神なき世界①





 翌日の夜、ジャックはようやく目を覚ました。

 そこはミレペダの洞窟から一番近くにある街。そこにある治療院を借り、改めて二人を治療した。

 そして目を覚ましたジャックに、ことの顛末を説明するのだった。


「……そうだったんですか。俺達、またユージーンさんに助けられたんですね……」


「僕だけじゃ無理だったさ。ギルドの人達と、あと、ヴェロニカのおかげだよ」


 話をしながら、ジャックを観察する。

 呼吸の乱れもなく、顔色もいい。彼のケガはほぼ完治しているが、多少体力は落ちているだろう。だがそれでも、彼はもう大丈夫だ。明日にも退院して、日常生活に戻ることはできる。

 しかし……。


「……あ、あの……ユージーンさん……」


 ジャックは、歯切れ悪く呼ぶ。

 視線を泳がせ、表情は硬い。

 もちろん、彼が続いて言う言葉なんて一つしかなかった。


「そ、その……ステイン、は……」


「…………」


 正直、何から伝えればいいのかを迷っていた。

 でも隠してもしょうがないし、遅かれ早かれ彼だって知ることになる。必ず知ってしまう。いや、彼は知らなければいけない。


「……こっちにいるよ。ついて来て」


「は、はい……」


 彼が立ち上がったところで、一度足を止めた。


「最初に言っておくよ。まず、彼女は……ステインは、生きてはいる」


「ほ、本当ですか!?」


 瞬時に表情を明るくさせるジャック。

 でも、その笑顔は長続きはしなかった。


「ジャック、よく聞くんだ。生きているんじゃない。んだよ。このニュアンスの違いの意味を、よく考えてから彼女に会って欲しい」


「え……ど、どういう、意味ですか……?」


「……会えばわかる。それじゃあ、行こうか」




 ◆




 その個室に入るなり、甘ったるい匂いが鼻を包み込む。


「ジャックならそこまで影響ないとは思うけど、この匂いは思考を鈍くさせる効果があるからあまり深く息を吸い込まないように気を付けて。魔物に襲われた人によく使用する方法なんだけど、被害を受けた直後は当時のことをフラッシュバックしやすい。だからこうやって魔力を込めたお香を焚いて、敢えて思考を鈍らせているんだよ」


「…………」


 彼は何も言葉を発しない。

 眉間に皺を寄せ、視線を細め、口端を引き攣らせ、何かに耐えるように必死に歯を噛み締めていた。


「……あぁ、ジャック。よかった、起きたんだ……」


「…………」


 ステインはゆったりとした口調で声をかける。まるで光のない虚ろな目で、彼を見ながら。

 しかし、ジャックは反応しようとしない。できないのだろう。


「うぅん? ジャック、どうしたの?」


 未だ動かない彼に耳打ちをする。


「……今ステインは、お香で寝ぼけている状態に近い。反応してあげて」


「……は、はい」


 ジャックは一度唾を飲み込み、作り笑いを浮かべた。

 とてもぎこちなくて、下手な作り笑いを。


「……ステイン、その……元気そうで、よかった……」


「ジャックこそ。私、とっても心配してたんだからね……」


「そ、そっか……悪かったな、色々と……」


「ううん。ジャックが無事で、本当に良かった」


 ステインは朗らかな笑顔を見せる。

 ジャックとは真逆の、心からの安堵を示す、ごく自然な笑顔を……。


「…………ッ!!!」


 彼女の笑顔を見た瞬間、ジャックは部屋を飛び出す。彼が開けたドアの先で、遠くなる足音が響いていた。

 ステインは首を傾げる。


「ユージーンさん、ジャック、どうしたんですか?」


「……疲れているんだよ。ステインも、今日はもう寝なきゃね」


「はい。おやすみなさい」


「おやすみ、ステイン……」


 部屋を出た後、治療院の外へと出る。

 彼は外にあるベンチに座っていた。何も見たくないかのように、ずっと顔を下に向けながら。

 僕は、彼の横に座った。


「ダメじゃないかジャック。いきなり飛び出したら、ステインも不安になるよ」


「……ユージーンさん。ステインのあれって……」


 彼には全てを説明しようと思っていた。


「……見ての通りさ。右目は失明。右腕と左足は欠損。左足については魔物の毒で腐り始めていたから、悪いけど、切断させてもらった。腹部の負傷は治療したけど、内臓にかなりのダメージを受けているからね。しばらくは、柔らかく煮込んだスープしか飲めないよ」


「そ、そんな……どうして、ステインが……どうして……」


 ジャックは涙を流していた。

 だが、無情にも僕は続ける。


「他にも大小様々な問題点はあるけど……一番の後遺症は、たぶん、彼女の精神さ」


「精神?」


「傷を見る限り、彼女は複数のアダムフェルムに襲われたようだね。取り囲まれ、食い千切られ、捕食されかけた。正直、生きているのが奇跡に感じるよ。だけど、彼女の心は、たぶんもう壊れている。どれほどの恐怖を味わったかなんて、あの焦点の合わない目を見たら想像できる」


「……俺のせいです。俺のせいなんです。あいつは……ステインは反対したんだ。俺がそれを、押し切って……レベル3のダンジョンを踏破すれば、きっと帝都で評判になるって……それで……」


 大方、ケンジさんが言っていたとおりだったようだ。

 しかしいくら後悔しても、もう遅い。遅すぎた。


「……ジャック。僕は、何が悪くて、どうすれば良かったかなんて説教するつもりは微塵もないよ。キミが今考えるべきは、かつての愚かさじゃない。キミとステインの、これからのことだよ」


「…………」


 ジャックは黙り込む。

 でも今は、はっきり言うべきだと思った。

 同情で隠すことなんて出来ないくらいに、どうしようもないくらいに、ことは深刻だったからだ。


「……ジャック。ステインは、もう二度と冒険者には戻れない。彼女の冒険は、今日、終わったんだよ」

 

「うぐっ……うぅッ……! ……うあああああああああ! ああああああああ!」


 夜空にジャックの叫びが響く。絶望と後悔で拡張された、心からの悲鳴にも聞こえていた。

 僕はただ、彼の叫びが静まるまで、隣に座ることしかできなかった。

 何もせず、何も言わず、悲しみの深みに沈む彼の横で、ただただこうして、夜空を眺めることしかできなかったのだ。





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