白屍の嘲弄⑤
フィリップ・ヘンリクソンが消滅してから少し経った頃、ユージーンがいる丘にはレフィリアがいた。
一定の事実を伏せたまま、ユージーンはことの経緯と結末を話す。
「……そうか。フィリップは、灰になったのか」
「これまでの報いだと言えば話は早いけど、敵ながら、哀れな最期だったよ」
「しかし、あの時は有事故に私も考えが及ばなかったが、もしも戦闘になっていたらどうするつもりだったんだ? 相手は支部団長も務めた程の腕前なんだぞ?」
「え、ええと、それは……」
言葉に迷うユージーンだったが、レフィリアはそれを“無計画”と解釈する。
「まったく……。とにかく、ユージーンが無事で本当によかった」
「正門の方は大丈夫だった?」
「何とも言えないところだがな。死者二十六名。負傷者はざっと百人以上。命こそ取り留めたが、今後の生活に支障が出る者も多い。無論、都市一つが滅ぶかどうかの瀬戸際であったし、戦ったのは普段訓練などしていない民達がほとんどだ。その中では最小限の被害だったと言える」
しかしレフィリアは、臍を噛むように表情を暗くする。
「……だがそれでも、犠牲が出てしまったのは帝国の失態だ。本来海都の防衛を務めるはずの騎士団が民を裏切り、あまつさえ敵を誘致し、防衛すべき都市を攻め落とそうとしたなど弁明の余地もない。例えそこにいかなる事情があろうとも、反発は避けられないだろう。言い訳をしたところで、犠牲となった者は帰って来ないのだからな」
「でも、レフィリアがいなかったら被害はそんなレベルじゃなかったはずだしさ。十分だと思うけど」
「私は帝国の騎士だ。これだけの被害が出ている以上、これで良かったなどとは口が裂けても言えないさ。だが……」
そしてレフィリアは、ユージーンに顔を向け微笑んだ。
「ユージーンの気遣いは嬉しく思う。ありがとうユージーン。私にはその言葉だけで十分だ」
「……そっか」
こそばゆく感じたユージーンは、逆に視線を逸らしてしまう。
空気が少しだけ和やかになったところ、そこに、混沌たる存在が辿り着くのだった。
「――なんじゃなんじゃ、もう終わってしまったのかの?」
「――――」
ユージーンは顔が凍り付いた。
彼の異変に気付きつつも、レフィリアは声の方を見る。
そこにいたのは、全身が白尽くめの美しい女性だった。
レフィリアは当然知る由もない。
その者が、何者であるのかを……。
「え、ええと……あなたは?」
「儂か? 儂はアシュタリス。アシュタリス・アルム・モル・スクライ。もう一つ異名のようなものもあるが……今は捨て置こうか」
「アシュタリス、さん……」
レフィリアは困惑していた。
彼女の圧倒的なオーラに。雰囲気に。言動に。
まるで世界から切り離された存在のように思えるほど、レフィリアには、アシュタリスが極めて異質に見えていた。
「貴様が民兵を率いていた女かぇ?」
アシュタリスの問いに、レフィリアはようやく我に返った。
「え、ええ……そうですけど……」
「そうかそうか。聞いているぞ? 『鋼鉄麗刃』じゃったかの? 音にも聞く女傑がこのような可憐な娘だったとはの。しかも小僧とは親密な様子。小僧もなかなか隅に置けんものよの」
「し、親密だなんて……」
レフィリアは顔を赤くして俯いた。
しかしユージーンは、気を抜くことなくアシュタリスを見ていた。
「……アシュタリス、そっちはどうだった?」
「この儂を心配するとは、ずいぶん見くびられたものじゃ」
「別にお前のことは心配してないっつーの。微塵も。これっぽっちも」
「酷い言われようじゃの。ふいに涙が出てしまいそうじゃ」
演技がかった大袈裟な言い回しに、ユージーンは痺れを切らす。
「そういうのはいいから。敵の残存は? 操られていた騎士達は?」
そして、白屍はニタリと笑う。
「さて、知らぬの。
「お前……」
眉間に深い皺を作るユージーンを、アシュタリスは小馬鹿にするように横目で見た。
「そなたはいったい何故に怒っておる。儂を起こすということは
「…………」
アシュタリスの指摘通りである。
ユージーンにはわかっていた。彼女を呼ぶということは、敵の生存が絶望的になるということを。
しかし騎士達はあくまでもフィリップに操られていただけ。そしてアシュタリスがそれに気付かないはずがない。
ユージーンは侮っていたのだ。
アシュタリスが情けをかけるものと、そう皮算用をしていたのだ。
そして結果は今に至る。
オーク族たちも、操られていた騎士達も、彼女は等しく全てを塵に変えた。何一つ悪びれることも、後悔することもなく、冗談めいた言葉でそれを突きつける。
「そなたは、まだ儂という存在がどのようなものであるのか……よくわかっておらぬようじゃの」
「……いや、わかってる。わかっていたはずだった。今回は、単純に僕が甘かっただけだ」
「儂にはそうは見えぬがの。過去も、そして、
「なに……?」
二人の重苦しい空気に、レフィリアは戸惑っていた。
「先ほどから二人で何を話している? 敵? もう一つ敵部隊がいたのか?」
「え、ええと……それは……」
ユージーンはしまったと慌てていた。
説明に苦しみ、視線を泳がせる。
――ふと、彼の目に光が止まった。
アシュタリスである。彼女の右手には、密かに魔力が集められていた。
「アシュタリス!! 待て――!!」
「――――ッ!!」
刹那、レフィリアは自らに向けられる殺気に気付く。
そしてその方向を見定め、瞬時に魔導障壁を展開させた。
だが――。
パリィィン――。
既に眼前には魔力の光が迫っており、光は、ガラスを割るかのように彼女の障壁を突き破る。
いとも容易く、彼女の奥義を貫いたのだ。
(障壁が――!?)
そして光は容赦なく彼女までも突き破る。
レフィリアは吹き飛び、鮮血が溢れ、鋼鉄は赤く染まり、悲鳴も絶叫も上げる暇すらなく、彼女は大地に放り投げられた。
「レ、レフィリアァァ!!」
ユージーンは叫びながら彼女に近付く。そして戦慄した。
彼女の胴体には、もはや致命としか言えない大穴が空いていたのだ。
「ユー、ジーン……わ、わた……し……――」
そして、彼女の瞳から光が消える。
それは彼女の命の灯が尽きたことを、ユージーンに思い知らせた。
アシュタリスは、涼しい表情のまま徐に口を開いた。
「期待外れじゃ『鋼鉄麗刃』。貴様の障壁は全てを防ぐと聞いておったのじゃが、たかだか魔力を放った程度で割れてしまうとはのぉ」
「クソッ!」
ユージーンは両手に碧の光を帯びさせ、彼女の腹部の治療を試みる。だが何一つ反応はない。回復もしない。事切れた彼女の瞳は、暗黒に沈んだままであった。
「無駄じゃよ。その娘は既に死んでおる。如何にそなたの治癒術が強力でも、尽きた命を戻すことなど誰にも出来ぬよ」
ユージーンは激高した。
「アシュタリスッ!! お前――!!」
「――儂ならば、生き返らせることができる」
アシュタリスは宣言した。
「な、に……?」
「儂ならば、命尽きたその者を復活させることができる。儂を誰だと思うておる。異界の神、『白屍の王』、全てが許されし絶対者じゃぞ?」
「…………」
この土壇場で嘘をつく必要はない――。
少しだけ冷静さを取り戻したユージーンは、ゆっくりと立ち上がる。
「……何が目的だ?」
「そんなもの、言うまでもなかろう。先ほどのオーク達との戯れも暇つぶしにはなったが、とても満足したとは言えなくてのぉ」
そして『白屍の王』は、小癪に笑う。
「小僧、この儂をこき使った駄賃を払ってもらうぞ。儂を満足させよ。さもなくばその娘は死に、一帯を灰と化す」
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