第五通目 過去からの手紙

【お題】武光の母より


可愛い千代丸 

いえ いまは菊池 四郎 武光殿でしたね


武光殿は今 どちらにおいでなのですか


もう元服を済ませ わらわではなくなったお前様が 

今さら神隠しに遭ったとは 母はどうしても思えぬのです


人攫ひとさらいに遭ったという者もおりますが

僅か十四とは言え 鬼神のごとく剣も弓も達者なお前様が 

人に遅れをとるはずがありませぬ


殿様ちちうえ 叔父上様 跡目様あにうえはじめ ご家臣の多くも大友氏に討たれたと聞きました


でもいくら初陣とはいえ お前様が討たれるはずはない 

お前様には不動明王様と 観世音菩薩様のご加護がついています

そう母は信じております


なにか事情があってのことならば 母は全てを飲み込みましょう

なにゆえ姿を見せぬのか 言えぬ理由わけなら聞きますまい 


しかし今こそ 殿様ちちうえの跡を継ぎ

お前様が おいえのために立つときではありませぬか


この文を かの地に詳しい間者しのびに託します


文のひとつ 便りのひとつでよいのです

お前様の無事を 母に知らせてくださいませ

さすればこの母が 万の援軍を差し向けましょう


妾腹そくしつの子と 軽んじられた日々もここまで

武光殿 いまこそ お前様の時なのです

殿様ちちうえ跡目様あにうえの無念をはらすのです


いま菊池のおいえは お前様の肩にかかっているのですよ



💐【解答】息子、武光より


この身さえ 惜しからざりし 隠逸花いんいつか 時偲びつつ 招福祈る


(我が命は喜んで菊の花に捧げたいと思っておりますが、今はただ戦で亡くなった人達を偲び、幸来たらんことを祈るばかりです)


 ※隠逸花とは菊の花のことです


💐★コラムニストSの考察


 菊池武光は、南北朝時代に活躍した九州の武将です。

 菊池一族は平安時代から続く豪族の家門でしたが、鎮西探題攻めの際、十二代当主菊池武時は少弐・大友の軍に裏切られ討ち死にしてしまいます。

 この時武時に同行していて消息不明となった息子ヘ宛てて書かれたものが、母親からの手紙です。

 我が子の安否を気遣いつつも、生きているならば仇を討てと叱咤激励もしています。


 武光は当時十四歳。武時に生き延びるように言われ、しばらく聖福寺にて匿われていたと伝えられています。

 その後、成長するにつれ頭角を現してきた武光は、庶子の出でありながら十五代当主の座を掴み取ります。後に後醍醐天皇の息子である懐良親王かねよししんのうを迎えて共に戦い、九州を統一して南朝の勢力を支えることとなりました。


 武光からの返信は短歌一首のみ遺されています。

 敵兵の目から匿ってもらっている身としては、聖福寺に危険が及ぶような事態は避けたい。けれど母親に己が無事を伝えたい。

 苦渋の思いで綴った歌には、密かに情報も潜ませていました。


 隠逸花ヘ身を捧げるとは、いずれ仇討ちを果たす覚悟が込められていますが、今は時を偲ぶ、つまり父親の武時の死を悼むとあり具体的な言及は避けています。招福は聖福寺と重なる音合わせ。さり気なく場所を示唆しているようです。

 また、菊は菊池家だけでなく、後の南朝(天皇家)共闘を予見していたかもしれません。


 現在では、福岡県大刀洗町に銅像が建立され、英雄譚として語られている武光ですが、彼の半生を現代的視点から眺めてみるとどうでしょうか。


 十四歳で初陣。中学二年生が戦いの真っ只中へ連れて行かれます。結果は敗走。

 普通なら、もう戦いなんてまっぴらゴメンだ。家門の為に命を賭けろなんてふざけるな。どこの毒親かよ! と叫んでもおかしくない思春期真っ只中です。でも叫べない。

 そんな時代の価値観の中で戦いに邁進する姿が、何故か現代の『社畜』と重なり、少し切ない気持ちになりました。


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