第5話 ためさせてくれないか?

 

 不意に、レオンは人魚姫を抱きしめた。

 そして、胸の内に納まる人魚姫の耳元でささやく。


「俺ではダメか? ずっとお前を見てきた」


 人魚姫は、突然のレオンの熱を帯びた低い声に身を固くした。

 何を言われたのか理解するのに、しばらくの時間を要したがそれがからかいではない、真剣なものだと感じるとさらに混乱した。


「姉さんたちが言っていただろう。『王子の愛の口づけを得れば人間になれる』と。

 俺も王子だ。しかもお前に惚れている。可能性はあるだろう?」


 他の王子様??

 他の人間??

 レオン王子が、愛の口づけを私に??


 そんなこと夢にも思わなかった。

 人魚姫は、レオンがいつも怖い顔で彼女を見つめていたから、不審に思われているか、嫌われているかのどちらかなのだろうとばかり思っていた。

 まさか、彼が自分に想いを寄せているなど想像もしていなかったのだ。


(人間になるためには、『王子』に限らず人間の愛の口づけが必要なことは確かだけれど、 でもそれは、私が愛する人ではなく、私を愛する人でもいいのかしら??)


 魔女の条件があいまいなことにいまさらながら気づく。

 うろたえている人魚姫に、レオンは一筋の希望を見出し畳み掛ける。


「それとも、俺の命を奪ってみるか? 王子の『命』でもいいんだろ。

 人魚にはもどるが生き延びることはできる。

 お前になら、この命くれてやってもいい」


(――― ○×△□!? 

 私のことを潔いとか言っておいて、この人のほうがよっぽど無謀で命知らずなことをいっているじゃない。どこまでが本気なの??)


 人魚姫は、あっけにとられ青くなりながら口をぱくぱくさせた。

 そんな姫を見て、レオンは不敵に笑う。


「ああ、魔法の短剣は海に返してしまったから、それはできないか。残念だ」


 この人は、こんなに目まぐるしく表情の変わる人だったの……?


 人をからかって笑ったり、照れたようにはにかんだり、苦しく切ないような顔をするなんて。

 腕も精神も強い人だと思っていた。研ぎ澄まされた剣のような近寄りがたい人だと思っていた。

 なのに、今日で最後だという日に、どうしてこんなにも違った印象を受けるのだろう。


「すまん。怒ったか? でも、からかったつもりはない。

 あの剣があれば、本当にそうしてもかまわなかった。

 俺を見てくれないか?

 あいつの友ではなく、ひとりの男として。お前を守りたいんだ」


 大きな手で人魚姫の絹のような両頬に触れ、顔を覗き込む。


 彼女の淡い紫色の瞳が、熱く真剣なレオンのまなざしに射止められる。

 なぜ今まで、彼の瞳がこんなにも美しかったことに気づかなかったのだろう。

 ただ黒く厳しい目だと思っていたが、銀砂を散らした夜空のような深い蒼い瞳をしている。


「頼む。愛の口づけを俺にためさせてくれないか?


 お前を失いたくない。

 消えてほしくないんだ。


 今のお前になら、俺の気持ちがわかるだろう?

 片思いの切なさ。幸せを願い身を引くつらさ。


 片思いはつらいな人魚姫。

 でも、俺はあきらめるつもりはない。

 ずっと目の届くところ。俺の傍らにいて、あの笑顔を俺のために向けてはくれないだろうか?


 お前が幸せになるのは、俺の隣だ!」


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