第11話 あなたを愛していた


 レナ嬢とも相談した結果、ひとまずは過剰反応せずに様子見することになった。

 同時に、マルクスやフィッシャー卿、ペベルに協力を願って王家の方も探ってもらってる。


 …あ、ペベルの件だが、お相手がペベルの事情を理解してくれたらしい。

 《運命の番》なのになんかペベルが無理してるように見えて不安だったそうだ。事情さえ分かれば、とのことで安心したそうで。

 ペベルも思うところがあったのかお相手協力のもとちょっとずつ触れ合いを開始してるそうだ。

 まだ手繋ぐだけで、なんか尻尾がブワってなるらしい。なにそれ見たい。

 ちなみにお相手は狼獣人の血筋を引くヴィンタース子爵家のグレタ嬢だ。ルルのお友達の姉君だな。マルクスやレナ嬢と同い年だそうだ。



 レナ嬢は俺の側近をしながら、次期当主として自領の領政にも携わり始めた。

 領政に関しては、俺が公爵代理として仕事した経験もあってサポートできていると思う。

 お互い相談し合いながら仕事を進めているので、仕事もそんなに抱え込んでいない…はず。


 婚約者としては俺にもったいないぐらいだ。

 ルルも「レナさま、レナさま」とレナ嬢に懐いてるし、エマ嬢を加えたひとときなんかフィッシャー夫人と一緒にほっこりするぐらい微笑ましい光景だし。あれなんかこれ前にも言った気がするな。

 正直、俺なんかよりもっといい伴侶がいる気がするんだが…こればっかりは当人の意向もあるしな。


 …最初は本当に、レナ嬢に良い相手を探そうとした。

 でも、ルルが「レナさまがお母さまになってくださるのがとても楽しみです!」と笑っていて。

 マルクスが「兄上、馬鹿なことしないでくださいよ」と苦笑いして。

 ペベルから「君に言われたことをそっくりそのまま返してあげよう。信頼は築き上げるものだろう?」と呆れられ。

 レナ嬢からは「カサンドラ様に恥じぬよう頑張ります」と意気込まれ。


 俺、何してるんだろうとふと思った。


 最初はシュルツ卿に言われた通り最低1年乗り越えればいいと思った。政略結婚ビジネスだと割り切って過ごす貴族夫婦はごまんといる。

 けれどレナ嬢は決してそんな素振りは見せない。ルルに時には褒めて時には叱って、というかつてカティがルルに、母がマルクスにしていたように全力で接してくれている。

 義務だと思っていれば必要最低限だけでいいはずだ。けれどレナ嬢は積極的に関わってきてくれた。

 俺の致命的な顔が覚えられない件も理解した上で、数度参加した夜会でパートナーとしてサポートしてくれた。柔らかなその微笑みは俺やルルに向けられるものと、外の人間とは異なる。

 仕事でも分からないところは俺に頼り、俺が考え込んで挙げ句暴走しそうになったときは手前で止めて、オットーと共に真剣に聞いてより良い解決策を一緒に模索してくれる。


 俺は自然と、レナ嬢の相手を探すのは止めた。その上で向き合って、幾度もレナ嬢と交流を重ね、仕事を共にしてようやく決心した。

 婚約して3ヶ月ほど。共に仕事をし始めてからは半年ほど。短い期間と思われるかもしれないが、彼女とはほぼ毎日会っているようなものだから、彼女の人となりを把握するには十分だった。


 新聞で先んじて公表されたものの、正式な婚約発表は必要だ。そのため進められた婚約披露パーティーの準備も2ヶ月近くかかったが恙無つつがなく終わり、明後日に本番を迎える。

 開催場所はフィッシャー侯爵家本邸。まあ、どちらかの家に嫁入りないし婿入り、となると俺がフィッシャー家に婿入りのような形になるんだろう。実際にはそれぞれの家を維持しつつ、子どもたちに引き継がせる形になるんだが。

 なのでこの国では、他国とは名前の形式が違う。



 この世界では原則、名前は3つの区分に分かれている。

 家族に与えられた世間一般に呼ばれる名・創世神エレヴェドより賜る真名・家名。


 孤児などで親がいない場合、孤児院を出た後に住んでいた地域の孤児院名や小神殿名を家名とする。カールがそうだな。あの孤児院は、あの辺りを統治しているハイネ男爵に因んで「ハイネリア」と呼ばれていたから、彼の名前はカール・ハイネリアだ。

 だから、あの辺の庶民は皆「ハイネリア」という家名であることがほとんど。

 他国では庶民が家名を持たないこともあり、その場合は世間一般に呼ばれる名のみ名乗ることになっている。


 真名は親しい人間以外 ―― 親、もしくは伴侶以外には基本明かさない。俺の真名を知っているのは今のところ亡くなった両親、それからカティだけだ。マルクスは俺の真名を知らないし、俺もマルクスの真名を知らない。

 真名は魂の名とも言われている。真名を知られれば自分の命を握られたも同然だというのは貴族階級ではない庶民でも知ってることだ。

 主に神へ宣誓するときに「真名に誓って」という常套句がある。このとき、神に偽りを述べることは許されず、嘘を述べれば神罰が下るとされている。実際に見聞きしたことはないが、他国で神罰が下った事例があるらしい。


 で、我が国では、貴族の当主同士が婚姻した場合にのみ4つ目の区分が追加される。

 俺とレナ嬢が結婚した場合、俺の名前はヴォルフガング・マレウス・ゾンター・フィッシャー。レナ嬢も同じ構成になるな。一般的にはヴォルフガング・ゾンター・Fと明記されるようになるんだ。レナ嬢の場合はレナ・Z・フィッシャー。

 爵位が高い方が後ろに記載され、かつ当家の名前だけが明記され相手の家名は略称になる。


 ややこしいって?知ってる。俺もややこしいって思う。

 ちなみにルルはルイーゼ・ゾンター・Fだ。ルルはどうあがいたってフィッシャー侯爵家を継ぐことはないからな、確定で俺と同じ表記。

 俺とレナ嬢の間に子が生まれたら、レナ嬢と同じ表記になるだろう。レナ嬢との間にふたり以上生まれた場合は、次はゾンター・F、その次はZ・フィッシャーと繰り返されることになっている。まあそこまで生まれるのは滅多にないから心配しなくても良いと思うが。



 明後日の準備のため、俺は明日にはフィッシャー邸に行かなくてはならない。

 その前に、と俺は主寝室へと向かった。


 主寝室には数多のカティと、カティと幼いルルの肖像画が並べられている。その中で、最後に描いた病床にいたカティの肖像画の前に置いてある箱を手に取った。

 鍵をかけていないその箱はあっさりと開き、中から手紙が表れる。

 それを手にとって、開いた。


 その手紙はしわくちゃで、ところどころ文字が滲んでいる。

 くしゃくしゃにしたのも、文字を滲ませてしまったのも俺。

 だってこれはカティからの最後の手紙だから。読んで泣くのは当然だろう。

 ……今の今まで、俺は最後まで読めなかったんだ。でも、今日は最後まで読むと決めた。


 懐かしい文字を指でなぞる。

 カティはきれいな字を書く人だった。でもこの手紙の文字は震えている。病床のカティが、なんとか書いたものだったから。





 ―― ヴォルへ


 泣き虫なあなたのことだからきっと、この手紙が読めなくなるぐらいべしょべしょにして泣くんじゃないかしら?それはそれで困るから、後から何度でも読み返せるようにはしておいてね。


 本音を言えば、あなたやルルの傍にいられなくなるのは悔しい。

 私だってルルの成長を見守りたかった。私の手でルルを立派な淑女に育て上げて、良い男に嫁がせるなり婿に迎えるなりしたかった。

 それにあなたが心配だから本当に死にたくないわ。あなたは本当、自分でやれることは何でも抱え込んで周囲を頼ろうとしないんだから。いつか倒れるんじゃないかって思ってたのよ。実際に動く前に私がなんとか軌道修正させてたけど、気づいてなかったでしょう?本当は、前もって防げれば良かったのだけど、私はそこまで頭が良くなかったから気づかなくていつも後手に回ってたけれどね。

 周りをちゃんと頼ってね。報連相は絶対にしなさいよ。あなたが倒れたらルルも、マルクス様も泣いちゃうんだから。泣かせちゃダメよ。



 家族に書く手紙って、難しいわね。

 思い出話とか書きたくなるわ。でも、ちょっと今はそれが難しいから、また今度書くことにする。



 きっと私はあなたを前にしたら言えなくなると思うから、手紙に残しておく。


 あのね、私が死んだらあなたは再婚しなきゃいけないでしょう?

 私を一生愛するから再婚しない!権力使って何とかする!なんて止めてよ。あなたのことだからやりそうだわ。嬉しいけれど。

 再婚したらそのときは、ちゃんと新しい奥さんを大事にして。きっと新しい奥さんもあなたを愛そうとしてくれるはずだわ。でも私と比較しないで。死んでいくであろう私と、未来のある奥さんで比較するのはウンズインナンセンスよ。


 彼女を愛して、とは言わない。言いたくない。でもあなたの気持ちが大事よ、あなたがその奥さんを愛したいと少しでも思ったのなら、彼女を愛して。

 でも私があなたを愛していたことは忘れないでほしい。わがままを言っている自覚はあるわ。


 あなたが私を覚えようとたくさん、たくさん描いたのは知ってるわ。そのどれかひとつだけでもいいから残してほしい。小さいものでもいいから、私の肖像画をひとつだけ。

 幼いルルが私の顔を忘れないように、という意味合いもあるけど、私があなたの傍にいたいの。絵でもいいから。


 だからね、ヴォル。

 私はそれで十分だから、ルルを幸せにして。そしてあなたももっと幸せになってほしい。

 あなたが新しい奥さんを愛することでルルが幸せになるのならそうしてほしいわ。一番はルルの幸せだもの。あなたもそう思うわよね、いつも言っていたもの。


 生きていれば私ももっともっと幸せになっただろうけど、私はあなたとちゃんと向き合って、あなたが私を分かってくれて、結婚できて、ルルも生まれてきてくれただけでも幸せだったから。


 私が死ぬまでの間だけ、私だけのヴォルでいて。ルルの母親でいさせて。

 でも私が死んだら、あなたの、ルルの幸せのために生きて。



 ちょっと書くのに疲れたから、また今度にするわ。


 ―― 愛を込めて、カサンドラ・ミネア・ゾンター より





 カティからの手紙はこれが最後だ。

 まだまだ書く気だったようだったけど、これを書いた後はペンすら握れないし起き上がれないほど体調が悪くなっていたから。

 同時期に書いたらしいルル宛の手紙も預かっていて、この箱の中にしまわれている。これはルルが真名を授与された後に渡して欲しいと言われたものだから、まだルルはその手紙の存在を知らない。


「……カティ。聞いて驚け、新しい奥さんはレナ嬢だ。カティが『賢くて可愛い!』って叫んでたあの子だよ。驚いたよな、俺だって驚いた。だって12歳も違うんだぜ?マルクスと同い年だし、美人だし、優秀な子で、次期フィッシャー女侯爵と称えられている才女だ。なんで俺なんかが、と思ったけど、ペベルからカティからも言われたけど、俺の顔が他の男より良いらしいからまあ、男避けというか。そんな感じらしいよ。でも、ルルもレナ嬢を慕ってるし、レナ嬢自身も良い子なんだ」


 肖像画のカティは微笑んだままだけど、滲んでいく。


「ちゃんと、ちゃんと、君の言う通りにするよ。レナ嬢を大事にする。レナ嬢も、俺がカティを愛していたことを知っていたから、レナ嬢から『割り込むつもりはない』って言ってくれた…言わせてしまった。ちゃんと、彼女自身を見て、彼女を愛そうと思う。たとえそれが家族愛であっても、カティと同じような異性愛だとしても」


 肖像画に手を伸ばして、彼女の手の部分に触れる。

 それに温度などない。握り返されることはない。触れる感触はキャンバスと乾いた絵の具の感触だ。


「カティ、きっとまだエレヴェド様の御下でお前自身の人生を書いているんだろう?君は物語が好きで、自分でも書きたいって言っていたぐらいだから。輪廻転生の環に入るにはまだ時間がかかるんだろう?だからもし、君が俺たちのことを見ることが叶うなら、見守ってほしい。せめて、ルルが幸せな結婚をするまでは」


 この世で生きている者は皆すべて、死ねば魂となって創世神エレヴェドの御下に集まる。

 そうして、魂自身が生きてきた人生すべてを本として書き上げて、エレヴェド様に献上する。そうすることで未練もなくなり、輪廻転生の環に入ることが出来るのだと言われている。

 どのぐらいの時間で書き上げて、どのぐらいの時間で新たな生として生まれ変わるのかは知らない。

 でもきっとカティなら、書く時間をダラダラと伸ばしてルルの結婚式までは意地でも残っている気がした。


「…っ、きみのことで、泣くのは、今日で最後にする…から、」


 手紙を置いて、両手で顔を覆う。


 この手紙は、カティが死んでからマルクスから渡された手紙だった。

 渡されたときの一度だけ、しかも最初の数行しか読んでいない。辛くて、苦しくて、悲しくて、最後まで読めなかったんだ。

 再びこの手紙を開いて最後まで読み切る勇気がなくて、ずっとここにしまい込んでいた。

 恐らくだけど、ゲームのヴォルフガングも同じように手紙を受け取っていたと思う。けれど、俺と同じように最後まで読めなかった。けれど、俺とは違ってまた読むことはなかったんじゃないだろうか。


 レナ嬢は、俺がカティを深く愛しているのは知っていた、だからそこに割り込もうとは思っていないと言ってくれた。けれどそれはレナ嬢に苦労を強いることだ。

 結婚すれば誰だって良い関係を築きたいと思うだろうし、夫や妻となる人がずっと亡くなった人を想い続けるのを傍で見続けるのは辛くなることだと昔、亡くなった夫を愛し続けた未亡人と再婚した当主から話を聞いたことがある。

 だから、今日で区切りをつけようと思った。ルルのためにも、レナ嬢のためにも。


 すぐには切り替えられないだろう。

 でも、ほんの少しでもカティの最後の期待に応えたい。

 彼女は「新しい奥さんを大事にしてあげて」と書いていた。比較してはだめだと。


 少しずつ、少しずつ。

 カティは俺が人として、思い出にしていく。

 時間がかかるかもしれないけど、努力してくれるレナ嬢のためにも俺も頑張るから。



 カティ、愛しのミネア。

 いつか、どこかの世でミネアマレウスが巡り合ったとき、君に恥じぬような人生を送ったのだと、伝えられるように俺は生きていくよ。


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