おまじない

第24話

 外観から想像するより、中はずっと広かった。

 化粧部屋だろうか、娼妓らが壁を向いて座っている。壁には丸い鏡と台が備え付けられている。

「動くな。これより貴様らの部屋を調べる。少しでも妙な真似をすれば首が飛ぶと思え」

 飛燕ひえんが居丈高に言う。

 娼妓らが困惑している。甲斐連がいれんは慌てて付け足した。

「三の丸で発生した天戯師てんぎしによる凶悪事件だ。我々は天戯師てんぎしの行方を追っている。急なことで驚かれただろうが、どうか協力してほしい」

「単刀直入に言う。我々皇宮警察は貴様らの中に凶徒きょうとを匿う不届き者がいると確信している」

 飛燕ひえんの言葉に、場がざわめく。飛燕ひえんは娼妓らを見回すと、大きく息を吸った。

「蔵匿罪は死罪に値するっ! だが今ここで名乗り出た場合は減刑もやぶさかではないっ! さあっ! 凶徒きょうとを匿う者は名乗り出よっ!」

 娼妓は戸惑いを互いにぶつけ合う。

「ここにはいないようですね」

 飛燕ひえん甲斐連がいれんにだけ聞こえる声で言った。おや、と思う。わずかだが忠誠心を感じたのだ。

 娼妓の館を一緒に調べることにした甲斐連がいれんを、見直したのかもしれない。飛燕ひえんは「行きましょう」と言って、大部屋を突っ切った。奥にも扉があるのだ。それを開けると長い廊下が現れた。

「ここでは高級娼妓らが暮らしています」

 幅の広い廊下。右に個室が並び、左には美しい庭が広がっている。黄亜砂漠では凶器でしかない太陽が、ここでは花を魅力的に照らす柔らかい陽光だ。ならば逆に、黄亜砂漠では恵の雨は、ここでは憂鬱な悪者になるのだろうか。……そう思ったら、見えない鎧に亀裂が入り、ミシミシと壊れゆく音がした。

 個室が広いことは、扉同士の距離でわかる。一体どんな暮らしをしているのか。気づけば甲斐連がいれんは、飛燕ひえんよりも先に引き戸を開けていた。

 亜鉄色ばかり見てきた甲斐連がいれんは、壁紙によって桃色に彩られた部屋に息を呑んだ。驚きすぎて、笑いまで込み上げた。寝台には天蓋まで付いているではないかっ!

 ずんずんと中へ入っていき、手触りのいい掛け布をめくった。枕元には、四隅に黄金色の糸が垂れた、いかにも成金趣味な絹の枕が置かれている。甲斐連がいれんはそれを引っ掴むと、両手に握って引き裂いた。

 飛燕ひえんが驚きに目を剥くが、甲斐連がいれんは気づかない。こめかみに青筋を立てながら、贅を尽くした女の部屋を、メチャクチャに破壊していく。

「ああっ、なんてことっ!」

 娼妓が血相を変えて飛び込んできた。

「な、何をしているのっ! いくらなんでもやりすぎよっ! どうしてくれるのよっ!」

 女の慌てふためく様が、また癇に障った。

「ここにはいないようだ」

 甲斐連がいれんが一言で片付ける。

「では、次へ行きましょう」

 飛燕は甲斐連がいれんが部屋を出るのを待ってから、外へ出た。やりすぎを非難されてもおかしくないのに、飛燕の忠誠心はむしろ増したように見えた。

「飛燕、出身はどこだ」

 廊下を進みながら聞く。

北魏ほくぎです」

 富裕層の街だ。徴兵を免れ、皇宮警察として働いているのだから当然なのだが、違和感があった。

「やはり富裕層の子息か。それなら物の価値がわかるだろう。さっき俺が引き裂いた掛け布は外国産の友禅染、枕の中に詰まっていたのはラマの毛だ。わかっていたんだろう。なぜ止めなかった」

 物の価値がわかる人間なら、甲斐連がいれんの行動を止めるはず。誰だって高価なものが破壊されていくのを見るのは辛い。

「なぜ、隊長の行為を私が止めるのでしょう」

「なぜって……高価なものが壊されていくんだ。普通見ていられないだろう」

 扉の前で二人は足を止めた。

「掛け布は友禅染というのですか?」

 飛燕が眠たげな目を鋭くし、甲斐連がいれんを見る。

「知りませんでした。物の価値は、あなたの方がわかってらっしゃる。この前まで機銃桿を握っていた軍人とは思えませんね」

 ヒヤリとしたが、別に隠す必要はないのだった。隠すべき相手は、徴兵免除とは無縁の軍人だ。徴兵を免れ、ぬくぬくとここで働く人間に、隠す理由はない。

仙魏せんぎ

 ぽつりと故郷の名を口にすると、胸にスッと風が通ったような心地がした。

 ここへ来るまでの寝台車で、都室に打ち明け話をした時と同じだった。

 そんなに自分の素性を明かしたいのかと、甲斐連がいれんは自分の反応に苦笑した。

「俺の故郷だ。親父は前線賭博にのめり込んで破産した」

 飛燕の瞳に哀れみが浮かぶ。それがどういうわけか心地よかった。戦場で部下に向けられる、期待と信頼の眼差しには辟易していたのかもしれない。

「そうならなければ、俺はお前と一緒に働いていたのかもしれないな」

「今、こうしてご一緒できています」

「ああ、そうだった。束の間の高官ごっこを満喫しよう」

 甲斐連がいれんに釣られるように、飛燕はにこりと微笑んだ。

「この者らの部屋を彩るものは、確かに金にはなるかもしれません。しかしその価値は人間がつけたにすぎません。所詮はまやかしの絢爛であることを知らしめる良い機会です。さあ、行きましょう」

 天戯師てんぎし捜索を大義名分にし、甲斐連がいれんは高級娼妓の部屋を欲望のままに破壊していった。

 娼妓に嫌われたな、と頭の片隅で思った。ほくそ笑む。どうせお前たちだって、天天を見て嘲笑っていたんだろう。前線の兵士に命があるなんて、考えたこともないんだろう。

 廊下の突き当たりには、また引き戸があり、その奥があった。

 どうやら奥へ行くほど、娼妓の位が下がっていくらしい。扉の間隔が近くなり、それと比例して部屋も狭くなっていった。

 甲斐連がいれんのやる気も比例し、削がれていった。質素に暮らす女の部屋をどうして荒らせるだろう。しかし今更手を抜くわけにもいかない。高級娼妓の部屋をしっちゃかめっちゃかにしてきたのだ。下層だからを理由にすれば、大義がブレる。

(黄亜軍人は、もっと過酷な環境にいる。こいつらは全然マシだ)

 そう胸に繰り返し、狭い部屋を漁った。

「おやめくださいっ!」

 戸棚を開けた時だった。接待後だと一目でわかる、乱れた着物姿の娼妓が、肩を喘がせ、入り口に立っていた。

「そこは……見てお分かりになりますように、人が隠れられる場所ではございません。どうかお引き取りくださいませ」

「女、我々の任務を妨げる気か」

「何かやましいものでもあるのか」

 鞘から刀を抜き掛けた飛燕を制し、甲斐連がいれんが聞く。

「ございません」

 女は胸を張った。

「お二人は天戯師てんぎしを探しに来られたのではなかったのですか。花瓶を割ったり、掛け布を引き裂く理由はなんですか。恐れながら私は、あな方がウサ晴らしでそれをしているように思えてなりません。どうか娼妓への悪感情をお捨てください。そうすれば、そこを開ける必要がないとお分かりになられるでしょう」

 飛燕が女の言葉に露骨に顔をしかめ、指示を仰ぐように甲斐連がいれんを見た。

 甲斐連がいれんは一瞥によってその意思を伝えた。

「失礼した」

 踵を返し、部屋を出る。女がホッと安堵の気配を見せた瞬間、甲斐連がいれんと飛燕は示し合わせたように部屋に踏み込んだ。

 戸棚へ直行する。飛燕は純粋に天戯師てんぎしの痕跡を求めているのだろうが、甲斐連がいれんは違った。単に「ウサ晴らし」と言い当てられたことが気に食わなかった。質素に暮らしているからと、親近感を抱き掛けた自分にも、腹が立った。高価な貴金属が見つかればいいと思った。

「おやめくださいっ!」

 女は飛燕に動きを封じられながらわめく。

「お願いですっ! 先ほどの無礼をお許しくださいっ! そこには何もございませんっ! だからどうかっ……」

 女の懇願に煽られ、甲斐連がいれんはムキになって中を漁った。何かあるはずだ。人に見られたらまずい何かが……

「ぁあ……」

 女のため息に、甲斐連がいれんは動きを止めた。なんだ? まだ何も……

 視線を巡らす。棚の中には寝着や裁縫道具、救護用のハギレがあるだけで、高価なものは見当たらない。

 ハッと飛燕が息を呑んだ。

「隊長っ!」

 甲斐連がいれんを押し退け、棚に手を突っ込む。小さな巾着袋を握っていた。

「なんだ、それは」

「佐了の右目です」

「は……?」

 佐了が芭丁義ばていぎにされたことを、甲斐連がいれんは知らなかった。「ご存じないのですか」と飛燕にそれを伝えられ、言葉を失った。

 飛燕は巾着袋を顔の前でひらひらと揺らし、勝ち誇ったような顔で女に微笑みかけた。

「佐了の右目は芭丁義ばていぎが巾着袋に入れ、肌身離さず持っていた。ですが佐了に奪い取られたのでしょう、現場にも芭丁義ばていぎの服にも、それはなかった。……ふん、こんなところにあったか」

 飛燕は己の手のひらに、巾着袋の中身を落とした。

「ひっ、なんだっ」

 しかし中からバラバラとこぼれ落ちたのは、細く編まれた赤毛だった。親指ほどの長さのそれが、十本以上もあるかに見えた。

 女が床に落ちたそれにワッと飛びつく。ああ……と泣きそうな顔で拾い集めていく。

「け、汚らわしいっ! なんだそれはっ!」

 飛燕が怒鳴る。くり抜かれた目玉より、人毛の方が恐ろしいとは変わった男だ。汚れを落とそうとするかのように、手をパタパタと振っている。

「ああ……守軽しゅがる……守軽しゅがる……っ」

 女は赤毛をかき集めると、顔を上げ、充血した目で甲斐連がいれんをキッと睨んだ。

「なんてひどいっ! あなたは軍人でしょうっ! なぜ加州かしゅうのまじないを知らないのですっ! 他人が触れたら効力がなくなってしまうっ! 私の夫が死んだらどうしてくれるんですっ! 無事でいられるようにとっ、毎日念じていたのですよっ!」

 女の剣幕に気圧され、甲斐連がいれんは一歩、後退った。

「ふん、まじないなどくだらん。貴様の仕事は春をひさぐことであろう。何が夫だ。淑女ぶるんじゃない」

 飛燕が冷ややかに吐き捨てる。

「隊長、行きましょう」

 飛燕に促され、甲斐連がいれんはふらふらと部屋を出た。女の泣き声から一刻も早く逃げたかった。

加州かしゅうのまじないなど、隊長は知らなくて当然です。ああいうものは宗教と一緒で、貧困の間で流行るのです」

 飛燕は汚れた手を、清潔な絹布で拭いていた。


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