白屍の嘲弄③





 なだらかな丘の上で、ユージーンとフィリップはアシュタリスが放った光の柱を見つめていた。

 煌々と紫に染められた世界を、二人は、目を細めて見つめていた。


「……フィリップさん、わかりますか? これが、あなたが呼ぼうとしていた存在なんです。オーク達のギルドも、騎士団も、あんなに簡単に消滅させてしまった。こんなもの、この世界に呼んじゃいけなかった。彼女は気まぐれ一つで、きっとこの世界を破壊します」


「…………」


 ユージーンは眉間の皺を深くする。


「だから僕は、ずっと自分が許せない。知らなかったというのは言い訳にもならない。でも彼女は来てしまった。僕が開いた門を抜けて、この世界に。だから必ず、僕が彼女を止めます。それが僕の義務であり責任です」


 懺悔にも似たユージーンの告白。

 だがフィリップは、そんな話など興味がなかった。


「……素晴らしい」


 この感嘆の声が、その証拠である。


「素晴らしい?」


「貴様が何故後悔しているのか理解できない! 見たまえ! 見たまえあの魔力を! 世界を染め上げ、変えてしまうほどの莫大な力を! 素晴らしい! 素晴らしいぞ『白屍の王』よ!」


 フィリップは心酔していた。

 その輝きに、その色に、完全に囚われていた。


「力……力か。その力を呼び出すのに、どれほどの犠牲が必要だったかご存じですか?」


「くだらんな。かの者の力の前には、些細な犠牲などどうでもいいことだよ」


「そうですか……。ところでフィリップさん、あなたは二年前にあの光を見たと言っていた。それは、どこで見たんですか?」


「どこで……」


 フィリップは奇妙な感覚に陥った。

 ほんのりと粘着性がある、深い沼にゆっくり沈むような浮遊感。

 それを不快に感じたい彼は、話を逸らすように言葉を吐き捨てた。


「……覚えておらぬな、そのようなことは」


「たった二年前ですよ?」


「年を取るというのはこういうことだよ」


「あなたの人生を決定付ける程の出来事だったはずです。それなのにたった二年で、どこで見たかも忘れてしまった……。それを奇妙に思いませんか?」


「……貴様、先ほどから何が言いたいのだ」


 フィリップは明らかに不機嫌となっていた。

 自分ですら気付かないような、心の奥底を、脳の奥深くまでを漁られている気分だった。

 そんな彼に、ユージーンは告げた。


「あなたは忘れたんじゃない。奪い取られたんです。認識を。記憶を。『白屍の王』のために」


「どういうことだ?」


「この世界の器は決まっています。生物の数、そして、力の総量。生物が死に、また新たな生物が生まれ、器の中身はバランスが整えられていた。でもそこに、異物が紛れ込んだんです。この世界とは別の世界の住民という明らかな異物。その異物を受け入れるために、世界は、バランスを取った」


「貴様は、何を言っている?」


 フィリップには、彼が妄言を口走っているように見えていた。だがユージーンは、気にせず話を続ける。


「フィリップさん、ソルグラド王国という国をご存じですか? ソルグラド王国とは、かつて世界を二分していた大国です。今はもう、消滅していますが」


「知らんな。聞いたこともない。歴史には興味ないのでな」


「そしてソルグラド王国と対立関係にあった国があります。皇帝の下、歴戦の騎士、兵士を従え、その圧倒的な軍事力で王国と渡り合ってきたもう一つの大国。……名は、レクスティラ帝国。ただの帝国と呼ばれる、この国のことです」


「ふん、何を馬鹿なことを言っておる。儂とて帝国騎士団の支部団長を務めたのだぞ。帝国は、生まれながらに帝国。かつて帝国がレクスティラなどと呼ばれていたことなどない。ましてや、帝国と同規模という他国が存在したなどあり得んよ。それは数多くの歴史的資料が証明している」


「言ったでしょ? 奪い取られたんですよ。世界そのものに。『白屍の王』という規格外の化物をこの世界に呼ぶために、世界は、国そのものを消滅させた。輝かしい王宮も、美しい城下町も、王国の威光を注がれる都市も、その歴史すらも、んですよ。ほとんどの民と兵が消滅し、世界中から国の記憶や痕跡すらも消し去り、この世界は、ようやくアシュタリスという存在を受け入れることができた。かの国を、そして帝国本来の名を覚えているのは、この世界では、アシュタリスと彼女を呼び出した僕だけになりました」


「…………」


「つまりは、あなたは忘れたわけじゃないんです。あなたもまた、アシュタリスのために記憶を奪われた。見た場所がわからないのは簡単な話です。あなたが光を見た場所は、消え失せたソルグラド王国……僕が、献贄式を行った国だからです」


 フィリップは激高した。

 その怒りがどこから生まれるのかもわからず、戸惑いながらも、怒りの矛先をユージーンに向ける。


「くだらん! くだらんぞ治療師! 貴様の戯言など、もはや聞きたくもない! それとも時間稼ぎのつもりか!? 小細工が過ぎるのではないか青二才!」


「お怒りのところ申し訳ありませんが、フィリップさん、もう一つ、あなたに伝えなければいけないことがあります。前にアシュタリスが言っていました。アシュタリスがいた異界という世界には、物質がないそうです。そこではエネルギーの集合体が自我を持ち、吸収と分離を繰り返しているそうです。当然、アシュタリスもそうでした。あいつはこの世界に来るときに、アシュリーという少女を憑代にしたことで肉体を得ることができた。しかし、見ての通りです。あいつが眠ればアシュリーは自我を取り戻しますが、目覚めて力を振るえば、その体は、意識は、アシュリーを抑え込み支配します。なぜなら、使役するエネルギーそのものが異界の存在と言えるからです」


「まだ戯言を続けるのか! 聞き飽きたぞ!」


「気付かないんですか? あなたは、異界の存在を呼び出し能力ギフトを得たと言っていた。その力、能力、それ自体が異界の存在なんです。あなたは体が変異せず、意識も入れ替わらずに、人を傀儡とする能力を使用している。つまりあなたは、既にフィリップ・ヘンリクソンという存在じゃない。得体の知れない存在に、フィリップ・ヘンリクソンという人物の残滓を利用されているだけなんです。わかりますか、フィリップさん。そういう意味では、あなたはとっくに死んでいるんですよ。斥候部隊を生贄にして、異界の者の力を得たその時に」


「そ、そんなことは……!」


 動揺するフィリップに、ユージーンは哀れみの視線を向ける。


「さきほどあなたは、レフィリアを滑稽だと罵った。利用されていることに気付かないと、嘲笑った。でも、僕は知っています。彼女は――レフィリア・アームブリンガーという騎士は、例えあなたに利用されていることを知っていたとしても同じ行動を取っていたはずです。海都マリウルブスを守るため、騎士としての義務を果たすため、オーク達に立ち向かっていたはずです」


「や、やめろ……! その目で、そんな目で私を見るな……!」


「フィリップさん、あなたはどうですか? 既に自分が自分ではないにも関わらず、何も知らずに踊らされ、人々を犠牲にして扉を開けようとした。僕から言わせれば、フィリップさん、あなたの方がよほど滑稽ですよ。実に滑稽で、そして、哀れです」


「――その目をやめろと、言っているッッ!!」


 フィリップの絶叫と共に、足元から黒き魔力が迸る。

 魔力は彼を飲み込み、変異させ、黒き二足歩行の獣へと変えた。刺々しい皮膚に鋭い牙、そして、長い尾。

 もはや人としての姿はどこにない。

 力に呑まれ尽くされた異形の存在に、ユージーンは両手に魔力を溜めて対抗する。


「ごめんなさい、フィリップさん。もはや僕では、あなたは治療できない。きっと誰にも治すことはできない。だから……」


 キィィィン――。

 音が鳴る。

 彼の右手に蒼き魔剣が生み出され、透き通る刃の剣先は、かつてフィリップと呼ばれていた化物に向けられていた。


「……だからせめて、僕の手であなたに引導を渡します。それで今回の件は全て終わりにしましょう、フィリップさん」


「ウヲオオオアアアアアァ!!」


 黒き獣は雄叫びを上げて駆け出した。

 そしてユージーンは剣を振る。音を響かせて。

 海都を見下ろす丘で、潮風が通り抜ける中、両者の力はぶつかり合うのだった。







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