第19話 人はそれを「フラグ建築乙」と言う



 レナ嬢への名誉のために言えば、今回の事件は秘密裏に処理された。

 マルクスがその後の夜会で様子を窺ってみたりしたが噂になっていないらしい。ベルント嬢の方もさり気なく女性陣と会話して確認したが、誰も声を落として話す内容も誰かが襲われたなどの話はなかったそうだ。

 幸いにも、俺がレナ嬢を抱きかかえて移動している姿は見られなかったようだ。良かった。


 ジャケットはフィッシャー卿自ら訪問してきて、深々と頭を下げられながら返された。

 いや、だから俺伯爵。侯爵にそこまで頭下げられると胃が痛い!


 何か御礼を、と言い募る彼に「レナ嬢が元気になったら、彼女に憧れているルルを内輪だけでいいのでお茶会に招待してほしい」という内容で手打ちにしてもらった。あの人、侯爵家所有で駿馬と名高い名馬を贈るって提案してきたよ危ねェ。


 一応五大公侯の縁戚であるとはいえ、五大公侯のご令嬢が開催するお茶会やサロンへの参加は難しい。彼女らが主催のお茶会やサロンに参加すること自体がある種のステータスだと聞いたことがある。

 ルルとエマ嬢は友人だが、あくまで妹の友人という立場なので普通ならお呼ばれすることはないだろう。エマ嬢が15歳ぐらいになれば呼ばれるだろうが、人によって趣向が異なるらしいし。

 ルルの将来のためを考えれば、先輩であるレナ嬢とのお茶会は成人しても滅多にないだろうし、ルルにとって勉強になるかもしれない。俺にとっては名馬と同じ価値があるんだよ。



 ふと、新聞の片隅にあった「王城で変質者逮捕」の文字を見てほくそ笑む。

 紙面には名前は出ていないが、あいつは子爵令息だったらしい。


「旦那様」


 若い声に顔を上げる。

 声のとおりに若く、赤い髪に金色の瞳を持った整った面立ちの執事 ―― ハンスが手に書類などを持って立っていた。

 頭の猫耳がぴこぴこ動いて、長くしゅっとした尻尾がゆらゆらと揺れる。



 ハンスは猫の獣人で、クリストフの弟子のひとりだ。

 4年ほど前にルルが拾った。


 …うん。文字通りんだ。

 俺とカティ、ルルの3人で出かけた帰り。馬車に乗っていたときに突然、ルルが「おりる!」と騒ぎ始めた。

 あまりの暴れように困惑した俺とカティが、とりあえず馬車を止めたところルルが馬車から飛び出してしまった。あのときは俺もカティも悲鳴に近い声を上げていたと思う。下手すると、よその馬車に轢かれるから。


 そこでルルが駆け寄ったのは、道端にある低木の影で倒れていた少年だった。

 ボロボロで傷だらけ、何なら傷も化膿していて異臭がする。そんな少年に、ルルは駆け寄って「だいじょーぶ?」と声をかけたのだ。

 俺もカティもそこに人が倒れているだなんて気づかなかった。窓の外を眺めていたルルだから気付いたのかもしれない。


 俺も鬼じゃないし貴族の義務アーデル・フェアプリヒテもあるし、と彼を助けた。ルルもカティも気にかけていたからというのもある。

 …さすがに、道端に倒れてる全員を助けることはできないからな。財源が湯水のようにあるわけじゃない。当時のゾンター伯爵家としては、重症の人をひとり助けるぐらいしか余裕がなかったんだ。

 とりあえず、手配をして彼を家に連れ帰った。クリストフには家族揃ってしこたま叱られた。



 そんなハンスだが、意外にも優秀だった。

 クリストフも舌を巻くほどの知識の吸収力、努力。

 過去のことは語りたがらないので、まあ、なんかあったんだろうなとは思ってる。

 一応王国内の犯罪者リストと照らし合わせてハンスがそういう人物じゃないってのは調査済みだ。


 そんなこんなで、その力量を見込まれてゾンター伯爵邸の執事長をこの若さで務めている。

 マルクスと同じくらいの年齢のように見えるが、邸の使用人たちは皆ハンスを信用している。いやほんと、何者なんだろうなぁハンス。


 で、なんでそのハンスがここにいるのかっていうと俺が今ゾンターの領邸にいるから。出張です。ルルがいなくて寂しい。

 流石に馬車で2週間かかる道はまだルルの体力的に厳しく、連れて来ることができなかった。マルクスにルルの世話を頼み、フィッシャー夫人にも頭を下げて気にかけてもらうようにお願いしてきた。快く引き受けてくれたふたりには本当に感謝しかない。


「旦那様。こちらが目を通していただきたい事業報告書、こちらは嘆願書です」

「嘆願書?」

「東ティレル村付近でモンスターの出没がチラホラと始まったようで…その影響で結界石が保有する魔力が欠乏しかかっているとのことです。また、冒険者ギルドに依頼し、引き受けてくれた冒険者グループの《旋風の盾》が調査しているようですが、なかなか出没原因が抑えられず費用が嵩んでおり、補助していただけないかと」


 …東ティレルって、ゲームではあのエグいダンジョンがあったところか。



 ゲームでは「東ティレルの洞窟」という高難度ダンジョンがあった。

 東ティレルの洞窟は、中レベルのモンスターが現れやすいわりにはドロップする魔石や素材の質は一級品。普通、一級品ともなれば高レベルのモンスターを討伐しないとドロップしないから金策目的で何回も潜ったものだ。


 では、なぜこのダンジョンがゲームでは高難度指定だったのか。それは、このダンジョンの特殊性からだ。


 ワープ+暗闇ダンジョン。

 地道なリアルマッピング(手元に紙とペン)が必須な全4階層のダンジョンで、マッピングが完了する or 超レアアイテムである暗視魔道具ナイトビジョンを入手できれば良い穴場なんだがそれまでが地獄。

 ネットでも「エグい」「辛い」「また飛ばされたァー!?」などの阿鼻叫喚。「こんなの乙女ゲーじゃないだろ!!恋愛させろ!!」という悲鳴もあったぐらいだ。


 普通、ダンジョンに潜る際は明かりを灯す魔道具アイテムで周辺を明るくしてから進む。これはリアルでもゲームでも同じだな。

 だがこの東ティレルの洞窟、明かりの魔道具が常時無効となるため暗い。視界は自分の周囲1マス分の計9マスだけ。

 おまけにマップの随所にワープ罠がある。ワープしないと通れない通路なんかもあったりする上、次の階層に向かうにはマップ内のどこかにあるスイッチを踏まないといけないという。鬼か。

 挙げ句、このダンジョンは「ソフトによって東ティレルの洞窟のマップが変わる」ため攻略サイトも使えない。鬼だった。

 さらにさらに、このダンジョン最下層にある宝箱にはあるアイテムがある。これがないとトゥルーエンドに辿り着けない。鬼畜かよ。俺も苦労させられたわ。



 …ゾンター伯爵として引き継いで当初、この名前を冠する村があるのを見て仰天した覚えがある。念の為周囲を探索させてもそれらしい洞窟やダンジョンは見つからなかったのだが…。


「…東ティレルか。それなら明後日にその付近の視察予定があるな。予定を追加してくれ。結界石の魔力補充がてらその《旋風の盾》のリーダーから状況を聞きたい」

「承知しました。村の方に速達で連絡いたします。それから、ルイーゼお嬢様からお手紙を預かっております」

「ルルからか!」


 ぱ、と明るく言えばハンスは半ば呆れたような表情を浮かべながらも、手元にあったルルの手紙を渡してくれた。

 いま、ルルは文字を書く練習をしている。エマ嬢ともやり取りしたいのだそうだ。

 7歳児の字は読みやすいとはまだ言い難い。

 けれど一生懸命書いた手紙の内容に、ふふ、と思わず笑いが溢れた。


「手紙じゃなくて、日記だな」

「まあ、はじめはそうなるでしょうね」

「マルクスと乗馬したって。え、それ生で見たかった…」

「早々に片付ければご覧になれるかもしれませんよ」

「まーな。東ティレルの件で滞在が伸びる可能性もあるが…早く帰りたいなぁ」


 便箋とペンを取り出し、サラサラと散歩の提案を書く。

 もちろん、家族向けではなく外向きで、しかも子どもにわかりやすいような文面だ。

 この手紙のやり取りは練習だから、言い回しも考えて書かなければならない。

 まあ、要するに手本だな。


 丁寧に封筒にしまい、蝋を炙って垂らす。印璽をガンと押して完成。


「これはルルに送ってくれ。今日中にマルクス宛に報告書等も送るから、そのときと一緒でいい」

「かしこまりました」


 さて。

 早く帰るために頑張るか~、と伸びをして、机の上に置かれた書類の山に手を伸ばした。





 どさり、と寝台に倒れ込んだ。

 ハンスがテキパキと俺を転がし、靴をとって服を寛がせてくれる。

 もう指一本も動かせない。無理。

 

「旦那様のその魔眼、結構チートだと思ってましたが今回に限って言えば無能ですね」

「…はっきり言うなぁ」

「まさか、見てできなければ魔眼を使えないとは…ですが、先程の掃討はさすがです」


 うん。魔眼だからな。

 俺が見て、俺が燃やすとしたものじゃないと炎はつかない。普通の炎と違って延焼もしない。

 だから常時暗闇の「東ティレルの洞窟」と俺は致命的に相性が悪い。



 ―― 何が起こったのかというと、東ティレル村のそばで例の洞窟が見つかった。


 その洞窟内のモンスター数が考えられないほど多く、共食いが発生しているほどだった。さらに洞窟からモンスターがちらほらと出始めていたことが分かり、村の周囲でモンスターがうろついていたのが魔物暴走現象アウトオブコントロールの前兆だったということだ。


 最近の研究で魔物暴走現象アウトオブコントロールはダンジョン内に発生するモンスターの巣から起こるらしいということが分かってきた。

 ただ、ダンジョン内になぜ巣が発生するのかは未だ解明されていない謎だ。

 巣から溢れ出たモンスターたちがダンジョン内に溢れ、入りきれなくなったところで外に溢れ出る、らしい。

 もともとダンジョンの外で生きているモンスターもいるにはいるため、仮説のひとつ程度のようだが信憑性は高そうではある。


 

 現地に訪問して、洞窟を発見し状況を探った際に怪我を負った冒険者グループ《旋風の盾》からの詳細な報告で事態を把握して、すぐにうちの伯爵家所属の騎士団・魔術師団を呼んだ。

 続けてレーマン公爵家へゾンター伯爵家から「魔物暴走現象アウトオブコントロールの兆候あり」と報告し、同時に騎士団・魔術師団の応援要請。いや絶対うちの連中だけじゃ手に負えんわあれ。


 ゾンター伯爵家の騎士団・魔術師団が到着するまでの2日間は現地に同行したハンスと護衛騎士2名と俺で外をうろつくモンスターの討伐を頑張った。

 うちの騎士団・魔術師団の到着後は多少楽になったものの、出てくるモンスターの数は増加傾向にあった。待って。ヒロインが現れる前に俺死ぬかもしれん。


 そう、思っていたタイミングで到着したレーマン公爵家の騎士団・魔術師団に思わず拝んだよ。ハンスからはドン引きされたし団長らには困惑されたけど。


 で、レーマン公爵家も集まって大所帯になったのと、冒険者グループが復活して洞窟の再調査ができるようになった。

 案の定、ゲームと同じワープ+暗闇+大量のモンスター(高エンカウント)ダンジョンで阿鼻叫喚。俺も報告受けて入ってみたものの、敵が目の前まで来ないと分からないから魔法が発動できない。

 これは国に緊急要請出さねぇと無理!ってすぐ判断して通信魔道具使って、マルクス経由で陛下に嘆願。

 王家直属の精鋭部隊が来るまでモンスターの間引きをできるだけやりながら、魔物暴走現象アウトオブコントロールが起こらないようにみんな頑張った。特に、もともと村からの依頼で来てくれていた《旋風の盾》一行には頭が上がらない。彼らがいなければ、精鋭部隊が来るまで保たなかっただろう。



 で、なんで俺がこうベッドの住人になってるのかっていうと。

 さっき、洞窟内の掃討担当の部隊長から「数十体のモンスターが外に向かいました!!」と報告を受けたので、洞窟の前で待ち構えて、飛び出てきて視界に収めたタイミングで指を弾いて、燃やした。

 燃え盛るモンスターの背後から次々飛び出してくるモンスター共に連続して炎をつけ、外で待機していた騎士団や魔術師団が追い打ちをかけてトドメを刺すっていう戦法。


 出待ちは卑怯だって?

 モンスターに理屈は通じねぇからいいんだよ。


 さすがに数十体ともなるとプチ魔物暴走現象アウトオブコントロールのようなもんだったので、魔法の連発で魔力消費が激しかった。連発で指鳴らすの面倒くせぇ!!ってなってもう後はスイッチ切り替えっぱなしで指差し確認で発動するようにした。

 魔力保有量が多い俺でもさすがにバテるほどには、一度に、大量に来た。


「魔力回復ポーションです」


 ハンスに上体を起こされ、口にポーション瓶の口を突っ込まれる。

 斜めにされたそれから流れてくる結構な量のポーションをなんとか飲み干すと、またベッドに寝かされた。

 苦い。これ緊急用のやつ。


「お時間は」

「…たぶん、2時間ぐらい」

「承知いたしました。おやすみなさいませ」


 今回飲まされた効力が高い魔力回復ポーションは緊急時以外は使えない。強制的に意識をシャットダウンさせ、ポーションに含まれた大量の魔力を生命維持以外の身体機能をすべて使って自身に適合させようとするからだ。

 ただでさえ魔力保有量が多い俺は回復するのに時間がかかる。一般的な魔力保有量なら10分とか15分で回復できるやつなんだがな。



 ふ、と意識が落ちる前に、レーマン公爵本邸を出るときに見送りに出たマルクスとルルの笑顔が脳裏に浮かんだ。

 …早く、会いたい。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る