第25話

 酒を飲みすぎた。自由にならない身体が情けない。「都室殿はお人好しだ」都室に肩を貸しながら、伊千佳が言う。

 前線賭博が終わった帰りだった。妙な酒を何杯も飲んだせいで都室は頭が朦朧としていた。だが、やらねばならないことがある。部屋に入るなり、都室は「手紙を書くぞ」と言って伊千佳の手を離れ、這うようにして麻袋へ向かった。

 それが全ての荷物だった。中には短剣や生薬、着替えなど必要最低限のものが詰まっている。都室はそこから細長い筒を取り出す。中には紙と筆が入っていた。

「都室殿には無理です。代筆しますよ」

 伊千佳がスイっと横から取り上げた。

 都室は膝を立てて座る。伊千佳は筒を持って文机の前に腰を下ろした。

「何を書きましょう」

「全て……」

 舌がもつれ、ひとつ深呼吸した。まだ衝撃が抜けていない。黄亜軍人がカミカゼを行った。天天や天戯師てんぎしの仕組みはよくわからないが、あの貴族らの反応を鑑みれば、おそらく事実だろう。すなわち座貫は、母艦に大きな損害を受けた。

「この戦争は、国庫の潤沢を主な目的とし……我が国への侵攻は建前である。即刻、戦線から兵士を撤退せよ……」

 絵巻に描かれていたのは海だ。つまり海より先に侵攻しても、天戯師てんぎしが戦況を読むことはできない。

「海より先は、賭博が成立しない……だから、撤退しても問題はない。そう書け」

「では、黄亜の誘いは断るのですか」

「当然だっ! こんな野蛮なものをっ、国へ持ち込めるはずがないだろうっ!」

 思わず声を荒げた。

「とりあえず、事実の報告だけに留めましょう。我々に撤退命令の権限はありません」

 冷静な伊千佳の声に、都室は耳を疑った。

「お前はっ、前線賭博に乗る気なのかっ! 人の命をなんだと思ってるっ!」

「都室殿、飲み過ぎです」

 伊千佳がすいと距離を詰め、介抱するように都室の肩を抱く。布団へ連れようとする手を、都室は怒りに任せてパチンと弾いた。

「伊千佳、お前の意見を聞かせろ。お前は、黄亜の誘いに乗るべきだと言うのかっ……」

 伊千佳はこちらをまっすぐ見つめ、涼しげな目をクッと細めた。

「誘いではありません。交易です」

 都室は信じられない気持ちで目を見張った。

「都室殿、我々の目的を今一度思い出してください。我々にとって、この国は未知です。驚くことばかりです。この帝国との交易は、必ず我が国の発展に繋がるでしょう。前線賭博だけではありません。亜鉄や果実、我が国にはない資源だって手に入る。我が国の利益になるものは、すべて受け入れるべきなんです。それがたとえ、人命を賭けた賭博だとしても」

「正気か」

「俺は正気です。しかし都室殿は酔ってらっしゃる」

 伊千佳はそう言って、都室の頬に手を添えた。今度は、拒絶できなかった。伊千佳は自分と同じ意見とばかり思っていた。驚きのあまり固まった。

「熱い。この話は明日、改めてしましょう」

「俺の意見は変わらないっ! このくだらない戦争を即刻終わらせるっ! 戦場の兵士はどうなるっ! 母艦はどうなるっ! 我が国にとっても大きな損害が出ているんだぞっ!」

「ですから新たな財源を確保するのです。徴税では反感を買うが、賭博ならそれはない。富裕層から金を巻き上げるいい機会だ。我が国には、溜め込むばかりで国家に還元しない富裕層が大勢います」

 都室は言葉を失った。

「母艦は大きな損害です。しかし母艦を沈められるのはカミカゼだけです。カミカゼは高配当ですから、黄亜軍本部が兵士に命じることはまずありません」

「だが、自主的にやるではないかっ……今日だって!」

「そう何度もできることではありません。命を捨てられる人間が、この世に何人おられますか」

 都室の脳裏に、船の上で腰を上げ、荷重を操る男の姿が浮かんだ。

 あの男は、死なずにカミカゼをやってのけたのだ。

「今日、カミカゼをやったのは、15歳の少年兵士と聞きました。わけもわからない子供だから、ああいうことができたのです」

「子供がっ……あんなことを強いられるなど間違っているっ!」

「誰も強いてはおりません。自主的に行ったのです」

 無意識に振り上げた拳は、伊千佳の手に易々と絡め取られた。全身に酔いが回って、身体が思うように動かない。

「都室殿、我々が優先するべきは国益です。他国の兵士の命じゃない」

「……黄亜の兵士だけじゃない。我が軍の兵士の命も失われる」

「戦争が終われば、失業者が溢れます」

 ハッと息を呑んだ瞬間、胃のなかのものが逆流する気配を感じ、慌てて口を押さえた。前のめりに、身体を喘がせる。

 伊千佳が側を離れ、間も無く戻ってくる。「都室殿」と言って差し出された水を一息に飲み干すと、ぐらりと視界が揺れ、意識が途切れた。


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