ミレペダの洞窟③
『――……どうしても、ギルドを抜けるの?』
『ああ。もう決めたんだ』
朧げな光景だが、言葉は鮮明に覚えている。
遠いようで、まるで昨日のことのようにも感じる記憶。
荷物をまとめ、慣れ親しんだ宿舎を去る早朝のこと。普段ならベッドで布団にくるまっているはずの彼女は、普段とは違う険しい顔で出迎えていた。
『あなたの治療術ならどこに行っても重宝される。だけど、あなたがいなくなった私達は?』
『治療術なら他にも使える奴がいるさ。僕なんかより、よっぽど優秀な奴がね』
しかし彼女は――ヴェロニカは、表情を伏せる。
『でも……あなたの代わりは、誰にもなれない……――』
――……記憶の追想。
懐かしい奴に会ったせいか、懐かしい夢を見ていた。
まだたった二年だと言うのに。
「……起きたの、ユージーン」
向かいに座っていた彼女は、相変わらずこっちを見ていた。
「ああ……いつの間にか眠ってたんだ……」
「まだ到着まで時間あるから。もう少し寝ていたら?」
「いや、もう目が覚めた。ヴェロニカは寝ないの?」
「そんな気分じゃないの。今は、いい」
どこか投げ捨てるようにそう言って、彼女はようやく顔を逸らした。
「そっか……」
「…………」
……妙だ。
最初こそ魔法をぶっ放そうとしたこいつだが、今はずいぶんとしおらしくしている。
何を考えているヴェロニカ・クラフトフ。お前はそんな奴ではないだろう。
これはケンジさんの言うところの成長なのだろうか。むしろ、不気味さすらも感じる。
どうにもこういう空気は苦手だ。
耐え切れなくなった僕は、話題を振ることにした。
「ヨハンさんは元気?」
「……ええ。相変わらず忙しくしているわ。ケンジを巻き込んでね」
「容易に想像できる構図だね」
「そう……」
「ああ、うん……」
「…………」
沈黙、再び。
これは、怒ってる? 怒っているのか?
「ギ、ギルドは忙しい?」
「ええ。それも相変わらず」
「でも、更にメンバーが増えたんだろ? すっかり大所帯みたいだし」
「その分依頼も多く入って来るのよ」
「そっか……」
「ええ、そうよ」
「…………」
沈黙、三度。
まずい。すっごい気まずい。
何を話せばいいのだろうか。
「……ユージーン」
言葉に迷っていると、今度はヴェロニカが話しかけてきた。
「は、はい?」
「私のことは、聞かないの?」
「ヴェロニカのこと?」
「兄さんのこととギルドのことは聞いてきたのに……」
「え? あ、ああ……ええと、ヴェロニカは元気にしてた?」
「見ればわかるでしょ」
「あ、ああ……そう、だね……」
「…………」
どうしろと。
こいつの得意魔法は爆裂系なのに、どうしてこうも空気が冷え冷えになるのか。むしろ以前の方がよっぽど過ごしやすかったくらいだ。
「……ねえ、ユージーン」
「う、うん? どうした?」
「やっぱりギルドに戻るつもりはないの?」
ケンジさんといいこいつといい、飽きもせず似たような話をしてくるものだ。
生憎ながら、その質問についてはテンプレ回答が出来上がっている。
「……ああ。ギルドには戻らない」
「どうしてそうも頑ななの?」
「そう決めたから……って、前にも言わなかったっけ?」
「聞いてない」
「うん? うーん……」
「ちゃんとした理由をってことよ。決めたのはわかった。どうしてそう決めたのか……教えて」
「どうしてって……」
「…………」
結局は、この沈黙に至る。
だけど、話そうとしてもきっと上手く言葉にはできない。多すぎるんだと思う。とても多すぎて、言葉じゃ足りないんだと思う。
今、たぶん僕はとても渋い顔をしているのだろう。
ヴェロニカはようやく諦めるように小さく息を吐き出した。
「……じゃあ、質問を変えるわ」
「まだ続くの? この尋問」
「魔法で脅さないだけマシだと思いなさい」
これが冗談に聞こえないからこいつは油断ならん。
「治療院、帝都に開いてるのよね? 順調?」
「まぁね。お客さんも増えてるし、順調と言えば順調かな。ケンジさんがちょくちょく顔出しては営業妨害してくるけど」
「わかった。ケンジには私から言っておく」
「うん、頼むよ。ちゃんと仕事しろって釘さしといて」
「任せて。死なない程度には手加減するわ」
これは冗談だよね? そうだよね?
ケンジさん、南無三。
「あなたの治療院、亜人のスタッフがいると聞いたのだけど……」
いったい誰から聞いたんだ、こいつ。
「その……大丈夫、なの?」
「大丈夫? ……ああ、そういうことか。大丈夫も何も、アシュリーはよくやってくれてるよ。僕が気付かなかった備品の補充とかもしてくれるし、正直助かってる」
「でも……亜人なんでしょ?」
「ごめん、ヴェロニカ。僕にはその感覚がわからないんだ。先入観って言うのかな? そういうの。亜人でも人でも、嫌な客もいればアシュリーなんかもいる。僕は、そういった自分の目で見えていることの方を信じたい」
「……そう。そう言えば、あなたはそういう人だったわね」
暗がりではっきりとは見えないが、ヴェロニカの表情が、少し柔らかくなった気がした。
「もう一つ、聞いてもいい?」
「はいはい。なんなりと」
すると彼女は、視線を細くさせる。
「……あなたがギルドを抜ける前、何があったの?」
「――――」
瞬時に、頭の中が静まり返った。
「二年前、あなたは一人で依頼を受けていたわよね。出発前、あなたは簡単な内容だと言っていたけれど……帰って来るなり、あなたはギルドを抜けると言い出した。いったいそこで何があったの? 何を見たの? 何を聞いたの? 何があなたに、そうさせたの?」
「…………」
「言いたくないのなら無理には聞かない。でももし……もしも
「――
「――――ッ」
ヴェロニカは言葉を飲み込んだ。
「
「…………」
何度目かもわからない静寂が広がる。馬車の音だけがやけに響き、時間を取り繕う。
「…………そう」
消えそうな程に小さく言葉を発したヴェロニカは、力なく背もたれに体を預けた。
そして下唇が沈むほどに噛み締めた後、外に顔を向ける。
「……だから私は……あなたが嫌いなのよ」
「……うん。わかってる」
それから僕とヴェロニカは、一言も言葉を交わすことはなかった。
窓の外の夜空には薄く雲がかかる。
せっかくの馬車の旅なのに、星が見えないのが酷く残念に思えた。
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