百七十二話 殴れ! 殴れ! 殴れ!
厳粛で静謐だったはずの、葬儀の場。
「いってえ! やりやがったな!?」
「お前ら、ずっと気に入らなかったんだよお!!」
そこはみるみるうちに暴力と激情に満ち、混沌の空気に包まれてしまった。
市場のときと同様に、参加者は大きな武器を預けているか、控室である包屋(ほうおく)に置きっぱなしだ。
しかし多くの人は目の前の怒りにすっかり飲まれてしまったように、口角泡を飛ばし罵り合い、素手で殴り合いを始めてしまっている。
私は身を小さく屈めながら人並みを走り抜ける。
炎上の演出家である星荷(せいか)のもとへ悪態を吐きながら向かうのだ。
「ふざけやがって! あのクソ坊主、やってくれやがった! マジぶっ殺してやっからなあ!?」
もちろん、殺すだなんてのは言葉のアヤである。
武蔵の国の生まれ育ちなもので、つい乱暴な言葉が出てしまうのですよね、おほほ。
私の手に握られた毒串も「対怪魔用・必殺即死串」ではなく「対人間用・ビリビリ痺れ串」である。
星荷のバカを取り押さえたところで、騒動が一気に収まるかどうかは分からない。
けれどやつを野放しにしていては、いつまで経っても場が治まらないのは確実だ!
この混乱から離脱逃走するにしても、せめて一撃喰らわせてやらないことには、私の腹の蟲だって治まらない!!
「阿呆! お前は逃げる段取りだろうが!!」
私の無謀を見咎めて、斗羅畏(とらい)さんが叫んだ。
良かったよ、彼はおかしな催眠に惑わされていない。
なんて安心していた時期が、私にもありました。
「斗羅畏! 逃げんじゃねえ!」
「俺が怖いんか、臆病者の坊っちゃんがよぉ!?」
近くにいた男たちに挑発され、ギッと睨み返し。
「誰が貴様らごときを怖がるだと!?」
ガァン、と頭の兜を脱いで地面に叩き付けた。
怒髪天を衝く斗羅畏さんが、インスタントに出来上がり〜。
「喧嘩っぱやいにも程がありませんか!?」
「やかましいッ! お前はさっさと所定の場所まで走るんだ! 怪我を負っても知らんぞ!!」
一応は私を心配してくれる理性だけはあるんだ。
優しい、トゥンク。
軽螢(けいけい)と椿珠(ちんじゅ)さんはと言うと。
「うわあ、こっちに来るなよ~!」
「メェ~~ッ!」
元から争いごとの好きではない軽螢は、ヤギに乗って暴徒から逃げ回っている。
それはそれで結果オーライだけれど、椿珠さんは。
「おお? こっちでも始まったか? いいぞいいぞ、やっちまえ!!」
殴り合いには参加せず、外野で煽り立てる香具師(ヤシ)と化していた。
おかしな煙には真っ先に気付いてたはずなのに、なにやってんだよあの兄ちゃんは。
「阿片の煙とクソ坊主が念じた言葉のダブルパンチで、人の精神を激昂させる要素でもあったのかな?」
星荷のバカが仕掛けた術の詳しいところまでは分からないけれど、私はそう予測を立てている。
ひょっとすると、葬送前に待機していた大勢の弔問客に星荷がなにか言ったり話したりした言葉が、昂奮催眠の鍵になっているかもしれないね。
不覚にも私たちだって昨日の晩、星荷や突骨無さんと言葉を交わしたことで、結構腹が立っていたし。
私自身、今の怒りとムカつきが他の誰でもない私のものなのか、怪しげな術の影響下なのかははっきり判断しかねる部分がある。
けれど、どっちにしても。
とりあえず一撃、ただの一撃でいいからあいつに痺れ串をブチ込んで、後のことはそれからだ!
「翔霏(しょうひ)ー! どこにいるのー!?」
この状況で一番、頼りになるズッ友の名を叫ぶ。
斗羅畏さんが激おこぷんぷんまるな破茶滅茶わんぱく大乱闘スマッシュ兄弟となっているなら、翔霏は横にいないだろう。
と、私が思っていたのはまたもや裏切られて。
「斗羅畏を殴りたいやつは順に並べ! 待ちきれんやつは私が相手をしてやるが、かかってくるか!?」
斗羅畏さんの喧嘩相手の、行列整理人になっちゃってる。
どうしてそうなった~~~~!?
「翔霏なにやってんの~! バカどもは放っておいていいからこっちをお願い~~!!」
「すまん麗央那! こいつら卑怯者なんだ! 隙あらば斗羅畏を囲んでタコ殴りにしようとしている! 私は護衛だからそれを食い止めなければいかん!!」
護衛の仕事が大事って、確かに私が言ったんだけれどさ~。
マジなんだこの状況、カオスすぎる。
まるで20世紀のヤンキー漫画の世界にトリップしちゃったかのように、いい大人が、血管を浮かび上がらせて、草原の乱闘劇場の一員になってしまっている。
そんな愚かな決闘者たちの顔を見て、声を聞くに。
「ほあたぁ!」
男の一人が、殴る。
「やるじゃない!」
相手の男が、笑って返す。
口元に血をにじませ、拳を交わし合う彼らの表情。
どこか、楽しそうなんだよな。
そう、みんなそろいもそろって怒り狂って喧嘩に夢中のはずなのに。
まるでお祭りでも始まったかのように、賑やかで、明るいのだ。
なにせ誰一人として、武器を手に持とうとしていない。
毒串なんて危ないものを持っているのは私だけで、場を埋める暴徒は全員、徒手空拳である。
よくわからないこの展開に、驚いているのは私だけではなく。
「どうなっとるんじゃい、こりゃあ」
この場を去ろうと駆けていた星荷の足が、止まっていた。
現在の状況は、あいつにも想定外と言うことなのか?
地団太を踏みながら、星荷は声を張り上げた。
「おぬしら、なまっちょろいことをやっとらんと、遠慮なく殺し合わんか! ワシがそのためにどれだけ苦労してお膳立てしたと思っておる!」
本性表したわね。
大方、事前に会話を仕込むことで他人の疑心暗鬼を膨らませる呪術だか会話術だかを駆使したうえで、念のために葬儀の場にも霊的な結界とかを張り巡らせていたのだろう。
見慣れない宗教的なオブジェがあっても、沸教(ふっきょう)に詳しくない人には警戒されることもないからね。
なにせ参加者の多くは「斗羅畏の立場も突骨無の立場も難しいのは分かるが、まさか阿突羅(あつら)さまの葬式で刃傷沙汰は起こるまい」と油断し、安心していたはずだ。
その心の隙間に星荷が悪い術を忍び込ませたということなのだろうけれど。
「せめて斗羅畏一人くらい始末せんか! それすらできんのかこの能無しどもが!」
術が上手く働かない現状に、坊主大激怒の巻。
自分でも知らないうちに、自分の術にかかっちゃってるんじゃねーだろな、あいつ。
しかし星荷が望むような殺し合いの惨劇は、幸運にも起こらず。
「斗羅畏を殴りたいなら並べと言っているだろう! 国境を一歩超えただけで私の言葉がわからんか!!」
斗羅畏さんに殴りかかろうとする順番を守れない男たちを、翔霏が張り手や旋風キックで薙ぎ倒していた。
きちんと列に並んだ一人ずつ、決闘の相手が目の前に立ちはだかるたびに斗羅畏さんは。
「どこからでもかかって来い!」
そう言って仁王立ちして相手を待ち構え。
「くたばれやあー! なにが御曹司さまじゃーい!!」
ゴンッ!
なにかの儀式であるかのように、必ず相手のパンチなり蹴りなりを、一発は受けた。
そして、殴られて痣のできた顔でニッと笑い。
「ん、虫でも止まったか?」
ゴォン!
と、頭突きを返して相手を昏倒させた。
それむしろ悪役ムーブですやん。
なんだこのコミカル・バイオレンス・カーニバルは。
いや、斗羅畏さんがタフなのは前から知ってたけどさ。
私は騒ぐ男たちの脇を、おっかなびっくりすり抜けて。
「どんな狙いがあったか知らないけど、残念でしたね、陰謀僧侶おじさん」
星荷さんの前に辿り着いた私が、毒串をちらつかせながら言った。
「逃げたらこいつのキッツイ体当たりを食らうぜ。どーんって。ツノが痛いぜ」
「ブォッ! ブメァッ!」
ちょうど、私の挙動を注意して見てくれていた軽螢も合流した。
体質なのか、能天気だからなのか。
あるいは呪術的な自己防御のパワーかわからないけれど、軽螢も昂奮混乱の術中にはハマっていないらしい。
その代わり、ヤギはすっかり戦闘モードだけれど。
ここに来る途中も、何人か撥ね飛ばしてた。
ヤベーなコイツ、前に馬を襲って勝ったこともあるし、下手なバイクとかよりよほど危ないのでは?
もう詰みですよ、とばかりに私は勝ち誇った顔で言う。
「ここで要人や賓客の何人かが、最低でも斗羅畏さんが殺されるようなことがあれば、白髪部(はくはつぶ)だけじゃない、戌族(じゅつぞく)全体の地が大きく乱れることになります。下手をすれば混乱の余波は昂国(こうこく)にも及ぶかもしれませんね。星荷さんはまさかそれが狙いだったんです?」
私の言葉に、いつも余裕綽々だったこのおっさんが、目に見えて機嫌悪そうにペッと唾を吐いて、言った。
「可愛い甥っ子が天下を獲るっちゅうとるんじゃ。他人なんぞいくら死のうとかまわんわい。どうせ死ねばすべて空(くう)なら、今生も空みたいなもんじゃからの」
「天下だってよ。でっけー話だなおい」
呆れたように漏らした軽螢。
それを心底バカにした表情、嫌な含み笑いで星荷は返す。
「突骨無がどれほど大物か、たわけどもにはわからんじゃろうな。昂の国とは別の、戌には戌の天下がある。突骨無はそれを治める、最初の男になるのよ」
「うっせー、バーカ! 知らねえよそんなの!!」
反射的に私は言い返した。
私の怒りは、そんな面倒臭い話とは別次元の、もっとシンプルな話で。
「あんな素敵な阿突羅さんのお葬式を、テメーのくだらねー理由で滅茶苦茶にすんなや! 斗羅畏さんがどんな思いでここに来たと思ってるんだ! 私のご主人、翠さまだって深く深く考えて、突骨無さんと仲良くする道を探してたんだ! それを、それを!!」
そう、私は。
私の大事なあの人たちの気持ちが、想いが、穢されてしまったことが。
なによりも哀しいし、悔しい!!
その怒りが私の中に充満しているすべてだ!
「やっちゃいけねーことってあるだろぉ!? そんだけ生きててわからねーのか、このタコ坊主があ!!」
駆け出す私。
先回りして星荷の行く道を塞ぐ軽螢。
逃げ出しながら星荷は叫ぶ。
「この小娘が、お前らに文句があるそうじゃぞ! 喰らわしてやらんかい!」
最後まで、自分の手は汚さないつもりかよ。
ははーん、さては立ち回りに自信がないな?
「なんだあ、外のモンが俺らに文句だぁ!?」
「良い度胸してんじゃねーかよ、嬢ちゃん!!」
「うまそーなヤギだな! 丸焼きにしてやる!」
周囲の有象無象が放つ怒気が、私たちに向けられる。
関係ない人を傷つけたくはないんだけれど、今はやむなしか。
それよりも、行く手を遮られて星荷に逃げられることの方が問題だ。
「ふん、たわけはたわけ同士でじゃれ合っておれ。ワシはもう知らん」
捨て台詞を吐いて馬を停めている場所へ、一目散に向かっている。
くそぅ、届かないのかあ。
なんて歯噛みしている私の視線の端に、急に人の影が飛び込んで来て。
「おぉ……!?」
逃げる星荷とその人影がすれ違った、と思った矢先に。
「き、き、貴様ァ……」
星荷の喉から鮮血が噴水のように飛び、溢れた。
「いっちょ上がり。実はこれがあたしの本当の仕事だったのさ。黙っててごめんね、央那(おうな)ちゃん」
ウインクを飛ばすその人は。
除葛(じょかつ)軍師の下で働く、有能過ぎる刺客兼間者の、乙(おつ)さんだった。
武器を手にしているということは、激昂の術に陥っていないということだもんね。
「な、なぜ、貴様が、じょ、除葛のやつめ、謀りおったな……」
「うるさいよ。もうあんたの役は終わりだ」
ズシュッ。
うつ伏せに倒れる星荷さんの背中、心臓か肺がある辺りに、乙さんは躊躇なく短刀を埋めたのだった。
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