第19話

 佐了の足取りが全く掴めていないと聞いて、甲斐連がいれんは捜索隊長であるにも関わらずホッと息をつきそうになった。

「そうか。捕まることを恐れて、すでに命を絶っているかもしれんな」

 甲斐連がいれんが顎に手を添え、深刻な口調で言う。

「ええ、私もそう思います。捕まったら酷い拷問が待っている。正気でいられるうちに死んだ方がいい」

 甲斐連がいれんは二十人の部下を持った。みな、徴兵を免れた金持ちの子息だ。見下され、誰も自分の言葉など聞かないだろうと思っていたが、全くそんなことはなかった。みな、前線で戦ってきた甲斐連がいれんを尊敬し、熱っぽい目を向けてくるのだ。

「あの男は自決などしませんよ。まだどこかに身を隠しいるに違いない。誰か協力者がいるのです」

 そう言ったのは、飛燕ひえんという22歳の青年だ。常に眠たげな目をしているが、その瞳の奥にただならぬ残虐性があるような気がして、甲斐連がいれんは密かに警戒している。

「隊長、娼妓の館を調べましょう」

「娼妓が協力していると?」

 別の隊員が聞いた。

「現場は貴人館、三の丸です。我々からしたら迷路同然のあそこを、佐了は誰にも会わずに抜け出した。娼妓の手引きがあったとしか思えません」

「……現場にいた娼妓は調べたのか?」

「はい。しかし娼妓は演技力に長けています。錯乱したフリで聴取をうまく切り抜けてしまう。まったく、女という生き物は困ります」

「あんな恐ろしい現場に居合わせたんだ。思い出そうとすれば混乱するのは当然だろう。それを演技だと決めつけるなんて、貴様には心がないのかっ!」

 別の隊員が言い、他の者がうんうんと頷く。飛燕ひえんはフッ、と鼻で笑った。

「隊長。どうか許可を。あそこを調べるには上役の許可が必要なのです。必ず佐了はあそこにいます」

「よくもそんな自信たっぷりに言えるな。昨日は馬運車にいるって言い張ってたくせに」

「馬運車?」

「使い物にならなくなった馬は市場へ流すんです。それで、佐了は馬運車で脱出するだろうからって、こいつが言い張って、昨日調べたんです。でも佐了はいなかった」

 飛燕ひえんはそれを失態とは感じてないらしく、薄い口元に笑みを浮かべた。

「だから考え直したんです。あいつはまた一仕事する気でいるんじゃないかって」

「馬鹿馬鹿しい。意地になるなよ」

「隊長はどう思われます?」

 じっとりと粘つくような視線を向けられ、背筋が冷えた。

 馬運車を調べたが、佐了はいなかった。それを飛燕ひえんの失態として責めるのはあまりにも愚かだ。その着目は鋭いし、見つかっていない以上、まだ宮廷のどこかに潜んでいると考えるのは当然のこと。

「隊長から見て、あの男は自決をすると思いますか」

 答えは否だが、「この状況であれば、可能性としてはあり得るだろう」と答えた。

 飛燕ひえんがクッと目を眇める。

「左様ですか。どちらにせよ、娼妓の館は一度調べた方がいい。無能でも結構だが、足を引っ張るのだけはおやめください。あなたに与えられた権利は使っていただく。甲斐連がいれん隊長、娼妓の館の捜索許可を」

「貴様っ! 無礼だぞっ! 凄腕の隊長に向かって!」

 他の隊員の言葉など意に介さず、飛燕ひえんはひたすら甲斐連がいれんの指示を待つ。

「……わかった、許可する」

「感謝します。では早速」

 飛燕ひえんは一礼し、去っていった。追いかけようとした甲斐連がいれんを、「一人でやらせればいいんですよ」と別の部下が止める。

「あいつは拷問がしたいだけなんです。この前捕らえた罪人が事切れてしまったから、新しい道具が欲しいんですよ」

「性根が腐ってるんだ。同じ空気も吸いたくない」

「隊長、あんな奴の言葉、気にすることないですからね。隊長は幾多の戦場を生き抜いた伝説の黄亜軍人なんですから」

 前線の兵士をそんなふうに意識しているのかと、甲斐連がいれんは気恥ずかしく思うと同時に嬉しくなった。「ありがとう」と礼を言う。

「隊長はみんなの英雄です。こいつなんて、隊長のおかげで亜元宝三万分も儲けたんですから」

 その言葉にスッと心が凍りつく。

「お前だって二万分儲けただろっ!」

「隊長、第七中隊は誰が『買い』ですか?」

「あと半刻1時間で締め切りなんです。隊長の意見をお聞かせください」

兎斗とと庵奴あんどは頑張っていますね。でもみんなが買うから大した配当にならない……あ、隊長を悪く言ってるわけじゃないんです。やっぱり無敵の駒は心強い。僕はあなたを心から」

「黙れ」

 唸るように言って、やっと、彼らは甲斐連がいれんの放つ殺気に気づいたらしい。尊敬の眼差しに影がさす。その察しの悪さで、よく皇宮警察が務まるものだ。

 甲斐連がいれんは足先をわずかに動かし、みなを向いた。

「戦場で戦う兵士に金を賭けられるお前たちに、俺の姿が見えるものか。お前たちにとって俺は天天、金を生み出すただの駒だ。心のある人間だなんて思っちゃいないんだろう」

 なにを言っているのか、自分でもわからなかった。ただ口が動くのに任せた。

「俺も、お前たちを同じ人間だとは思わない。互いに距離を置いて、任務を果たそう」

(俺が戦死したら、お前たちは落胆し、死んだ俺を罵倒するんだろう)

 甲斐連がいれんは彼らに背を向け、娼妓の館を目指した。

 心の中は激しく荒れ狂い、全身が熱かった。怒りで呼吸もままならない。歩きながら、毛穴という毛穴から血を噴いて死ぬんじゃないかと、本気で思った。同時に、感情的な自分にホッとした。もし自分が徴兵を免れ、ここで生活していれば、あのような人間になっていたかもしれないのだ。ああならなくて良かった。

(あと半刻、か)

 出撃はいつも急だった。寝ているところを叩き起こされ、行けと命じられたこともあった。

 しかしここにいる者は、少なくとも半刻前には出撃を知り得ている。締め切り? なんてふざけた連中なのか。

 甲斐連がいれんは拳を握り込めた。

兎斗とと……こんな腐った連中のために、命を懸けることはない。カミカゼなんて、やるな)

 あと半刻……みんな無事でいてくれと、甲斐連がいれんは切実に願った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る