白屍の嘲弄④




 ヒィィンッ――。

 ユージーンと獣が交錯した瞬間に剣閃が響く。

 獣は両手を切断され、その場に転げ込んだ。


「できれば、このまま終わって欲しいんだけど……」


 ユージーンの言葉も虚しく、獣はゆるりと立ち上がる。

 両手がないにも関わらず悲鳴すら上げない。痛覚がないのかは定かではないが、その様子は明らかに人とは変わってしまっていた。


「……そうそう上手くいかないよね」


「ウウウウゥゥゥゥ……!」


 獣が唸ると、腕の切断面の影がうぞうぞと蠢き、腕が生え変わる。併せて肉体をも更に変貌し、獣は巨大な黒い蜘蛛と化した。


「シャアアアアア!!」


「フィリップさん、あなたはとっくに、人ではなくなっていたんですね。残念です」


 黒蜘蛛は口から糸を吐き出す。霧吹のように散布された糸は広範囲に広がり、逃げ道を塞いでいた。

 しかしユージーンは降りかかる糸を全て断ち切る。そしてその場から駆け出すと、光の如き速さで蜘蛛の足元へと入り込んだ。

 ヒィィィンッ――。

 剣は残像すら残さず、音だけが響く。更に続けざまに剣が振り抜かれ、八本もあった黒蜘蛛の脚は瞬く間になくなり、達磨と化してしまっていた。

 

(ナ、ナントイウ剣丿速サダ……)


 黒蜘蛛の中に微かに残るフィリップは、怪異と化したことすら忘れ、彼の魔剣の剣閃に目を奪われていた。

 ユージーンの魔剣は、圧倒的な薄さと圧倒的な強度を誇り、それ故に凄まじい斬れ味を発揮する。

 しかし、彼の魔剣の極意はその軽さにあった。正確に言えば、“軽さ”という表現すらも不適切である。

 蒼の魔剣に、重量という概念は存在しない。

 魔剣は魔力から錬成されているが、そもそも魔力は物質とは異なる存在であり、例え莫大な量が集まろうとも、重量を得ることはないのである。

 つまりユージーンの剣――蒼の魔剣は、重量から開放されており、無手の如く振るうことが出来る。

 圧倒的な斬れ味、そして神速の斬撃。

 それこそが、蒼の魔剣の真髄である。

 かつてヴェロニカは言った。

 単純な力勝負ならユージーンは最強――と。

 彼の斬撃は受けてはならない。受ければ全てを断ち切られ、致命の傷を負う。

 しかしその神速の剣は躱すことすら至難の技。

 そもそも彼は剣の腕はそれほど高くない。通常の状態では、帝都の一般的な兵と遜色はない。

 しかし彼の尋常ならざる魔力が、全てを別次元へと昇華させていた。その魔力により身体能力は劇的に向上し、反応速度も超人級と化す。

 ユージーンの戦法は至ってシンプルである。

 敵の動きに瞬時に反応し、あり得ない身体能力で躱し、受け流し、或いは仕掛け、神速の斬撃を放つ。それだけである。

 しかしそれだけでその剣は必殺の一撃となり、彼の間合いに入り込むことは、即ち、敗北を意味していた。

 そして黒蜘蛛は既に間合いの内にいる。

 どれほど超常的な回復力があっても、それはもはや意味をなさない。

 斬られ、地に伏せ、生え変わり、また斬られる。

 終わることのない一方的な攻撃に、いつしか黒蜘蛛の核であるフィリップの精神は限界を迎えていた。


「アアアァァァ……モウ嫌ダァ……。痛イ……苦シイ……。早ク……早ク終ワラセテクレェ……」


「それは僕にはできません。あなたが異界の力を手放し、己の死を受け入れる他ありませんよ」


「ソンナコト……ドウヤッテ……」


「すみません。その方法は僕にはわかりません。ですが、ここまで変異したあなたを見逃すわけにもいきません。あなたがその方法を見つけるまで、あなたを、何度でも斬り伏せます」


「ソ、ソンナァ……嫌ダァァ……」


 フィリップは、地獄の苦しみの中にいた。

 どれほどの回復力があっても、痛みが消えるわけではない。緩和されることもない。体を斬り刻まれ、脚を切断され、致命的にも思える傷を受けてもまた蘇る。

 死ぬことすらも許されず、フィリップは、ただただ激痛の悪夢を味わうのであった。




 ◆




 どれほどの時間が経っただろうか。

 フィリップは、ようやく見つけたのである。死に方を、逝き方を。

 しかし、もはや彼の精神は壊れていた。


「嫌だぁ……。痛い……痛い……。早く、殺してくれ……」


 彼は人の姿を取り戻していた。

 しかし体の下半身は灰となり崩れており、その灰は、腹部から徐々に上半身を蝕んでいた。

 ユージーンは静かに魔剣を消し、しゃがみ込む。そして優しく声をかけた。


「……もう大丈夫ですよ、フィリップさん。あなたの痛みは、僕が治療しました」


 どの口がほざいている――ユージーンは胸の内で自らを罵倒する。

 しかしフィリップは大きく目を見開き、潤ませた。


「はぁぁ……そ、そうか……よかった……。ありがとう、ありがとう、ありがとう……」


「…………」


 ユージーンが見守る中、一人の老人はついに首まで灰と変わっていた。

 間もなく、消え去ってしまうだろう。


「……マリーナ、アレシア……私もようやく、お前達のところへ……――」


 そしてフィリップ・ヘンリクソンは全てを灰へと変えて、海風に舞い、空へと還る。

 墓標もない大海原へ、ただ風に任せて。

 

(あなたが力を欲した理由って、もしかして……)

 

 ユージーンは、それ以上の想像をやめた。

 最期にフィリップが穏やかな表情で口にした、二人の女性の名前。

 それが誰であったのか……今となっては、ユージーンに知る術はなかったのだった。

 


 


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