神なき世界②





 しばらくしてから、ジャックは電池が切れたように静かになった。

 すっきりした……のではない。

 現実を受け入れるしかないと、そう理解したのだろう。


「……ユージーンさん。ステインの体を、治してくれませんか?」


 深くベンチに体を預けながら、ジャックは言う。

 それは、たぶん彼の最後の希望なのかもしれない。


「ジャック。それはできない。無理なんだ」


「ど、どうしてですか!?」


 彼は飛び起き、僕の胸倉を荒々しく掴んだ。


「あんたは凄いんだろ!? ギルドハウスでみんなが言っていたんだ! ユージーンに治せない傷はないって! 金か!? 金ならいくらでも払う! 確かに今はあまりないけど……いくらかかっても、いつか必ず払う! 払うから! だから! ステインの体を治して――!」


「金の問題じゃないよ。無理なんだ、ジャック」


「――――」


 ジャックの手が緩んだところで、彼の手をそっと外す。


「魔法は万能じゃない。治癒術というものは、魔力で患者が持つ治癒能力を格段に引き上げることに神髄がある。多少の欠損……例えば、指の先端や皮膚の一部くらいなら元に戻ることもあるだろう。でも、腕や足、眼球の欠損となれば話は別だ。完全に失われたものを粘土細工のように補填するなんてことは、絶対にできない。それこそ神の所業だ。そしてこの世界に、神なんかいないんだ」


「…………」


「とりわけステインの一番重症な部分……心については、どれほどの治癒術をかけようとも治すことはできない。今はお香で誤魔化してはいるが、一生このままというわけにもいかないだろう。いつか彼女は、自分と向き合わないといけない。僕にできるのは、その時彼女が、現実に耐えられるように祈ることだけなんだよ」


「……そう、ですか……」


 ジャックは、改めて理解したのだろう。

 力なく、表情もなく、ベンチに座りながら一点を見つめていた。


「ジャック。酷な話をするよ」


 前置きを一つする。


「キミはこれから、どうするんだ?」


「俺、ですか……?」


「以前キミは言っていたよね。ギルドマスターになる。それが夢だって。、その夢を絶対叶えるって。……そして今、。キミはこれからも、夢を追い続けるのか?」


「そ、それは……」


「ステインが二度と冒険者になれないことはさっき伝えた通り。彼女に必要なのは、落ち着いた環境と心の拠り所さ。もしもキミがこのまま冒険者を続けるのなら……ギルドを立ち上げるのなら、そこに彼女は巻き込めない。巻き込んじゃいけない。彼女を両親の元へ帰して、冒険から離すべきだろう。ステインを遠ざけて、忘れ去って、それでも尚、キミは夢を追うのかい?」


「……俺に、冒険者をやめろって言ってるんですか?」


「違うよジャック。決断しろって言っているんだ。どのみちギルドマスターにもなれば、そういった決断を余儀なくされる時がある。何を犠牲にして、何を掴むべきなのかを選択しなきゃいけない時があるんだ。少なくとも、僕はそれを見てきた。ギルドマスターという立場の重みを、間近で見てきた。キミがギルドマスターを目指すのなら、いずれはその状況になったことだろう。それが、その決断の時が、今訪れているんだよ」


「…………」


 重い時間が過ぎていく。淀んだ雲は風に流されることなく、月明かりを隠していた。

 少しばかり、今の彼には手助けがいる。

 でも助けるのは、僕じゃない。

 沈む彼に、僕は伝えることにした。


「……前にジャック達が帝都の治療院を訪れた時、ステインは言っていたよ。ジャックはこれからも成長して強くなるって。だからこそ、彼女は悩んでいた。いつか自分が足手まといになるかもしれない。邪魔にはなりたくないって。だから、彼女は……――」


 脳裏に、当時のステインの言葉が甦る。


『――……だから、私は、ジャックの傍にいるべきではないんだと思います。彼の邪魔をしてしまったら、私はたぶん、自分を許せません』


 しかしステインは、困ったような笑顔を浮かべた。


『……でも、それでも私は、ジャックと一緒にいたいんです。もし、もしもジャックがずっと傍にいてくれたのなら……私はどれほど自分を許せなくても、きっと、幸せに感じてしまうんだと思います。わがままですよね、私って。でもそれが、私の夢なんです……』


「……ステインは、そう言っていたよ」


「…………」


 ジャックは前のめりに座り、両手で頭を抱えた。

 くしゃくしゃと髪をかき上げ、目を強く瞑る。


「……ずるい。そんなの、ずるいですよ。そんなことを聞かされて、俺……ステインを見捨てるなんて……できるはずないじゃないですか……」


 彼は、答えを絞り出した。

 自分の夢を捨てさり、彼女の夢に身を寄せたのだ。

 夢は形を変える。閉ざされ、塞がれたとしても、そこで新たな夢を見る。

 叶うかどうかではない。夢を見ることに意味があるのだと、僕は思う。見えたものに希望を抱き、進み、道しるべとなってくれるのだろう。

 まるで船旅での星座みたいだ。例え航路が何度も変わったとしても、進むべき方角に星を見つければ、いずれはどこかへたどり着く。

 そして人は、また新たな夢を探すのだろう。

 願わくば、彼と彼女の夢が、これからも共にあり続けますように――。

 柄にもなく、僕は星にそんなことを想うのだった。











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