第20話

 黄亜帝国の単于国王は座貫の使者を歓迎したが、戦争をやめる気はないと、そこは頑なに譲らなかった。

 ではなぜ我々を受け入れたのかと都室が聞けば、肥え太った男は「前線賭博」を広めたいのだと言った。

(前線賭博……甲斐連がいれんが言っていたのは、本当だったんだな)

 彼の言葉を疑っていたわけではないが、実態が掴めないうちは意識しても仕方がないと思っていた。だから単于の口からそれが放たれ、驚いた。なぜそれを敵国の使者に明かすのだろうか。

「我が国の財政は税と専売制度、そして前線賭博によって賄われている。我が国の国庫は、あなた方が思われているよりずっと潤沢なのです」

 たしかに、この国には圧倒されてばかりだ。今いる王の間も、広さや調度品、単于ぜんうが着ている衣装まで、座貫の比ではない。

 都室と伊千佳の二人は、単于と向かい合って床に正座している。中を希少な羊毛で満たした絹の座布団が、膝を優しく包み込んでいる。

「聞くところによれば、座貫も軍事産業で多大な利益を得ているとか」

「母艦を沈められますと、損害の方が大きくなります」

 都室が言うと、単于は口角を卑屈に持ち上げ、尊大に顎先を上げた。

「それは失礼。しかし座貫のような大国が、たかだか母艦一隻で逼迫してしまうとは」

 単于がニヤニヤと笑い、都室は己の失言を恨んだ。

「そこで、あなた方にも前線賭博を勧めたいのです。文化の交易ですな。我が国は前線賭博の知恵をあなた方に授ける、あなた方はその産業で得た利益の一部を我が国に収める。さすれば互いが潤う」

「『あなた方にも』と言いますと、他にも前線賭博で財政を立てている国があるということでしょうか」

 伊千佳が聞く。単于は「いかにも」と頷いた。

 伊千佳は息を呑み、仰け反るように背を伸ばした。

「合理的でありましょう。手っ取り早く、長期的に国民から金を搾取しようと思ったら、賭博に勝るものなどありません。徴税で集まる金など知れている」

「お言葉ですが武丁単于ぶていぜんう、我々は国民の命をそのような非道」

「都室殿……っ」

 伊千佳が止めた。鋭く睨まれる。

「その知恵を取り引きするかはともかく、まずは一度、前線賭博とやらを見せていただきたい。正直、我々は貴国の富に驚いているのです。まさかこんな大国と戦っていたとは思わなかった。きっと前線賭博には、貴国の叡智が尽くされているのでしょう」

 伊千佳が言うと、単于は満足気に目を細めた。

「もちろんですとも。そのつもりでおりました。西尭さいぎょう、お二人を芙蓉ふようの間へお連れしろ」

 西尭さいぎょうと呼ばれた小男が前へ出て、「こちらへ」と二人を誘った。まだ声変わりしていない子供だった。

 西尭さいぎょうの後に続いて部屋を出て、庭園の中にある廊下を進む。移動の間、都室と伊千佳は口を聞かなかった。人前で話すべきではないという思いもあったし、まだ都室自身、混乱していた。本当は前線賭博を断って、一人部屋に籠もりたい。戦線にいる兵士のことを思うとたまらなかった。

西尭さいぎょう殿、兵士の命で賭博なんかして、国民は反発しないのか」

 伊千佳が聞く。

「我が国は富を持つ者しか知りません」

「それでは金が集まらないのでは」

「我が国は貧富の差が大きいので、問題ないのです。富を持つ者がのめり込んでくれさえすれば」

 西尭さいぎょうは感情を乗せることなく、淡々と言った。

「それに交易があります。近隣諸国は庶民も賭博に参加します。他国同士の戦争だから、娯楽として成立するのです。我が国はその利益も得ている」

「我々が命を懸けて戦っている間、近隣諸国の者らは金を賭けて遊んでいるというのかっ」都室が声を荒げる。「部外者が勝手なことをっ! 前線の兵士の命をなんだと思ってるっ!」

「都室殿、お静かに。貴人方が騎射をしておられます」

 前を歩く西尭さいぎょうが左手に視線を飛ばす。庭園の中にある東屋で、貴族らが談笑している。その奥では、平らな赤土の大地を、男が馬に乗って駆けていた。

 都室は我が目を疑い、足先を変えた。庭へ出ようとした都室の首元に、西尭さいぎょうが素早く刃文の鮮やかな刀を突きつける。近すぎる。ゴクリと唾液を飲み込めば、動いた喉仏に刃縁が触れた。

「都で捕らえた罪人です」

「まだ子供ではないかっ! 伊千佳っ!」

 助けろ、と目で命じるのと同時、ビュッと風を切る音がした。

 鉄柱に逆さ吊りにされた少年の身体が、ピインと伸び、直後にぐったりとした。鉄の矢は、少年の胸を貫いていた。足や腹から鉄の矢が生えている。

「お見事っ!」

 貴族らが手を叩く。都室は唇が戦慄いた。

(鬼畜かっ……)

 西尭さいぎょうが刀を鞘に戻し、「行きましょう」と歩き出す。

 庭へ出ようとした都室を、今度は伊千佳が腕をキツく掴んで引き止めた。

「都室殿、他国の法規に首を突っ込んではいけません。我々は外交をしに来たのですよ」

 都室は未練がましく鉄柱を見た。少年が柱から外されている。十歳にも満たないんじゃないか。痩せこけた薄い身体がぷらぷらと頼りなく揺れている。

「都室殿っ……」

 伊千佳が目つきを鋭くした。廊下の少し先で、西尭さいぎょうが足を止めて待っている。

「すまない、今行く」

 西尭さいぎょうの案内で入ったのは、だだっ広いだけで何もない、銀色の部屋だった。

 一列二十枚、座布団が向かい合わせに並んでいる。その真ん中には、絵巻物が広げられている。

「開帳まで時間があります。まず先に、前線賭博のご説明をします」

 こちらへ、と言われるがまま、伊千佳と絵巻を挟んで向かい合って座る。

 絵に描かれているのは海だろうか、ところどころに記号や数字が記されている。

「なんて書いてある?」

 伊千佳が聞く。西尭さいぎょうは「私にもわかりません」と当たり前のように言った。

「前線賭博は、天戯師てんぎしという特別な資格を有する者がその場にいなければ成り立たない。この絵に描かれているものは全て、天戯師てんぎしが賭博を進行するための符牒なのです」

天戯師てんぎしでなければ分からないのか」

「ええ。天戯師てんぎしになるには最低でも二年の修行が必要と聞きます。それに誰もが習得できるわけじゃない。常に変化する戦況を正確に読み解かねばならないのです。間違った解釈をすれば、首が飛ぶこともある」

「しかし……どうやってこれで戦況を読むというんだ」

「天天という特別な器具を使います。天戯師てんぎしはその動きを見て、戦況を読むんです。まあ見ればわかります」

 西尭さいぎょうは床に正座し、膝の上に両手を置いている。

「それでは、前線賭博の主な賭け方をお伝えします」

 西尭さいぎょうは胸の中に手を入れ、おもむろに巾着袋を取り出した。カチャカチャと音が鳴る。

「我が国の金貨、亜元宝あげんほうです。特別に二千元、お二人にお貸しします」

 カッと頭に血が昇った。

「我々にっ、命で遊べと言うのかっ!」

「都室殿、落ち着いてください。これも黄亜なりのもてなしでしょう」

 伊千佳が巾着袋を受け取った。もてなし、と言われ、都室も仕方なく受け取る。黄亜との関係が悪くなるのは避けたい。

 都室のやるせない表情を、西尭さいぎょうはじっと見つめると、言った。

「間も無く、貴人方がいらっしゃいます。あの方らが何より望むのは撃沈です。巨万の富を持つ彼らは、他人の損害に喜びを感じるのです。もちろん、自分の賭けた兵士が生き残れば嬉しい。しかしそれ以上に、他人の駒が減っていくことに興奮するのです」

 もしかして俺は、この十三、四の子供に、諭されているのだろうか。

「どうかご自分の立場をお忘れにならぬよう、前線賭博をお過ごしください。開帳時には娼妓の接待がありますので、娼妓と話して気を紛らわせるのも一つの手かと思います」

 見かねて言った、ような西尭さいぎょうの言葉に羞恥心が込み上げ、都室は俯いた。

「……すまない。貴人方の前で非礼な真似をしないよう、気を付ける」

 西尭さいぎょうはこっくり頷く。頬は丸く柔らかそうで、鼻の上にはそばかすがある。よく見れば顔のあちこちが幼かった。ふいに優しい気持ちが込み上げ、都室は言った。

西尭さいぎょう殿は、まだ若いのにしっかりしているな」

 虚を突かれたように西尭さいぎょうが目をしばたく。

「刀の扱いも見事だった」

 西尭さいぎょうは頬を紅潮させた。それを見ていっそう心が和んだ。都室は子供が好きだ。いつか戦争が終われば子供が欲しい。そう思い続けてい何年になるだろう。

「それに刃もよく磨かれ、刃文も美しかった。ちゃんと手入れされて、刀も嬉しいだろうな」

 喜ばせようと言った言葉は、西尭さいぎょうの表情を暗くした。

「それはないでしょう。刀は嘆いています」

 西尭さいぎょうはゆるゆると首を振る。

「斬るのはもっぱら、無抵抗の罪人ですから」

 顔立ちは何も変わらないのに、西尭さいぎょうの顔にはもう、年相応のあどけなさはなかった。


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