神なき世界③





 数日後、ジャックとステインは治療院を発つこととなった。

 お香を焚くのをやめた時のステインは、心が締め付けられる程にもがき苦しんでいた。ジャックはそんな彼女の傍を離れず、寄り添い、励まし続けた。

 その献身的なサポートの甲斐もあり、まだ笑顔は見えないものの、木造の車椅子で外出できるくらいようにはなっていた。

 そして二人は、生まれ育った村へ帰ることにしたのである。


「ユージーンさん。色々とお世話になりました」


 ジャックは深々と頭を下げる。


「僕は治療をしただけだよ。それと、これは餞別」


 ジャックに便箋を渡すと、彼は不思議そうにそれを見ていた。


「これは?」


「知り合いの魔導技士への僕からの紹介状。今は車椅子だけど、ステインの義手と義足、いずれ必要になるだろうからね。落ち着いたら行くといい。癖はある人だけど、きっと力になってくれるよ」


「ユージーンさん……」


 ジャックは目に溜まる涙を強引に裾で拭き払う。


「……いつか、いつか必ず、また会いに来ます。ステインと一緒に」


「うん。楽しみにしてるよ」


「…………」


 ……と、ジャックは視線を泳がせ、何か言いたげに口を開いたり閉じたりしていた。


「どうかした?」


「ええと……聞いてもいいのかわからないですし、言いたくないなら言わなくてもいいんですけど……」


 そして彼は、僕の目を見た。


「……治療術は噂以上。おまけに……聞きましたよ。超大型の金剛百足を単身で、しかも一刀で討伐したそうですね。それほどの強さ……それほどの力と技がありながら、なぜユージーンさんは、ギルドにも騎士団にも、聖堂教会にも所属していないんですか?」


「…………」


「正直、俺、思いましたよ。俺がユージーンさんくらい強かったらって。そしたら、ステインも守れたのかもって。だから気になるんですよ。どうしてどこにも所属せずに、帝都の片隅で治療院なんてやってるんですか?」


 話したくない――普段なら、絶対にそう言うだろう。

 ただ、何の気まぐれか、その時だけは話してもいいと思ってしまった。

 

「……ジャック、僕は、イレギュラーなんだよ」


「イレギュラー?」


「最初は楽しかったさ。みんなから褒められて、称えられて、頼られて……。でも気付いたんだ。どこまで行っても、僕は僕でしかない。僕はヒーローなんかじゃないんだ。ただの、僕なんだ。ケンジさんみたいに世界を受け入れることができたらよかったんだけど、僕にはできなかった。覚悟もなければ、信念もない。でも無駄に戦う術は知っている。そんな中途半端な存在が、どこかの勢力に肩入れするなんてことは、たぶん、あっちゃいけないんだよ。だから僕は、ギルドを抜けたんだ」


「……言っている意味が、よくわかりませんが……」


「ごめん、僕も上手く言えないんだよ。けどこれだけは言える。僕は僕が思うほど、強くはなかったんだ」


「…………」


 ジャックはどこか納得していない表情をしていたが、それ以上何も聞いて来なかった。

 そして二人は旅立った。

 途中までは馬車で運んでもらい、そこからは徒歩なのだという。

 なんだかんだでジャックの腕はいい。

 きっと道中も大丈夫だろう。


「……さて、と。僕もそろそろ帰る準備を――」


「――ユージーン」


 ふと、背後からヴェロニカの声が聞こえた。


「……ケンジさんといいお前といい、おたくのギルドの人達はどうしてそうも気配を消して近付くかな……」


「どうでもいいでしょ、そんなことは」


「よくはないだろうに……」


 そしてヴェロニカはファサっと髪をかき上げながら歩き出し、僕の隣を通り過ぎ、離れて行く。


「じゃあ、私達はギルドに戻るから」


「あ、ああ、うん。僕は治療院の片付けをしてから戻るよ」


「そう……」


 彼女は、ふいに足を止めた。

 僕の方を振り返ることなく、背を向けて、声だけを響かせる。


「……私は、あなたが嫌いよ」


「……それ、わざわざ立ち止まって言うこと?」


「でも、あなたのことは認めてる。中途半端だったとしても、強くなかったとしても、あなたはあなたよ、ユージーン。それは変わらない。だったら、あとは些細なことでしかないわ」


「ヴェロニカ……」


「ギルドに戻る気になったのなら連絡しなさい。じゃあ、また……」


 そして彼女も、帝都へと帰っていった。

 ヴェロニカなりの気遣い……だったのだろうか。おそらく、過去一で優しい言葉だったように聞こえる。

 少なくとも、今言えることは一つだ。


「……あいつ、盗み聞きしてやがったな」


 相変わらず油断も隙もない奴。

 それでもちょっとだけ、気持ちが楽になったところを見ると、僕もずいぶんと単純なのかもしれない。

 それから借りていた治療院を片付け、店主に挨拶をし、僕もまた、帝都へと帰るのだった。




 ◆




「――……っていうことがあったんだよ」


 治療院に戻った翌朝、ギルドからの依頼の顛末をアシュリーに話した。


「そう。長、ご苦労様」


 アシュリーは、相も変わらず淡々とした返答をする。


「長い間治療院を空けてて悪かったね。僕がいない間に、何か変わったことはなかった?」


「何人か客が来た。でも、ほとんどは長がいないと言ったら帰った。何人かは薬を渡した」


「そっか。店番ご苦労さん」


 アシュリーの頭を丁寧に撫でる。


「ふしゅぅ……」


 彼女は少しだけ頬を赤くしながらも、抵抗はしなかった。


「あっ、それと、騎士の常連さんが何度か来た」


「え? そうなの?」


「うん。長の行き先を聞いてきた。でも、教えてない」


「うんうん。偉いぞアシュリー」


 再び頭を撫でると、彼女はまたしても「ふしゅぅ……」と謎の声を漏らすのである。


「しかし、となると今日にでもまた来るかもしれないな。さっそく準備しようか、アシュリー」


「わかった、長」


 そして僕とアシュリーは開院の準備を進める。

 今日も今日とて、色んなお客さんが来るだろう。

 それでも、僕は僕の出来ることをするだけ。飾り気も過度なサービスもそこにはなく、患者のとなりに座り、治療をするだけなのだ。

 それこそが、帝都のセト治療院。

 僕とアシュリーの治療院。

 準備を終えたアシュリーは扉を開く。

 差し込まれた光に少しだけ目が眩むが、その光の暖かさは、どこか心地よかった。






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