忠告

 胸が悪くなり、馬小屋の裏の川へ行く。しゃがむと嗚咽が出た。おえっ、おえっ、とえずいていると、胃の中のものが口から吐き出された。


 どれくらいそうしていただろう。すっかり陽が高くなると、軽快な馬の足音が聞こえてきた。


 足音が止まる。次に近づいてきたのは人間の足音だ。見なくても飛燕だとわかった。


「どうした。具合が悪いのか」


「うん、すごく」


「戻したのか?」


 飛燕が隣にしゃがんだ。背中をさすられる。


「何か変なものでも食べたのか?」


「飛燕は馬鹿だ」


「お前の具合を聞いているのだぞ」


 ああっ、と熱い息が出た。むしゃくしゃして髪をかき乱す。


「飛燕が……俺を怖がってた理由がわかったよ」


 昨日見た夢だった。兎斗は佐了を乱暴に犯していた。佐了は痛い痛いと泣いて訴えていたのに、兎斗はやめなかった。


 それだけでも胸が悪くなるような夢なのに、そのあとは胸糞悪いどころじゃなかった。


 俺をその体で慰めてくれよ。


 兎斗は飛燕を勘違いさせるような言葉を言って、飛燕に殴る蹴るの暴行を加えた。


「あんなの、普通拒むだろ……っ」


「……見たのだな」


「あいつ、最低だっ……佐了のこともっ……佐了、痛がってたのに……」


「それが普通だ。痛みがあっても、極められるよう仕込まれている。タンチョウ族は血の気が多く、短気だからな。丁寧にやるということを知らないのだ」


「飛燕は上手かった」


 何度も気絶した佐了を起こしては犯した。やりすぎだとあの時は怒ったが、指や腰の使い方は今思えば相手を思いやるものだった。


 拗ねるような口調が面白かったのか、飛燕はくすりと笑った。


「訓練に支障が出たら困るからな。ここに来てからは、体に負担のないよう心がけてきた。だがその前は……お前が気分を悪くするほど手荒に扱った。兎斗とは比べものにならないほど乱暴に」


「嘘だ」


「こんな嘘をついてどうする」


「俺は……自分が見たものしか信じない」


 トントンと別れの挨拶のように背中を叩くと、飛燕は立ち上がった。童子無の元へ向かうのだ。


 ガキを匿ってるんだよ。


 兎斗の低い声を思い出し、裕翔は弾かれたように立ち上がった。


「童子無が危ないっ……かもしれない」


「兎斗が……何か言っていたのか?」


「……あの鬼畜が父親気取りだ……って」


 裕翔は上目遣いに飛燕を見た。飛燕は思考するように顎に手を当て、瞳を彷徨わせる。


「あいつ……多分、今も俺の中にいる。……っていうかずっと……出てこられないだけで、俺たちの会話も聞いてる……だよな? 兎斗?」


 飛燕がこちらを見た。裕翔はわずかな体の変化も見逃すまいと神経を澄ませるが、特に何が起こるわけでもなかった。


 代わりに飛燕の顔がみるみると赤らんでいく。ずっと体の中にいるということは、セックスも全部見られているということ。……確かにそれはきつい。


 飛燕は一つ咳払いし、言った。


「童子無と玲藍を他の場所へ移す。お前は引き続き、ここで隠れて生活しろ。食事は俺が夜半に運ぶ」


 兎斗は童子無に危害を加えるかもしれない。それがいい、と同意しようとした時、兎斗の言葉が脳裏をよぎった。


 承知しました。伊千佳様を、この手で必ず殺します。


「ダメだ……それじゃ……」


 一番危険なのは、飛燕だ。


 今なら、兎斗が本気でそれをやる気だとわかる。それも嬉々と。


「裕翔?」


「……俺を閉じ込めてくれ」


 血の気が引いた。兎斗がこの体に戻る前に、伝えなければ……


「飛燕っ……飛燕は……兎斗に殺される……」


 飛燕は訝しげに目を眇めた。


「甲斐連がっ……兎斗にそう指示を出した……白髪の存在は邪魔だから……って」


 飛燕の傷ついたような表情に罪悪感が湧いたが、それより伝えなければという使命感が勝った。


「兎斗を閉じ込めないと……俺をっ……でなきゃ飛燕、あんたは兎斗に殺されるっ……」


 飛燕は忠告を拒絶するように背を向けた。大股で歩き出す。


「飛燕っ!」


「童子無が待っている」


「今のうちに俺を閉じ込めないとっ……兎斗が出る前にっ……」


 今は自分の方が優勢でも、いつか逆転し、兎斗の時間の方が長くなる。そしてきっと……自分は消える。この世界の人間ではないからだ。


 それに兎斗はリアルタイムでこの状況を見ているが、自分は時間差。それも、断片的に夢で見るだけだ。すでに兎斗の方が有利な状況にあるのかもしれない。


「兎斗は……」


 飛燕が足を止め、前を向いたまま言った。驚くほど顔色が悪い。唇まで血色がない。


「兎斗が、一番甲斐連様のお心を理解している。俺も佐了も、砂漠を離れて長いからな。兎斗に与えられた役目が、この作戦の命運を握るのだ。俺を殺すこと……俺は、高官だからな。俺を失うことで、この国の士気は凋落し、タンチョウ族はいっそう戦い易くなる……と、甲斐連様はお考えになったのだろう。それならそれで」


「馬鹿かっ! 作戦のためなんかじゃないっ……甲斐連は『用が済んだら』って言ってた! あんたは今までの貢献を讃えられることもなくっ、用が済んだら殺されるんだよっ!」


 飛燕はギュッと瞼を閉じた。伝えるべきことは伝えられた。けれど本人の意識がこれでは意味がない。


「何を躊躇う理由があるんだよっ! そもそもあんたっ! タンチョウ族じゃないだろうっ!」


 飛燕は足先を変え、馬へ向かう。童子無との約束を破る気だ。


「どこいくんだよっ! 童子無が待ってるだろっ!」


 腕を掴もうとするが、腕の振りが大きくて掴み損ねた。二度目は振り払われる。


「飛燕っ! 一万人も手下がいるんだろっ!? 精鋭部隊なんだろっ!? どうしてタンチョウ族のために死なせちゃうんだよっ! せっかく作った仲間だろっ!?」


「仲間などではない。駒だ」


「駒はあんただっ!」


 飛燕の正面に回り込んだ。


「タンチョウ族のために一万人の仲間を失ったら、あんたには何も残らないっ! 飛燕っ……あんたはこのままっ、座貫軍人として生きるべきだっ! 甲斐連はあんたを仲間だなんて思っちゃいないっ!」


「兎斗……」


 すっかり乾いた飛燕の唇が動いた。


「その体は……兎斗のものだ」


「っ……」


「早く兎斗に返せ」


 言い捨て、飛燕は馬に乗り、去っていった。


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