第3話 もう一人の王子


 カツン! と、長靴ちょうかの音が甲板に響くと、人魚姫と姉たちの様子を帆柱の影から見守っていた男がゆっくりと歩み出た。


 そして、話をずっと聞いていたことを悪びれもせず、堂々と人魚たちに話しかける。


「婚礼の夜にずいぶん物騒な話をするものだな。人魚さんたちよ」


 月明かりに照らされ、姿を現したのは人魚姫が恋焦がれていたフランシス王子の幼馴染。隣国の王子レオンだった。


 力強いまなざしを持つ、精悍な顔つきの青年だ。


 真っ直ぐな黒髪に黒い色の瞳。


 背は高く、剣の稽古で鍛え抜かれた体は逞しく、腕は護衛の騎士よりも上だとも聞く。


 初恋のフランシス王子とは真逆の容姿と性格だと人魚姫は思っていた。

 しかし、フランシスとレオンは気が合うらしく、よく行き来しており人魚姫も彼のことを見知っていた。


 レオンはいつも人魚姫をまっすぐに見つめていた。

 人魚であることを見破られているのかと感じるほどに……。


 だから、人魚姫はレオンの視線に恐れを抱き、彼からいつも逃げるように隠れていた。


「人間だわっ!」


「かわいい妹よ、お願いだから戻ってきて」


「きっとよ。待っているから!」


 姉たちは、口々にそういうと、慌てふためき暗く深い海へ消えていった。


「いい姉さんたちじゃないか。しかし、言っていることは穏やかじゃなかったな」


 フランシス王子を殺める話を聞いても、人魚たちを見ても、レオンは落ち着いた様子で人魚姫を見据えた。

 人魚姫は、短剣を握りしめ思う。泡となって消える前に、フランシス王子に害をなす者としてこのレオン王子に斬られてしまうかもしれない。


 もう少しだけ、夜が明けるまでの命なのだから待ってもらうことはできないだろうか?

 声の出ない人魚姫はそれをどう伝えたらいいかわからず泣き出したい気持ちになった。


「怖がらなくていい。

 確認するが、その短剣でフランシスを殺さなければお前が死ぬのか?

 朝日が昇れば、泡になって消えるというのは本当なのか?」


 レオンの恐ろしいほどの真剣なまなざしに、人魚姫はこくりとうなずいた。

 いまさら、うそをついても仕方がない。

 すべてを聞かれてしまったのだから。


「なにか秘密があるとは感じていたが。そういうことだったか……。

 で、どうするんだ? 殺るのか?」


 あまりにも直球の言葉に、人魚姫は驚きで目を見開く。


 初夜で幸せな眠りについているだろうフランシス王子の寝首をかくなどという残酷なことが自分にできるのだろうか?

 人魚姫を顧みることがなかったフランシス王子を恨めしく思う気持ちがないとはいわない。

 けれど、彼女の力では幸せにできなかった王子が別の人と添い遂げて幸せになることに不服はなかった。


 人間の命を、まして、今でも好きな人の命を奪うなどできるわけがない。

 人魚姫は、首を横に振るとまがまがしい闇色の短剣をポトリと海に返した。


 それは、自分の死を意味していた。


 楽しいことだけを与えてくれた恋ではなかったが、人魚姫の真っ直ぐな気持ちに偽りはなく、それを憎しみの血で汚すようなまねはしたくはなかったのだ。

 人の命を奪ってまで生き延びることなど、私にはできない。

 ならば、この美しい思い出を胸に、静かにこの場から消えたほうがいい……。


「死を選ぶのか……。まったく潔いことだな」


 レオンは深いため息をついた。

 それは、怒っているようにもひどく傷ついているようにも聞こえた。 

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