第23話 真名授与の儀
予定通り結界石の魔力補充と点検、代行官との会議、領民代表らの聞き取り、災害復興作業の確認と指示、モンスター討伐等などを行って、俺とオットーが本邸に戻ったのは移動時間も含めて2ヶ月後だ。
年3回は領地に戻って仕事することにしている…というかせざるを得なくなったから、年に半分はルルと離れることになる。離れている期間は手紙でやり取りしているものの、寂しい。
本来なら去年には領地に戻ってまったり過ごそうと思っていたのに、マルクスに引き止められ、じゃあ10歳の真名授与の儀まで…と思ったらレナとの婚約。そこまではルルを領地に住まわせる分には問題なかった。レナとの交渉次第だが、王都、領地で半年ずつ腰を据えて取り組むことができただろう。
ただ、ルルがクソガキの婚約者にされたため王都近郊からルルは動けなくなった。
王子妃教育が修了すれば数ヶ月は領に戻っても良いだろうが、始まったばかりだからまだ先は長い。
本当は代行官からの報告をメインとしつつ、行くとしてもオットーを俺の代理として行かせ、俺自身の訪問は年1回にすればいいんだろうけどな。領民たちの「領主様」「ヴォルフガング様」と声をかけてくれるのが嬉しいし、代行官やハンスたちでは気付けない部分もあるから実際に足を運ぶ回数はこれ以上減らしたくない。
領地から戻った俺は、レナと共に2年後に予定している結婚式の準備にとりかかった。
前世日本でも結婚式の準備は大層時間がかかると聞いているが、こっちも大概だ。
向こうはウェディングドレスや白無垢等、花嫁衣装は基本レンタル品だが、こっちは頭からつま先までオーダーメイド。ドレスの生地、デザイン、ベールの刺繍等多岐に渡る。それらを作るのに時間がかかる。
ただ装飾品に関しては、レナの祖母君(嫁入りしてきた王女)の物があるらしく、そちらを使うそうだ。
現在はフィッシャー侯爵家で静かに余生を送っている祖母君も結婚式には来られるとのことで、ますます身が引き締まる思いを感じたのを覚えてる。
俺の方は婚約式のときと同じ正装用の軍服だ。ただ、差し色は相手の色に合わせる必要があるので、細かい直しはあった。
ルルの装いも将来王族に連なる者としてそれなりのものを準備しなければならず、支出が多い。
それでも、フィッシャー侯爵家でいくらか負担してくれたのは助かった。本当にあのおふたりには頭が上がらないなぁ…。
いやもちろんマルクスもレーマン公爵家として出してくれたが、もうすでに俺はレーマン家をある意味出た身だ。なかなか頼るのは難しい状況ではある。
「お父様、着きましたよ」
ルルの声に、ウトウトとしていた意識が浮上した。
視界に入ったルルに微笑む。
「起こしてくれてありがとう、ルル」
「どういたしまして」
にこりと微笑んだルルは、10歳になった。
そう、真名授与の儀を受ける歳になったのだ。
正直言うと、あれから2年間は怖いぐらいに何もなかった。
強いて言えば、俺が手を貸しているハイネ男爵管轄のスラム地区で職業斡旋事業の試験運用を始めたことぐらいか。
職を求める者の適正を見極め、どんな仕事に向いているのかを指し示す。
そこで1ヶ月ほどお試しで働きつつ、仕事場の雰囲気ややり方なんかを見て、本格的にそこで働きたいのであればまずは
軽犯罪歴持ちの者は真名宣誓を用いて雇用主に明かすことが条件で、万が一雇用先でどんなことであろうと法律に違反すれば即解雇…という仕組みにしてある。
まだ試験段階のため、対象の職場はそこまで多くはない。それにそもそも軽犯罪者を受け入れても大丈夫なのか、という不安で二の足を踏んでいるところも多い。
けれど試験運用を開始し、現状何も問題が起こっていないことから、人手が足りていない職場から徐々に問い合わせは来ているようだ。
もちろん、職場側も「軽犯罪とは言え犯罪者だからこき使ってやろう」という魂胆があるところは除外させてもらってる。表面上は取り繕ってる可能性も考慮して、紹介した労働者には定期的に斡旋所に報告に来るようにしてもらってる…が、それでも足りないケースも出てくるだろうな。要検討だ。
噂を聞きつけた他所の地区から職を求める者たちも多いが、試験運用を前提に今はハイネ男爵が管轄している地区と隣接している地区のみに限定している。紹介を受けたい職場からは仲介料をもらってるが、規模に応じて仲介料の値段は変動性にしてあり、実入りはまあまあ。今のところ順調と言えば順調。
あと数年、段階的に規模を拡張しながら試験運用して、大きな問題がなければ本格化しても良いな。
身だしなみを軽く整えてから、止まった馬車から俺が先に降りてルルに手を差し出す。
ルルが俺の手を取り、馬車のステップをゆっくりと降りた。ふわふわとカールしたマロンブラウンの髪が風に揺れる。
視線を行く先へと向ける。国内に点在している小神殿よりも荘厳な作りで、規模も大きい。
山の上に作られたこの神殿は、創世神エレヴェドと共に山の神ヴノールドを祀る大神殿だ。
各地域の小神殿でも真名授与の儀は出来るが、可能であれば神を身近に感じられる大神殿で真名授与の儀を受けたいという者たちは、貴賤問わず多い。
そのため、小神殿から申請すれば小神殿からこの大神殿行きの乗り合い馬車を無償で調達してくれる。ある程度まとまった人数が集まれば出発できることになってるんだ。
真名授与の儀は何も10歳になった当日に受けなくても良いからな。もちろん10歳以降であればいつでも受けていい。まあ、10歳の誕生日を過ぎてから3ヶ月以内がほとんどのようだが。
先日、ハインリヒ第一王子も真名授与の儀を受けたそうだ。
…一応、クソガキからは脱するほどにはルルからの評判もそこまで悪くはない。が、完全に更生したかというとそういう訳では無い。未だ上から目線での物言いは多いようで、ルルと同等の立場であることを理解しきれていないのだろう。
この前のお茶会ではルルの装いに「なんだか似合わないな。なんでそれを着てきた?」とか言われたらしい。「先日、殿下が『こんなドレスを着てきてほしい』とご要望のものでしたが、ご不満でした?」とにっこり微笑んだというルルに拍手。
別に当日着ていったドレスはルルに似合ってたけど?まあ、最初はびっくりしたけどな…原色赤系統のドレスって。
第一王子は置いといて。
真名授与の儀、といってもそこまで大層なものじゃない。
大神殿の受付は貴賤問わず開かれており、受付順に行われていく。
参拝用とは別に神殿の奥に創世神エレヴェド像がある。その足下に設置されている水盆に神官と共に赴き、神官の祝詞が終わると、不思議と水盆の中に文字が浮かび上がる。
この文字は真名を授かる本人しか見えず、神官も分からない。文字が読めない者でも脳裏に言葉として思い浮かぶそうだ。
そのあと、この国では魔力保有量を魔道具を用いて確認することになっている。滅多にないが、庶民で魔力保有量が多い者も稀に出ることがあるから。
ヒロインももちろん、それで引っかかったひとりだ。
ルルと一緒に受付をし、待機部屋へ案内されて椅子に座る。
さすがに座る場所は貴族とそれ以外は区分けされているものの、部屋は同じだ。だから自然と、視線が俺やルルなどの貴族に集まってくる。
同じ日に授与の儀を受けるどこぞの子息が不安そうに周囲を見渡す中、ルルはまっすぐ背筋を伸ばして座っている。視線を動かすにしても、俺と会話するために動かす程度だ。さすが俺とカティの娘。
「ゾンター伯爵家御息女、ルイーゼ様」
しばらく待っていた中、とうとう名を呼ばれてルルがスッと立ち上がった。
親が同伴できるのはここまでだ。
「いってまいります、お父様」
「いってらっしゃい」
神官に案内されて、ルルが神殿の奥へと向かう。
その背中を見送って、小さく息を吐いた。
…俺は、この真名授与の儀を終え、魔力保有量測定をしたあと。
諸々聖人だなんだと説明を受けてから家に帰って部屋でぐったりしていた頃に急に前世について思い出した。
唐突に思い出した記憶量は半端なく、前世で生きた数十年数分を頭にぶち込まれて混乱したものの、整理が終わればどうということはなかった。
まあ、つまりはルルにも同じことが起こるんじゃないか、という不安がある。
俺と同じようにこの世界で生きた記憶をベースに前世を思い出すのはまだいい。
でも今まで俺と積み上げてきた10年という時間が消え去ってしまう可能性もあって、正直怖いんだ。
時間にしては20~30分ほどだっただろう。
でも俺にとっては数時間かかったような感覚で、ルルが神官と共に奥から出てきたのを見て思わず立ち上がった。それで周囲の目が一斉に向けられたが、それどころじゃない。
ルルは俺の様子に気づくと、にこりと微笑んで俺の元に戻ってくる。神官は俺に一礼し、次の子どもの案内へと向かったので俺も慌てて一礼する。
視線をルルに戻せば、来たときと同じ様子ではある。
「お待たせしました、お父様。無事、エレヴェド様より真名をいただきました」
「そうか…良かった。じゃあ、帰ろうか。レナも帰りを待っている」
「はい。今日はレナ様も一緒にお夕飯をいただけるのですね!」
「ああ。最近レナも忙しかったが、今日は絶対に時間を空けると言って本当に時間を作ったからな」
次期侯爵としての下積みも順調で、俺と結婚してしばらくしたらレナも侯爵位を継ぐことになるだろう。当面は義父上方も補佐に入るだろうが、ゆくゆくはレナと俺、それから新しい補佐と一緒に侯爵家と伯爵家を盛り立てていくことになる。神のみぞ知ることではあるが、最低でもひとりは子どもが授かるといいんだが。
「お父様、帰りましょう?」
「ああ。そうだな」
今考えるべきことじゃないな。
まず本邸に戻ってから、ルルの真名授与のお祝いをしなければ。
本邸に戻ったあと、マルクスからもレナからも祝いの言葉をもらってルルは嬉しそうだった。
真名授与の儀は大人への第一歩だからな。
魔力保有量については、貴族の平均より少し多いぐらいだったそうだ。
あまり俺の手伝いができないとルルはちょっと残念そうだったが、まあ、俺はある意味特殊だから気にしなくて良いんだよ。自分が出来る範囲で色々とやれればいいんだから。
俺ら聖女・聖人はあくまで貴族たちでは足りない分をカバーするだけで、基本は家門全体で対応するものだし。
これから本格的に始まる魔法実技の授業が楽しみだと、ルルは笑った。
―― そんなこんなで、和やかに食事を終え。
ルルも部屋に戻り、俺とマルクス、レナの大人3人だけで酒を嗜みながらルルのこれからについて話し合っていたときだった。
「いやァあああああ!!!」
「え?」
「いまのは」
「ルル!!」
子どもの悲鳴。
この本邸に子どもはルルひとりしかいない。
ガシャン、と酒が入ったグラスをテーブルに叩きつけるように乱暴に置いて俺は部屋から飛び出した。
俺らがいた部屋はルルの部屋がある階のひとつ下。階段を駆け上がる途中で、上階から飛び出してきたクリストフが「坊ちゃま、お嬢様が!!」と言ったところまで聞いて全速力で廊下を駆け抜ける。その間も、ルルの泣き叫ぶ声が聞こえていた。
ルルの部屋の前には使用人が複数人おり、走ってきた俺に気づいたひとりの使用人が注意を促して道を作った。ルルの部屋のドアは開いていて、俺は勢いのまま部屋に駆け込む。
「やだ、やだやだ!!」
「お嬢様、お嬢様、しっかりなさってください!」
「いやァあああああ!!」
「ルル!!ルイーゼ!!」
ベッドの上で暴れるルルを抑えようとするドロテーアの横から、ルルの腕を掴んだ。
びく、と俺の大声に反応したルルの視線が、ゆっくりと俺に向けられる。
「…ぅ、お、おとう、さま」
「…そうだ、お前のお父様だ。どうした、ルル」
掴んだ腕を離し、努めて優しくそう声をかければ、ルルは堰を切ったようにボロボロと涙を流し始めた。
そのままルルは「うわああぁん!!」と泣きながら俺の腕に飛び込んできた。ベッドに腰掛けながらそっとルルの背に腕を回して、優しく撫でる。
「大丈夫、大丈夫だルル。俺は、お父様はお前の傍にいるよ」
「ひっ、お、おとう、さま、おとうさま、こわ、こわかった、いたかったのッ…やだ、やだ、おとうさま、いなくならないで、しなないで…ッ!」
「お父様はここにいるよ、ルル」
背後でマルクスとレナの声が微かに聞こえた。
ルルの背を撫でながら、俺はそちらへと視線を向ける。マルクスとレナと目が合い、俺が「任せろ」という意味合いで頷けば向こうも理解してくれたらしい。
使用人たちに小声で指示を出して、心配そうにルルを見るドロテーアと一緒に部屋から出ていった。
しばらく泣いていたルルだったが、ようやく落ち着いたようで、掴んでいた俺の服をそっと放した。
それに合わせて、俺もルルから体を離す。
「…なにがあったんだ?」
「……あ、のね…。へん、変な、夢を、みたの。でも、夢じゃなくて、実際に、起こったみたいで…」
ああ、創世神エレヴェドよ。
俺は今回ばかりは、あんたを恨むよ。
ルルから語られたのは、まさしくゲームの内容だった。
ただひとつのルートの内容だけではなく、すべてのルートについてのシナリオが脳裏に突然浮かんで、混乱したのだという。
ルルが、ルイーゼ・レーマン公爵令嬢が辿る結末は大まかに3種類に分けられる。
ハインリヒ第一王子と結婚して王太子妃になるか、ヒロインに犯罪まがいの嫌がらせをして国外追放になるか、そして大規模な
王太子妃になる結末は、ヒロインが王太子・逆ハールート以外のルートの結末を迎えた場合に発生する。
国外追放になる結末は、ヒロインが王太子ルート・逆ハールートの結末を迎えた場合に。
そしてモンスターに殺される結末は、ヒロインがバッドエンドになったときだ。
ルルから伝えられた内容は辿々しく、支離滅裂なものだが追体験したような話し方にギュッと心臓付近が痛む。
そんなの、10歳の子どもに見せる光景じゃないだろう。なんで、なんでルルに見せたんだ…!
自然とルルを抱き寄せて、安心させるようにルルの頭を撫でていた。
「わ、わた、わたし」
「大丈夫、大丈夫だルル」
ただの夢だとは、言えない。
この世界はなんだかんだ、シナリオと全く同じとは言えないが類似のことは起きているから。
そして歯がゆいことに今のルルには王家の影がついている。下手な発言をすれば記録に残るから迂闊に「それはゲームの話だよ」なんて伝えられない。
遮音魔法でも使えればいいんだろうが、俺自身扱えないし、何よりそんなものを使ったら「余所に言えないことをしています」と堂々と宣言しているようなものだ。極力、そういう魔法を使わざるを得ない状況になるまでは無闇矢鱈と動くわけにはいかない。
だから、俺が今、ここでかけられる言葉は限られている。
「俺が裏切ることは、ルルを見捨てることは絶対にないよ」
それだけは絶対だ。
何があろうが、俺はルルを裏切ることはしない。見捨てることはしない。
ゲームを知っている者だったらゲームのヴォルフガングの設定に引きずられていると思われるかもしれないが、キャラクターではない、俺は自分の娘のルイーゼと10年接してきたんだ。
この感情は作り物なんかじゃない。強制されたものなんかじゃない。
ルルがまたぎゅうと俺に抱きついてきたので、抱きしめ返す。
「…ルル、俺と交換ノートをしよう」
「…交換ノート?」
不思議そうな声色だったので、腕を解いてルルの顔を覗き込む。
泣きはらした目のまま、キョトンと目を瞬かせるルルに微笑んだ。
「さっきの夢を少しずつノートに書いてくれ。覚えてることだけでいい。ルルが書いて、俺に見せてくれ」
「…はい。でも、さっき話したみたいに、ごちゃごちゃになりそうで…」
「いいんだ。ごちゃごちゃで。まずは抱え込まないでそのノートに書き出してくれ」
「……お父様、」
なにかを言おうとしたルルに微笑む。
「俺がルルを疑うと思うかい?」
「……いいえ」
ふ、とルルが笑った。
良かった。ようやく笑ってくれた。
「さあルル、もう夜も更けた。明日に響くからもうおやすみ。俺は少しマルクスたちに話したら戻って来るよ」
「あ…ドロテーアにも…」
「もちろんだ。先にドロテーアを呼んでおこう。すぐ戻って来るから」
ルルの額にキスを落として、ベッドに横になったのを見てから部屋に飾ってあった大きなクマのぬいぐるみを渡す。
手元に何もないのも怖いだろうと思ってだったが、ルルは素直にそれを受け入れてくれた。
ぎゅう、とぬいぐるみを抱きしめたのを見てからルルの頭をなでて、部屋を出る。
すると出てすぐの位置にマルクスとレナ、クリストフ、カール、ドロテーアが待っていた。
「旦那様…お嬢様は」
「少し落ち着いた…俺が戻るまでルルを頼む」
「承知いたしました」
ドロテーアが一礼して、ルルの部屋に入っていく。
俺は髪をかきあげながら深くため息を吐くと、近くにある俺の部屋を指さした。全員が無言で頷いて、俺の部屋に移動する。
さて。どこから話そうか。
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