第17話 俺の可愛い娘が生まれた日(前編)
―― 俺が、婚約式の正装で王宮に乗り込んだのはまたたく間に貴族の間に広まったらしい。
表向きは
…エマ嬢なんかルルが婚約者として決定したと聞いて「なんで、どうして!」と泣き叫んだというし、ルルよりふたつ上の、婚約者候補のひとりだったシュルツ嬢からは直々にルル宛に手紙が届いた。
こういう私的な手紙を男親が詮索するわけにもいかないので、それとなくレナにルルに聞いてもらったところ要約すれば「本来であれば私がその立場になるべきだった。力になる」とのことだった。
…シュルツ嬢も、真名を授与されたとはいえ10歳だ。そんな少女がそこまで発言せざるを得ないなにかがあったのだろうか。
ひとまず考えることはさておいて。
今日はルルの誕生日だ。
「おはようございます、お父さま。マルクス叔父さま」
「おはよう、ルル。そして誕生日おめでとう!!」
「きゃっ」
食堂に現れたルルを抱き上げ、くるくるとその場で回る。
驚いた様子だったルルだったが、やがて嬉しそうに笑った。うん。ルルには笑顔が似合う。
「おめでとう、ルル。もう8歳か…兄上、そろそろ下ろしてあげて」
「ええ〜、もっと堪能したい…」
「わたし、今日はお父さまと叔父さまの隣で朝ご飯をいただきたいです」
「もちろん」
「僕もいいよ」
今日はルルがどんなわがままを言っても良い日、となっている。
もちろんルルはわがままの度合いをちゃんと理解しているので、可愛らしいものばかりだ。
あ、ちなみに行き過ぎだと思われるわがままについてはちゃんと叶えられない理由を説明して諦めてもらう形だ。今のところ、そういうのはないけれど。
ルルの願いにマルクスが使用人たちへ視線を向ければ、心得たとばかりにササッと食器や椅子の配置が変わる。
普段であれば、テーブル短辺部分の1人席(まあお誕生日席だな)にマルクスが座り、その右側長辺に俺、俺の向かいにルルが座っている。
ルルの願いでルルの席がテーブル長辺部分のやや中央に動かされ、その両隣に俺とマルクスの席になった。
席について、神々に祈りを捧げて朝食を食べる。
今日はルルが好きなものばかりだ。キラキラとルルは目を輝かせて、美味しそうに頬張っている。
「旦那様」
「ハンス」
ハンスもルルの誕生日を祝うために、ゾンター伯爵領邸の代表としてこちらに来ていた。
ちなみに先日のあの婚約事件は人一倍憤慨しており、自身の得物である剣を持ち出して王宮に乗り込まんとしたほどだ。痛いほど分かるぞハンス。実際に俺乗り込んだし。
「お嬢様へのプレゼントが順次届いております」
「分かった。食後にチェックするか」
「現時点での贈り主と品目は控えております。返礼品をリストアップしますか?」
「頼んだ。ああ、でもリストはレナが来たら渡してくれ。彼女の意見も聞きたい」
「承知いたしました」
我が家は他所様を招待して大々的に誕生日パーティーをすることはない。
これは父である前レーマン公爵からそうだった。どちらかというと父は、大勢の人と共にいるのが苦手そうだったとフィッシャー卿が言っていたから恐らくそうなのだろう。親戚共との確執もあったかもしれないが。
今までも身内だけでこじんまりとやっていたし、これからもそのつもりだ。
ルルがお友達を呼んでみたいというのであれば考えるけど。
だから普段、ルルの誕生日プレゼントは関わりがあるところぐらいしか来なかったんだが。
「……やっべぇな、これ」
エントランスホールの一角に山のように積まれているプレゼント。
小さな山と大きな山があり、小さな山の方はルルと交流がある家々からのものだ。
大きな山の方は関わったことがない家々から。まあ、仮にも第一王子なあいつの婚約者ともなれば媚を売っておきたいってのもあるんだろうが…。
ハンスを筆頭に、レーマン公爵家の使用人たちもバタバタと次々と届く贈り物の内容を確認したり、仕分けしたりと忙しい。
ぽかんとしたルルを見て、マルクスに視線を向ける。マルクスは心得たと言わんばかりに頷いた。
「ルル、サンルームでプレゼント開けてみようか」
「サンルームで、ですか?」
「うん。あそこもそこそこ広いしね。兄上、ルルと一緒に確認してきますね」
「おう、頼んだ。また後でな、ルル」
「はい!」
マルクスとルル、ドロテーアがサンルームに向かっていくのと同時に、使用人たちが小さい山の方を手際よく、丁寧に台車に乗せていく。
俺はそれを見送りながら、大きな山の方の隅にある花束に視線を向けた。
…バラを贈ってこなかっただけマシといえばマシか。
イエローとオレンジで品良くまとめられた花束は中央にオレンジ色のガーベラが6本配置されており、大きさもそこまでデカすぎずルルが普通に抱えられるほどの大きさだ。
メッセージカードが挟まれており、それに手を伸ばして ―― 引っ込めた。そういえばレナに「かの家から届いたものを確認する際は必ずわたくし、もしくはグラーフ様と一緒に」と言われていたんだった。
「旦那様、グリーベル伯爵家から贈り物が届いています」
「今更だろ。熨斗つけて送り返せ」
「のし…?」
「ああ、悪い。叩き返せ」
今までさんざんルルのことを無視してきたくせに、王族の婚約者になった途端掌返しか。
よくもまあ、手紙ならまだしも物を贈りつけてくる。
一度だけ、ルルに話したことがある。
カティの実家に祖父母がいるのだと。会いたいか、と。
だがルルは首を横に振った。…カティの葬式に来ていない、という話をどこからか聞いていたらしい。
最近では「フィッシャー侯爵様と、フィッシャー夫人がわたしのおじいさまとおばあさまです」と言っておふたりを喜ばせていた。
…本当、いい人らだよ、義父上と義母上は。
「旦那様、レナ様がいらっしゃいましたのでお通ししました」
「ああ、ありがとう」
「ヴォルフェール様、おまたせいたしました」
「今しがた確認を始めたばかりだから大丈夫だ。わざわざありがとう」
「いいえ。わたくしもルル様を直接お祝いできるのはとても嬉しいです」
そう微笑むレナに俺も微笑み返した。
いや本当、フィッシャー家の人いい人ばっかりだな。
◇◇
昼はプレゼントの整理、返礼リストの作成、ルルのプレゼント開封に付き合うなどで時間が過ぎて、早いもので夕方になっていた。
身内だけの小さなパーティーなので、来訪者は少ない。
「え、ちょっ、待ってくださいペーター様!」
「やあやあヴォルター!お邪魔するよ!そしてこっちが僕の番のグレタ嬢だ!」
バァンと食堂のドアを押し開けたペベル。
顔色を悪くしてペベルを止めようとしていたヴィンタース嬢と案内してきたであろう侍女。
突然開かれたドアと声音に驚いた使用人一同。ガチャン!と音鳴ったけど大丈夫か。
レナと食堂で最終チェックをしていた俺は、思わず苦笑いを浮かべた。
「よぉ、ペベル。もう少し落ち着いてドア開けろよ。うちの連中がビビったぞ」
「おや、それは申し訳ない」
「それからヴィンタース嬢…は正式に挨拶を交わすのは今日が初めてですね。はじめまして、ヴォルフガング・ゾンターです。先日はご挨拶もままならず申し訳ありません」
「いいえ、あのようなことが起きたのですから仕方ありません。改めまして、ペーター様の番となりますグレタ・ヴィンタースと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
ピンと立った犬型の耳にふさふさの尻尾がゆらりと揺れる。
狼獣人の彼女はグレーの髪を持っており、耳も尻尾も同色だ。なんか前世のハイイロオオカミを思い出した。カッコいいよな、狼。
「いやあ、君から個人的な催しの招待状をもらえるなんて初めてだから嬉しくてね!」
「お…っまえいちいち…!…まあ、しばらくは大人しくイジられてやるけど」
「あはは」
いや、本当にニコニコと嬉しそうに笑うペベルに毒気が抜かれる。
俺がペベルを友人認定してからは、今まではどこか作った表情だったんだなと分かるぐらいに喜怒哀楽がはっきりするようになった。
そういや、ヴィンタース嬢には俺のこと話してるんだろうか…とちらと彼女を見れば、彼女はにこりと微笑んだ。俺も思わず微笑み返す。
と、ガシッと肩を組まれた。隣を見ればペベルが細い目を更に細めてこちらを見ている。
「君の事情は知ってるよ。ちゃんと話してる」
「そうか。接触訓練の方も順調か?」
「……」
「……ま、頑張れ」
あからさまに逸らされた視線に苦笑いを浮かべながらポンポンとペベルの背を叩いた。
ペベルの腕が肩から離れていく。ここまで案内してきた侍女にハンスが呼びかけ、ペベルとヴィンタース嬢が座る席に案内するよう指示を出した。
一応、ペベルがエスコートをしようとギギギといった音が聞こえそうな動きをしたが、ヴィンタース嬢は理解していたのだろう。ペベルの服の裾を少しつまんだだけにして、ペベルと一緒に案内された席につく。
それを目で追っていたレナは、声を落としてぼそっと呟いた。
「…牽制されていましたね」
「やっぱりそう思うか?」
たぶん無意識だったんだろうが、肩を組んできたときにやや力が入っていた。
本能的なものかどうかは分からないが、まあでも彼女を大事にしようとしているみたいだから頑張れと心の中で旗振って応援する。
と、次に開け放たれたドアから使用人が顔を出した。
「旦那様、フィッシャー侯爵ご夫妻とご息女のエマ・フィッシャー様が到着されました」
「通してくれ」
「はい」
懐から懐中時計を取り出し、時間を確認する。
うん、時間通りだな。
「そろそろだな」
「ええ。ルル様もお喜びになるでしょうね」
晩餐はルルの誕生日パーティーだ。
身内だけ…のはずだったんだが、ルルのリクエストでペベルたちも呼ばれた。なんでと首を傾げたがルルいわく「だってお父さま、自分の誕生日パーティー絶対しないんだもの。だからわたしのときに呼ぶの」らしい。やだ俺の娘ってば天使。
まあ、ペベルも前々からルルのことは気にかけてくれたから、ルルもペベルには比較的懐いているんだよな。
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