治療師は海都へと①
三日ほど前のことだった。
久しぶりに店に来たアングリッドさんは、僕に突然切り出した。
「海都マリウルブス、ですか?」
「ええ。ちょっとそこまで、行ってはくれませんか」
この人はいつもこうだ。
見た目は優しそうなご老人であるのに、色々と厄介ごとを持ってくる。
「それ、聞く聞かないは別として、どうして僕に頼むんですか?」
「なあに。老人のちょっとしたお使いみたいなものですよ」
「前に帝国の役人してるって言ってましたよね? 部下の方にお願いすれば話は早いのでは?」
「ほほぉ、目ざとく覚えていたのですか。感心感心」
「目ざといは余計だっつーの」
心の声が漏れたところで、閑話休題といこう。
「とにかく、僕もやっと治療院に戻ったばっかりなんです。待ってくれていた常連さんもいるようですし、しばらく帝都を離れるつもりはありませんよ」
「そうでしたな。ギルドからの依頼も大変だったでしょう」
「そうそう、本当に大変で……」
……なんで知ってんの、この人。
「さすがのセト殿も、ギルド連合の副総長からの依頼となれば断りにくいものもあったでしょうな。いやはや、大変でしたでしょう」
ホント、なんで知ってんの、この人。
相変わらず油断できない人のようである。
「いやしかし、まさかセト殿がギルド連合からの依頼を直接受けるとは。いや、参りましたな。どこの組織にも与しないというセト殿の信条には理解があったつもりでしたが、いやはや、参りましたな。ギルドからの依頼は受けて、私からの依頼は断りますか。参りましたな、これは」
「あーもう! わかりましたよ! 行けばいいんでしょ行けば!」
「では、契約成立ですな」
そしてアングリッドさんは事前に準備していた契約書を机に広げ始めた。
「最初から依頼を受けてもらえる前提で進めてたんですね……」
「はい。セト殿を信じていましたので」
「その割にはほぼ脅しだったですよね?」
「脅しだなんて人聞きの悪い。お願いしただけですよ」
なんとああ言えばこう言う爺さんだろうか。
「それで? 海都とかに行って、僕は何をすればいいんですか? 言っておきますけど、仕事はあくまでも治療師としてのものに限らせてもらいますよ?」
「もちろんです。海都に、フィリップ・ヘンリクソンという男がおります。私の古い友人でして、なんでも、長い間面倒な病を患っているそうです。その者の治療をお願いしたい」
「面倒な病? どのような症状で?」
「さあ」
「さあってあんた……」
「私も便りでしか聞いておりませぬ故、詳しくはわからぬのですよ。ですがこのままというわけにもいきませんので、申し訳ないのですが、セト殿には現地に赴き、症状を確かめて、然るべき治療をお願いしたい」
「要するに、どんな様子かはわからない相手のところに行って、体調が悪そうなら治療をしてほしい……そういうことですか?」
「はい。まさにその通りでございます」
「なんつー中途半端で曖昧な依頼なんですか……」
「お願いしますぞ。無論、成功した場合にはそれ相応の報酬は用意しますので」
そしてアングリッドさんはとっとと帰っていった。
「はぁ……本当にあの人は……」
深々とため息を吐き出したところで、アシュリーは部屋へと入って来た。
「長、また出張?」
「うん。また出張。ホントに勘弁してほしいよ」
「また、しばらく戻ってこない?」
「さあ……相手の病状にもよるから、何とも言えないかなぁ」
「そう……」
いつも通り無表情ながら、どこか落ち込んでいるようにも見えた。
(ミレペダの洞窟の時は留守番をしてもらってたからな。店のことも色々と頑張ってはくれていたけど、やっぱり寂しかったのかな)
なんてことはない、ただの思いつきだった。
「なあ、アシュリー」
「どうした、長」
「お前も一緒に来る?」
「…………え」
固まるアシュリー。
「え? アシュリー?」
「い、いいの、長」
「あ、ああ、うん。前に留守番していた時は頑張ってくれたしね。海都と言えば、料理が美味しいらしいし。ちょっとした旅行気分で一緒に行くかい?」
「行く! 絶対、行く!」
「ははは、そうかそうか。じゃあ一緒に行こうか」
「うん! 長と、旅行!」
珍しく、アシュリーは興奮していた。
亜人の見た目と年齢は、必ずしも一致しない。だからこそ距離感が難しく、人と相容れない関係である要因の一つにもなっている。
ただ、今度ばかりは年相応といったところか。
もちろんアシュリーの実年齢なんて知らないが、それでも、今まさにアシュリーはこれほど喜んでいる。
その事実の他に何かを考えるのは、無粋というものだろう。
「準備や告知もしないといけないし、出発は三日後くらいにしようか」
「うん! 準備する!」
(アシュリー、それほどお出かけを楽しみに――)
「これが人の世の、逢引というものか。感慨深い」
「…………」
今、何か聞こえた。
しかし僕の聞き間違いかもしれない。
「……アシュリー? 今、何て言ったの?」
「長、これが、逢引というものか」
「…………」
聞き間違いじゃなかった。
「アシュリー、これは違うよ。それを言うなら、慰安旅行かな」
「慰安!? いあんあはんの、いあん!? なんと甘美な響きか……」
「…………」
この子の知識は、いったいどこから来ているのだろうか。
「ねえアシュリー、その言葉って、どこで知ったの?」
「街にある本屋。そこの女性店長が教えてくれた」
「うん、そこ行くの、禁止ね」
「――――ッ!!!」
さっきまで喜んでいたのも束の間、アシュリーは、この世の終わりのように衝撃を受けていたのだった。
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