最終話
「これがその時、
ガイドに言われても、裕翔はぼんやりと心ここに在らずで、丸い金貨に触れた手を引っ込めることができなかった。周囲の客が、訝しげに裕翔を見つめる。
「おい、裕翔っ!」
先輩キャストの賢治が裕翔の腕を掴む。「そこの美術館で古代中国展やってるらしいぜ。暇だし行くか」と裕翔を病室から連れ出したのは、彼だった。
正確な名称は、『嘘か実か? 漢に存在した幻の帝国と、タンチョウ族と呼ばれた
欲張り無制限フルコースを四人接客したあの日、裕翔は交通事故に遭った。軽い打撲と脳震盪で済んだのに、なぜか二ヶ月半も眠っていた。
「お前、もしかしてまだ具合悪いのか? だったら無理に付き合うなよ」
説明を終えたガイドは、別の展示物へ向かう。順に紹介しているわけではなく、客のいる場所へ行き、説明文に補足していくスタイルだ。
空調の聞いた館内は全体的に暗く、人はまばらだ。
賢治は「帰るか」と言って、黒い布で仕切られた出入り口へと向かう。裕翔が来ないことに気づいて、彼は「裕翔?」と不安気な顔になった。
「お前、本当に大丈夫……」
裕翔はガイドのいる展示物へ向かった。展示されているのは文字が書かれた巻紙だ。
「これは、兎斗が獄中で書いたとされる手紙です。燕帝を襲った後、タンチョウ族の兎斗は五日間投獄されましたが、燕帝が即位すると釈放されました。その後は燕帝の側近として、タンチョウ族との外交に努めました」
「手紙には、なんと書かれているのですか」
白髪の男性客が聞く。ガイドはウフフと笑って言った。
「燕帝への愛の告白です。燕帝は男色と噂されていましたから、なんとか取り入ろうとしたのでしょう」
男性客はさほど惹かれなかったのか、「ふむ」と頷いて去っていく。
裕翔は文字が読めるまで近づく。筆で書かれた、漢字だらけの手紙。裕翔にはそれが、自分が書いた文章だとわかった。自分が飛燕に向けた愛の言葉だ。
でも紙が違う。自分はあの地下牢で、薄い紙を何枚も使って書いた。展示品は一枚の長い巻紙だ。
横に移動しながら、自分が書いたとしか思えない愛の言葉を読んでいく。最後まで読み終えてしまうと、隣の紙に目が入った。こちらは状態が悪い。自分が使った紙は、こんなような気がする。筆跡も同じだ。
「兎斗は燕帝の側近でいるうちに、燕帝を心から愛するようになりました。そちらは、燕帝が兎斗に向けた言葉を、兎斗が忘れないよう、書き起こしたものです。兎斗は生涯、それを肌身離さず持っていたそうです」
身に覚えのない言葉……これは自分が書いたわけじゃない。
裕翔は食い入るように文字を目で追った。
「裕翔……面白いか、それ? っていうかお前、ここ来てからずっとヘンだぞ。そんなの何書いてあるか分からないだろ」
「胸吸われて、救われたって。一生俺を忘れないって、そう書いてある」
裕翔が真剣に言うから、賢治は笑うに笑えない。
「お前……やっぱヘンだって。帰ろう」
「帰らない」
掴まれた腕を振り払う。
「やっぱり……飛燕は母乳の出ない体を……後ろめたく思ってた。俺に吸われて救われたって……解放されたって……」
「ちょっ! ……すみません、こいつ事故に遭って、まだ完全に治ってないみたいで……」
賢治がヘラヘラとフォローする。ガイドは苦笑して去っていった。近くにいた客も離れていく。
「裕翔……かわいそうに。お前、相当疲れてたんだな。職業病だ。これからは客選んで、欲張り無制限フルコースは一日一回にしとけ。四回もやるからおかしくなっちまうんだ」
賢治に背中をさすられながら、裕翔は文字を目で追った。何巡も。
『愛している』
二千年も前の皇帝が言ったとされる言葉を、裕翔は自分に向けられた言葉として、受け止めた。
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