帝都に帰る




 あれから――。

 僕とレフィリアはしばらく海都マリウルブスに滞在した。

 滞在と言っても、観光なんかじゃない。そんな暇もなかった。

 街への被害は極々軽微だったものの、負傷者の数は多く、臨時で治療院を開設して治療の日々を過ごしていた。

 っていうかアシュタリスがその気になれば、こんな都市程度なら一瞬で全員回復させることも出来そうではある。

 それを言ってみたら、平然とこう言われたのである。


「嫌じゃ。なぜこの儂が人間共を癒さねばならん」


 なんでもできる王様は、別になんでもしてくれるわけじゃないということらしい。けち臭い。実にけち臭い。

 でも正直僕はまだ楽な方だった。

 レフィリアの――騎士団の方に比べれば。

 帝国から復興のための部隊を呼んだのだが、予想通りと言うべきか、海都の人々は一斉に騎士団を、ひいては帝国を批判し始めた。

 いざという時に騎士団が姿を消したこともあるが、何よりマズイのは、裏門から攻めてきた別動隊を目撃した人がいたことだ。

 その別動隊には騎士もいた。つまりは、そういうことだ。

 人々は連日騎士団の詰所に押しかけ、怒声を響かせる。皆は疑っているのだ。帝国が騎士団を使い、海都を落とそうとしたのだと。

 もちろんそんなことをしても帝国にはメリットがないし、真実を知っている僕からすれば、妄言以外の何物でもない。

 だが、一度火が付いた怨嗟の炎はなかなか消えないものである。

 特に被害者の友人、家族は、その怒りの矛先をそこに向けるしかない。

 そこで街の人々との和解に動いたのはレフィリアだった。

 彼女は仮にも海都を守った英雄のようなもの。ある程度の鎮静化が期待できたためだ。

 ……だが、人の気持ちというものはそれほど単純ではなかった。

 最初こそ効果があったものの、長くは続かない。挙げ句、レフィリア自身が矢面に立つことになってしまった。

 否定も肯定もできず、レフィリアは先頭に立ち、ただただ毎日頭を下げて罵声を受け続けていた。

 その真摯な対応に拳を下げる人もいたが、それでも、人の波は尽きることなく騎士団への反発は根強く続いていた。


「私か? 私は、大丈夫だ」


 レフィリアはそう言う。

 わかってる。そんなの強がりでしかない。それは彼女のやつれた顔を見ればすぐにわかる。


「何を言うておる。貴様、かなり疲労が溜まっておるぞ。一目瞭然じゃ」


 レフィリアの気丈さを愚かにも台無しにするアシュタリスである。


「す、すまない……このところ、あまり休めてなくて……」


「まあ、貴様がそうしたいのなら好きにすればよい。儂にはどうでもいいことじゃしな。小僧、儂らは帝都へと帰るぞ」


「帰れるか。お前一人で帰ってろ」


「そなたの治癒術を必要とする程の負傷者はもうおらぬよ。頃合いじゃて」


「あのな……そういう問題じゃないだろうに」


 このままレフィリアを残して帰るなんてこと、出来るはずもない。

 そんな僕の考えをアシュタリスは読んだのだろう。


「ならばこの都市を滅ぼせば帰る気にもなろう。ちょいと待っとれ」


「ならないから! いいからその物騒な魔力を消せ! すぐに!」


 そんなやり取りを続けていた時だった。


「レフィリア様はおられますか?」


 ふと、騎士の一人が彼女を訪ねてきた。


「あ、ああ。どうした?」


「たった今、帝国騎士団本部より緊急の暗号術が送られてきました」


「緊急の? 回せ」


 レフィリアは右腕にある晶石に触れる。するとそこから、光の手紙のようなものが浮き出てきた。

 アシュタリスは興味津々といった様子でそれを見る。


「ほほぉ……。魔法を使った文章のやり取りとは。確かにこれであれば途中で奪われる心配もない。なかなか面白いことを考えたものじゃの」


「お前でもできるだろ?」


「儂はいちいち文章など送る必要がないからの。そなたに用件があったとしても、念話で直接話せば早い」


「どうでもいいけど、いきなり話かけてくるなよ? びっくりするから」


「――なんだとッ!?」


 文章を読んだレフィリアは、驚きの声をあげる。

 その表情は固まり、目を見開き、口を歪ませていた。


「なんて書いてあったの?」


 僕の質問に、彼女は文章をかき消して答える。


「帝国への、帰還命令だ。騎士団長、直筆の。明日にでも、海都を出るようにと……」


「なるほどの。もはやここの人間の癇癪には付き合うな、と」


「アシュタリス!」


「いや、アシュタリスさんの言う通りだ。騎士兵長たる私に、これ以上頭を下げさせたくないのだろう。あとは残る騎士で詰所を警備し、ほとぼりが冷めるのを待つ……そういうことだ」


「合理的じゃな。親しい者が死に悲しみに暮れるのはわかるが、それを理由に他人に八つ当たりし続ける奴など相手にするだけ無駄じゃろう。しかしながら、命を賭して都市を防衛した娘を罵倒し続け、挙げ句間接的に街から追い出してしまうとはの。人とは実に愚かなものじゃ」


「…………」


 アシュタリスの言葉に、僕もレフィリアも何も言い返せなかった。

 事態が改善することなく、翌日、レフィリアと僕、アシュタリスは帝都へと帰るのだった。




 ◆




「長、開院準備できた」


「ありがとうアシュリー。混んで来たら呼ぶから、それまでは休んでて」


 久しぶりの治療院。そして、久しぶりのアシュリーだった。

 帝都に帰ってからもアシュタリスはやたらと表に出続けていたが、さすがに眠くなったのだろう。

 ある朝起きれば、アシュリーとなっていた。


「長、私、なんだか元気。大丈夫」


 元気なのはアシュタリスのおかげなのかもしれない。憑代が病弱ならあいつもヤバいわけだし。

 ガラッと、扉が開いた。


「失礼する」


 入ってきたのはレフィリアだった。

 

「やあレフィリア。いらっしゃい」


 声を返すと、彼女を椅子へ案内する。


「今日も疲労回復でいい?」


「いや、大丈夫。今日は別の用件で来たんだ」


 すると彼女は表情を引き締め、椅子から立ち上がり深々と頭を下げた。


「ユージーン、海都では色々と迷惑をかけてすまなかった」


「ちょ、ちょっと待ってレフィリア! いきなりどうしたんだよ!」


「どうもこうもない。海都での騒動に巻き込んでしまったことだ。ここ最近の忙しさにかまけて、ユージーンへの謝罪が遅れてしまった。本当にすまなかった」


「いいから! レフィリア、頭を上げて!」


 頑なに謝罪を続ける彼女を何とか説得して椅子に座らせる。


「ホントにどうしたんだよ、いきなり」


「先程も言った通りだが、海都での事件は全て騎士団が関係するものだった。ユージーンも依頼を受けていたとはいえ、騎士団として、巻き込んだことへの謝罪は必要だろう。それで……」


「それでレフィリアが代表して謝りに来た、と」


 彼女は強く頷く。

 

「でも、レフィリア達がいたから僕の依頼も完遂できたところはあったからさ。そもそも途中で共同作戦をした段階で、そこはイーブンだと思うんだけど」


「しかし、それでは私の気が済まない」


(そうは言ってもなぁ……)


 正直、あまり謝られてしまうと逆にこっちも気を遣ってしまうところはある。

 だが事実として、レフィリアはこうして謝罪に来てるわけであり、ここで僕が頑なに拒否すれば彼女もまたスッキリしないのかもしれない。

 僕は折れることにした。


「……わかったよレフィリア。その謝罪、受け取らせてもらうよ」


「そうか……すまない、ユージーン」


 彼女はようやく、安堵するように表情を崩す。


「でも僕も、謝罪を受け取った上で改めて言わせてもらうよ。あれは騎士団だけのせいじゃない。何より、レフィリアに非なんてあるわけがない。犠牲が出てる以上仕方ないとは言えないけれど、あんまり自分ばかり責めちゃだめだよ。レフィリアだって、散々バッシングを受けてるんだから。贖罪の意味なら十分過ぎるさ」


 しかし彼女は、静かに「贖罪だとは思っていない」と言う。


「あの時、海都の人々は騎士団に裏切られたんだ。そして犠牲が出てしまい、愚劣な侵攻をした主犯も消えてしまった。だからこそ、海都の人々の憤りの受け皿が必要だったんだ。現実的に、誰かを恨まないと先に進めない人もいるだろう。その役目を担えるのは、あの場では私しかいなかった。それだけのことなんだ。だから私を責めることで、その悲しみが癒えるのなら――」


「――レフィリア、それは無理」


 突然、アシュリーが会話に割って入る。

 僕とレフィリアが彼女に顔を向けると、彼女は淡々と話し始めた。


「人の心、憎しみ、怒りは、そんなに単純じゃない。一人にぶつけて解決する……そんなことはない。例え一時的に悲しみが癒えたとしても、怒りも憎しみも、また生まれる。人が人を思う限り、死んだ人を思う限り、その感情はいくらでも出てくる。レフィリアがそれを何とかしたいと思うこと、それはわかる。でも、誰か一人で全てを癒すことはできない。それは、傲慢というもの」


「では、どうすればいいんだ!」


 レフィリアは声を荒げる。

 溢れんばかり涙を目に溜めて、閉じ込めていた感情を爆発させた。


「騎士団は私の誇りなんだ! しかし騎士団のせいであれほどの事態が起きてしまった! 私には、それが許せない! 犠牲者の気持ちはどうなる! 私のこの憤りはどうすればいい! 私は……私は……――!!」


「――忘れないこと、じゃないかな」


 レフィリアは、ようやく僕を見た。


「海都で犠牲になった人を、犠牲者が出た事件のことを、忘れないことじゃないかなって。いくら後悔しても過去は変えられないし、いくら悔やんでも死んだ人は生き返らない。酷く投げやりだけど、あとは時間が解決してくれるのを待つしかないと思う。だけどレフィリアだけは、あの出来事を忘れないようにするんだ。どれほどの犠牲が出たのか、それがなぜ起きたのか、そして、次に同じようなことが起きた時に何をすべきなのかを。たぶん、ただの自己満足にしかならないと思う。だけど、それしかできないとも思う。あの日のことを忘れずに、明日からの犠牲を少しでも抑える。それが、レフィリアのやるべきことなんだよ。きっと」


「そんな……そんなことで、いいのか?」


「言うほど簡単じゃないよ。それはつまり、いつまでも向き合えってことだし。罵られて、謝罪して、許されることよりも、ずっと過酷さ」


「…………」


 レフィリアは、それから何も言わずに待合室のベンチに座っていた。

 たぶん頭の中を整理していたんだと思う。

 その証拠に、帰る時の彼女は、少しだけ前向きになっていた。


「そうそう、レフィリア。一つ言い忘れてた」


「なんだ?」


「レフィリアが最初に言ってたことだけど、やっぱりちょっと納得できないかなぁって。僕としては、もっと別のことを言って欲しかったな」


「別の……」


 レフィリアは立ち止まり考え込む。

 そして、気付いたようだ。


「……そうだな。ユージーン、ありがとう。ユージーンがいてくれて、本当に良かった」


 彼女の微笑みは、とても柔らかかった。


「詭弁じゃのぉ」


 レフィリアが帰った後、いつの間にかアシュタリスが表に出てきていた。

 

「何が?」


「そなたが騎士の娘に言ったことじゃよ。上手く言いくるめよったが、要するにアレじゃ。お前にできることは何もないからガタガタ抜かすな――そういうことのように聞こえたがの」


「身も蓋もない言い方するなって」


「しかし、経験者は語るとはこのことよの。もっともそなたの場合、幾千万人もの存在を消し去っておるからな。たかだか数十人程度で喚き散らす娘が、さぞ幼稚に見えたじゃろうて」


「……そういうのは数の問題じゃないさ。それに僕の場合は明確にやるべきことがあるから……助けたい人がいるから、レフィリアよりもよっぽど単純でわかりやすくていい」


「ほほぉ……助けたい人と来たか。誰のことじゃ? 騎士の娘か? それとも、儂の依代の小娘か?」


「違うよ。僕が助けたいのは、アシュタリス、お前のことさ」


「…………は?」


 アシュタリスは、目を点にしていた。


「お前ってさ、あんまり自分のことは話さないけど、やって欲しいことはずっと言ってるよね」


「はて? そうかの?」


「安心しなよ。お前は、僕が必ず殺す。幾千年を虚無の中で過ごしてたお前に、明確な終わりを見せてやる。終わらない暇から、お前を助けてやるから」


「……ハハハ、アハハハハ! アハハハハハハハ! アハハハハアハハハハハハ!」


 アシュタリスは笑う。大いに笑う。

 顔を真っ赤にして、腹をよじらせ、涙を浮かべて、声高らかに大笑いしていた。


「そいつは実に楽しみじゃ。せいぜい励むが良い。期待せずに待っておるぞ、小僧」


「お前こそ、首を洗っておけよ、アシュタリス」


 そしてアシュタリスは引っ込み、今日も治療院は開かれる。

 様々な人の傷を癒やしながら、今日も治療をする。

 それで誰かが救われるかは知らない。でも少なくとも、僕はそれで満足する。

 それで十分なんだと思う。

 この異世界に来たイレギュラーな僕には、それで十分過ぎるんだと思う。

 窓の外に広がる帝都の街並みを眺めながら、そんなことを思い耽るのだった。






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おとなりの治療師 ぬゑ @inohirakai

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