百七十五話 わかれみち
「あれ、私は突骨無(とごん)さんにバッサリ斬られたはずじゃ」
気が付いたら、陽光が燦々と降り注ぐ、温かな草原に私は立っていた。
白髪部(はくはつぶ)の草原に似ているけれど、私の他に人っ子一人として、いない。
戦いの果てに討ち死にした勇者の魂は、天上の楽園に導かれるという話がある。
「私は戦ってもいないし勇者でもないけどね」
それでも刀傷を真っ向から受けて死んだのには違いない。
神さまからのおまけで、ヴァルハラへの招待券をもらったのかもしれないな。
「って、うわなにこれ。私の身体、切り裂かれたまんまじゃん」
私の上半身、肩から脇の下には、流血のない亀裂が深々と刻まれていた。
ぱっかりと破れた服の下に、生々しく赤々とした傷跡が明確に残っていて、あまり注目したくないけれど骨とかも見えている。
天国に来ても傷を治してもらうボーナスはないのだろうか。
鎖骨が切断されてしまって動かない片方の手と、引き攣る脇腹の不自由を抱えながら、私はとりあえず草原の様子を探るために歩き回る。
不思議と痛くはないけれど、気持ちは悪いよね。
銃で撃たれてもナイフで切られても動き回るゾンビって、こういう感じなのかなあ。
『ほう、お前はまず、自分で見て知るために足と目を使って動き回るのか』
とぼとぼ歩いていると、いきなり誰かの声が、体を貫通した気がした。
耳から聞こえたわけでもなく、音が私の身体にぶつかって止まったり跳ね返ったりするのでもなく。
放射線のように、音が身体を通り抜けて響いたのだ。
まるで心の中までを覗かれて、丸裸にされてしまったような羞恥を覚え、私は声の主に叫び返す。
「ちょっと乙女の内面に勝手に囁きかけないで! これでもお年頃なんだからネッ!」
誰もいないところへ向けて大声を上げたけれど、正体不明のエッチマンがちゃんと聞いてくれたかどうかは知らない。
破れた服の前をぎゅっと合わせて、おっぱいを隠したときに気付いた。
私の心臓、動いていないっぽい。
今の状況が夢なのか三途の川岸、賽の河原なのかはわからないけれど、心臓が動いていることに意味はないのだろうか。
疑問に思いながら周囲をきょろきょろとプレーリードッグのように窺う、私。
呼びかけに、ややあって返答がもたらされた。
『そうか、姿が見えんと話しにくいか。ならこれでどうだ』
ふわぁぁー、と目の前の地面から光の筋が立ち上った。
その中にぼんやりと、なにやら動くものが次第に像を結んで行く。
光が散乱して消えた後には、見慣れた一頭の動物が。
「って、ヤギじゃん」
目の前に、私たちにいつもくっついて歩いている、デカくて角の立派な雄ヤギが現れた。
心なしか、毛並みがキラキラと光っていて神々しい。
『お前が話しやすいと思ってこの姿に仮になっているが、失敗だったか?』
「わあとうとう喋っちゃった! そんなことは有り得ないって今まで必死に思い込んで、その可能性に蓋をし続けてたのに!」
人語を解するヤギなどいないし、兄より優れた弟も存在しない!
自分の認識して信じている世界観が崩壊しつつある危機に、私は頭を抱えて嘆くのみ。
『やかましいやつだ。俺たちの本当の姿を見たら、お前のような凡骨の畜生は目が潰れて頭がおかしくなる。だからお前の心を激しない仮の姿だと言っているだろう』
どうやら目の前の幻獣は、ヤギに見えるけれどヤギではない、別のサムシングらしい。
なにがなんだかわからんけれど、とりあえず敵意や害意はないようだ。
「それはお気遣いをどうもありがとうございます。挨拶が遅れました。私は麗央那というケチな娘っ子です。麗とか央那とか呼ばれてますけどお好きにどうぞ」
挨拶は大事、古来から続くありがたい書物にも書いてある。
私はヤギに見えるけれど会ったことのないはずの誰かさんに、形の上ではきれいにお辞儀をして自己紹介をした。
『お前の名なんぞどうだっていい。いちいち俺たちが意にとどめる必要もない。お前たちの魂が持つ色と形がわかれば、俺たちにはそれで十分だからな』
せっかく礼儀をわきまえて名乗ったのが、無駄になった瞬間であった。
なんだよオーラ見える勢かよ。
話が通じるなら、まずなにより聞かなければならないことがあるな。
「そういうことでしたら単刀直入にお伺いします。ここはどこで、私はどうなっちゃうんでしょうか? 私の体、今頃かなり大変なことになっちゃってると思うんですけど」
観察しても情報が得られない環境というものに、私はとても弱い。
いろいろ想定はできるけれどなにひとつ確証を得られないまま、この不思議な幻想意識空間にずっと閉じ込められているわけにもいかないのだ。
私には、為すべきこと、やりたいことがあるのだから。
しかし目の前の謎ヤギは私の質問に、逆質問を返してきた。
『お前には、ここがどこであってほしいと思う? この先、どうなりたいと思う?』
質問に質問で返すなよ、国語のテストで落第するぞ。
しかし私はあえてその無見識を咎めず、自分の思うところを正直に、答えた。
「ここはあの世とこの世の境目的な場所で、私はワンチャン、生き返る望みがあってほしいです」
『素直で、そして単純なやつだな。分かりやすいというのは良いことだし、大事だ』
ふんふんと気持ち良さそうに顎を上下して、ヤギが褒めてくれた。
なんだよコイツ、ヤギの分際で人さまに向かって、偉そうだな。
そんな私の怪訝な気持ちを知ってか知らずか、ヤギはさらに質問を重ねて来た。
『しかしお前には故郷に残してきた親や家族、友がいるんじゃないのか? 今まで見ていたのはおかしな夢で、ここから目覚めれば故郷に帰って、元通りの暮らしに戻れるかもしれないとは思わなかったのか?』
「え」
埼玉の、お母さんやおじいちゃんたち。
そんなには仲良くなかったけれど、小中学校時代のクラスメイトと、高校で出会うかもしれなかったまだ見ぬ友人たち。
その暮らしを、あったはずの未来を、取り戻せる?
『お前は自由でありたいと願っている。自由と言うのは、心のままに生きることだと凡骨畜生たちは思っているのだろう。お前は草原で刃に倒れたが、今一度起き上がりたいと願った。しかし故郷で待っているものたちに会いたいという願いはないのか?』
そんな問いを投げつけられて。
ふ、ふ、ふ。
思わず、短い息が漏れる。
「ふっざけんなよ、てめー!!」
こらえきれず激昂し、怒鳴ってしまった。
え、ここで私は、究極の選択を突き付けられている?
ゴツい刀剣で斬られたはずだけれど不思議と復活して、突骨無さんと斗羅畏(とらい)さんの争いを、翔霏(しょうひ)たちと力を合わせて食い止める道と。
埼玉に帰って、十七歳の北原麗央那として一年遅れて高校に通い直したり、フリーターや家事手伝いの一般女子として生きる道と。
罵声を浴びせられても喋るヤギは微動だにせず、さらに質問を続けた。
『お前は自由だ。どちらも選べる。どちらの道も、お前にとっての本当の願いのはずだと俺は思っているが、違うのか?』
ヤギに表情なんてないけれど。
こいつ、絶対にドヤ顔で笑ってる!
私が七転八倒して苦しむ選択肢を突き付けて、得意げにほくそ笑んでやがる!!
あ~~~ムッカつくわ~~~!!
なにものか知らねえけど、私があんたに言ってやれる答えは、こうだ!!
「身体さえ治れば、埼玉なんて帰りたいときにいつでも帰っちゃるわーい! 死にそうな傷から立ち直るのは今の私じゃ無理だけど、故郷に帰る望みなんて何年後かの私に任せればいいんだよ!!」
つぶらなヤギ瞳をきょろりと覗かせ。
ほほー、と面白そうに、目の前のなにものかは言った。
『そうか、片方の道は自分の力で行けると信じているから、行けない道だけを俺にどうにかしろとお前は言うのか』
「あったりめーだ! この麗央那ちゃんを舐めんじゃねー! なんかふわっと昂国(こうこく)八州に来ちゃって、流れ流れて北方の草原で斬り殺されそうになってるけど」
私は胸を張って、自信を持って、叫ぶ。
いつしか私の身体に深く刻まれていた傷跡は、ぴったりと塞がって手術跡のような線だけを残している。
「私はできるって、自分を信じてる! 埼玉くらいなんの気なしにホイホイいつでも帰っちゃるってんだ! 今は目の前にやるべきことがある! ごちゃごちゃ言ってないでさっさと生き返らせて!!」
きっと、目の前の存在は。
河旭(かきょく)の皇城でお目にかかれた白銀龍のような、四神のうちの一柱なのだろう。
東の龍でないということは、北の麒麟か、西の獅子か、南の鳳凰か。
甦りを司っているからには、鳳凰かな、と私は思ったのだけれど。
『面白い。お前の命が消え失せぬことをひたすらに願い続けて過ごしている、亥(いのしし)の娘がいる。それに感じて顔を見に来たが、お前の信じて思い込む力は面白いぞ。海沿いの館に帰ったら、その娘に礼を言うがいい』
ここより東、海沿いに住むイノシシ氏族の末裔。
て、それは一人しかいない。
私なんかのために、そこまで強く想って願ってくれる、最高のご主人さまは。
「翠(すい)さまのこと?」
『名前なぞどうでもいい。お前と強く結びつく亥の娘がいなかったら、お前の顔など見に来ようとも思わなかった。俺はすべての蹄(ひづめ)を持つ生き物の祖たる神。娘(こ)の声をたまには聞くこともある』
いつの間にか、切り裂かれた服も元通りになっている。
ヤギの姿を借りていた神が、話は付いたとばかりに陽光の上を走るように、中空へと駆け出す。
『お前らが俺をどう呼ぼうと俺の知ったことではない。だが、あるものたちは俺を麒麟と呼ぶらしい。光よりも速く、しかして北の中天に常に変わらず在るものだ。夜になったら星を見上げるがいい。その中で空を巡らぬ、ただ一つの極星が俺だ』
北極星の神、麒麟。
北の空から大地を常に見守り続ける、夜空の王。
私はいつの間にか足に力を失い、膝立ちになって頭を下げていた。
うなだれる私の上で、麒麟の最後の声が鳴り響く。
『お前が故郷(ふるさと)に帰りたいともし言っていたならば、そのまま死なせているところだった。俺にとっては面白くないからな。せいぜいこの大地で生き、足掻き、蠢き、苦しんで俺を楽しませろ。此度の命はその前払いだ』
あっぶねー、マジどうにかしろやコイツ。
埼玉のお母ちゃんに会いたいよ~、って言ってたらその時点で死亡確定かよ。
「なんか、体に熱が戻って来た気がするぞ」
夢なのか幻なのか、彼岸此岸の境界なのか、はっきりはわからないけれど。
身体と意識は力と命を取り戻し、白髪部の草原に戻りつつある。
私が剣の一撃に倒れて、どれくらいの時間が経過しているのか。
あまりのらりくらりしてると、翔霏がとっくに突骨無さんを殺しちゃってるのではないか、心配したけれど。
「麗央那ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
覚醒して現実に還った私が最初に聞いたのは、私の下へ全力で駆け寄る翔霏の叫び声だった。
微塵も時間が経ってないばかりか、少し巻き戻ってやしませんか?
そして、翔霏が突骨無さんを殺すより先に、私の身体を思ってくれたことが、なによりも嬉しくて泣きそうだけれど。
「セーフ! 麗央那ちゃんは元気です! これこの通り!」
私は地面に倒れ伏す前に踏ん張り、両手をバンザイに挙げて高らかに宣言した。
周囲の地面には血飛沫が散っている。
私は一見して無事だけれど、確かに斬られたのだ。
そこはなかったことにできないらしいな。
「え」
「メェ?」
「斬られたように……見えたよな?」
同じく私の身を案じて走り出していた軽螢(けいけい)、ヤギ、椿珠(ちんじゅ)さんが、たっぷりと混乱していた。
「あ、だだだだだっ! な、ななななんで麗央那なんで!?」
驚きすぎた翔霏が、実に珍しいことに、脚をもつれさせて派手に倒れ、地面を転がった。
「翔霏が転ぶところなんて、はじめて見た」
笑って私は、翔霏にむぎゅっと抱きついた。
生きてる、あったかい、気持ちいい。
今はこれで十分、幸せだから。
「この道を選んだことに、後悔なんてしてやるもんか!!」
北の空で見て聞いているはずのあいつに向かって、吼えた。
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