鋼鉄の憂鬱③
「じゃあ、始めますね」
「は、はい! よろしく、お願いします!」
そしてユージーンは、両手に魔力を集める。魔力は優しい碧色となり、彼は座るレフィリアの背中へと当てた。
「はぁ、生き返る……」
レフィリアは、感嘆の声を漏らす。
「そんな大げさな。ただのヒーリングですよ」
「でも、体の疲れが抜けているのがわかります……」
治療魔法とは違い、肉体的な疲労の回復を主な目的としている魔法である。要するに魔力を使用したマッサージのようなもので、セト治療院での人気メニューとなっている。
ヒーリング自体は治療術の一種であり割とポピュラーなのだが、特にユージーンによるヒーリングは、一度受ければ三日は走れるとまで言われている程に大人気なのであった。
ヒーリングを続けながら、ユージーンは尋ねた。
「やっぱり騎士団の鍛錬ってのは大変なんですね、
「え、ええ……まあ……」
レフィリアは複雑そうに顔を逸らした。
リアとは、当然レフィリアのことである。
彼女が最初にセト治療院を利用した時、ユージーンの卓越したヒーリング魔法に驚愕した。どれほど疲労が溜まっていようとも、どれほど筋肉痛に悩まされようとも、彼の碧色の光を受ければたちまち回復してしまうからである。
それから、レフィリアが治療院に通う回数は増えていった。それはもう、習慣と呼べるほどに。
そして何度目かの通院の際、名前を聞かれ、思わず「リア」と偽名を名乗ってしまったのだった。
彼女にとって、治療院での時間は癒しだった。
彼のヒーリングはさることながら、何よりも、彼はレフィリアのことをリアとして接してくれている。それは、彼女にとって何よりも嬉しいことだった。
レフィリア・アームブリンガー。
異名、『鋼鉄麗刃』。
それは彼女の誇りでもあり、しかし、重荷でもあった。
その余りあるネームバリューは自然と周囲の者に類似した態度を取らせ、視線に理想と先入観を織り交ぜる。
しかしユージーンはどうだ。
彼は、驚くほど世情に疎いところがあった。
無論彼も『鋼鉄麗刃』のことは知っていた。だが、目の前の女性が同一人物であることまでは知らない。
役職から離れ、周知された名から離れ、そこでは、ただのリアという女性騎士として接してくれる。皮肉な話だが、リアという仮面を被ることで、ただのレフィリアとして見てくれる。
それは、他では得難い幸福感があった。
しかしながら、彼を騙しているという一抹の後ろめたさは否定できない。
それでも彼女は本当の名前を名乗れずにいる。
名乗ることで、彼まで周囲の者と同様の視線を向けてくることが怖かったからである。
「そういえば、僕が不在の時に何度か店に来たそうですね」
「は、はい! その、ヒーリングをしてもらおうと思って」
「すみませんでした。ちょっと仕事で遠方に行っていたもので……」
「そ、そんな! 仕事なら仕方ないことですので!」
(行先がわかればそこまで行けたものを……あの亜人の店員、口が堅すぎる……)
人知れず、小さく舌打ちをするレフィリアである。
そして、彼女は表情を暗くさせた。
「……実は私、明日から、仕事で帝都を離れるんです」
「へえ……そうなんですか」
「正直、あまり気が進まなくて……」
「けっこうめんどくさい仕事なんですか?」
「はい……。もちろん重要性はわかっているのですが……その、ちょっと色々と面倒な状況があるというか……」
「でもそれは、リアさんが信用されてるってことじゃないですか? 凄いことですよ。リアさんはきっと、優秀なんですね」
「そ、そんな……私は、優秀なんかじゃ……」
「謙遜することはないですよ。治療していればわかります。しなやかでありながらも鍛え抜かれた体。淀みなくコントロールされた魔力。それは、リアさんのこれまでの努力の表れです。これほどまでに頑張っているリアさんが、優秀じゃないわけないじゃないですか。少なくとも僕は、リアさんを尊敬しますよ」
「ユージーンさん……」
「それにしても奇遇ですね。実は僕も、明日からまた出張なんですよ」
「え? ユージーンさんも?」
「ええ、まあ。急な話だったんですけど、ちょっと断れなかったと言いますか……」
ユージーンは、とてもじゃないが一切納得できないといった表情を浮かべていた。
「でも、本当に奇遇ですね。その、ユージーンさんは、いつ出発するんですか?」
「急なんですけど、明日の早朝からです」
「え? 明日の早朝?」
これはさすがに妙だ、と。
レフィリアは行き過ぎた偶然に違和感を感じた。
(騎士団長は任務のペアとなる人物について何も言っていなかったが、当然として、騎士団の誰かだと思っていた。だが、よく考えればそれも不都合だろう。騎士団の者であれば、少なくとも、私への態度に何かしらの影響が出る。そうなれば、潜入という任務にも支障が出かねない)
そして彼女は、ユージーンの顔を横目で見た。
(だが、だがもしも、その相手というのが騎士団外の人物であれば話は変わる。もちろん私のことを知っている者なら同じことだが、もしも、私のことを深く知らない者ならどうだ。それならば一般人に紛れることも容易くなる。いや、むしろそれこそが最善とも言えるだろう。私の出発は明日の早朝。ユージーンさんの出発も明日の早朝。これはもしかして……もしかして……!)
ちらちらと顔を見てくるレフィリアに、さすがにユージーンも聞かざるを得なかった。
「え、ええと……リアさん? どうかしましたか?」
「い、いや! なんでも……」
慌てて視線を戻すレフィリア。
必死に表情を取り繕っているが、自然と頬が緩んでしまう。
(もしかして……!!)
彼女の中の期待は膨張し続ける。
もはやヒーリングどころではない。
今の彼女には、明日からの任務のことしか頭になかったのであった。
◆
翌朝、帝都の西門にはレフィリアの姿があった。
そして、相手役である彼の姿も。
「帝国騎士、ダンゲ・ラングといいます! 今日からの任務、よろしくお願いします! レフィリア様!」
そこには、全く知らない男性騎士の姿があった。
レフィリアは隠すことなく落胆する。
「あ、うん。よろしく……」
「レフィリア様? どうかしましたか?」
「べ、別に! なんでもない!」
(冷静に考えれば騎士の重要任務を部外者に頼むわけないだろ! 私の阿呆! 馬鹿! そりゃそうだろ!)
昨日の夜に念入りに身支度していた自分を恥じる鋼鉄麗刃。
「でも、レフィリア様と二人で、しかも新婚役だなんて光栄の至り! このダンゲ! 粉骨砕身の覚悟で任務に臨みます!」
「任務……任務か。そうだ、任務だな」
ピシャリ、と。
レフィリアは自らの頬を叩き気を引き締める。
「任務内容は頭に入っているか」
「はい! バッチリと!」
「結構。ならば、任務に向かう。準備は良いか」
「はい! もちろんです!」
「だが……」
レフィリアは腰の剣を抜き、刃先をダンゲの喉元に突き付けた。
「忘れるな、ダンゲ・ラング。お前とは確かに任務として夫婦を演じる。仮の夫婦をな。無論そんなものは偽物であり、一切全く事実ではない。あくまでも任務のためだ。長生きしたくば、そのことを努々忘れるなよ」
「は、はい。肝に銘じます」
そして二人は出発する。目指すは、海都マリウルブス。
揺れる馬車から見える景色に、未だ海はない。
それでも、遠く離れた地に待つ宿業の都市に睨みをつけつつ、彼女はダンゲを横目で見る。
「レフィリア様と二人……もしかしたら、もしかしたら……ふふふ」
どう見ても下心が丸見えなのだが、その姿は、どこか昨晩の自分に被って見えていた。
「はぁ……」
鋼鉄の憂鬱は、溜め息となって吐き出される。
せめて任務は無事に済んでくれよ――。
レフィリアは、そう願わずにはいられなかったのだった。
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