酔っ払い

 兵站の完成祝いを兼ねた宴会が宮廷で開かれた。だだっ広い広間に将軍らが向かい合って座り、酒を酌み交わす。


 いよいよタンチョウ族との戦いが始まるのだ。部屋には呂帝やその側近、芭丁義派閥と対立している庵子や斜奪の姿もある。


 酔いも回り、佐了はいつになく体が疼いていた。


 今日で七日目だ。七日も乳を搾っていない。恨みがましく斜め向かいに座る飛燕を睨む。


 飛燕は周りに煽てられても愛想ひとつ浮かべない。祝いの席には相応しくない仏頂面で、ものすごい速さで酒を飲み下していく。


 一万人の麾下を罠に嵌めるのだ。それだけではない。その一万人を失えば、座貫は確実にタンチョウ族の手に落ちる。飛燕は今、タンチョウ族としての重責と、座貫軍人としての罪悪感に追い詰められているのかもしれない。


 でも、と佐了は思う。結局は飛燕自身が選んだこと。黒髪に生まれ、タンチョウ族として生きるしかなかった自分とは違う。飛燕には寝返るという選択肢があった。


 体がだるい。あなたは良いよなと、飛燕を睨む目に力がこもる。


 こんなふうに胸が張るのに苦しむことも、糞尿を頭にかぶることもなく、恵まれた体躯と人並みはずれた能力を生かして、どこにでも居場所を作ることができるのだから。


 ふいに、飛燕がぬらりと澱んだ目をこちらに向けた。


「その目はなんだっ!」


 怒声に、賑やかだった部屋が水を打ったように静まり返った。


 声の主は飛燕だ。酒皿を持つ手で佐了を指す。


「なんだと聞いているのだっ! 佐了将軍っ! 貴様っ! 座貫軍人としてっ、タンチョウ族と戦う気があるのかっ! ないのなら今すぐこの場を出ていけっ!」


 呂律が回っていない。誰が見ても泥酔しているとわかる。


「飛燕様、私は……」


「貴様を見ているとイライラするっ! ろくに剣も捌けない腰抜けがっ、二千騎を麾下に持つ将軍だと? 笑わせるなっ! 貴様など良くて隊長っ、歩兵が妥当だっ!」


 皆も薄々同じことを思っていたのか、ちらほらと笑い声が上がった。


「しかし飛燕、佐了を押し上げたのはお前であろう」


 楽しげにそう言ったのは芭丁義だ。飛燕の功績はそのまま芭丁義の功績になるため、芭丁義は誰よりも機嫌がいい。


 言われた飛燕はフッと卑屈に笑った。


「そいつは体が良いのです。それだけが取り柄の男娼です」


 飛燕はそう言って、立て膝に肘をついただらしない格好で酒をあおった。


「なんならお見せしましょうか。呂帝、たしか男に興味がおありでしたね。いいですよ、男は。女のように濡れませんから、準備が少々面倒ですが」


 舐めるような男たちの視線を受け、佐了はゾクリと鳥肌が立った。


「飛燕様、飲み過ぎなのでは」


「なんだ佐了、人前でするのは嫌か? ふん、だがお前は嫌がっても、弱い部分を責めてやれば大人しく抱かれ、みっともなく喘ぐのだ。お前は堪え性がないからな。……どうです? 呂帝、みなさん。そいつの体を試してみませんか。女と違って征服欲が満たされますよ」


 何を言い出すんだと、佐了は目を見張った。七日も乳を搾っていないのだ。犯されたら確実にタンチョウ族とバレる。


「佐了、脱げ」


 酔っ払いがいい加減にしろよと、抗議しようと口を開いた時だった。「いい加減にしろっ」と、斜奪が言った。


「飛燕、祝いの場で無礼だぞ。男同士の交尾なんぞ気色の悪いモン、俺は死んでも見たくねえ。そんなにやりたきゃ二人でどっか行け」


 露骨なことを言われたが、佐了はホッと安堵した。斜奪以外の男たちはもう目の色が変わっていたのだ。


「ふん、心配無用。あなたは直に死ぬ」


 飛燕はぐびっと酒をあおった。


「なんだとっ! 貴様っ! 斜奪殿になんてことをっ!」


 斜奪一派の将軍が身を乗り出した。


「おい、飛燕、そりゃどういう意味だ」


 斜奪が真面目な顔で問う。


「タンチョウ族と戦うのです。あなたには搦手の軍を任せましたが、あなたの鈍間な部隊では、タンチョウ族に追いつくことはできますまい。あなたはなんの成果もあげられず、帰路を見失って砂漠で自刎するのです」


「っ……」


 胸がドッと跳ねた。「帰路を見失って」それは裏の……タンチョウ族が勝つための罠。斜奪の部隊が砂漠で迷うよう、佐了が撹乱するのだ。けして座貫に知られてはならない。


 それをポロリと漏らすなど言語道断。飲み過ぎだ。このままでは、もっと重要な作戦内容が敵に伝わる。


「飛燕様っ……」


 佐了が腰を上げたのと同時、


「テメエッ……」


 斜奪が立ち上がり、ドスドスと音を立てて飛燕の元へ向かった。飛燕は素知らぬふりで酒をあおる。そしてあろうことか、空になった皿を床に叩きつけた。ガチャン、と皿が割れ、その破片を斜奪が踏みつけた。


「あっ……」


 と周囲の者が息をのむ。斜奪は完全に頭に血が上ったようで、当てつけのように破片を踏み躙った。


 酒壺に手を伸ばした飛燕の腕を掴み、グイッと引っ張り上げる。


 飛燕は大人しく引き上げられた。全体重を斜奪に預けていることは、気を失ったようにがっくり俯いた頭でわかる。


 普段、威風堂々としている男とは思えない、だらしない姿に、飛燕を慕う部下らも眉を顰める。


「飛燕っ! 貴様こそっ、タンチョウ族を討つ気があるのかっ!」


 斜奪が飛燕の髪を引っ掴んだ。飛燕の顔が上向いて晒される。


 さっきまで、おかしな抑揚で斜奪を罵っていたとは思えない、魂の抜けたような顔だった。虚ろな両方の目からダラダラと涙が溢れている。


「どうなんだっ! 飛燕っ!」


「斜奪様っ、申し訳ありませんっ! 酔っ払いの戯言ですっ! どうかお許しをっ……」


 佐了が止めに入る。飛燕の体を背後から抱き止めた。


 飛燕が口を開きかけたのに気づいて、咄嗟に片手で封じた。 


「皆様、お騒がせ致しました。さ、飛燕様、行きましょう」


 脱力した体を引きずるようにして、部屋を出た。外へ出た後は背負って飛燕の屋敷を目指した。


「なぜ、止めた」


 酒臭い息を吐きながら、飛燕が言った。


「あなたはひどく酔っている。あのままでは、我々の計画が破綻する恐れがありました。……今後は酒を控えてください。これ以上こちらの情報を漏らされては困ります」


 ふと、今なら裕翔の居場所を教えてくれるのではないか、と思った。


 裕翔の居場所を、佐了は教えてもらっていない。飛燕に呼び出された場所へ行き、待つだけだ。自分から会いに行くことはできない。


「この俺が……そんなヘマをするわけないだろう」


「裕翔はどこにいるんですか」


 何気なく聞いた。返事がない。


「裕翔の居場所を教えてください」


 さっきはあんなにペラペラと、自分や斜奪を侮辱したくせに、この質問には口を噤むのかと、苛立ちが込み上げた。ただでさえ、七日も乳を搾っていない体はだるいのに、体格の良い男を背負って歩かされているのだ。


「胸が痛いのです」


 もう恥も捨てて、開き直って言った。


「七日も触れられていない。痛くて……体は重く、だるいのです。裕翔の居場所を教えてください。俺が会いに行きます」


「今は兎斗だ」


 口を開いたと思ったら、それだ。


「嘘ですっ! 七日も兎斗のはずがないっ! あなたは俺が憎いからっ、裕翔に会わせたくないだけだっ!」


 ふいに背中の重みが消えた。おぼつかない足取りで、飛燕は自ら屋敷へ向かう。


「飛燕様っ!」


 歩けるのかよ、と怒りが募る。


「裕翔はどこにいるんですっ! 無事なんですかっ!」


 言いながら、飛燕を追いかけ、屋敷に入った。


 飛燕は土足のまま廊下に踏み入り、自室へと向かう。佐了は靴を脱ぎ、遅れて部屋に入った。


 飛燕の寝室。この部屋に入ったのは初めてだ。壁際に酒壺と膳が置かれている。飛燕はよろよろとそこへ向かい、壁にもたれて座った。


「飛燕様っ! 裕翔はどこですっ!」


「そんなに兎斗に会いたいか?」


 クスッと小馬鹿にしたように笑い、飛燕は酒壺を取った。酒皿に注ぐ。


「今は兎斗だ。宴の前に会いに行った」


「七日も……兎斗なのですか」


「裕翔の時もあるが、逢引きの時間には兎斗に変わっているのだ。残念だったな」


「そんな都合の良い話っ、信じられませんっ!」


 近づき、酒壺を取り上げた。胸が張って痛い。苦しい。この苦しみをこの人は知らない。父親に犯される絶望も、弟のように可愛がっていた男に迫られる嫌悪感も、知らずに生きられる人生とはどんなに幸せだろう。


 じっと見つめ合う時間が続いた。不思議なことに、飛燕も恨みがましくこちらを睨んでくるのだ。一体どういう心境なのか。


 先に目を逸らしたのは飛燕だった。クックと肩を揺らしながら、腰紐を解き、両手を襟に掛け、グッと肩から滑り落とす。鎖骨と肩が露わになった。


 強く掴まれたのか、両の二の腕に指の跡がくっきりとついていた。


「っ……」


「激昂した兎斗に掴まれたのだ。お前に会わせろとしつこかった」


 血の気が引いた。兎斗……やはりまだ裕翔の中にいるのか。このひと月、裕翔としか会っていなかったから、どこか遠い存在になりつつあった。


「兎斗は、お前と裕翔の会話を聞いているのだぞ。会話だけでなく、行為も全て……全て、見ているのだ。……佐了、心当たりがあるだろう。あいつに会ったら、お前は自分の言葉を責め立てられ、腸が裂けるまで犯されるのだ」


 ククククッ、と気が狂ったように笑い、飛燕は佐了の手から酒壺を取り上げた。


 愕然とする佐了を見て、飛燕は満足気に目を細めた。壺から直接酒を飲む。普段の飛燕なら絶対にやらない行動だ。


「……では……俺は、どうしたら良いのですか……」 


 酔っ払い相手に、佐了はすがるような気持ちで言った。


「胸が張って……痛いんです。こんなに日を空けた経験はないのです」


 それは懇願だった。飛燕の手で、男根で、以前のようにして欲しい。


「なに、自分で慰めれば済むだろう。裕翔の世界ではメスイキと言うらしいぞ。ふん、そんなに体が辛いのなら、自分の指でメスイキすれば良いのだ」


 意地悪な言葉に、涙目で睨んだ。


「俺は……」


 飛燕様に、と言おうとして、兎斗は嫌でも、飛燕ならいいのだと気づいた。


「いつまでも裕翔が出てくると思うな。あいつの頻度は確実に減っている。兎斗で我慢するか、自分でするかしろ」


「飛燕様は、してくださらないのですか」


 思い切って言うと、飛燕の目が据わった。怒りの感情がメラメラと燃えているような暗い瞳にどきりとしたが、そもそも、あの宴の場で、「脱げ」と言ったのは飛燕だ。今になって「その気じゃない」などとは言わせんぞと、佐了は言葉を重ねた。


「皆の前で、俺を抱こうとしたではありませんか」


「あれは余興だ」


「余興……俺が乳を出したら、俺も飛燕様も破滅するというのに……」


「出さなければ済む」


「っ……」


 簡単に言ってくれる。


「ではっ、斜奪様に止められていなければっ……あなたは俺の秘密をっ……皆の前でっ、暴露するつもりだったというわけですかっ! この大事な時にっ!」


「お前が我慢すれば良いだけのことっ! なんでも俺のせいにするなっ!」


 我慢なんてできるはずない。痛みすら快感に変換してしまう体だ。


「ふん、甘いな。そんなに体が疼いて辛いなら、自分で処理すれば良いのだ。それをせず、宴の場で犯されそうになれば秘密が暴かれるなどとほざく。知布、お前は危機管理意識が低いのだ」


「伊千佳様に言われたくありません」


「脱げ」


 むかつくのに、その一言にまんまと胸が弾んだ。やっと楽になれる……


 佐了は素直に服を脱いだ。今更恥ずかしいという感情はない。


「正座しろ」


 それにも従う。抗う理由はどこにもなかった。期待からか、胸の先端は痛いくらいに張っている。


 飛燕は背後に寄り添うと、佐了の腕を取って、後ろの穴へと誘った。指を掴まれ、つぷりと押し込まれる。


「飛燕様っ……」


「自分でやれ。教えてやる」


 甘やかすような声音だった。


「嫌です……こんなのっ……」


「なら兎斗を呼ぼうか? ん?」


 もっと嫌だ。


 飛燕の手は佐了の指を捕らえて容赦無く蕾の中をくじる。自分の指で感じるなんて屈辱的で嫌なのに、兎斗と会うよりずっとマシだと気づいてしまった。


 飛燕に抱かれるより、自分でするより、兎斗に会う方が嫌なのだ。あの砂漠の気配を纏った人間が、自分は何よりも嫌なのだ。


「飛燕……さ、まっ……」


 寝返りませんか、この国に。タンチョウ族を裏切り、本当に討ち滅ぼすのです。そうすればあなたは大司馬、俺は大将軍に昇進する。永久に髪を染め続けるのは面倒だけど、あなたが上にいれば、今まで通り、隠し通せることでしょう。俺なら、我慢できます、それくらいの不便は。


「兎斗が、そんなに嫌か」


「んあっ…………」


 コクコクと頷くと、「俺は平気か」と問われた。


 また頷けば、飛燕はクククッ、と笑った。酒臭い。


「それは、俺がタンチョウ族に見えないからか?」 


 ズブズブと指を抜き差しされ、内腿が引き攣れた。


「あっ……は、ううっ……」


「どうなんだ、佐了? お前は肚の内で、タンチョウ族でもないくせにと、俺を蔑んでいたのではないか?」


「あっ、あっ……」


 その通り。けれど首を横に振って否定した。今、男を不快にさせてはいけない。この男は的確に自分を気持ち良くしてくれる。六年間、「体がだるい」と訴えれば、「部屋で待っていろ」と必ず安心させてくれた。


「ん、あっ……あっ!」


 ある部分に指が触れ、体がびくんと波打つ。


 あと少しで……目を閉じ、あの快感が来るのを待つ。それを見計らったように、飛燕の手が離れた。


「はっ……飛燕……様?」


「自分でやれ」


「なっ……無理ですっ……」


 あと少しなのに、どこまでも意地が悪い。


「やれ。あと少しだろう」


「飛燕様……どうかっ……お情けをっ……」


「甘えるな」


 キュッと乳首を摘ままれた。痺れるような快感を引き起こし、背筋がしなる。


「く、うっ……」


「やれ。お前の良いところは教えてやっただろう」


 しぶしぶ指を動かす。飛燕の介助がある時と違って、動きは拙い。あの快感が欲しいのに、それが迫ってくると恐ろしくなってつい手を止めてしまう。


「何を恐れている」


 甘い声に囁かれ、「飛燕様……」と懇願した。


「どうか……飛燕様のお力添えを……」


「ならん。今後は自分で慰めろ」


 指を動かす。額にブワッと汗が浮かんだ。やっぱりダメだと引き抜こうとした指を、飛燕の手によって押し戻される。


「あ、あっ!」


「なぜ抜く?」


「自分でするのはっ、あっ……こ、怖いです……飛燕様っ……」


「惨めだからではないのか? 多くの者に求められ、甘美な味で癒してきたのだ。己の快楽のためだけに達するのが虚しいのだろう……っ」


 飛燕の声は妖しく高揚していた。


「ち、ちがっ……う、んっ、ああっ」


 飛燕の手によって、指の角度が変わる。狙い澄ましたように、指の腹がそこを押した。


「やれ……貴様が裕翔に抱かれている間、俺がしていることだ」


 頭をカコンと殴られたような衝撃を受けた。


 へ、と間抜けな声が出る。それがツボに入ったのか、飛燕はケタケタと笑い出した。


「ククッ、惨めだぞ。自分でそこを弄るのは。だが、それ以外に方法がないのだから仕方あるまい。貴様は乳が出るからっ……ふふ、優先されて当然なのだ。裕翔も……手を尽くした後は、褒美が欲しいだろうからな」


「あ、ああっ、う、んんっ」


 もう少しで……キュッと目を固く閉じると、また意地悪く手が離れていく。


「兎斗がっ……言っていたぞ。裕翔にお前の乳を飲まれるのが許せない、自分にも会わせろ、もう耐えられない……とな」


 兎斗の怒りが容易に想像できて、肝が冷えた。


「愛されているな、お前は」


 飛燕は耳元で囁いた。裕翔に愛されるのはいい。けど兎斗は嫌だ。弟のように可愛がってきた。弟のままならいくらでも乳を飲ませてやれた。


「どうした佐了? 辛そうな顔をして……裕翔に愛されるのは良くて、兎斗は嫌か? そんなワガママが通用すると思うか? ん?」


 男の魅力が詰まった、落ち着いた優しい声で飛燕は言う。佐了は責められているのか甘やかされているのかわからなくなった。飛燕は自分のことが嫌いだろうに、味方のように思えてくる。少なくとも一番の理解者であることは間違いない。


「片方だけに愛されたいなど虫が良すぎると思わないか? そもそもあの体は兎斗のもの。それを、永遠に裕翔のものになれば良いなどと……お前は裕翔に言ったつもりでも、それは兎斗にも伝わっているのだぞ」


「……房事で交わした言葉です。本気に捉えられても困る」


「同じことを兎斗に言えるか? 裕翔を追い出し、永遠にお前に戻ってくれと」


 ザッと背筋が凍った。


「怖いこと……言わないでくださいっ……」


「お前は二人を愛することはできないのだな。裕翔だけに愛され、裕翔だけを愛したい。……それを甘いと言っているのだ、俺は。ククククッ……俺は裕翔を愛している。だが裕翔が手に入るなら、兎斗も丸めて愛してやろうと思う」


「ぁあっ……」


 腰に淡い痺れが走った。飛燕の手ほどきでそこを執拗に揉みほぐす。苦しいけど気持ちがいい。


「佐了……あと少しだ。俺の屈辱を、お前も少しは味わえ」


 規則的な動きは、飛燕の手が離れた後も続いていた。羞恥や恐怖を感じる間もなくそれは訪れ、己の指がキュウっと締め付けられる。


「うっ、ぁあっ……は……はっ……」


 飛燕様、と後ろを仰げば、ひどく冷めた目とかちあった。


 胸を吸ってくださいなどと、頼めるような雰囲気ではなかった。佐了は前に向き直り、項垂れた。両手で、両の乳首をキュッとつまみ、絞り出す。


「ああ……」


 乳は栄養価が高いとされ、砂漠では三日おきに男たちに求められ、その味が尽きるまで貪られた。


 なのに今、佐了の胸から噴きこぼれたそれを求める者はいない。乳は床をヒタヒタと濡らしていく。


「飛燕……様」


 せっかくの栄養が……こんなふうに無駄になるのは、勿体無いです。


 どうか、飲んでください。あなただって本当は飲みたいはずだ。これは砂漠で一番のご馳走なのだから。


「床が汚れてしまったな」


 飛燕の言葉に、佐了はこれ以上ない屈辱に打ち震えた。


 けれどもしかしたら自分は……これと同じくらいの屈辱を飛燕に与えてきたのかもしれない。


 飛燕は異常な酒の臭いを身に纏い、何かを堪えるように佐了の両肩を掴んでいる。


 その力に、佐了は今まで考えもしなかった……考えたことはあっても、ありえないと一蹴し続けてきた想像に思いを馳せた。

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