百七十三話 大怪僧のあとしまつ
怒涛の暴力に飲まれながらも、なぜか死の予感からは遠くにあった、不思議な夢心地の狂騒の中。
「なにも殺すことはなかったんじゃないか、って顔をしてるね、央那ちゃん」
乙さんが、ピクリとも動かなくなった星荷(せいか)僧人を足元に睥睨しながら、冷たく言った。
星荷、本名を斧烈機(ふれき)と言った赤目部(せきもくぶ)に生まれた男、その唐突な死。
私はそれを上手く頭でも感情でも処理できず、乙さんの言葉に曖昧な首肯を返すしかできなかった。
殺すまでの必要が、どこにある!?
「ほんとに、死んじまったのかよ……」
「メェ……」
軽螢(けいけい)も恐怖か驚きか、はたまた慎重さゆえの警戒か、ヤギを押し留めて乙さんに近寄ろうとしない。
ひとつ、と言うように乙さんは人差し指を立てて説明する。
「こいつが言葉通りにこの場から大人しくとんずらするようなタマだと、あたしは思ってない。騒動から隠れたところで、再度ふざけた術の重ね掛けなんてしようもんなら、今度こそ避けられない鉄火場、殺し合いの舞台になるだろう? まずそれを第一に避けなければならない」
そこに関しては私も同意見だ。
だから痺れ串でも、ヤギのタックルでもいいので、星荷の身柄を押さえる必要があった。
葬儀の場が戦場になるかもと言う危惧を事前から持っていた乙さんなので、迅速に対処した結果がこれだったと言えるのかな。
ふたつめに、と言う意味で乙さんは中指も立ててピースサインを作る。
「こいつは言葉を使う。言葉を喋らせる以上、こいつの術中にあたしもいつかハマるかもしれない。一瞬で黙らせるにはこれが一番手っ取り早かった。あたしはこいつと会話する意思がそもそもないし、除葛(じょかつ)のやつからも下手な交渉はするなと命じられていたからね」
敵といちいち議論はしない、それは乙さんの基本的な指針である。
そして彼女は神出鬼没の遊撃間者で、ものすごく有能な人に見えるけれど。
最終的にはどうしたって、首狩り軍師、姜(きょう)さんに雇われて働いているだけなのだ。
姜さんがやれと言ったらやるし、やるなと言ったらやらないのだろう。
その姜さんの方針は置いとくとしても、だ。
常識の範疇で考えて、星荷のやろうとしたことは無差別テロみたいな非人道行為である。
一度作戦行動に移ったテロリストと悠長に話し合いや交渉をすることは、できない。
なぜか不思議と死人が他に出なかっただけで、星荷は本来、死人を大量に出そうとしていたのだから。
「そしてこれはあたしの個人的な補足だけど」
と、乙さんは三本目の薬指を折るか立てるか迷い気味な手つきで、言った。
「阿突羅(あつら)の葬儀を台無しにしたこいつは、どのみちハリツケにされて、全身の皮を剥がれて鳥や獣のエサになる運命だよ。白髪部(はくはつぶ)、中でも阿突羅の縁者連中は甘くない。こいつがいくら逃げたところで、地の果てまで追い詰めるだろうさ。突骨無(とごん)の伯父であるなんてことは、この際関係なく、ね」
その見解には軽螢も思うところがあるのか、うんうんと頷いて聞いていた。
「恩義にも屈辱にも、身の丈限りの報いを返せ、ってね。昂国(こうこく)のモンだって知ってる、阿突羅さまの座右の銘だ。大事な葬儀をここまでコケにされて、遺族さんたちだって黙ってない。遅かれ早かれこの坊さんはむごたらしく死んでただろうな……」
そうなると、暴力と復讐の連鎖は赤目部にまで及ぶだろう。
騒ぎを起こすために自分の命も最終的にエサにするつもりがあったのかどうか。
星荷本人がどう考えていたのかは、もう永遠にわからない。
乙さんは周囲を一瞥し、混乱がピークは過ぎたのを確認して言った。
「このおっさんは自分がやるだけやって死ぬことに、なにかの意味を見出していたのかもね。でも『あたしたち』はそれを思い通りにさせたくない事情がある。だから、これが今のあたしの仕事なのさ。無事に務まってなによりだよ」
中途半端で思わせぶりな説明だけ残して、乙さんは走り去り、人ごみのなかへ消えた。
完全にこの場から離脱したのか、それとも引き続き私を護衛してくれるのか。
気配がまるっと消えたのでわからない。
乙さんの言う「あたしたち」に、誰が含まれているのかも、曖昧な影の中に消えた。
「ちょっと! 星荷さんが死ぬ間際に言ってたことはなんなんですか! まるで仲間だったのに裏切られたみたいな言い方でしたけど!?」
私は大声で叫んで問う。
しかし、誰もそれに答えはくれなかった。
周囲の空気に、徐々に変化が訪れる。
「いてて、ちょっと待ってくれ、歯が……」
「お、おい、大丈夫か? やりすぎちまったか?」
血液が沸騰していた群衆の中に、冷静さを取り戻した人が出始めたのだ。
まるで星荷という仕掛け人の死亡により、徐々に憤怒の魔法が解けて行くかのように。
「なんだ、もう終わりか?」
翔霏(しょうひ)の声が聞こえた。
そっちを見ると、横たわって呻いている何人かの男たち。
「ち、ちきしょうめ、今日はこのくらいで勘弁しといてやらあ」
その中心に座り込む斗羅畏(とらい)さん。
「ふん、決着を付けたければいつでも来い。乗り込んでくる度胸が貴様らにあるのならな」
みな、命に別状はないらしく、負け惜しみや強がりの捨て台詞を口々に発していた。
不思議なお祭りは、終わった。
数えきれない生傷を抱えながらも、どこかスッキリした顔で暴動の参加者たちは、恥ずかしそうに苦笑いしている。
「なんだって、親父さまの葬儀でこんなバカなことをしちまったんだ、俺たちは……」
「でもこんな喧嘩、久しぶりだ。ガキの時分に戻ったみてえだった」
「ああ、気持ち良かった……先代が俺たちに、最後に遺してくれた贈り物なのかもな……」
あちこち打たれた痛みと、それ以上の哀愁を抱え、多くの人が泣いていた。
星荷の術は人々の憎しみを増幅拡大させて、お互いに殺し合うように仕向けたもののはずなのに。
それが今、目の前の状況はどういうことだろう。
雨降って地固まるじゃないけれど、まるで今までのわだかまりもなにもかも、肉体のぶつかり合いの中で綺麗さっぱり捨て去って、水に流してしまったようじゃないか。
まさに今、草原を撫でている初夏の風のように、みんなの心が明るく清涼に、そしてほんのり温かくなっているように私には思えたのだ。
「どこまでが星荷さんの仕掛けで、どこまで、いやどこから姜さんの仕込みが始まってんだよ……」
私はまったく分からずに、背中に寒い粒が立つのを感じたのだった。
なにがなんだかわからない状況こそが、一番の恐怖なのだ。
「麗央那(れおな)、ほったらかしにして済まなかった。私も頭に血が昇って、どうにかなってしまったらしい」
「ううん、大丈夫。私はそんなに危険じゃなかったから」
あくまでも、私は、ね。
翔霏が側に来て、首から血を流して死んでいる星荷を見る。
その驚いたまま死んでいる彼の顔にそっと手をかぶせて、瞳を閉じさせてあげていた。
死んだ振りが上手いおっさんだったけれど、今度の死は、演技ではない。
「あの間者の姐さんがやったのか。私を警戒していたから近くに来なかったんだろう。まったく気付かなかった。してやられたな」
「ああ、ほんとに一瞬で表れて、一瞬で殺しちゃったんだ。やべー女は翔霏と麗央那だけじゃないなあ」
「メエ、メエ」
近くで見ていたのにまったく反応できなかった軽螢とヤギが、嘆息とも感心とも取れるコメントを出す。
「うわ、こりゃひでえな。なんでこの坊さんがこんなところで死んでやがる、お前さんがやったのか?」
椿珠(ちんじゅ)さんもやっと合流して、唐突な惨状に顔を歪めた。
わからないことばかりだし、どさくさ紛れに失礼なことを言われてる気もするけれど。
はっきりしていることが、ただ一つ。
「姜さんに用済みだとか邪魔だとか思われたら、私もこんな風にあっけなく殺されちゃうんだろうね」
今はたまたまそうでない、というだけで、そのときが来ればきっと。
仲間たちが沈黙して肯定の意思を示したのが、私には辛かった。
「ところでこんな騒ぎが起こったってのに、喪主の突骨無はなにをしてやがる。あいつが仕切らんと収拾がつかんぜ」
椿珠さんが周囲を見渡して、これからの段取りを気にした。
思う存分にわんぱくを堪能した斗羅畏さんとは逆に、突骨無さんの怒声は一つも聞こえなかったね。
危ないから引っ込んでいようと判断したのであれば、それは政治的な指導者として正しい態度かもしれない。
けれど勇ましい男たちの上に立つ身、武士の頭領としては、どうなのだろう。
こういうところが「突骨無は自分の血を流さないやつだ」と思われる所以なのではないだろうか、と私は年下のくせに老婆心を発揮するのであった。
「それよりなにより、このおっさんの亡骸を別のとこに移そうぜ。阿突羅さまのご霊前に、こんなむごいまま地べたに置いといちゃいけねえよ……」
複雑な感情の混じった顔と声色で、軽螢が適当な布を拾って星荷僧人の血を拭き取る。
軽螢は罪を憎んで人を憎まずの気持ちが強く、こういうところは本当に優しい。
「そうだな、不審な死体が転がっていては、参列したものたちも落ち着かないだろう」
「メェ〜」
翔霏が手を貸し、遺体はミイラ男のように首と顔を布でぐるぐる巻きにされて、ヤギの背に乗せられた。
「気を遣わせてすまねえな、外の人たちにこんなことを……」
「見た顔だと思ったらあのときの翼州(よくしゅう)の子たちじゃねえか。今は斗羅畏の下にいるのか?」
自然と軽螢の周りに人が集まり、惨劇の後始末が粛々と行われた。
「私は別にあいつの子分ではない……」
翔霏が不満げに呟いた。
多くの人が星荷の死体に注目している、そのわずかなタイミングで。
「あ、いたし」
私は視界の先に、突骨無さんを見つけた。
心なしか、おぼつかない足取りで。
「俺は、王にならなきゃいけないんだ。そのためには斗羅畏、お前が……」
うつろな顔、しかし不気味にぎょろりとした深紅(しんく)の瞳で、なにごとかを呟きながら。
剣を手に提げた突骨無さんが、殴り合いを終えて気の抜けている斗羅畏さんのもとへ、歩いて行くのを見てしまった私は。
「いやいや、この期に及んでなに考えてんの」
無意識に、その間に割り込むように駆け出していた。
まるで、見えない力に引っ張られるかのように。
私は自分の体の重さを感じることもなく、走った。
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