本心


 車騎将軍以上の者が幕舎に集まり、タンチョウ族討伐の作戦会議を行っていた。


 中心にいるのは飛燕で、床に敷かれた地図を指し示しながら、各部隊の隊長に細かな指示を出していく。皆、飛燕の作戦を疑う気配もなく、従順に聞き入っている。


 すでに何遍も作戦内容を聞いていた佐了は、その場にいながらも、彼らのように真剣に聞き入ることはできなかった。心ここに在らずがバレたのか、飛燕が「佐了将軍、具合が悪いなら出ていくか」と睨んできた。他の将軍らも、厳しい視線を佐了に注ぐ。


「いえ、申し訳ありません」


 佐了はぺこっと頭を下げた。作戦会議が再開される。


 気が散ってしょうがない。飛燕の言葉が耳をすり抜ける。けれど佐了の集中力を邪魔しているのも飛燕だった。


 あいつは伊千佳のことも抱いたんだよ。夢中になって腰振ってた。


 兎斗が嘘をつくとは思えないが、この六年間、飛燕に抱かれ続けてきた佐了には、どうしても信じられなかった。だいたいまず、そうなる経緯がわからない。……気になりすぎて、あれからろくに眠れていない。飛燕が喘ぐ姿など想像できない。できないから余計に気になってしまうのだ。


 それに……


 伊千佳のやつ……乳吸われてさ、俺は出ない、自分の胸に価値はないって、必死に拒んでたんだ……ふふ、笑えるだろ。


 飛燕を盗み見ようとしたら、目が合った。慌てて地図に視線を落とす。


「佐了将軍は残るように」


 解散の前、飛燕に言われてしまったから佐了はその場に留まった。皆、察したように佐了を横目に見ながら幕舎を出ていく。飛燕に抱かれると思っているのだ。


 飛燕は一旦幕舎を出て、周囲に誰もいないことを確かめると、戻ってきた。


「佐了、わかっているのか。お前の役割は、座貫軍にとっては些細だが、タンチョウ族にとっては切り札だ。お前が麾下を適切に動かすことができなければ、座貫軍を罠に嵌めることはできないし、多くの同志が犠牲になる」


「わかっています」


「別のことを考えていただろう」


「はい」


 素直に認めると、飛燕はムッとしたように眉を寄せた。佐了は上目遣いに飛燕を見る。


「……裕翔は、兎斗だったのですね」


「念願の弟に会えて嬉しいか」


「……今は、どうなんです。兎斗のままですか」


「三刻前は裕翔だった」


 完全に兎斗に戻ったわけではないのだ。佐了はホッと胸を撫で下ろした。


「では、会わせてください」


「兎斗に胸を吸わせたのではないのか」


 サッと背筋が寒くなった。あれほど兎斗……かわいい弟分に乳を飲ませてやりたいと思っていたのに、念願が叶ったのに、あの夜を思い出すと息が詰まる。


 かわいい兎斗。いつも自分の足にまとわりついて、きゃっきゃと無邪気に笑っていた。タンチョウ族の男たちに犯される姿を兎斗に見られた時の絶望は、父に貫かれた時の比ではない。本当に辛く、心の底から申し訳なく思った。兎斗はいつも、ボロボロになった自分を泣きながら介抱してくれた。自分の乳はなぜこの育ち盛りの少年ではなく、いい年をした大人たちに飲まれないといけないのか……やるせない気持ちは、次第に願望へと変わっていった。兎斗にこそ飲んでもらいたい。


 裕翔に飲まれた時は、羞恥もあったが、心が満たされていくのを感じた。長年の願望を裕翔で代用したのだ。これが兎斗本人だったらどんなに幸福だろうと思ったものだ。


 でも、六年ぶりに再会した兎斗は、強引で暴力的な、タンチョウ族の男そのものに成長していた。


「兎斗は乱暴だったかもしれないが、お前を思う気持ちは変わっていない」


「それはわかっています」


 反射的に返した後、「兎斗が、何か言ったのですか? 俺に……乱暴したって」と付け足した。


「裕翔から聞いた」


「そうですか……」


 なら、兎斗は反省していない。タンチョウ族の男だから当然なのだが、つまらない期待をしてしまった。


 でも同時に胸が熱くなった。裕翔はあれを乱暴と思ってくれた。その価値観が嬉しい。裕翔に会いたい。


「兎斗とは……何を話されたのですか」


「……あいつは裕翔のふりをしていた。踏み込んだ会話はしていない」


「そう、ですか……」


 怒らせるかもしれないが、これだけは言わなければと、佐了は続けた。


「もう……兎斗に酷いことをしないでください」


「決戦が近づいているのだ。兎斗には活躍してもらわねばならん。怪我をさせるつもりはない」


 飛燕は袖口をギュッと握りしめた。


「……お前にも、怪我をされては困る。作戦が終わるまでは、兎斗には会わせない」


「っ……」


「五日おきに裕翔に会わせると決めたが、その日に裕翔であるか定かではない。搾乳から三日目に裕翔であればお前に会わせる。四日、五日目になっても裕翔が現れない場合は、俺で我慢しろ」


 飛燕は、裕翔なら絶対に傷つけるようなことをしないと確信している。……なんて信頼関係だ。二人の関係が垣間見えてしまったような気がして、顔が熱くなってくる。


「嫌なら自分でやれ」


 黙り込んだ佐了に、飛燕は苛立ちのこもった声で言う。


「いえ……そういうわけでは……」


 チラ、チラ、と顔を見られて不快に感じたのか、飛燕は整った眉をグッと寄せた。


「なんだ、気色の悪い」


「飛燕様は……裕翔に抱かれたのですか」


 飛燕は目を見開いた。あ、本当に抱かれたんだ、と確信し、佐了も目を見開く。


「と……兎斗からき、聞いたのか」


 頷いたきり、佐了は顔を上げなかった。


「乳を吸われ、泣いていたと」


「っ……」


「飛燕様……あなたは俺に……嫉妬、して」


「そんなわけがないだろう」


「ですよね」


 当たり前だ。家畜に嫉妬するなどありえない。飛燕は白髪のくせに、甲斐連に好かれ、仲間に慕われ、族の中では恵まれた地位にいた。余所者のくせにと陰口を叩く人間は最下層の木偶の坊ばかりで、飛燕の耳に入ることはなかった。


「今夜、俺の屋敷に来い。裕翔を連れてくる。……裕翔であればな」


 沈黙の後、飛燕は言った。


「あ、ありがとうございますっ……」


 まだ乳は溜まっていない。自分が会いたいと言ったから会わせてくれようとしているのだ。素直に感謝の念が込み上げ、佐了は顔を上げた。なのに飛燕はくるりと背を向けてしまう。


「俺は……兎斗の体だと知ったら、お前は傷つき、裕翔を責めるものと思っていた」


 なんの話かと思ったが、兎斗の言葉を思い出し、理解した。


 ……伊千佳はなんて言ったと思う? あいつっ……知布が傷つくから黙ってろって! 兎斗は、死んだって!


「だがお前は、完全に兎斗に戻ったわけではないとわかった時、安堵していたな」


 ドキッとした。裕翔への気持ちがバレた。


「……俺は、あいつが一番傷つく言葉を使ってしまった。それを言うのは、お前だと思っていたのに」


「なんと……言ったのですか」


「その体は兎斗のものだと。……早く兎斗に返せと言った」


「っ……」


 一体どんな顔をしているのかと猛烈に気になったが、飛燕は長い足を振って行ってしまった。


(裕翔……可哀想に……)


 今日、裕翔に会ったらめいっぱい抱きしめて、慰めてやろう。自らの意思で兎斗の肉体を奪ったわけでもないのに、そんなふうに言われるなんてあんまりだ。


 ハッと佐了の胸に衝撃が走る。もしや飛燕はそれを期待しているのではないか。自分の放った言葉で傷ついた男を、この俺に慰めさせようと。


 自分の知る飛燕の人物像とブレる。困惑する。


 気色悪い笑顔でさ、ガキを抱き抱えてた。信じられるかっ? あの鬼畜が父親気取りだっ!


 兎斗の言葉が脳裏に過ぎった。まさかと笑い飛ばしたいのに、ついでに兎斗に受けた強姦まがいの行為を思い出し、悪寒がした。砂漠では普通の行為だ。自分はまさにあの暴力を受けながら成長した。心と体を切り離す術を身につけたはずなのに、兎斗の時、それができずに「痛い」と訴えてしまった。


 痛みを感じたのはいつぶりだろう。飛燕とする時は痛みがないのだと気づく。佐了はますます困惑した。あの男の気遣いを認めたくなくて、首を横に振る。


(あの男に優しさなどあるものか)


 そうだ。優しい人間は、その体は兎斗のものだなんて言わない。返せなんて言わない。

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