同情を引く男


 裕翔らを匿っている厩舎から、飛燕は馬で演習場へ向かった。


 山脈に囲まれた扇状の大地では、タンチョウ族との戦闘に向け、一万の騎馬隊が調練を行っていた。


「飛燕殿っ!」


 馬を降りると、勇保が駆け寄ってきた。


「芭丁義殿が舎営にお見えです。飛燕殿にお会いしたいと」


 舎営に向かう。中には飛燕の直属の部下数名と、芭丁義一行がいた。


 十数人の視線が飛燕に向けられる。


「賑やかですね」


「飛燕、お前の麾下の調練を見せてもらった。鍛え上げられた精鋭だ。精鋭というと、せいぜい数百だが、一万だ。お前は一万もの兵士を精鋭に仕上げた」


 芭丁義が興奮した面持ちで言う。見れば、皆同じような表情だった。各部隊の隊長らは誇らしげだ。


「身に余るお言葉、感謝いたします」


 飛燕は言って、小首を下げた。


「しかし、私だけの力ではありません。彼らが優秀なのです」


 飛燕は部下らに微笑みかけた。


「いかにも。だがそれも、有能な人材を精選したお前の手柄といえよう。それに皆、口を揃えて、お前の力なしにあれほどの部隊を作り上げることはできないと言った。部下にそう言わせるのも才能だ」


「今日はどうされたのですか。いやに機嫌がよろしいですね」


「素晴らしい調練だった。あれだけの数の騎馬隊が乱れることなく、二十三の隊列を組んだ。斜奪にはできまい」


 飛燕は、芭丁義がここへ来た理由を察した。


「タンチョウ族を討てと?」


「お前ができると言うのなら」


 芭丁義が言い、部下の一人が口を開いた。


「冬が迫っております。我々が最大限力を発揮できるのは、夏でも冬でもない、今しかないかと」


 部下らが頷く。


 飛燕が悩むそぶりを見せると、


「これから冬にかけて、連中の活動は活発化していきますっ! 多くの村が連中によって食い荒らされ、不毛の地となるのですっ! 飛燕殿っ! どうか座貫の民をお救いくだされっ!」


「飛燕、何を悩む理由がある? 問題があるのなら言ってみろ」


 言えるわけがない。呂帝を暗殺する役目を担う男が別の人格だから、代わりが来るまで少し時間が欲しい……なんて。


 皆が追い立てるように自分を見つめる。首を横に振れば落胆されるだろう。芭丁義に見限られたら最悪だ。積み上げてきたものが台無しになる。


 背筋にヒヤリとしたものが駆けた。積み上げてきた……タンチョウ族がこの国の支配者となるために、一万の兵を鍛え、部下との信頼関係を築いた。首を横に振ろうが縦に振ろうが、それらを失うことは変わらない。


 何を今更。そのために自分はここへ来たのだ。今、「はい」と返事をしないでどうする?


 兎斗の身に起こったことは、この計画の上で、大した問題ではない。戦争に勝てば、邪魔な人間はいくらでも処刑できる。なにも、戦火の混乱の中でやる必要はない。


 ふと、兎斗の役目は他にあるのではと飛燕は思った。王族を殺す以外の目的が……


「飛燕っ」


 芭丁義の声によって、思考が散った。皆の視線が険しい。


「かしこまりました。座貫の領土を這い回る野蛮な民族を、今こそ討ちましょう」


 決心したように、晴々とした表情で飛燕は言った。部屋にいる者がパアッと顔を明るくする。


 ついにこの時が来たのだと、飛燕は武者震いした。自分を慕ってくれる彼らを、死地へ送り込むのだ。




 今日はあんたを抱くと言ったのに、裕翔はおとなしく飛燕に従い、佐了の待つ部屋へと入っていった。


 二人は朝まで共にいる。それまで、飛燕は庭を散歩することにした。眠れないのだ。


(わかっていたことではないか)


 何度も自分に言い聞かせる。鍛え上げた兵士を、タンチョウ族の罠に嵌め、全滅に追い込む。これで座貫の士気は地の底。内地に攻め込まれたらこの国は終わりだ。


 やっと報われるのだ。これで自分はタンチョウ族の仲間として、正式に認めてもらえることだろう。もっと喜ぶべきなのに、気が重い。


 庭から、二人のいる部屋を見る。今頃二人は……と考えて、また気が沈む。気づけば飛燕の足は、二人の気配から逃げるように、厩舎へと向かっていた。


「……っ」


 そっと部屋を覗いたつもりが、玲藍を起こしてしまった。「誰っ」と強張った声が言う。


「すまない。俺だ」


「飛燕様? ……どうされたのですか? 私たちのこと……誰かに知られましたか?」


 玲藍が起き上がる。


「童子無、起きて」


「いや、違う。違うのだ。起こさなくていい……すまない。考え事をしていたら、つい足がこちらへ向いてしまった。起こして悪かった。ゆっくり休んでくれ」


「……こんな時間に、考え事をしてらしたんですか? 飛燕様は、お休みにはなられないのですか?」


「今夜は眠れないのだ」


 飛燕は珍しく、弱音を吐いた。布団で眠る童子無に視線を向ける。


 普段は癒しでしかない童子無のあどけない寝顔が、今は苦しかった。


「ゆうと?」


 童子無が目を覚ました。申し訳ない気持ちが込み上げる。


「童子無、うるさかったな。すまない」


「ひえんっ!」


 童子無は飛び上がり、飛燕の足に抱きついた。飛燕の頬が緩む。


「はは、遊びに来たわけではないぞ」


「ひえんとねるー」


 童子無は膝に抱きついたまま、すやすやと寝息を立て始めた。


「飛燕様……お休みになられますか? 童子無が喜びます」


「……そうしようか。俺も、この子の寝息を聞きながらなら、眠れる気がする」


 童子無を胸に抱いて横になると、眠気はすぐにやってきた。


 飛燕はぐっすりと、深い眠りに落ちていった。





 夜が完全に明ける前に、裕翔を迎えに屋敷へ戻った。


 部屋に入ると、布団でぐっすり眠る佐了と、壁際に座る裕翔の姿があった。裕翔は飛燕に気づくと、膝に伏せていた顔をぬらりと上げた。


「いち……飛燕……」


「眠ってないのか?」


 裕翔はスイと佐了を見た。佐了が起きる気配はない。


「俺……胸の傷のこと……佐了に言ったんだ」


 まさかと、飛燕は息をのんだ。


「佐了……めちゃくちゃショック受けてた。あんたの言った通りになった」


 傷ついた表情に、胸が締め付けられる。


「裕翔……」


 飛燕は裕翔に駆け寄り、その前にしゃがんだ。


「……俺、期待してたんだ。兎斗の体でも、きっと佐了は受け入れてくれるって……」


「時間はかかるだろうな」


 裕翔はゆるゆるとかぶりを振った。


「無理だ。佐了は兎斗を愛してる。昨日、確信したんだ。佐了の気持ちを聞いた。俺はっ……お呼びじゃないって……」


「裕翔、俺は……」


「飛燕……俺、今すごく辛い」


 裕翔が悲痛な眼差しで乞う。


「……」


「俺をその体で慰めてくれよ。優しいあんたならできるだろ?」


 自分の体が慰めになるのだと思ったら、胸の奥がほのかに弾んだ。断る理由などなかった。自分は、「今日はあんたを抱く」という言葉を、慰めにしていたのだから。


「部屋を……変えよう」


 飛燕が言うと、裕翔は「うん」と薄く笑った。


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