第26話

 娼妓の館は、皇宮警察の話で持ちきりだった。天戯師てんぎし捜索を理由に、皇宮警察がめちゃくちゃに部屋を荒らして行ったのだという。

 佐了と怜蘭の二人は接待を終え、娼妓の館に戻ったところだった。

「まったく良い迷惑だよ。あいつらは私らを妬んでるんだ。私らだって大変な思いをしてるのに、まるでわかっちゃいない。ここぞとばかりに破壊してさ、あんなの蛮族と同じじゃないか」

「やっぱり私、座貫の男がイイわ。色気があるもの」

「みんなそう思ってるわよ」

「でもあの二人、できてるんでしょう?」

「どうかしらね。私、あれは伊千佳様が気を利かせてついた嘘だと思うわ。都室様の趣味に合う女がいなかったのよ」

「あら、ひどいこと言うのね。自分がとっくに指名されているからって」

「でも、実際そうなんじゃない? そんなことなら私が行きたかったわよ。あーあ、なんであんな盲目の女なんか」

 派手な女が佐了を睨む。

「でも彼女、則泰子そくたいし様に呼ばれてたわよ」

「ああん、都室様の紳士な振る舞い、あんたたちにも見せたかったわあ」

「なによなによ」

則泰子そくたいし様が作ったゲテモノ酒をね……」

 女らが盛り上がる中を通り抜け、佐了と怜蘭は自室を目指した。

 高級娼妓の部屋が連なる廊下。普段は扉が閉まっているが、今日はどこも開いてて、中を見ることができた。

 部屋は、想像していたよりもひどい有様だった。けれどそれ以上に佐了を驚かせたのは、部屋を占める成金趣味の家具や装飾物だった。

 怜蘭は我が子の心配をし、廊下を駆け走っていった。

 立ち止まってジロジロ見るわけにもいかず、佐了も先を進んだ。

 高級娼妓の間を抜ける。

 怜蘭の部屋の前まできた。通りすぎる際、チラリと見ると、彼女は子供の頭をヨシヨシと撫でていた。

 怜蘭の部屋は生活感にあふれていて、雑多な生活必需品の数々が、佐了が幼い頃に過ごした部屋とよく似ていた。それが今は、めちゃくちゃに荒らされている。

 胸が押しつぶされるような切なさと罪悪感、そして焦燥感を感じ、佐了はサッと目をそらし、自室へ急いだ。

(長居はできない。これ以上ここにいれば、みんなに迷惑がかかる。怜蘭の身も危険だ。早く行動を起こさなければ)

 しかし、と佐了は今日の前線賭博を思い返した。

 三の丸で自分が暴れたせいだろう、部屋の入り口には見張り番が立っていた。あの警備体制で逃げることは不可能。となれば、実行日が自分の命日だ。うまく自決できたらの話だが。

 さらに廊下を進み、最下層の娼妓が暮らす間につく。灯りも最低限で、あちこちから咳き込む声が聞こえてくる。皇宮警察はここにも来たのだろうか。来たのなら、この光景をどう感じたのか聞いてみたいものだ。

 佐了は自室に入った。ここもしっかり荒らされているが、なんだか物足りない。元々物が少ないから、荒らされても見栄えがしないのだ。

 高級娼妓の部屋が、ひどく荒らされているように見えたのは、それだけ華美な物で溢れ返っていたからだと、佐了は気づいた。体の力が抜け、小さく息を吐く。

「何もないさ」

 後ろ手に扉を閉めながら、つぶやいた。ここに、自分を示すものは何もない。眼球の入った巾着袋は土に埋めてきた。……はずだが、なんだあれは。

 小さな巾着袋を目に留めた瞬間、ドッと心臓が跳ねた。

 開け放たれた戸棚の中はぐしゃぐしゃで、その下に巾着袋が落ちているのだ。まさか、そんなわけはないと思いつつ、佐了はそれに飛びついた。触った感触は、やはり眼球ではなかった。何を狼狽えているんだと、苦笑する。

 なにげなく中を開く。

 息が止まった。中のものを取り出し、それでも信じられずに、目元を覆う布を乱暴にとっぱらう。

 じっと目を凝らして見つめる。

 心臓が激しく波打った。巾着袋、三つ編みの髪の毛。これは加州かしゅうのまじないだ。でもどうして……

「俺の……髪……」

 あぁ、と喉を震わせ、部屋を見回す。

(この部屋は、母様の部屋なのか?)

 目の前まで、三つ編みの黒髪を運ぶ。こんなに黒い髪を、佐了は自分以外に見たことがない。母が忌み嫌った、父譲りの黒髪……それがどうして三つ編みで、巾着袋に入っているのか。

「母様……俺を……」

 いいや、そんなはずはない。母は俺を嫌っていた。 

 早く戦場へ行って死んで来いと、お前の頭を見ると吐き気がするとよく言われた。

 だからこれが、俺を案じるまじないのはずがない。……でも、それ以外の説明がつかないのだ。

 酷い言葉を吐いた後、母はいつも、泣きながら謝った。

 黒髪を覆えば母は優しくしてくれる。そう思って頭巾で頭を覆った時も、母は喜ぶどころか、泣いて謝った。

 忘れていた。母は冷たい言葉を吐いた分だけ、罪悪感に苛まれ、自分を責めた。

 どうして俺は、母の冷たい言葉ばかり、根にもっていたのか。

「ああっ……母様……っ」

 巾着袋と黒髪を胸に抱き、佐了は肩を震わせた。

 加州かしゅうのまじないは、毎日念じなければ意味がない。念じていたのか? 俺の身を、案じていたのか?

 母がどれだけこの黒髪を嫌っていたのか、佐了は身をもって知っている。

『お前の頭が悪いんだ。あの男とそっくりの、闇に沈んだような濃い黒が、私の人格を変えるんだ。その頭……その頭さえ違えば、私は心穏やかでいられるのに。お前を愛してやれるのに……』

 母の言葉が蘇る。いつも、佐了を暗い気持ちにさせるその言葉が、今は無性に切なく、愛しかった。

(母様……辛かったでしょう。あなたを苦しめた男とそっくりの黒髪を、布越しとはいえ、毎日両手に握りしめ、念じるのは……)

 でも、母はそれをしてくれた。この狭い孤独な空間で、俺の身をひたすら案じてくれていた。

「母様っ……」

 佐了は涙が止まらなかった。母が使っていた化粧品やら着物をかき集め、その全てを涙で濡らした。


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変幻自在◇異世界ボートレーサー 斜奪 @batora

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