白屍の嘲弄⑥
「――……ここは」
レフィリアは目を覚ました。
そして彼女の視界に入ったのは、心配そうに顔を覗くユージーンであった。
「レフィリア、大丈夫?」
「ああ、ユージーン。私は大丈――」
彼女は思い出す。
迫る光が障壁を砕いたことを。体を貫かれたことを。その痛み、苦しみ、そして絶対の死の恐怖を。
「わ、私は――!」
飛び起きて体を触るレフィリア。
しかし彼女の体に風穴はなく、それどころか甲冑すらも無事だった。
(どういうことだ? あの時、確かに私は……)
困惑する彼女に、ユージーンは安堵するように話す。
「びっくりしたよ。レフィリア、いきなり倒れるんだから」
「倒れた? 私が?」
「覚えてないみたいだね。顔色もよくないし、相当疲れが溜まってるのかも。それとも、
(夢? ……そうか、夢か)
レフィリアは少しだけ恥ずかしくなり、頬を緩めた。
「……いや、なんでもない。確かに少し疲れていただけのよう――」
改めてユージーンを見た彼女はギョッとする。
「ユ、ユージーン!? どうしたんだ!?」
彼女が驚くのも無理はない。
彼は、ボロボロだった。着ている服は至るところが破れ、血痕も点々と付いている。頭からは血が滴り落ち、顔も血みどろ。更に大小細かい傷が体中に残されていた。
「き、傷だらけじゃないか! 何があったんだ!?」
見た目の割に元気なユージーンは、必死に脳をフル回転させる。
「いやぁ……転んだ?」
「なぜ疑問形なんだ。そもそも、転んだだけでそこまでのケガはしないだろう」
「ええと……転んだ拍子に、崖から、こう、ぽーんと……」
「それなら生きている方が不思議だ」
「いやぁ、あはは……」
ユージーンは困り果て、とりあえず愛想笑いを一つこぼす。そこでずいっと前へ躍り出たのは、彼の後ろにいたアシュタリスだった。
「儂が答えてやろう」
彼女は腕を組み、仁王立ちしていた。
「あれは……そう。貴様がフラッと倒れた時のことじゃ。小僧は慌てて医者を呼ぶと言い始め、すぐに走り出した。だが儂はすぐさま止めた。待つがよい! 医者はそなたであろう! ……とな。動揺した小僧は足を止めたが、それがいかんかった。すってんころりんと倒れ込み、なだらかな丘を転げ落ち、不運にも目の前にあった崖から落ちてしまったのじゃ。幸いにも崖から生えた木の枝に引っかかり命拾いはしたのじゃが……まあ、ご覧の有様じゃて。どうじゃ? わかったか?」
「あ、あの……崖は、丘の上にあるので……。丘を転げ落ちたら、崖から落ちないのでは……?」
「…………」
黙り込むアシュタリス。
ユージーンはそんな彼女をレフィリアから引き離し、小声で耳打ちする。
「おい! 余計話をややこしくしてどうするんだよ!」
「え、ええいうるさい! 元はと言えば、そなたが崖から落ちたなどとしょうもない嘘をつくからじゃ! だいたい儂とて、さっきまで首がなかったのじゃぞ!? 頭が回らなくても仕方なかろう!」
「僕のせいって言いたいのかよ! っていうか、異界の神なら記憶の捏造くらいしとけよ!」
「そなたは神否定派じゃろうが! 都合がいい時ばかり神頼みとは恥を知れ!」
「…………」
不毛な争いをする二人だったが、仲が悪そうには見えない。
レフィリアは、二人を見つめる。
(あの人、誰だろう。すごく綺麗。ユージーンの知り合いみたいだが……)
普段とは全く違う。気を許して好き勝手言いまくるユージーンの姿を見ていたレフィリア。その胸の奥では、ちくりと針で刺されたような痛みが走っていた。
(なんだ、これ……)
どうしてなのかがわからず、どうすればいいのかもわからず。
手足を軽く動かし、体の調子を確認する。
大丈夫。動けそうだ。
そう感じたレフィリアは、徐に立ち上がった。
「レフィリア、まだ横になっていた方が……」
「だ、大丈夫だ! それより、街の様子が気になる! 先に戻っているぞ!」
そして彼女は、ろくにユージーンの方を見ないまま丘を駆け下りて行った。
そんな姿を見たアシュタリスは「ほほーん」と意味深に微笑んでいた。
「……で? お前はいつ眠るんだ?」
ユージーンは尋ねた。
「二年も眠っていたからの。生憎じゃが、今はちっとも眠くない」
「そうか……」
「安心せよ。アシュリーとかいう小娘なら静かに眠っておるわ。大切な儂の憑代じゃ。無下には扱わんよ」
「ついでに教えてくれないか? どうやったらお前を殺せるんだ?」
ユージーンは、表情一つ変えることなく聞いた。
「儂だって知らぬよ。じゃが、お主も見たであろう。首を落としたというのに、儂はこうしてぬけぬけと生きておる。儂の殺し方など知らぬが、並大抵の方法ではないのは間違いないの」
「そうか……。くそ、なんであれで死なないんだよ」
「そう嘆くな。たかが人間でありながら、この儂の首を落としたのじゃぞ? 絶対者たる、この儂の首を。まさに偉業じゃろうて。回復術と魔剣で儂の魔法を掻い潜り、全身を砕かれながらも、一刀にて儂の首を落とす――見事であった。実に美しく、実に鮮やかな技であった。儂も満足じゃ。満足したからこそ、こうして世界は変わらない時の中におる。感謝せいよ?」
それは異界の神にして、最大限の賛辞だったのかもしれない。
だがユージーンは、一切喜びの感情を示さない。むしろ仏頂面を構え、ジト目でアシュタリスを見ていた。
「どれだけ褒められても、結局はお前を殺さないと同じなんだろ?」
「無論じゃ」
アシュタリスは、見下すようにユージーンを笑う。
「そなたの命が尽きるまでに儂を殺さねば、儂が世界を殺す。以前言った通りじゃ。儂はこの世界など、心の底からどーーーでもいい。儂が興味あるのは、そなただけ。人の身でありながら、神をも殺さんとする魔剣を生み出すそなただけなんじゃよ」
そして白屍は空を仰ぐ。
「儂は『白屍の王』じゃ。全てを叶えることのできる儂。全てが許される儂。そのような儂を、そなたは一方的に呼び出し、有無を言わさず封じ、あろうことか小間使いのように叩き起こした。これがどれほどの屈辱か、そなたにはわかるか? 儂はの、お主が憎いのじゃよ。心の底から。今すぐ捻り潰したいほどに。これほどの深い怒りを覚えるのは、いったいいつぶりなのやら……」
アシュタリスは、己の手を見つめる。
全てを焼き払い、吹き飛ばし、治し、掴み取る手を、物憂げな眼で見つめていた。
「小僧、絶対者とはなんじゃ? 最強とはなんじゃ? 死をも超越し、何人も阻むことのできぬ王とはなんじゃと思う? “無”じゃよ。そこには、何もない。夢や欲望も霞み果て、全ての苦痛から遠のき、儂の時間は、ただ流れゆくだけじゃった。抑揚のない歌のように、酷くつまらぬものよ。暇で暇で、暇すぎて、自害すら考える程にの」
そして彼女は、ユージーンを見た。
「じゃからの、儂は、この憎悪が愛おしい。この憤怒が愛おしい。色の尽きた世界にあった儂にも、このような激情が残っておったことが嬉しくてたまらん。それを与えてくれたそなたが、全てにも勝り愛おしいのじゃ。この儂の愛憎、受けて止めてもらうぞ。そなたにはその責任がある。義務がある。儂を殺せ、ユージーン・セトよ。そなたの全てを賭けてでも、儂を殺してみせよ。それこそが、儂とそなただけのまぐわい……決して逃がさぬぞ、小僧」
「…………!」
ユージーンに悪寒が走る。
彼は心の底から思い知った。
どうしようもない程に、神に魅入られたことに。
アシュタリスは決して逃がしてはくれないと、確信してしまったのだった。
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