第12話 まずは家族から


 ガタガタと揺れる馬車は、フィッシャー侯爵本邸に向かっている。

 馬車の中ではルルとふたりきり、普段なら和気あいあいとしてるんだが……。


 ルルはずっと黙り込んでいた。

 ムスッとしてるわけでもなく、ただただ真顔でやや俯いて、膝の上に置いた自分の手をじっと見つめている。


 実は今朝からほとんど黙ったままで、ドロテーアに聞いても困惑顔で首を横に振られる事態だった。

 マルクスが出かける前にふたりきりでルルに質問してみたが、「なんでもないです」と頑なな回答だったらしくお手上げ状態。

 フィッシャー侯爵邸に出発する時間が差し迫っていたこともあり、解決できないまま一緒に乗ってしまったのだ。


 うーん。俺、何かやったか?

 いやでもいつものルルならちゃんと話してくれるのに…。

 ハッ、もしかして俺、過干渉過ぎたか?女の子は父親からの過干渉を嫌う時期があるっていうし…いやでも昨日までは普通だったぞ?なんで?

 

「…ルル?俺、何かルルが気に入らないことをやったか?」

「……ちがいます」

「じゃあ、どうしたんだ?」

「……わたし、レナさまにお伝えしたいことがあるんです。いま、その内容を頭の中でまとめているので、ちょっとお話は後ででもいいですか?」

「あ、はい」


 え、いや、本当どうしたんだ?

 昨日は「レナさまとエマさまと一緒にえらんだドレスを試着するんです!」とウキウキしてたのに。

 けど真剣な表情で考え込むルルを邪魔するわけにもいかず、俺は車窓の外へと視線を向けた。


 カティ。昨日誓ったばかりだけどルルが素っ気なくて俺泣きそう。



 やがてフィッシャー侯爵本邸に到着し、馬車のドアが開けられる。

 俺から降りて、手を差し出した。ルルが俺の手にその手を乗せて、ゆっくりと馬車から降りる。

 ああ、もう本当に抱っこして降りることはなくなったんだなぁ。淑女教育が順調で娘の成長を喜んで涙を流すべきか、「お父さま!」と満面の笑みで抱っこをせがんできたあの頃を懐かしんで涙を流すべきか。


「お待ちしておりました、ゾンター伯爵、御息女ルイーゼ様。当主が中でお待ちです」

「出迎えご苦労。案内を頼む」

「お任せくださいませ」


 フィッシャー家の執事長 ―― だよな、年齢的にたぶん。が一礼して俺たちの前を歩く。

 我が家のような大きめの重厚な玄関扉の前で合図すれば、ギィと音を立ててそれが開かれた。


 エントランスホールに、フィッシャー卿、夫人、レナ嬢、エマ嬢が揃い、両脇には使用人一同が勢揃いして一礼していた。

 俺を見てにこりと微笑んだフィッシャー卿に、ルルと共に一礼する。


「ようこそゾンター卿。今日、明日はよろしく頼む」

「お招きいただきありがとうございます、フィッシャー卿。どうぞ私のことはヴォルフガングと」

「では遠慮なく呼ばせてもらおう、ヴォルフガング殿。私のことは義父ちちと呼んでも構わんぞ」


 気が早いのでは。と思わず口の端が引きつりそうになったが、まあ将来的にそうなるんだよなぁ。

 年齢的には確かにフィッシャー卿は俺よりも上だが、俺の父よりは年下で…まあ俺とマルクスぐらいの年齢差だと思ってもらって良い。


「うふふ。わたくしのことは義母ははとお呼びくださいな。ルイーゼ様はわたくしのことはお祖母様と呼んでもらっても構わないわ」

「ダメよお母さま!そうしたら、ルルがわたくしの姪になってしまうじゃない!ルルはわたくしの妹になるのよ!」


 まあ誕生月から考えたらエマ嬢の方が早いけど、3ヶ月ぐらいの差じゃなかったか?僅差のような気がする。

 ルルはキョトンとしていたが、やがて嬉しそうに笑みを浮かべた。


「わたしは、エマ様の姪でもいいわ」

「ルルったら!」


 微笑ましい小さなレディたちのやり取りにほっこりしていたが、は、と我に返る。

 いかんいかん。ここは俺から挨拶しなきゃならんところだった。


「レナ嬢、よろしく頼む」

「こちらこそ。早速ですが、最終打ち合わせを始めても?」

「そうだな」


 婚約式もここでやる予定になってるから、進行とか色々あるし、パーティーの招待客の最終チェックもしなきゃならんし。

 今から打ち合わせして、女性陣は明日のドレスの最終チェックを…と今日の予定を頭に浮かべていると「あのっ」とルルが声を上げた。

 ルルを見れば、緊張した面持ちでレナ嬢を見つめている。


「レナさまと少しだけ、お話がしたいです」

「…大事なことなのですね。あまり時間は取れませんが、それでも?」

「はい、すぐ終わると思います」

「ルル?」

「それではルイーゼ様、こちらの応接室へ…ヴォルフガング様、父と一緒に先に始めてもらえますか?」

「あ、ああ。すまないレナ嬢」

「とんでもありません」


 にこ、と微笑んだレナ嬢は相変わらず緊張した面持ちのままのルルを連れて、近くにある応接室へと入っていった。

 …どうしたんだ、ルル。レナ嬢相手に緊張した様子を見せたのは最初の頃だけだったような気がするが。


「ルルったらどうしたのかしら?」

「分からないけれど、きっとルイーゼ様にとって重要なことだったのでしょうね」

「ヴォルフガング殿。予定通り打ち合わせを始めよう。こちらだ」

「はい」


 後ろ髪を引かれる思いで、フィッシャー卿の後ろをついていく。

 フィッシャー夫人が「打ち合わせ中はルイーゼ様を預かるわね」と手を振ってくれたので、軽く頭を下げてお願いした。



 ルルが言った通り、さほど時間はかからずレナ嬢が俺たちがいる執務室へと戻ってきた。

 応接スペースに戻ってきたレナ嬢へ視線を向ければ、ルルと話し合う前と変わらない表情だった。

 フィッシャー卿が当日のレナ嬢が関わる進行について話の水を向けたので、そちらに集中する。ルルのことは気になるが、今は目の前のことをやりきらねば。



 ◇◇



 それから特に何事もなく、準備は順調に進んだ。あの後、ルルにもう一度聞いてみたが、来た当初とは打って変わって機嫌が良く「なんでもないです!」とエマ嬢のところに行ってしまったから聞けずじまい。

 

 フィッシャー家の皆と夕飯を一緒に頂いてあとは明日に備えて寝るだけ…といった段階で、フィッシャー家の執事から「レナ様が食後のお茶を、とのことですが」と伝えてきた。

 明日のことか、それともルルのことか。

 どちらにせよまあ、赴かない理由はないなと了承し、女性に会うのに失礼がない程度の身なりを整えて執事に案内されるまま邸内を歩く。


 すると廊下の一角にロビーのような構造があって、そこにレナ嬢がいるのが見えた。良かった、部屋に案内されるとかじゃなくて。

 さすがにこの夕飯後から就寝前の時間帯にどこかの部屋に…ってなったら全力で遠慮した。俺はフィッシャー卿の信頼を失いたくない。まあ、レナ嬢のことだからそんなことはしないだろうけど。


 レナ嬢の傍に、侍女が控えており俺の来訪を彼女に告げた。

 レナ嬢はこちらに視線を向けると、ソファから立ち上がる。


「お誘いありがとう、レナ嬢」

「こちらこそ、お受けいただきありがとうございます、ヴォルフガング様」


 レナ嬢の向かいのソファに腰掛けると、レナ嬢も腰を下ろす。

 ここまで案内してくれた執事とレナ嬢の侍女がてきぱきと準備を進めて、俺の前にティーカップが差し出された。

 香る匂いはカモミレンティーか。寝る前には最適なハーブティーだな。

 すっと執事と侍女が視界の端に下って控える。


「きっとルイーゼ様のお話が気になっていると思いまして」

「…そうだな。ちょっと気になっていたが、それは俺が聞いても良い話なのか?」

「実はご本人からは『話しても大丈夫だと思いますが、お父さまのめいよのために話さない方がいいかも…』と言われておりますので、話す分には問題ないようです」

「え、何それ。名誉ってどういうこと」


 思わず脳内で浮かんだ言葉がポロッとこぼれる。ふふ、とレナ嬢は微笑んだ。


「ルイーゼ様からは、ルルと呼んで欲しいと申し出がありました。ですので、ここからはルル様と呼ばせていただきます」

「ああ」

「ルル様、昨夜はお話があってヴォルフガング様のお部屋まで行かれたそうなんです。…そこで、見聞きしたことを話してくださいました」


 昨日。俺の部屋(寝室)。

 俺の部屋の隣は主寝室。


 あ、と理解して思わず顔面を片手で覆った。

 嘘だろ俺知らなかったとはいえルルが見てる前で泣いてたのか。しかもそれをレナ嬢に話されたのか。

 それは確かに恥ずかしい。


「……わたくしを慮ってくださり、ありがとうございます。けれど、無理はされていませんか?」

「あー…無理はしていない。無理だったらきちんと言うよ。どこまで聞いたんだ?」

「ヴォルフガング様がわたくしを大事にすると。家族愛、異性愛どうなるかは分からないけれどわたくしを愛してくださると言った後に、カサンドラ様のことで泣くのは最後にするというところまで」

「おあ」


 ほぼ全部じゃねぇか…!

 気づけ俺!!ルルにカッコ悪いところ見せてんじゃねぇ!!


 羞恥に悶える俺にレナ嬢は笑うことなく、むしろ微笑ましく俺を見ているようだ。

 ごめんなレナ嬢。おっさんが変な動きして。

 すん、と我に返って姿勢を正して、ハーブティーに口をつけた。美味い。


「正直なところを申し上げますと、わたくし、以前からヴォルフガング様のことはお慕いしておりました。憧れという意味でも、恋情という意味でも」


 唐突なレナ嬢の告白に動きが止まった。

 そっとカップをソーサーに置いて、レナ嬢を見れば穏やかな表情だ。

 じっとレナ嬢は自分のティーカップに注がれた、ハーブティーを見つめている。


「カサンドラ様を尊敬していたことも本当ですし、よくお似合いのおふたりだと思っていたことも本当です。いずれ迎える伴侶とはおふたりのような夫婦関係を築き上げたいと夢見ておりました。信頼し合うおふたりはわたくしの憧れでした。…ヴォルフガング様に恋情のようなものを抱いたのは、やはり助けていただいたあの夜会です。吊り橋効果だと当初は思っておりましたが、実際に何度もお会いするうちにこの恋しさは本物だと。…でもわたくしは、ルル様やヴォルフガング様に家族として入ろうとは思いませんでした。婚約が纏まらない件もあって、ヴォルフガング様とこうして婚約することになりましたが夢のようだと思ったのも偽りではありません」


 そう苦笑いを浮かべたレナ嬢は、カップを持ち、やや冷めたであろうハーブティーを一口飲んだ。

 ここで俺が口を挟めば、なんか変な方向に拗れそうな気がしたので口を閉ざしてレナ嬢の言葉を待つ。

 レナ嬢がそっと、カップをソーサーに置いた。カチャリという小さな音が響く。


 まっすぐ、彼女は俺を見据えた。


「わたくしが抱いている愛と同じ愛を返して欲しいとまでは望みません。けれど、どのような形であれヴォルフガング様がわたくしを愛してくださるというのならば、わたくしも堂々とあなたを愛していきたいと思います。もちろん、ルル様も」

「……君は俺より大人だな」

「そうであれ、と育てられてきましたから」

「それなら君のその鎧が脱げる場所が俺とルルであるように、俺とルルも体裁を整えよう」


 ソファから立ち上がって、レナ嬢が座るソファへ近づく。

 俺を見上げるその瞳は僅かに揺らいでいたが、気付かない振りをしてレナ嬢のすぐ傍で片膝をついた。

 彼女に向かって手を差し伸べる。


「君が俺に向けてくれる愛と同じ愛を返せるかは分からない。だからまずは家族として、君を愛しても良いだろうか」

「…はい。どうぞよろしくお願いいたします、ヴォルフガング様」


 差し出した手にそっと柔らかく細い手が乗せられた。

 俺はその指先に口づけを落とす。…身内に向ける、親愛の表現だ。


「…あ、と。ルルに、10歳まではルルだけのお父さまだけでいてと言われていて」

「それもお聞きしています。すでにルル様にお伝えしておりますが正式に婚姻を結ぶのはルル様の真名授与の儀が終わってからにしましょう」

「ありがとう。…カティは俺のことをヴォルと呼んでいたんだ。レナ嬢も好きなように呼ぶといい」

「わたくしのことはレナ、と呼び捨てください。それではヴォルフェール様とお呼びしても?」

「もちろん」


 今はまだレナ嬢、レナに愛を返せないけれど。

 まずはパートナーとして信じることから始めよう。


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