百七十四話 衝いて突く想いと願い

 うつろな顔、頼りない足取り。

 しかし斗羅畏(とらい)さんへの最短距離を真っ直ぐ、脇目も振らずに歩き進む突骨無(とごん)さんの姿。

 え、私の他に誰も、彼の異様に気付いていないの?


「斗羅畏、どうして考えナシの意地っ張りなお前ばかり、昔から俺の欲しいものをすべて持って行っちまうんだ。親父の情も、小さいながらも自分の国と城も、そして、あの娘たちすら……」


 涙も出ないような乾いた声と顔で、突骨無さんは歩き続ける。

 あの、私たち別に斗羅畏さんのものになったわけじゃないですからね?

 嬉しい嬉しくないの問題ではなく、そこはお取り違えのなきよう、お願いいたしますよ?

 一方の斗羅畏さんは、先ほどまで殴り合っていた面々と昔話に花を咲かせ、楽しそうに笑っていた。

 

「くくっ、お前の家の脇に生(な)っていた野苺を、盗んで食ったとか食ってないとかで、双方の親まで出てくる騒ぎになったこともあったな……」


 横隔膜を細かく揺らして語る斗羅畏さんに、隣の男が思い出したように白状する。


「あれ食ったの、実は斗羅畏じゃなくて俺なんだ。でも次の日から腹を壊して包屋から出られなくてさ。治まって気付いたらおおごとになってて、怖くて黙ってたんだよ」

「なんだそれ、苺が馬のションベンまみれだったんじゃねえのか」

「ぎゃはは、よくそんなの食ったな。拾い食いみたいなもんじゃねえか」


 斗羅畏さんを囲む男たちが、幸せそうに爆笑した。

 なにその素敵な思い出~。

 大人になっても絶対に忘れずに一生、飲みの席でこすり続けるネタやん。

 そんな温かすぎる空間に、どろりとした目つきで、ギラリと鈍く光る剣を持ち、近付いて行く突骨無さん。


「お前はいつもそうだ。なにも考えずにワガママを通してるだけなのに、みんな、そんなお前を好きになっちまう。俺のなにが間違ってたって言うんだ?」


 その手にあるのは、古びた青銅の剣。

 阿突羅(あつら)さんの遺品であり、その後を継いだ突骨無さんが白髪部(はくはつぶ)を統治するために譲り受けた象徴と言える品。

 たった一つの、偉大な父からの贈り物。

 ああ、きっと突骨無さんは。

 大統の座に就いたと言えども、なにひとつ、自分の本当に欲しいものは手に入らなかったのだ。

 信頼できる同胞も、領地を経営し、苦楽を領民と分かち合うことで生まれる達成感も。

 そしてなにより、偉大な父である阿突羅さんからの愛情も。

 単純な斗羅畏さんが、賢い突骨無さんに抱いていたコンプレックスと同様か、あるいはそれ以上に。

 突骨無さんも、昔から今まで、斗羅畏さんに引け目や負い目、どうして勝てないんだと思う悔しい部分を、多く大きく抱えていたのだろう。

 落涙なき慟哭と、今はもういない父への恨み言のように、突骨無さんは独り、語る。


「斗羅畏は人一倍短気だが、人一倍傷付いている。だから同じように傷付いたものたちの気持ちがわかる。親父はそう言ったよな。俺は傷付いてないから、他人の気持ちがわからないってことかよ。その分俺は、俺だって、一生懸命に考えて、相手のことを思って生きて来たのに……!」


 剣を固く握り締め、歯ぎしりしてそう言った突骨無さん。

 その感情の波がやっと伝わったのか、斗羅畏さんが視線を上げて突骨無さんの姿を見留めた。


「末叔父(すえおじ)……」


 斗羅畏さんは。

 少しの曇りもない純朴な顔で、斗羅畏さんを見ていた。

 思う存分に鬱憤を発散させ、少年の心に戻れた斗羅畏さんに対して。

 一人離れて騒乱と激情の波に呑まれないまま、鬱屈したものを溜めるにいいだけ溜め込んだ突骨無さん。

 星荷(せいか)僧人は殺意増幅の術を、突骨無さんの心の中に限り、満点の効果を生み出して強く遺し、役目を十分に果たして死んで往ったのだ。

 口を歪めた皮肉っぽい笑みを浮かべながら、突骨無さんが斗羅畏さんに語りかける。


「斗羅畏。貧乏ヒマなし、理屈の通じない荒くれものだらけの青牙部(せいがぶ)の領地経営は、お前にとっては楽しくて仕方ないだろう? 気に入らないやつらはぶん殴りゃいいし、もともと飢えてた土地だからな、実入りが少なくても誰も文句は言わねえんだろう?」


 明らかに馬鹿にされているのに、斗羅畏さんはムキにならず、落ち着いて答えた。


「上手く行かないことばかりだが、確かにやりがいのようなものは見つけられている。しかし末叔父、それはあなただって同じだろう。やりたいように思う存分、やってみればいいじゃないか」

「フン、俺の苦労も知らないで軽く言いやがる……」


 握った剣の腹を撫で、突骨無さんが苦悩の底から絞り出したように言う。


「白髪部(こっち)の領民の大半は、斗羅畏がいつか大物の首領に成長し、俺に取って代わるもんだと思ってやがる。事情があったとはいえ、選挙で決まったのは間違いなく俺なのに、だ。俺はいったい、なんのために大統にまでなったってんだ!?」


 私たちが思っていた以上に、突骨無さんの座は落ち着いて定まっていなかった。

 周囲の人間から常に軽く見られ、資質を疑われて過ごすなんて。

 それはある意味で、この世の最も不幸な地獄なのかもしれない。

 斗羅畏さんは同情するように沈痛な面持ちで言った。


「俺にそんな腹積もりはない。今は自分の土地のことだけで精いっぱいだ。互いに『敬して遠ざける』姿勢であれば、なにも問題なかろうと俺は思っていた。末叔父は違うのか」


 斗羅畏さんは葬儀に来てからずっと、突骨無さんに対して他人行儀に接していた。

 それは「仲良くしたくないから」という感情からもたらされたものではなくて。

 きっと「自分たちは距離が近ければ近いほど軋轢、葛藤が深くなってしまう。少し距離を置こう」と考えた上での姿勢だと思う。

 敬して遠ざけると書いて敬遠と読むけれど、それは決してネガティブなだけの態度じゃない。

 相手と自分の距離を適切に保ち、ベストでなくてもベターな立ち位置を模索するための知恵なのだ。


「少し見ない間に、すぐ大きくなっちまう……」


 斗羅畏さんは、青牙部の領地領民を受け継いで、彼なりに成長しようとしている。

 その速度に驚きか、あるいは羨望の感情を滲ませて突骨無さんはか細く漏らした。


「……だから今、お前に消えてもらわないと。親父も伯父貴もいない以上、俺が、俺だけの力で王になるしかないんだ! 親父に誰よりも愛され、覇聖鳳(はせお)の遺命を受けたお前を倒してなあ!!」


 誰よりも聡明だったはずの突骨無さんが。

 まるで道理のわからない愚かな子どものように叫んで、ぎゅっと握った青銅険を振りかぶり、走る。


「お、おい! 斗羅畏は丸腰で、俺たちとドツき合って足元もふらついてんだぞ!」

「これがお前のやり方かよ、突骨無ッ!!」


 斗羅畏さんの身を守るために、何人もの男たちがその直線上に立ちはだかろうと身を起こす。

 しかしそれを良しとするような斗羅畏さんではもちろんなく。


「どけえっ! 俺の喧嘩だ! 邪魔をするやつは誰だろうとぶちのめす!!」


 一喝して周囲の男たちを押しとどめ、一人、突骨無さんの前に屹立する斗羅畏さん。

 まだまだ光の失せない目で不敵に笑って、こう言った。


「得物の有る無し程度で俺に勝てると思ったのか、末叔父。鼻を垂らしたガキの頃に俺が散々に泣かせてやって以来、決して俺に喧嘩を売ろうとしなかったあなたが」

「うるせえっ! いつまでも同じだと思うなよ、斗羅畏ーーーーーーーッ!!」 


 年頃の同じ叔父と甥が、中天の陽の下で向かい合う。

 一人は誰も来ない林の奥の泥沼のように、暗くじめついた殺気を放ち。

 もう一人は雲一つない蒼天を思わせる爽やかな笑顔でそれを向かい打つ。

 ああ、私は。

 どこまでも部外者でお邪魔虫の、たまたまここにいるだけでしかないはずの、頭のおかしい小娘の私が。


「ダメーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 何か不思議な力に引きずられるように、彼らの間に割って入る。

 突骨無さんと、斗羅畏さん。

 彼らが傷付け合う結末だけは、なんとしてでも否定しないと。

 私は、ここまで来た意味がない!!


「あ、阿呆!! なんでお前が来る!?」

「麗さんッ!?」


 二人とも、私が目の前に来るまでまったく気付いていなかった。

 突骨無さんが振り下ろした銅剣は、その勢いを殺しきれずに。


「熱ッ……!!」


 私の左肩、鎖骨の上から右の脇腹あたりまでを、きれいな弧を描いて袈裟懸けに斬り降ろした。


「え?」

「メッ!?」

「お、おい」


 軽螢(けいけい)、ヤギ、そして椿珠(ちんじゅ)さんが、虚を突かれている間の出来事に、言葉を失っている。

 彼らと一緒に星荷の遺体を運んでいた翔霏と、目が合った。


「ご、ごめん、翔霏、余計なことしちゃったかも……」

「麗央那ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 自分の体から噴き出る血の波を見ながら、私は。

 ああ、きっと翔霏は怒り狂って、突骨無さんを殺してしまうのだろうな、とか考えて。

 地面にばたりとうつ伏せに倒れたのだった。

 駄目だよぉ、翔霏、そんなに、怒らないで。

 ここには翠(すい)さまの言いつけで、突骨無さんと仲良くなるために、来たはずなんだからさ……。

 力を失った私に、翔霏を止めるすべはない。

 言われた役目をこなせないかもしれないという悔しさと申し訳なさにいっぱいのまま、私の視界は真っ暗になったのだった。


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