第15話 娘も可愛いが弟も可愛いんだ


 ―― それから数日後の今日、開催されたお披露目の夜会は、なんとか無事に終わった。


 ルルも無事にルイーゼ・ゾンター伯爵令嬢としてお披露目できたし、ルル自身の振る舞いは及第点どころか合格点。

 様々な方からお褒めの言葉をいただいたぐらいだ。


 ルルに合わせて夕方から夜にかけての立食パーティーのような形式となったため、夕方頃はルルとになろうとした子どもたちがいた。

 きちんとルルが伯爵令嬢であることを理解して近寄ってきた子もいれば、公爵令嬢として近寄ってきた子もいる。無論、後者の子の家名は控えさせてもらった。

 ルルは俺の娘だ。マルクスの子じゃねぇぞ。


 で。五大公侯の一角のお披露目ともあって、王族も形式上招待していたわけ。

 名代として来ることが多い王弟殿下が来るかと思ったら、まさかの国王陛下、とハインリヒ王子。嘘だろ。

 ただ、両陛下、第二妃殿下の教育の賜物か、表面上は取り繕うことは覚えたらしい。

 1年前のあのクソ生意気な言動は鳴りを潜め、王子として振る舞っていた。まあ、尊大な態度は変わらずだったが1年前と比べたらだいぶ成長したと思う。

 国王陛下が来たのは俺も目的だったかららしい。やめて。ただでさえ大勢の人がいるところが苦手な俺のライフはもう0だ。

 なんとか挨拶等を乗り越えた俺えらい。


 そうそう。ペベルも招待していたんだが、あいつが声をかける前に気づいて手を振ってやったら普段のアルカイックスマイルが崩れるほどに大きく驚いていた。

 ペベルと一緒にいたシュルツ卿から挨拶を受けたとき、ついでにペベルが名乗る前に「ベルント卿」って呼んでやった。

 はは、あの細い目が見開かれたのは見ものだったな。絵を描く時間があまりなかったから1年もかかってしまったが、まあ、及第点だろう。



 もう俺はレーマン公爵代理じゃない。

 ああ、晴れやかだ。ようやく肩の荷が下りた。


 夜会が終わった夜半過ぎ、今寝床にしてる客間でワインを開けて、ふたつのグラスに注ぐ。

 ひとつは俺。ひとつは、カティの肖像画の前に。

 チン、と軽くグラス同士を合わせて乾杯して、一口ワインを飲んだ。…ビールがほしいな。

 この世界にもビールがある。だが貴族向けへの出荷はなく、飲むには市井しせいの酒場なんかじゃないと飲めない。

 貴族にも需要あると思うんだよなあ、ビール。庶民の飲み物だからって忌避してる貴族家が多いが、絶対一口飲んだら変わると思う。


「…後妻なぁ。どうしたらいいと思う、カティ」


 このお披露目の夜会で、俺は散々ペベルやマルクスたちが言っていた「俺は狙われてる」っていうのがやっと身にしみて分かった。



 公爵家当主として紹介されたマルクスにはそれはもう、すぐに人だかりができた。ご令嬢の輪が二重、三重となった状況にマルクスの頬が引きつったのは当然だろう。

 本来ならマルクスは在学中に婚約者を決める予定だったが、本人の勉学が忙しいこと、斡旋する俺も多忙でそこまで手が回らなかったということもあって、事前に関係各所に「マルクス・レーマン公爵令息の婚約者は成人後、爵位継承後に」と連絡してもらったんだよ。

 その反動が今夜の夜会だ。


 そして、なぜか俺の周りにもご令嬢方がわさっと来て囲まれた。

 マルクスよりは数が少ないが、俺と同い年ほどの未亡人や俗に言う「行き遅れ」の女性、デビュタント済みの適齢期の女性から、果てはデビュタント前の学生のお嬢さんまで。

 わらわらと自己紹介されたが分かるか。ドレスも顔もみんな一緒に見えて辟易としてしまった。

 名前を言われても顔が覚えられないので、極力名は呼ばず、ご令嬢の特徴で呼んでたら頬を染めてうっとりとされるしどういうことだ。


 途中、ペベルが「やあやあゾンター伯爵!」と割り込んでくれなかったら、俺は女性たちの勢いに飲み込まれてたと思う。


 女性陣から開放されてホッとしたのも束の間、今度は中位貴族家当主から次々に声をかけられ、娘はどうだとか井戸ポンプについてぜひ話を!とか色々あって疲れた。

 井戸ポンプの話もきっかけに過ぎず、最終的には娘を売り込みたいだけだったみたいだし。


 俺はまだ考えてないっつってんのに勧めんな。

 やんわりと断っても断っても次から次に来て辟易とした。

 ペベルがさり気なく助け舟を出してくれてたからなんとか乗り切った感がある。あいつには今度、何か礼をしなければ…。



 夜会の様子を思い返しながら飲んでいると、コンコンとドアがノックされた。

 「誰だ」と声をかけると、返ってきたのはマルクスの声だった。


「兄上。少しよろしいでしょうか」

「おお、ちょっと待て」


 立ち上がって、鍵を開けてドアを引く。

 廊下には疲れた様子のマルクスが立っていた。

 まあ立ち話はなんだし、とマルクスを部屋に招き入れ、さっきまで俺が座ってたソファに座るのを勧める。


「…あ、義姉さんと飲んでたんですね」

「まーな。で、どうした?」


 ずるずると簡易デスクに備え付けられていた椅子を引っ張ってきて、マルクスの向かいに置いて座りながら尋ねてみる。

 するとマルクスは口を閉ざし、俯いたあとゆっくりと口を開いた。


「…引っ越しを、されると」

「ん?そうだな。前から話してたが」

「それ、中止にできませんか」

「え」


 目を瞬かせる。

 引っ越すこと自体はだいぶ前から話していたことだ。

 兄とはいえ、ゾンター伯爵である俺が同じ邸にいるのはおかしい。嫡子が当主を継げば未婚の弟妹を除いて家を出るのが通例だ。

 まあ俺は妻と死別してるが、娘のルルがいる。だから出ていくのが当然なんだが…。


「…別に、引き継ぎの件は問題ないだろう?」

「嫌です」

「ん?」

「嫌なんです。寂しいんです」

「おい、マルクス」


 ぐ、と膝の上で拳を握って告げられた内容に困惑する。

 今までこんなことは言われたことはなかった。

 意見されることは侭あったが、お互い納得した上で決めたことを覆すようなことは初めてだ。


 今日の夜会で何かあったのか?

 そう、心配になってもう一度声をかけようとしたらバッとマルクスの顔が上がった。


 …泣いてる!?


「いや、ですにいさま、いかないで」

「お、おいどうした!?」


 ガタンと立ち上がって、慌ててマルクスに駆け寄る。

 ひっくひっくとしゃくり上げながら泣くその様子は幼い頃のマルクスを見ているようだった。

 隣に座って背を撫でる…と、ふわりと、俺が飲んでいたワインじゃないアルコールの香りがした。


 なるほど。顔には出てないが酔ってるのかこいつ。


「にいざまぁあ~~~」

「あ~~、はいはい」


 ポンポンと頭を撫でてやるとマルクスはわんわんと泣き始めた。

 こいつ泣き上戸で退行するんだな。夜会のときは気をつけさせないとだめだ。


 ちなみに、この国の酒は成人(18歳)になってから。

 つまりマルクスは今日が初めての酒だった…のかもしれない。

 学院時代に俺は隠れて飲んでたから耐性ついたけど。


「い、いっちゃ、やだ」

「やだっつってももう日程も決まってるし」

「ルルばっかり、ずるい、ぼく、ぼくもっ、にいさまと一緒がいい~~!」


 きゅ、と唇を結んだ。

 だめだ顔がニヤける。俺の弟可愛い。

 18歳でガタイが良くイケメンな弟のギャップがすごすぎる。

 普段は貴公子っぽく王子様より王子様してるマルクスがだぞ?こんな子どもみたいに喚いて昔みたいに「にいさま」って呼んでくれるなんて嬉しいんだが。

 あああ、なんでも叶えてやりたい!!でも引っ越しの中止はさすがにちょっと…それにこの言動は酔っ払ってるだけだし、明日の朝にはマルクスが死にたくなるだろうし、うん。

 ここは心を鬼にしなければ。


「だがなぁマルクス。俺とルルがいることで迷惑に」

「迷惑じゃない!」

「もちろんマルクスも家族だ、だが」


 そこまで言ってぎゅ、と裾を掴まれた。

 泣きはらした、うるうるとした瞳で俺を見上げて。


「にいさま…」



 ……



「………わ…かった」




 身内だけどイケメンの上目遣いって男にも効くのな。不覚にもきゅんとしたわ可愛い。

 俺の返答にぱぁっと顔を明るくさせて、ふにゃりと笑ったマルクスの頭をぐしゃぐしゃと撫でてやった。




 翌朝、準備を進めてくれているクリストフになんて伝えようか悩みながら食堂に向かったところ、ばったりとマルクスに会った。

 途端、かーっと顔を真っ赤にしたマルクスは挨拶もせずに脱兎のごとく逃げ出した。

 覚えてんのな。かわいそうに。可愛かったけど。


 ちなみに、予定の変更を伝えたらクリストフには静かにキレられた。

 ただマルクスの昨夜の様子を伝えたところ、頭を抱えて「まさか本当に実行されるとは」と呟いたのが聞こえた。


 …え?もしかしてわざとなの?あれ。

 それならめっちゃ演技派だな、マルクス。


「演技ではなく本心ですよ、旦那様」

「もう俺旦那様じゃないんだが」

「失礼いたしました、坊ちゃま」

「それもうわざとだろ?」

「せっかく順調に進んでいた引越作業が中断となったのです。そのくらいは良いでしょう?」


 うん、まあ、それは悪かったって。

 昔からクリストフは怒ると怖いんだよなぁ。兄弟して怒られたときは身を寄せ合ってその日は寝たっけ。懐かしい。

 懐かしんでる俺に気づいたのか、クリストフはあからさまにため息を吐いた。


「全く、坊ちゃまは昔からマルクス様を甘やかしすぎです。一体いつになったらこの老体を隠居させてくれるのやら」

「はは、しばらくは頼りにするぜ」




「マルクス叔父さま、どうしたの?おなかいたいの?」

「……穴があったら入りたい」

「え!?じゃあルルのクローゼットに入る?」

「いや…うん。ありがとう、大丈夫」


 そんな、可愛いやり取りがあったとメイドから報告があって、思わずニヤついた俺は悪くないと思う。


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