しダンジョンを出現させるためには完全クリアが必要だったから…って今はそんなことはどうでもいい。本題は、このゲームにルルが登場しているんだ。…ルイーゼ・として」


 す、とレナの瞳が細くなり、マルクスは姿勢を正した。

 クリストフとカールは真剣な面持ちで、俺を見つめてきた。


「ゲームの俺はなぜか公爵代理から正式に公爵位を継いでいた。理由は知らん。ゲームのルイーゼは、自ら攻略対象でもあるハインリヒ第一王子の婚約者に立候補した。そしてその座を得て、ハインリヒ第一王子の立太子と共に未来の王太子妃として彼の隣に立つ。そして15歳の学院入学をきっかけに、ハインリヒ第一王子と女性主人公ヒロインである聖女が接触するわけだ」


 蒼ファンは学園ものではない、がメイン舞台ではないというだけで学園要素はちょいちょい出てくる。

 学院生ながら全国を飛び回りつつ、ダンジョン攻略を進めるヒロイン。それを助ける攻略対象者たち。


「ここ50年は、言ってはなんですが聖人・聖女の出現が多いですわね。100年ほど現れなくて苦労した時代もあったというのに」

「今の聖女・聖人はおいくつなんですか?」

「俺のような予備役も含めれば今は下は12歳、上は50歳ぐらいまでの8人だな。さすがに50にもなると魔力保有量は減ってくるから、務めを果たせづらくはなるが」


 まあ、それでもそこらの貴族よりは魔力は多いけどな。

 元王宮魔術師長のシュルツ閣下が良い例だ。あの方もかつて聖人だったが、老齢を理由に聖人から引退しているものの魔力保有量は未だに多めだ。全盛期どのぐらいあったんだ、と思うぐらいに。


「で。ルイーゼは『悪役令嬢』として登場する。王太子ルート、逆ハー…攻略対象者全員から好感度が高いルートのときにヒロインを邪魔する役割だな。他のルートのときは、そのルートで同じキャラクターに恋するライバルが悪役として立ちふさがる。例外はカールぐらいだったと思う、キャラクター上、彼女作ったりしない環境だったから悪役は暗殺ギルドだったかな」


 立ち上がり、鍵付きの引き出しを開けて30枚以上の用紙を取り出す。

 ばさり、とテーブルに広げると全員の目がそれに釘付けになった。

 思い思いにその用紙を手に取り、綺麗とは言い難い文字へと視線を向けている。


「こ、れ。これらに、書かれてる内容は、なんですか?」


 マルクスが震える声で尋ねてきた。顔色もあまりよろしくない。

 …怪訝な様子ならまだしもなんでそんな表情を浮かべるのか、と首を傾げつつ。


「そのゲームの各種ルートと攻略法、それからダンジョン攻略法だな。ヒロインは各地のダンジョンを巡って魔物暴走現象アウトオブコントロールを未然に防ぐのが主な目的だから、そのための効率的な攻略方法」

大穴アオセンザイターなんてこの前やっと中層部に到達できたばかりでマッピングすら出来ていない状況でしょう!!なのになんで中層部や最下層のこんな詳しい内容が…!マップまで…!!」

「東ティレルの洞窟もまだ踏破したと報告がありません、しかし、この用紙には最下層で取得できるドロップ品などの一覧が…現在踏破している階層までのドロップ品は概ね一致しています」


 これも、これもと各地のダンジョン情報を次々と見ていくマルクスとクリストフを眺めながら、ハーブティーを口にする。ホッとする味に少し目を閉じると「ヴォルフェール様」と声がかかったのでそちらを見やった。

 レナはじっと複数枚の紙を眺めて比べており、そこから視線は外れていない。


「ルル様は、いえ、このゲームの登場人物であるルイーゼ・レーマンという少女の結末は全6ルートあるうち、2ルートのエンドとバッドエンドの結末がよろしくありませんね。というより、バッドエンドは国全体の危機では?」

「そうだな。それを防ぐためにヒロイン含めた攻略対象者が頑張るって話だ」

「まだ未成年である彼らが主体的に動くのですか?」

「…そこは、物語だからという理屈で理解してほしい。現実的ではないのは俺も理解している」

「…なるほど。この、婚約者がいる男性と仲良くなる、という点も同じだと」

「俺は理解できんがな。書いていないが、王太子ルートと逆ハールートに入るとルイーゼがヒロインに婚約者がいる男性に近づきすぎだと苦言を呈す場面があるが、まさしくその通りだと思う」


 前作は婚約者がいる相手に叶わぬ恋をし、お互いに惹かれ合う…みたいな禁断的なルートとひたすらイチャコラして好感度を上げて自分が婚約者になるルートが存在していたが、今作は婚約者がいる相手はハインリヒ第一王子ひとりだけ。


 …だからこそ思うんだ。

 なぜかは分からないが、あんなに必死になって王太子妃、この国の王妃となろうとしたゲームのルイーゼは、許せなかったんだろうなと。


 庶民から現れたポッと出の聖女が、自分が努力を積み重ねてきた10年を台無しにするから。

 聖女を第二妃にするならまだ、耐えられただろう。けれどゲームのハインリヒ第一王子は聖女を王妃とし、ルイーゼを第二妃にするとのたまった。

 聖女を王妃にするメリットはない。さらに第二妃を迎えられるのは王妃と結婚してから5年経過し、子どもが生まれていないときだけ。将来王太子妃とされていた女性が第二妃にと打診された時点で「お前は王妃の資格はない」と王家から宣言されたようなものだ。

 恨まずにいられるだろうか。自分の10年の努力を、ただハインリヒ第一王子が聖女の方が好きだからという理由で無下にされるのを。


「……ルルは、そのルートすべての結末までを夢で体験したらしい」


 しん、とその場が静まり返った。


「王太子妃になる結末も、国外追放される結末も、魔物暴走現象アウトオブコントロールのせいでモンスターに襲われ殺される結末も。泣き叫んだのは…最後のモンスターに腕や足を喰いちぎられ、喰い殺される結末を体験したタイミングだろうな」

「…それは…」


 スチルこそなかったが、文章が結構グロかったのを覚えてる。

 モンスターに腕を喰い千切られ、いろいろなものを垂れ流しながら逃げるルイーゼに追い打ちをかけるように、モンスターはルイーゼを地面に引き倒した。そこから、足を引きちぎりながら空中に放り投げ、地面に叩きつけられたルイーゼは薄れゆく意識の中、ガバリと開いたモンスターの口を眺めることしかできなかった、と。


 俺の「喰い殺される結末」発言にレナが絶句して、それから俯く。

 僅かに震えるその体を見て、そういえばレナもモンスターの襲撃に遭ったのだと思い出してその細い肩を抱き寄せた。軽率だったな。


「ルルが天啓を受けたことは王家の影も聞いた…だが、幸いなことにルルはまだ整理が出来ておらず、支離滅裂な内容だったため、ルルの話が天啓を受けたことによるものだとは気づかれていないはずだ。だから、ルルの天啓は『ただの夢』だと先方には思わせる」

「ではルルの情報はどうされるんですか?」

「俺とルルの間で交換ノートをすることにした。ルルが夢の内容をノートに書き出して、俺が整理するという流れだ。シナリオの内容を詳しく知ってるとはいえ、忘れてしまってるところがあるかもしれないからそのすり合わせ作業のようなものだ。…本人には辛い作業になるかもしれない」


 ぐ、と思わずレナの肩を抱く手に力が入った。だからだろう、レナが俺を見上げてくる。

 安心させるように微笑んで、レナが持っていた紙を抜き取る。

 そこには逆ハールートのハッピーエンドである「大聖女」ルートのフローチャートと、設定が書かれていた。


「そして、このゲームには必須ではないが、魅了魔道具が登場する。攻略対象者全員の好感度を上げるアイテムがな。私見だが、ゲーム上の効果はレベル2相当と思われる。これが現実にあると厄介だ」

「聖女が、魅了魔道具を使う…ということですか。それは些か危険ではありませんかな。露見すればただでは済みませんぞ」

「どうだろうなぁ……これは極秘事項だが、2年前の時点で王妃陛下に魅了魔道具が使用された。現在も水面下で調査中だ」


 突然の俺の暴露に、俺を除いた全員が唖然とした。

 はは、カールはともかくマルクスやクリストフ、レナまでそんな表情を浮かべたのは初めて見たな。


「2年前、急遽王妃陛下が外遊しに行ったことがあるだろう。あのときには既に疑いがかかっており、魔道具からの影響かどうかを確定させるために3ヶ月ほど国外に行ってもらったらしい。案の定、3ヶ月後に帰国された際は以前の陛下に様子が戻り『なぜあのようなことを言ったのか』と頭を抱えていらしたそうだ」


 まあ、犯人もバカじゃない。

 王妃陛下がなぜ、急遽外遊に出発したのか分かったのだろう。その後、戻られた王妃陛下に何かしらの影響を受けている様子はなく、ハインリヒ第一王子の勉強カリキュラムもまともなものに戻っているそう。


 …まあ、そこで諦めるような犯人じゃないだろうな。

 今は潜伏しているだけで、着々と水面下では魔の手を広げているのかもしれない。


「カール」

「はい」

「先日、無事精霊と契約できたとの報告を受けた。精霊は特に魅了魔道具については顕著な反応を示すと言われている…どうか、精霊と共にルルの傍にいてくれ。それがルルの身を守るのに繋がる」

「…はい!命にかえても、お嬢様をお守りいたします」

「いのちだいじに、だ。死んだら元も子もない」


 キリッと答えたカールに苦笑いを浮かべながら、ひとつ息を吐く。

 するとそっと、体を押されたのでレナの肩から手を離した。

 大丈夫かとレナの顔を覗き込めば「ありがとうございます」と微笑まれたので、もう大丈夫そうだな。

 ポンポンとレナの頭を撫でて、ソファの背にもたれかかった。


「…ただまあ、知っておいてほしいことは、俺やルルが持っている知識は現実に起こるかどうかは分からない、といった点だ。実際、いくつか俺の知識との乖離がある。だがシナリオ通りならもうじきヒロインが真名授与の儀に現れるだろう。彼女が聖女と確定し、活動を開始するまでは様子見をする」


 まずは、ヒロインが前世の記憶持ちかどうかを確認しないといけないんだが…。

 どうやって確認するかなぁ。こっちから正体を明かすのも悪手のような気がする。


「とりあえず、今日のことは一旦皆心にしまえ。当面はルルのフォローに入りたい」

「「かしこまりました」」

「分かりました。念の為、今後の真名授与の儀の動向を確認しておきましょう」

「悪いな、マルクス。頼む」

「…ヴォルフェール様。この、ひろいんという方にお名前はありますの?」

「ああ、あるよ」


 テーブルに広げられた紙をまとめながら、キャラクター設定を書き出した紙を中央に置いた。

 そして、先頭に書かれた人物の名前を指差す。



「モニカ。庶民ながら俺を超える、史上最大の魔力保有量を持つ少女だ」






 その話し合いをした、1ヶ月後。

 真名授与の儀を受けにきた10歳の少女が、計測史上最大の魔力保有量を持つと判明して世間では大騒ぎとなっていた。


 その少女の名は、モニカ。

 新聞に掲載された絵姿は、まさしくゲームパッケージに描かれていたヒロインを幼くしたものだった。



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