第21話

 貴族らが入ってきた。あっという間に座布団が埋まる。都室は隣に座った貴族に『狙い目』を勧められ、その通りに賭けた。

 次に女官らがゾロゾロとやってきて、座布団の間に箱膳を置き、酒や果物をその上に並べていく。熟れた果物は見るからにうまそうだった。初めて目にするものもある。ここは異世界かと、都室は積み上げられていく果物を唖然と眺めた。

 女官が去った後、黒色の袍服を着た男たちが入ってきた。手に壺を抱えている。姿勢正しく一列に並んで進み、均等に持ち場についた。

 客人よりやや後ろに座り、絵巻の上に壺をひっくり返して置く。

 興味深そうに見えたのか、隣の貴族が説明した。

「彼らは天戯師てんぎしです。あの碁石のようなものは天天、戦闘機の分身です。天戯師てんぎしは天天の動きを見て、戦況を読むのです。我々はただ彼らの言葉を聞いていればいい」

 天天には裏表があるのか、天戯師てんぎしは天天をひっくり返していく。そして指差しながら何やらブツブツと唱え、数個、壺に戻した。

「何がなんだか、さっぱりわかりませんね」

 都室の向かいに座る伊千佳が言った。

「読めなくても、天天は見ているだけでも面白いんですよ。ビクビクと小刻みに震えたり、ひっくり返ったり……戦場の兵士がもがき苦しんでいるみたいで、滑稽だ」

 貴族の言葉に激情が込み上げた。伊千佳が視線で(いけませんよ)と念を送りつけてくる。

(わかっている)

 でも、今この瞬間、迂迫うはくに乗り込もうとする彼らの心情を思うと、たまらないのだ。

 娼妓の接待など興味はないが、西尭さいぎょうの助言通り、娼妓と話していた方がいいかもしれない。賭博にのめり込む貴族らをまともに意識すれば、間違いを起こしてしまいそうだ。

「よいのか、座貫の軍人など招き入れて」

 遠く離れた場所から、低い濁声が聞こえてきた。

「我々を殺す気なのでは。ちゃんと身体検査は行ったのか」

 どうやら反乱を恐れているらしい。どうしたものかと、伊千佳と顔を見合わせる。

「このお二人は座貫から遥々来てくださったのですぞ。前線賭博を楽しんでもらおうじゃありませんか。そして気に入っていただく。さすれば我が国は永久に安泰です」

 都室の隣の貴族が熱のこもった声で言った。

「しかし三の丸の件が……」

「このお二人を前線賭博に招待したのは単于ですぞ。あなたは単于の判断を否定なさるおつもりですか。そんなに嫌なら、あなたが出ていけばいい」

「ううむ」

 濁声の男は黙った。出て行こうとはしない。

「三の丸の件とは?」

 都室が聞く。よくぞ聞いてくれたとばかりに、貴族はニヤリと微笑む。

「三の丸という部屋で、天戯師てんぎしが客を皆殺しにしたのです。九人ですぞ? まったく恐ろしい男です」

天戯師てんぎしとしては優秀だったんだがな」

 反対側の男が言った。

「ですがあんなことをしでかした。天戯師てんぎしとして優秀でも、所詮中身は野蛮な軍人だったということです」

「軍人?」

 都室は思わず聞いた。九人殺したというのも驚きだが、軍人とは。

 戦場で戦ったかもしれない。普通なら憎しみに育つはずの情報に、親しみを覚えてしまうのは、甲斐連がいれんの人柄に惹かれているからだろう。こんな貴族風情よりも、自分は黄亜軍人に共感するし、親しくなりたいと思う。外交は座貫のためというより、彼らのために成功させなければと思う。この任務を与えられたのが自分でよかった。……あの迂迫うはくを見逃してよかった。

「おほほっ、軍人と言っても、責任も果たせず逃げ出した、惰弱な腰抜けですがなっ!」

 そこへ、色とりどりの着物に身を包んだ娼妓が、ゾロゾロと入ってきた。客人よりも多い。

 すぐさま客人の隣に付く者と、壁際に待機する者と、半々だった。

「お選びくだされ。気に入らなければ変えればいい」

 隣の貴族がニヤニヤしながら、壁際に並ぶ娼妓を顎で指した。

 偏執的な趣向に応えるためだろうか、多様な女が並んでいる。体型だけでもさまざまだ。

 ふと、一人の女が目に留まった。みなニコニコと愛想を振り撒く中で、目元に布を巻いた彼女は口元だけで微笑んでいる。

「おいっ! そこの盲目の女っ! こっちへ来いっ!」

 隣の貴族が指名し、盲目の女が立ち上がる。目が見えないわりに動きは滑らかだった。女は貴族と都室の間に腰を下ろす。

「都室殿は誰がお好みかな?」

 隣の貴族はさっそく盲目の女を抱き寄せた。都室はもう一度、壁際に並ぶ女を見たが、特に気になる女はいない。それに今は三の丸の件を詳しく知りたい。娼妓は不要だ。

「都室殿、もういいでしょう。俺たちの関係を明かしましょう。これ以上秘密にするのは黄亜帝国のご厚意を無碍にするようで忍びない」

 ちゃっかり両肩に女を抱いていた伊千佳が、おもむろに女から手を引いた。二人の女がえっ、と伊千佳を挟んで顔を見合わせる。そしてゆっくりと都室を向いた。

「なんとなんとっ! お二人は男色でしたか」

 隣の貴族が「それは失礼」と嬉しそうに言った。都室はなんと答えたら良いのか分からない。娼妓らが好奇の視線を寄越してきて、居心地が悪い。その視線から逃れるために、箱膳に積まれた黄緑色の果実を一つ摘んだ。

 初めて見る果実だった。けれど形状や触り心地は西紅柿トマトのようだ。あれと同じ味がしたら嫌だなと思いながら、苦手な酸味を覚悟して、口の中へ放り込む。

「……っ」

 瞬間、口の中に広まったのは芳醇な味わいの甘味だった。

「おや? もしや青葡萄マスカットは初めてですかな」

 都室が「青葡萄」と反芻したのを、男は肯定と受け取った。他の娼妓に「青葡萄をもっと持って来い」と命令する。

「黄亜帝国軍第七中隊、北オルドス戦線へ出撃しました」

 天戯師てんぎしが言うと、どこからともなく拍手が上がった。都室と伊千佳も空気を読んで手を叩く。

「はじまりましたな」

 隣の貴族が酒の入った皿をつき出してきた。都室も皿をつき出し、コツンと乾杯する。

 酒は苦かった。舌先が痺れ、口の中に不快なえぐみが残った。口直しに青葡萄をもぎ取り、味わう。なんて美味い果実なのか。

「百七号機、天安にて撃沈」

 さらにもう一つ、噛み砕いた時だった。天戯師てんぎしの事務的な声が、都室を暗い現実へと引き戻す。

「何をしておるっ! ぼんくら!」

「三一号機、六二七号機、八八号機、比線にて撃沈」

 都室は絵巻の上を踊る天天を見るが、何が起こっているのかまるで分からない。

 貴族らは天戯師てんぎしの言葉に一喜一憂し、拍手したり、罵倒したりするから騒がしい。賭博そっちのけで娼妓の際どいところを弄る者や、喧嘩を始める者もいる。そんな中でも、天戯師てんぎしは淡々と戦況を読み上げていく。

「先の話ですが、三の丸で客を皆殺しにした天戯師てんぎしの男は、今はどうしておられるのですか」

 都室が隣の貴族に聞く。男は箱膳に並んだ酒器を手に取り、皿に少しずつ注いでいく。いろんな種類を混ぜて、自分好みを作ろうとしているのか。どう考えてもゲテモノができそうだが。

「逃亡中です。まあ、自決しているでしょうな」

 捕まっていないのか。脈が速った。どうか生きていてほしい。顔も知らない男の無事を心から願った。

「軍人が、ここで天戯師てんぎしとして働くことは可能なんですか」

「戦場で使い物にならなければ内地に戻ることができます。たいてい黄亜砂漠かオルドスで力尽きますが」

(おいおい、それを混ぜるのはさすがにやめた方が良いんじゃないか)

 都室は貴族の手元が気になって仕方がない。

「内地に戻った後は本人次第ですな。天戯師てんぎしの道は誰にでも開かれておりますが、帰還兵はまずなれません。内地に戻る頃にはくたびれておりますから。佐了も目と腕を失っていた。よく天戯師てんぎしを志したと思います」

則泰子そくたいし殿、佐了が右目を失ったのは芭丁義ばていぎが奪ったからでありますぞ」

 伊千佳の隣に座る男が口を挟んだ。伊千佳もこちらを見ている。

「ああ、そうだった」

「あれだけの損害を被ったというのに、芭丁義ばていぎはよく右目だけで我慢しましたな」

 また別の男が口を挟んだ。

「まったくです。私ならイナゴの餌にしてますよ」

「そうするべきだったんでしょう。生かしておくからあんな惨い事件が起きた。全ては右目で許した芭丁義ばていぎの責任でしょう」

「その……佐了という男は、右目を奪われるほどの罪を犯したのですか」

 都室が聞く。

「ええ。奴はカミカゼをやると言いながら帰還したんです。芭丁義ばていぎという男はそれを信じ、大金を注ぎ込んだ。要するに八百長ですな」

「は……」

 なんだ、それは。都室は開いた口が塞がらない。

「それで、目を?」

 もしやこの盲目の娼妓も、そういうくだらない理由によって光を失ったのではないか。そう勘ぐり、都室は女を見た。女がハッと息を呑む。まるで、都室の視線に気づいたように。

(この女……)

 疑いの目を向けると、女は居た堪れないというふうに顔を背けた。

 怯えるように唇が震える。やはり見えているのか? 暴かれることを恐れているようにしか見えない。

 その唇へ、貴族が酒の入った皿を突きつける。混ぜ合わせたゲテモノ酒だ。

「ほれ、飲め。女でも飲みやすい黄酒であるぞ。お前は幸運だ。こんな美味い酒は滅多にないぞ」

 やっと、男が盲目の娼妓を選んだ理由が分かった。なんて卑劣な趣味だろう。都室は怒りも湧かなかった。ふんっ、と腹に気合いを入れる。

「なにを熱心に作られているのかと、気になっておりました。その酒、私に譲っていただけませんか」

 言うなり男の手から皿を奪った。ぐびっと一息にあおる。喉を強烈な刺激が通過する。焼けただれてしまいそうだ。すぐさまくらりと脳天がいかれた。

「都室殿っ」

 伊千佳が身を乗り出す。大丈夫、と手で制し、都室は居住まいを正した。

(こんなものを女に飲ませるな)

 クラクラしながら、口直しに青葡萄をせっせと口の中へ放り込んだ。

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