白屍の嘲弄②
遡ること、一刻前――。
裏門近くの森にある街道。
オークはおろか、本来守護の立場にある騎士達までが、凶刃を握り、海都へと迫っていた。
その数は膨大。
オークの数は後にレフィリア達が押し返す第一陣よりも遥かに多く、騎士に至っては数百名にも及ぶ。
物量差と練度の差は明白。如何にレフィリアが勇ましく民達を鼓舞しようとも、この第二陣を目の当たりにすれば、等しく武器を手放し絶望に伏せていたことだろう。
……だが、異変は確かに起きていた。
本隊が止まったのである。
黙々と、蝋人形のように表情を崩さず進んでいた第二陣は、一人の王の前に止まったのである。
「――……夢を、見ておったわ」
アシュタリス・アルム・モル・スクライは語る。
「蝶がの、ひらひらと、ひらひらと舞うのじゃ。なぜだかは知らぬが、不覚にも、儂はその蝶に見惚れておったわ。……じゃが、起こされた。力も持たぬ脆弱な小娘に、起こされてしもうたわ。儚くも美しい蝶は消え、気が付けば、優雅の欠片もない虫がうじゃうじゃ湧いておる始末……。これはいったい何の冗談じゃ」
不可思議だった。
その見た目はただの女。しかし雲のように掴めず、海のように広大で、大地のように揺るがない。
オークも騎士団も動けない。指一本、眉一つですら動かすことを躊躇する。
彼女はまだ何もしていない。何もしていないにも関わらず、その場を掌握していた。
それが如何に不気味なことか、オーク達は知っている。
それが如何に異様なことか、騎士達は知っている。
純白の異界の王は、底知れぬ白き闇を纏っていた。
「……女、何者だ」
ただ一人……いや、ただ一体だけが歩を進め、前に出て、口を開いた。
それは巨大なハイオークだった。レフィリアが倒した個体よりも巨大で、強靭で、そして、思慮深い。背中の戦斧は彼の身の丈ほどもあり、その重量で彼の足元の土が沈むほどである。
特異個体であるハイオークの、更に特異個体とも言える者である。
アシュタリスはすぐにその正体に気付く。
「貴様がこやつらの頭かぇ?」
「如何にも。俺の名はジェネラル。『戦斧の覇道』のギルドマスター」
「ほぉ、オーク風情が名を持つか。だが、名乗る許しを出した覚えはない。興味もないのでの」
「つくづく傲慢よ。その貧相な肉体で、よくもまあそこまで虚勢を張れる」
「傲慢? 虚勢? ……ハハハハハ!」
アシュタリスは笑う。
「儂をそのような言葉で括るとは、それこそ傲慢であろう。儂のこれは、傲慢ではない。ましてや虚勢でも。
「白屍? では、あの人間の儀式は成功したのか?」
「それについては……まあ、よい。色々と込み入った事情があるのでな。それよりもオーク。よもや、儂と駄弁を弄するつもりで前に出たわけでもあるまいて」
「当然よ。俺達は仕事で、ちょっくら海都を壊さねばならん。今、お前と遊んでいる時間はない。だが……」
ジェネラルは舌なめずりをしながら、アシュタリスの顔や体、足先までをじっくりと観察する。そして下卑た笑みを浮かべ、巨大な手を伸ばし彼女の肩を掴んだ。
「お前のその胆力は気に入った。後ほど、俺の子を孕ませてやる」
「それはなんとも、実に魅力的な誘いじゃの。オークの性欲は底知らずと聞く」
彼女の柔らかく小さな手が、猛々しいオークの手に添えられた。
「この儂も、壊されてしまいそうじゃて」
「グフフ……。もっとも、俺達の進軍を足止めした責は負ってもらうがな。なに、手の一本でも捥いで大人しく――」
「――それは、このようにかの?」
ブチッ――。
彼女がジェネラルの手を掴み逆に返すと、その丸太のような腕は簡単に捥がれてしまった。
花を摘むように、葉を千切るように、予備動作の一つもなく、彼女は、ジェネラルの腕を体から切り離した。
「ぐ、ぐがああああああ!?」
青い血の雨を降らしながらジェネラルは甲高い悲鳴を上げる。
アシュタリスはそんな悲鳴をまるで気にすることなく、オークの腕をゴミのように放り捨てた。
「なんじゃなんじゃ。女子のような声を出して情けない。腕の一つを千切っただけであろう。悲鳴を上げるのは、まだ後じゃよ」
「お、おのれぇぇええ!!」
ジェネラルは背中の大戦斧を残る手で握る。
そして取り出すと同時に振りかざし、彼女の細い首筋に狙いを定め、力の限り振り抜いた。
「――――ッ」
ジェネラルの手に伝わる感触は、岩だった。
途轍もなく固く、途方もなく固い岩石。まるで大地そのものに武器を当てたように、斧は微動だにせず、刃が扇状に欠け、彼女の首で止まる。
「粗悪な斧じゃのう……。少しは小僧の魔剣を見習って欲しいものじゃ」
アシュタリスは動いていない。
構えてもいない。
魔力すら解放していない。
ただそこに立ち、何も準備をせず、超巨大な大戦斧の一撃を生身の首で受けてなお、表情の一つも変えていなかった。
「バ、バカな……」
さすがのジェネラルも愕然とした。
その一撃は、彼の誇りの全てであった。片腕を捥がれようとも、力の限りに斧を振り抜いた。これまで何人にも止められず、何人も生き永らえなかった渾身の一振り。
だがどうだ。
握れば捻れるほどに白く細い首は、血の一滴、痣の一つすらもなく、逆に斧を壊し止めてしまっていた。
「もうよい、下がれ、下郎」
「――――ッ!!」
アシュタリスが仄かな魔力を光を放つ。
放たれた魔力がジェネラルに触れるや、その巨躯はくの字に折れ吹き飛ぶ。
木々をなぎ倒し、血をまき散らし、体の部位をこぼしながら、巨大なオークは吹き飛び視界から消え失せた。
もはや確認するまでもなかった。
その場にいる全員が、ジェネラルの死を理解したのである。
「暇つぶしにはなったかの。どうにも小僧は儂に足止めを期待しておったようじゃが……まあ、余興の褒美じゃ。我が目覚めを、一つ、盛大に知らしめるとするかの」
アシュタリスは魔力を練る。
膨大。無尽蔵。無限大……凡そ人の言葉では説明できぬ程に、世界中の魔力を集結させたかのような、常軌を逸した魔力が、今まさに、白き王の手に留まっていた。
オークも騎士も、もはや木偶となっていた。
逃げようにも足が動かない。何もしていないのに涙が出る。涎が出る。体液が漏れる。瞬きすらも忘れ、血走った瞳を揺らし、ただただ迫る死の恐怖に絶望する他なかったのである。
「Najīkathī ju'ō. Ā mārī jādu'ī śakti chē. Ā āpaṇī śakti chē. Jāṇō kē ā śaktinī sāmē kō'ī duśmana nathī, anē phakta tamārī pōtānī lācārīnō śōka karō(刮目せよ。これぞ我が魔力。これぞ我が力。この力の前に敵は無しと知り、己の無力をただただ嘆くがいい)」
それはもはや呪文ですらない。
練り上げた魔力を放つ口実となる、適当で雑な古代語の羅列であった。
「Mārī najaramānthī adr̥śya tha'ī jāva, tamē mĕgōṭsa(儂の視界から消え失せよ、蛆虫共が)――」
圧倒的な死をもたらす紫色の光が、その全てを飲み込む。
オークも、騎士も、景色でさえも。
一帯の地形を変える光の渦は奔流となり、敵の全てを飲み込んで、塵芥の一つも残さず、完全に世界から消滅させた。
「――……さてさて、遊びは終わりじゃ」
紫の魔力を背に、白き異界の王は海岸へと歩を進める。
「なにせ、この儂を叩き起こしたのじゃ。小僧、その駄賃は、きっちりと払ってもらうぞ」
アシュタリス・アルム・モル・スクライは微笑む。
汚れ一つない純白の王、『白屍の王』。
彼女は一人、薄らと笑みを浮かべていた。
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