第二十章 こんにちは、新しい私

百七十六話 私は甦った。命である。

「れ、麗さん……いったいこれは、お、俺は……?」


 ガラン、と青銅剣を地に落とし、立ち尽くす突骨無(とごん)さん。

 ただでさえ顔色が悪いことに加えて、聡明さのかけらもないほど、弱弱しいアホ面を晒していた。

 私は間違いなく剣で斬られて、血飛沫を派手に上げたのに。

 次の瞬間にはぴんぴんしているように彼らには見えただろう。

 周囲の誰しもがそうであるように、突骨無さんもなにがどうして今こうなっているのかを理解しきれず、呆然と私の名前を呼ぶのみだった。


「よっくもやってくれたなこのトチ狂った色男がよおぉぉー!」

「お、おい麗央那」


 私は居並ぶ全員が混乱から脱し切らないうちに、翔霏(しょうひ)の胸から離れて全力でダッシュし。


「がっぐぅ!!」


 思いっきり、人間ミサイルの要領で、斜めにジャンプ!

 呆気にとられて対応が遅れた突骨無さんの下顎に、渾身の頭突きをぶちかました。

 翔霏(しょうひ)のように喧嘩の達人にはなれなくても、翔霏の動きを見続けていたからこそ、鈍い私にだってわかることがある。

 私たち、体格の大きくない女性が斜め前上方に思いっきり蛙飛びよろしくジャンプすると。

 ちょうど、男性の顎や口周りの、人中と呼ばれる急所を的確に狙う、強烈な頭突きをぶちかますことができるのだと!

 技術もそれほどの体力も要らない、必要なのは決断と気合いのみ!

 そしてそれを行うべきタイミングは、人々の意表を突くときだ!!


「あ痛ぁ! 頭痛いぃ~!」


 けれど突骨無さんの顔もそれなりに頑丈で、私は頭頂部が割れるのではないかと思うほどの衝撃を受けた。

 あとで漫画みたいにおっきなたんこぶができちゃうよ~。

 男の人の骨と体重は、やはりバカにはできないですね、はい。

 でも、やってやった。

 私は、私の意志と力で、やり返してやったぞ!


「あぐぅ、かっ、ぺっ……」


 突骨無さんは、前歯が欠けたか折れたかしたようで、口の中から小さな欠片を吐き飛ばした。

 尻餅をついている彼の面前に仁王立ちして、私は叫ぶ。


「斬られたときの痛さはこんなもんじゃなかったんだからなー! いやいきなり割り込んだのは確かに私だけどさー!!」


 反論を許さない怒涛の勢いで逆切れをわめき散らかし、私は戦意を失った突骨無さんをガルガルと威嚇する。

 呆けていた斗羅畏(とらい)さんが、はっと気を取り直した表情に変わり、私の肩に手を掛ける。


「お、おい、こっちの、俺と末叔父(すえおじ)の喧嘩が……」

「この期に及んでテメーまでまだそんなこと言ってやがんのか! 聞き分け悪いようならまとめてやっちまうぞ! 主にうちの翔霏が!!」


 ギャオォンと斗羅畏さんにも唸ってけしかけると、翔霏が私の意を汲んでくれて、伸縮棍をシュバッと伸ばし、言った。


「ああ、麗央那に文句があるやつは、私がいくらでも相手になる。自信がなければまとめてかかって来い。手加減できずに当たり所が悪くなっても知らんが」


 突骨無さんに向かい、前傾姿勢でグルルと獣のように唸る私。 

 その背中を守ってくれる形で、棍を手に静かに立つ翔霏。

 今の私たち、完璧に、無敵で最強すぎる!


「……れ、麗さん、頼むから邪魔をしないでくれ。俺は、俺たちには避けられない戦いが」


 突骨無さんがなにか言いかけてるけれど。


「うるせーバカ! テメーに発言権があると思うな! 手と足の骨を丁寧に全部折ってやってもいいんだぞ! 翔霏が!」


 怒りの理不尽パワーで封殺。


「任せろ、すぐやるか?」


 翔霏も乗り気で棍をひゅんひゅんと、いつもより余計に振り回しております。

 状況を完全に掌握し、支配しているのは私たちだ。

 こうなった以上は絶ッ対に、譲っても引いてもやらん!

 私は。

 これだけは、言わねばならないと思っていたことを、声を大にして改めて言った。


「あんなに立派なおやっさんが死んじゃったんだろー! 生き残った親戚同士仲良くしろよバカーーーーーーー!!」


 見渡す限り、草原一帯に。

 私の魂の叫びが鳴り響く。

 そう、本当に。

 今の私に、これ以外の言うべきことはない!!

 私はこれを言うためだけにここに居るし。

 この一言を怒鳴りつけるためだけに、死の淵から甦って来たのだ!!


「う、ぐっ、親爺……」


 張り詰めていたものが切れたのか。

 斗羅畏さんが涙混じりに呟いて、がくんと膝を折った。

 理屈を説いてもわからないやつらには、デカい声で胸に、脳に、物理的に届かせるしかないのだ。

 想いの乗っかった大声は、質量とエネルギーを持つのである。

 誰よりも丈夫な喉に産んでくれて、改めてありがとうね、お母さん!

 しかしまだ私のハウリングボイスに屈しない、優男ぶりに似合わぬ意地っ張りの突骨無さんが、苦しそうに言う。


「……お、俺は、親父を見殺しにした俺は、もう途中で止まれないんだ。親父が望んでいたが結局はできなかったことを、遺された俺が」

「まだ余計に口を動かす元気がありやがるかこんにゃろー! 麗央那怒りの鉄槌が足りねーみたいだなオォーン!?」


 私が突骨無さんの顔面に、前ダッシュからのケンカキックを食らわせようと飛び出したとき。


「ちょ、ちょっと待て、少しは落ち着け!」


 椿珠(ちんじゅ)さんが私を後ろから羽交い絞めにして拘束し。


「阿突羅(あつら)さまを見殺しにしちゃったって、どういうこったよ」


 軽螢(けいけい)が、手にした布巾を鼻と口から血を流している突骨無さんに渡した。

 おいおめーら優しいなあこんにゃろう!

 こうやってちゃんとブレーキ役になってくれるおめーらのこと、嫌いじゃないぜ!


「お、親父は……」


 怯えとも哀しみとも取れる歪んだ情けない顔で、突骨無さんは述懐する。


「星荷(せいか)の伯父貴と飲んでたその晩に、馬から落ちて死んだ。俺は見たんだ。伯父貴の下で小間使いやってる赤目部(せきもくぶ)生まれの小者が、親父の馬に飼葉と水をやってるのを……」

「馬なんだから草も食うし水くらい飲むだろ当たり前のことわざわざ報告してんじゃねーぞコラー!」


 話をさえぎる私にとうとう翔霏もげんなりして、そっと私の上体を手で押し留める。


「麗央那、今少しばかりはこいつの戯言を聞いてやろう。ぶちのめすのはいつでもできる」


 翔霏は「ここを押さえると動けないし力が入らないポイント」を熟知している。

 武術に長けていない一般女子の私くらいなら、指三本あれば制圧することができるのだ。


「あっうんそうだね」


 冷静になってしまった私は、今まで晒した狂態が恥ずかしい。

 そんな乙女の懊悩を知らず、突骨無さんは下を向きながら自分の記憶を話す。


「阿片か麻かはわからないが、伯父貴は親父の馬におかしな草と水を飲み食いさせたんだ。でなきゃ、いくら酔ってたってあの親父が馬から落ちて死ぬなんて有り得ないだろ……」


 悪いクスリにラリラリパッパラーになった馬が、阿突羅さんを振り落してしまった、ということなのだろうか。

 話を聞いて、椿珠さんが疑問を挟む。


「星荷にしてみれば、阿突羅の存在は邪魔だったってことか?」


 突骨無さんは首を振って答える。


「俺にはわからない。仲の良い義兄と義弟に見えた。俺が物心つく、昔からそうだったのに……」


 ううっ、と嗚咽を漏らし、突骨無さんは両の掌で顔を覆った。

 私たちよりずいぶん先に冷静な思考を取り戻していたであろう斗羅畏さんが、その状況に補足を加えてくれた。


「親爺が生きていれば、赤目部を贔屓する末叔父の政策も、ある程度のところで横槍を入れて歯止めをかけただろう。親爺はあくまで五部共和の想いが中心にあった。貧しいなら貧しいなりに、皆で貧しさを分け合おうと考えるのが親爺だ」


 五部と言うのは戌族(じゅつぞく)の五つに分かれた氏部のことだ。

 白髪部(はくはつぶ)、黄指部(こうしぶ)、青牙部(せいがぶ)、赤目部(せきもくぶ)、そして黒腹部(こくふくぶ)である。

 経済的に比較的豊かな黄指部と、武力の強さが一つ抜けている白髪部。

 二つが中心となり、トラブルがあっても妥当な落としどころを見つけて調整し合い、上手くやって行こうという方針だね。

 思えば青牙部の覇聖鳳(はせお)が昂国(こうこく)と揉めているときも、戌族全体に争いが波及しないように裏で調整していたのは阿突羅さんだったのだよな。

 その状況の、一段先を行く考えを突骨無さんが話す。


「五部共和、俺だって親父の考えは素晴らしいと思っていた。しかしそうしていたって、昂の国の商人や黄指部の連中はいつもこっちの足下を見やがる。ずっと俺たちは貧しいまま耐えなければいけないのか?」


 涙の筋を両頬に生みながら突骨無さんが切ない声で言う。

 ぽん、と突骨無さんの肩に手を置いて落ち着かせるように、椿珠さんが説いた。


「これから、商売はもっと自由に、上手く行くようになる。お前さんたちが冷や飯を食う割合も減るはずだ」

「お前、見た顔だと思ったら環家(かんけ)の……」


 椿珠さんの素性を思い出した突骨無さんは、それでも歪んだ顔で、吐き捨てるように言った。


「お前も商人ならわかるだろう。商売が自由になるってことは、上手く儲けるやつと、そうでないやつの両極が生まれるってことを。親父の代は、白髪部はみんな貧しかった。だから仲間と一緒だと思えたし、耐えられたんだ。それが崩れたらどうなる?」


 うぐ、と椿珠さんは言葉を詰まらせた。

 彼は商人だから、商売で勝つこと、少なくとも負けないことを前提に物事を考える。

 けれどそれは、必ず別のところで敗者が生まれる現実が付いて回るのだ。

 生まれたときからずっと経済的に勝ち組だった椿珠さんは、本当のどん底に生きる市場経済の弱者を知らない。

 突骨無さんは、更に重ねて言う。


「俺は戌の地すべてをまとめあげる王となり、昂の国と対等な条約を結ぶ。どこの地域が、どこの氏族が儲かるだの儲からないだの、俺の国ではそんなことは絶対に起こさせやしない。今までは全員が貧しかった。これからは、全員で少しずつ豊かになって行くんだ。俺はそのために大統になったんだ……」


 正直、私は。

 突骨無さんのその考えに、けっこうな共感と感情移入をしてしまっている。

 戌族の各氏部が経済的に貧しいのは、ハッキリ言って貧しい土地なのに更に小勢力に分割して、お互いに小競り合いしているからだ。

 そのために外部勢力に付け込まれているのであり、商売上の不利益、不平等な格差も結局はそこに繋がる。

 もしそれが、統一国家を築けたとしたら、どうなるだろう?

 昂国としてはどうしたって北隣の戌族王朝を軽く見ることはできない。

 南下して侵攻されたらたまったものではないから、友好条約を固く結ぼうとするはずだね。

 今よりももっと、戌族のご機嫌を取る形でさ。

 贈り物とか、目も眩むような凄い規模になるだろうな。

 

「だから、俺が邪魔だったのか」


 斗羅畏さんがぽつりと言う。

 もう流れる涙を隠そうともせず、開き直った顔で突骨無さんは言った。


「あの厄介な覇聖鳳も、あんなやり方をしていたらいつか近いうちに死ぬと思っていた。しかし、まさか斗羅畏がその跡を継ぐなんて思ってもいなかったよ。覇聖鳳のいない青牙部なんて恐ろしくもない。だから一番最初に平定しようと考えていたのに……」

「上手く行かなくて残念でしたねー。やーいやーい今どんな気持ちー?」


 いい気味だと思って煽ったけれど、無視された。

 翔霏も椿珠さんも「それはない」という冷めた顔で首を横に振っていた。

 なんだよなんだよぉ、死にそうになって戻って来たんだからさぁ、もっとみんな、私を甘やかしてよ!


「メェ、メェ~」

「気安くお尻に顔をこすりつけんな!」


 ヤギに慰められたけれど、死の淵であんなことがあったからか、今はこいつの顔も可愛くはないのだった。

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