第8話 一瞬、脳内に宇宙が広がった
暗殺者ギルドは表立っては情報ギルドと名乗っている。
この国にもいくつか情報ギルドがある。王都にある3つの情報ギルドのうちのひとつ、プフィッツナー情報ギルドは裏では暗殺等の後ろ暗いことも請け負うギルドだ。
表立っては情報ギルドなので、暗殺者ギルドでもあることはごく一部の連中しか知らない。
人間って、モンスターという共通の敵がいても欲が強い。
より強く、より上に。そんな思想を持つ連中がいるのは事実で、そういったのが敵対派閥の息がかかっている商団に関する情報を手に入れ、領地の流通に反映する…といった情報戦で優位に立とうとする。
そんなときに利用するのが、情報ギルド。…もちろん、これは純粋な情報ギルドの使い方で、一般的な争いだ。
だが一部の者は、そんなものじゃ足りないと足掻く。そこでいきつくのが暗殺者ギルドだ。
暗殺者ギルド自体は違法じゃないのかって?表立っては違法は違法だが、情報を取るために潜入する上でやむを得ず殺す必要があるとかそんなんで見逃されてる、限りなく黒に近いグレーな組織なんだよ。
こうやって公爵家当主の仕事をやってると、法で裁けない方法で悪どいことをやってる奴の対処をしようとするとこの暗殺者ギルドって必要悪なんだな、と思う。
暗殺者ギルドに依頼する場合の支払う報酬は馬鹿にならないが、腕は一流。そんなギルドに所属する平民カールが、攻略対象者のひとり。
攻略対象者でキラキラの王子様、カッコいい獣人族の貴族などがいる中、仄暗い過去を持つ平民の人族の男としてなかなかの人気を誇っていたと思う。
闇に溶け込むような黒髪黒目の持ち主で、面立ちもイケメン。
ヒロインよりも5歳年上の青年で、表向きは朗らかな好青年だが、本性は血を見るのが大好きなサイコパス。
…ヒロインと娘のルルは同い年だ。
つまり、彼は今11歳のはず。
カールが所属し始めたのは13歳ぐらいからだって設定資料集にあったから、もしこの世界があのゲームと同じであればまだ暗部にいない、もしくは触りの部分だろう。
「聞いてるのかね、レーマン公爵代理!」
キーンと聞こえた声に、俺は思考の海から上がった。
ぼんやりと紅茶を眺めていたが、視線を上げる。
「聞いてませんね。まどろっこしすぎて」
「全く!君が情報を求めているから、この私が!わざわざ!君の家にまで出向いたというのに!」
やっぱペベルに手紙出すんじゃなかったな。
淹れ直してもらった紅茶に口をつけながら、内心ため息を吐いた。
フィッシャー卿やシュルツ卿なんかは書面で返してくれたというのに、この目の前の男はなぜか先触れを送ってきた。
柔らかく「いや忙しいだろうから書面でいい」って返したのに、また先触れ。
それを三度繰り返して、俺は諦めて受け入れた。そして今後悔してる。
全く、俺が望んでいる情報を喋らないから。
「その情報を喋る気配がないあなたに言われても」
「喋る気はあるとも!なければ君の家に訪問することはない!」
「じゃあとっとと要件を話して帰ってくれませんかね。私も暇じゃないんですが」
「…はぁ。君は些細な情報戦を楽しもうという気はないのかね」
「一応耳に入れましたが、どれも
マルクスのためになるなら俺だって聞くさ。
だがペベルの話はどう捏ねくり回しても重要な情報はなかった。
会話のネタにはなるだろう、という程度の情報ばかり。
…?ペベルの顔が苦り切った表情になってる。
なんだ。気分でも悪くしたのか?
「…君は」
なにかを言いかけたペベルだったが、コンコンという小さなノック音に遮られた。
茶も先程淹れてもらったばかりだし、来客中だから誰か来るはずはないんだが。
「何だ」
「ごめんなさいお父さま、少しだけよろしいですか…?」
「ルル?」
カップを置いて、立ち上がってドアに向かう。
少しドアを開ければ、ルルが緊張した面持ちで俺を見上げていた。
来客中だと分かっていてルルを通すなんてクリストフも珍しいな。
「あの、お客さまにごあいさつしたくて…」
ちら、と俺を見上げるルル。
俺は何度か目を瞬かせ、それからルルの傍に控えていたクリストフを見た。
にこりと彼は微笑んで「及第点をもらえたそうです」とだけ。
…ああ。まあ、それならいいか。
「…ベルント卿。私の娘が、挨拶をしたいと。よろしいか?」
「もちろんだとも!」
ぱ、と表情を明るくしたペベルを見て、俺はルルをエスコートする。
ルルは緊張した面持ちでペベルの前に立つと、ドレスの裾を持ってカーテシーをした。
「お初にお目にかかります。ヴォルフガング・ゾンターが娘、ルイーゼ・ゾンターです」
「ああ、ご丁寧にありがとうルイーゼ嬢。私はペーター・ベルント。爵位は公爵を賜っている。君の父君の友人さ!」
「お父さまの?」
「え?」
ああ、これは確かに及第点だルル。カーテシーなんて難しいものを6歳でなんとか形にできてるのはすごいよ…って感動してたときに聞こえてきた「友人」という単語に思わず、驚いてペベルを見る。
しかしペベルはいつも通り自信たっぷり、といった態度で胸を張っている。
ルルは目をパチパチとさせた後、にっこりと微笑んだ。
「お父さまのご友人ということは、学院のときの?」
「そう!君のお父さまの唯一の友人、親友さ!」
脳内が宇宙で支配された。
え。俺いつの間にペベルと友人とか親友になったわけ?
ペベルはルルをエスコートして、空いていた席にルルを座らせる。
俺はクリストフに合図してルルの分のハーブティーを持ってこさせた。紅茶はまだ早い。カフェインが含まれてるからな。
一応、客人ということもあって茶請けとしてのクッキーが用意されている。それをキラキラとした眼差しで見ていたルルに、ペベルはにっこりと笑って数枚皿に取り分けて差し出した。
「一緒にお茶をしよう、小さなレディ。お父君とお母君の学院時代の話を聞きたいかい?」
ぱ、とルルの表情が明るくなった。
…ああ、こいつ。まだ居座るためにルルを利用したな。
俺は内心ため息を吐きながら、席に着いた。ついでに給仕メイドに紅茶の入れ替えを頼んだ。
話が長くなりそうだ。
―― 結論からいえば、ペベルは夕方まで居座った。
だがそれはペベルから語られる学院生時代の俺やカティの話にルルが興味を持ってあれこれと聞いていたから、ペベルはその時々の逸話を交えながら答えていたから。
尽きない話題に、こいつよく俺やカティのことを見ていたんだなと思わされた。
そんな一緒にいた記憶はない…おそらく。
そろそろ夕飯の準備にはいらねばならず、ペベルの分をどうするかとクリストフが聞いてきた辺りでペベルは過ぎた時間に気づいたようだった。
「ああ、ルイーゼ嬢と話しているとあっという間だな。寂しいが、私はこれでお暇させてもらおう」
「あの、またお父さまとお母さまのお話を聞かせていただいてもいいですか?」
「もちろんだとも!」
ルルが、花が咲いたような眩しい笑顔を見せる。
俺から聞いた話と同じ内容でも、客観的にペベルから見たやり取りではまた違った印象だったから面白いのだろう。俺も実際、そんな風に見られていたのかと驚いた部分もある。
ルルが専属侍女を伴って、ペベルに挨拶をしてから退出する。
それを見送ってから、俺も席を立った。ペベルが帰るなら一応見送らないといけない。
しかし、ペベルは立ち上がらなかった。
不思議に思ってペベルを見れば、真剣な眼差しと表情を見せているペベルに呆気に取られる。
「ベルント卿?」
「……君は、私の名は覚えているけれど顔は覚えていない。違うかね」
―― ああ、こいつはそういえば腐っても公爵だった。
「学院生時代からおかしいと思っていたんだよ。君は周囲と自ら関わろうとしない。相手から来れば来るもの拒まずで話しはすれど、君から話しかけられることはない。私ともそうだった」
「…」
「それが君の性格なのだと決めつけるのは簡単だった。だが、そう。当初は没交渉だった当時君の婚約者だったカサンドラ夫人が、積極的に君と関わり始めてから君は変わった。君は彼女と幾度かの関わりの後、カサンドラ夫人を見て、名を呼んだ。それまで君は誰の名も呼びかけなかったのに」
「……何を仰りたいんですか」
ニィ、とペベルは口元に笑みを浮かべた。
細い目がますます細められ、まるで狐面を見ているようだ。
「私の顔を覚えてくれ」
「はぁ?」
「ひどいなぁ。私がこんなに君を友人として愛しているというのに!」
「自分の顔を覚えてないと分かってる相手を友人だと思うのはおかしくありませんか」
「おかしくはないさ!…私は、君に救われたからね」
…?
俺はペベルを救った覚えはないんだが。
だがペベルは懐かしむような、穏やかな表情を浮かべている。
「……さ。そろそろ本当にお暇しよう」
席を立ち、身なりを整えるペベル。
本当にこいつ、何をしに来たんだか。
その後玄関まで見送り、馬車に乗り込もうとしたペベルがふと思い出したように振り返った。
「そうだ、忘れていたよ。…我が家がエリアロックを仕入れた商団だが、運送業者はジシャーハイト。なにか変わったことはないか確認したら、当日は臨時でふたり組が入っていたそうだよ。名前までは分からなかったが、とても親子には見えない強面の男性と黒髪黒目の少年だったそうだ」
「! …あなたは」
「ははは!ではまた。ルイーゼ嬢にもよろしく伝えてくれたまえ」
今度こそ馬車に乗って、ペベルは帰っていった。
なんなんだあいつ、本当に。先にそれを話せばよかったのに。
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